File.1 怪盗の受難
Steal 4 摩天楼
「ついに警察も怪盗の標的にされる日が来るとはな……」
 そう苦い顔で言ったのは、“黒影”が送って来た予告状のコピーを持っている私の隣を歩く、“煉獄”ことフレア刑事だった。彼は警察内でもきっての敏腕刑事で、警察内の同僚はもちろんのこと、犯罪者にもその名を轟かせている。
 私たちは、二人して警察本部の警視総監室へ足を運んでいた。警視総監と言えば、警察内で一番地位の高い役職。そんな偉いポケモンに、一警察官でしかない私たちがなぜ呼ばれたのだろうか。そう首をひねった矢先にフレア刑事がそう呟いたものだから、私は思わず彼を見た。
「フレア刑事は、やはり怪盗“黒影”の件で我らが警視総監室に呼ばれたとお考えですか?」
「そりゃ、そうだろう。それ以外に呼ばれる理由が無い」
 まったく。“風錐”という怪盗が警察本部の書類を盗もうというだけでも、警察内はざわついているというのに。まさか、怪盗“黒影”が“窃盗試合”を受けて立つなんて! 今までの彼の依頼への慎重さと比較すると今回のことは寝耳に水。“黒影”専属刑事の私としては、勘弁してもらいたいというのが正直な本音だった。
「しかし、“プロジェクトF”という書類は、いったいなんなんでしょうか?」
「さぁな。警察内部には、これまでの事件のデータも含め、警察官ですら閲覧することができない機密書類が山ほどある。そのうちの一つになぜ怪盗ごときが興味を示すかなど俺にはどうでもいい。が、ひとつだけわかりきっていることがある」
 ここでフレア刑事はため息と共に一度言葉を区切り、ベテラン刑事特有の宙をにらむ視線になった。
「わかりきっていること、とは?」
「俺たちがその書類の内容をむやみに詮索すべきではないってことだな」
 フレア刑事がそう言い終えたのと同時に、私たち二人は警視総監室へたどり着いた。ドアの前に立つ私たちに、この先にいるであろうポケモンの重いプレッシャーを感じる。
「警視総監殿、フレアです」
 フレア刑事がノックとともに声を上げた。中から「入りなさい」という声が聞こえて来た。
 私とフレア刑事が顔を合わせた後、彼はドアを押し開けた。
「失礼します」
「わぁ!?」
 私の頭上を、マグカップが通り過ぎて行った。しかもその中に熱々のコーヒーをためたまま。私はあわてて頭を下げたから良かったものの、火傷していたら一体どういうつもりだったというの!?
 そう思いながら警視総監室の中を見てみると、やけど云々の私の考えがいかに甘かったのかを思い知らされた。
 宙を舞っていたのはマグカップだけではなかった。高級そうな万年筆、散乱したままの何かの書類、刃がむき出しのペーパーナイフ、額縁に入れられた表彰状や勲章なども全てが宙に浮いている。
 これは、いったい?
 フレア刑事も同様に浮遊しているオブジェクトに目を凝らしながら、警視総監の座っているデスクへと歩を進めて行った。流石はベテラン刑事、このような場面でも冷静沈着そのものね。私も見習わなくては……。
「警視総監殿、刑事課・“怪盗狩り”捜査班、フレアです。こちらは怪盗課・“黒影”専属刑事の――」
「――エイミです」
「……うむ。よく来ましたね、二人とも」
 まるで歌舞伎の女役のような高く撫でるような声だ。デスクの主は、椅子ごと私たちから背を向けていた。だけど私たちの声を受けてなのか、くるりと椅子ごと私たちの方を向く。
 逆立ったようになびく薄紫の髪、襟と腕がそのままつながってしまったかのようにだらりと伸びた触手、胴は透明な膜の下で内蔵が透けて見えるのだけれど、そのどれもが薄く光っているおかげで生々しい部分は見えないようだ。
 そう、警視総監はぎゃくてんポケモンのカラマネロという種族だった。
「すみませんね。少々気が立ってしまうと私のサイコパワーで軽い物はすぐに浮いてしまうのです。失礼だとは思いますが、このまま話をさせてもらいます」
 なるほど、サイコパワーか。確かカラマネロは悪・エスパータイプだったはずね。
「改めて、私は警視総監のアマノです。フレア刑事にエイミ刑事。よく来てくれましたね」
「それで、警視総監殿。我々を呼んだ理由をお聞かせいただけませんか」
 フレア刑事が、ズバリ本題を切り出す。
「うむ。怪盗“風錐”が、我々警察の書類を盗むと予告したのはもうあなたたちも知っているでしょうね」
「はい、もちろんです」
 私が即座にそう答えると、カラマネロのアマノ警視総監は、ため息と共に触手をデスクへ乗せ頬杖をした。
「まったく、困った物ですよ。今まで警察に盗みを入ろうなどと言う輩は命知らず以外いなかったのですがね。しかも、なぜか“プロジェクトF”という、警察内でも上層部しか知りようの無い書類の存在を“風錐”とやらに知られてしまっている。そこでなのですが……」
 私とフレア刑事、同時にびしっと居住まいを正した。
「あなたたち二人は怪盗逮捕の有力な戦力と聞いています。協力して、“風錐”と“黒影”から書類を守っていただけませんか」
 警視総監のカラマネロ――アマノ警視総監は、丁寧な口調で私たちに告げた。
 もちろん、丁寧なのは口調だけだったわね。だって黄色い眼光は、この言葉が命令だとわかっているでしょう、とでも言いたげだったもの。






 ――Steal4 摩天楼――






「“プロジェクトF”は、警察内の書類の中でも最高機密扱いとされている。もちろん、その分管理やセキュリティも最高機密にふさわしいと言っていいだろうなァ」
 犯行の時刻も明日の夜に迫っていた。今日は久々に夜に訪れたバー“Noisy”のカウンターにロウと二人だけで座っている。もちろん、地下にある例の闘技場にはポケモンたちがひしめき合っているのだが、まさか同じ建造物の中とは思えないほどこの空間は静かであった。バーテンダーであるローブシンがグラスを磨く音すら耳につくくらいだ。
 いつも通り、ロウが何か強い酒をぐいとあおってから会話は開始した。こいつのろれつが回らなくなる前に、早めに情報を聞き出す必要がある。
「まず、知っているだろうが警察本部は摩天楼街でも一番高いビルだ。周りに高い建物が無いんじゃ、お前の得意とする“パラグライダー侵入”もつかえねェ」
「パラグライダー侵入なんて、ナンセンスなネーミングだな」
「俺が作ったんじゃねェよ! “黒影”ファンの間じゃ結構流行ってるらしい侵入方法の名前だぜェ」
「なんだと」
 ロウはニヤニヤと笑っている。俺はゴホンと咳払いをして先を促した。
「で、建物に入ってももちろん安心はできねェ。書類を守る金庫は、金庫破りアイテムの対策のために、三十秒ごとに暗証番号が変わるシステムになっていやがる。要は三十秒以内にハッキングを済まさなきゃならねぇわけだが……。金庫を作ったセキュリティ業者が得意そうに言ってたぜェ。『アルゴリズムは複雑にしてあってあの“黒影”でも解析は三十秒以内じゃ不可能』だそうだ」
「じゃあ書類が警察内で必要になった時はどうするんだ?」
「もはや金庫を開ける事を算段に入れていない構造にしてあるらしいが、まぁアルゴリズム解除専用のカードキーはあるんだと。警察内部の誰かが持っているらしいが、世界に一つしか存在しないのは確かだ。で、そのカードキーを差し込むと本来の暗証番号が打ち込めるようになる。その番号を知っているのはカードの持ち主だけらしい」
 三十秒ごとに変わる暗証番号で、カードキーを持たない者のセキュリティクラッキングはほぼ不可能。仮にカードキーを盗んで差し込んだとしても、正解の暗証番号を知っていなければ意味が無い。
 では、そのカードキーを盗んで差し込んだ後に暗証番号のハッキングを試みるのはどうか? ――いや、現実的ではない。あまりにも金庫破りに時間をかけすぎるのは美しくない。
 ――おまえさんにもあるだろう、怪盗の志が。より華麗な盗みの美学が。
 いきなりあのガブリアスの声が脳内で再生された。うるさい、今は出てくるな。
「続けるぜェ」
 いきなり黙った形となった俺にロウが眉を上げてそう告げた。さっきからずっとニヤニヤしてくれるな、うっとうしい。
「ま、今言ったのは仮に金庫にたどり着けたらの話だ。侵入する先はなんてったって警察内部、今までとは訳がちがう。どこのフロアにも必ず警官が待ち伏せている。警備が手薄なところなんてまず存在しないなァ」
 まぁ、それはそうだろうな。今までの犯行場所は一般のポケモンが所有する民間の施設。警察もそこまで人員を派遣できないのが現実だっただろう。だが自陣が狙われるとなればいくらでも人数を配置できる。
「金庫のあるフロアはビルの頂上だ。フロア一帯が金庫を守るための要塞になっていると言っていい。ひとたび誰かの侵入を認知したらフロアの出入り口がロックされる」
「つまり、仮に金庫から書類を盗めたとしても逃げ出せないという訳か」
「はっはァ! この鉄壁の牙城、どうするよ“黒影”ェ。今回ばかりは一筋縄じゃいかねぇなァ」

 ――この“窃盗試合”を拒んで、あんたの周りがどうなってもおかまいなしってか、“黒影”さんよ。
 ――中途半端だな、あんた。

「……どうするもなにも、やるしかない。負けられないんだ」
 酒をあおるためにグラスを持ったロウの手が止まった。そして低く唸り、グラスをカウンターに戻す。いきなりの彼らしからぬ動作に、俺は内心目を白黒させている。
「どうした、呑まないのか」
「……弟よ、なんかあったのか?」
「なんかって、なんだ」
「俺が知るか。だから聞いてンだろォよ」
「なにもない。いつもと同じ、依頼をこなすだけだ」
「“風錐”か?」
 俺の言葉に、食い気味でロウは核心をぶちこみやがった。俺は表情こそ努めて平常をたもったものの、言葉が見つからなくて黙るしか無い。この野郎、いつも勘だけ冴え渡りやがって。
「奴となんかあったのか?」
「なにもねぇよ」
「ってェことは、まさかお前“風錐”と会ったのか?」
「あっちが嵐のように来て、嵐のように去って行ったんだ」
「その時になんか嫌な事でも言われたのか?」
「やめろ、これじゃ本当に兄弟の会話だ!」
 いじめられて逃げ帰って来た弟に詰め寄る兄貴の図だ。そんなの冗談じゃないぞ、ロウを相手に!
「何言ってやがるゥ、俺はお前の心のアニキだろォ!?」
「知らん!!」
 やめろ、酒臭いのに寄るな!
「なぜ俺に“風錐”のことをつっこむ! お前の自慢の情報網で調べればいいだろうが!」
「そりゃ調べてみたに決まってんだろ! “風錐”が昔、ここら一帯で一世を風靡していたときの情報まではいい。だが奴が消えてから再びここに現れるまで、どうしていたかは全く掴めなかった――この俺が、だ」
 普段なら一ミリも真剣な表情など見せもしないゾロアークが、俺の知らない素面のような表情を見せている事に少なからず驚く。おい、いまお前アルコール入ってるんだよな?
「俺みたいな奴に探られないように、“風錐”が過去の空白の期間の情報を徹底的に抹消していることは確かだ。わかるか、この俺が! あいつがいいヤツか悪いヤツか判断がつかねェんだ。そんなやつがプライベートで弟に接触したとなれば心配になるだろうがァ、アニキとして」
「知らん! 杞憂だろ! 俺は帰る!」
 こんなに面と向かって心配だと言われると、なんだかよくわからないこっぱずかしい気持ちになるだろうが。俺はその場から一秒でも離れたくて乱暴に立ち上がり、バーの出口へと向かう。
 意外にもロウは俺を止めなかった。
「情報には感謝する! じゃあな!」
「おう、ナイルよォ」
 ガラガラン、と乱暴にドアを空けた事でベルがけたたましく鳴ったとき、ロウは初めて俺を呼び止めた。
「今回の窃盗試合、無事に戻ってこいよ」







 摩天楼のなかでも一番の高度を誇るビル――警察本部。その屋上は、飛行警官が着地するためのヘリポートとなっている。もっとも、この高度まで飛ぶ事の出来るポケモンは稀だし、そもそも本部の許可が降りないとここにはむやみに着陸できないようになっているけど。
 太陽は地平線に隠れてしまっていた。今は紫色の空が辺りを包んで、摩天楼の光がどんどん鮮やかになりつつある時刻だ。予報では、犯行当日である明日の天気は雨となっていた。
「フレア刑事、ここにおられましたか」
 私は、探していたお目当てのポケモンを屋上の端に見つける事が出来た。フレア刑事は屋上の柵から眼下の街を眺めている。
「よう、嬢ちゃんか」
 摩天楼街のビルの先には、一般のポケモンたちが沢山住んでいる低層住宅街が見えていた。片や私たちのいる場所の反対側を見下ろせば、断崖絶壁とその下で白く波打つ海が見渡せる。
 そう、このビルは海を背にして建っている。
 私は普段低層住宅の近くの警視庁にいるものだから、この景色を眺めるのは初めてだった。なんて美しい景色なのかしら。
「この摩天楼の光が届かない、真っ黒な場所――あそこからが街の外、ここの住民からすれば治安の保証のできない未知のエリアだ」
 私の心情を察したのか、それとも刑事自身にもなにか思い入れがあるのか、鋭く景色を見下ろすヘルガーはひろりごちるように私へそう告げた。低層住宅街も、一定の境界を超えるといきなり住宅の明かりが無くなって真っ暗になる。私たちに広がる視界の外側はほとんど真っ黒だった。
「ええ、ここの治安のバランスは、奇跡です」
 この景色が、その全てを物語っていた。
「奇跡、ね」
 フレア刑事はそう言って初めて眼下の景色から視線を外して私と向き合った。どうしたのだろう、彼の纏う雰囲気はいつもと違ってすごみがあった。
「なぁ、嬢ちゃん」
「はい」
「明日の“窃盗試合”、全力で阻止する覚悟だよな」
「もちろんです」
「なら、嬢ちゃんが警官になった理由を聞かせちゃくれないかい」
「はい?」
 話の流れが読めなかった。明日の抱負を聞かれたと思ったら、今度は私が警官になった理由を聞いてくる。いつも理論整然と話す刑事らしからぬ台詞だった。
 だけど、流れは読めずとも質問には答えられた。私は居住まいを正す。
「はッ、本官は怪盗課所属で今は“黒影”専属ではありますが、本来なら怪盗を捕まえるためだけに警官になったのではありませんッ」
 フレア刑事に沈黙で先を促されたので、私は先ほど彼がそうしていたように、眼下の景色を見下ろした。
「この街から一歩出れば、外は治安レベルのがくんと下がる危険地区となります。分布されているほとんどがそういったエリアです」
 なぜそうなったかは分からない。大いなる歴史がそうさせるのか、昔から険しい悪路には凶暴なポケモンが存在し、細々とした集落は必死にこの平和を維持して来た。
「先ほども申し上げた通り、ここは奇跡の街なのです。当たり前の幸せを噛み締められる地区なのです」
 ならば、この奇跡を守るのは誰か?
「守れるのは、我々警官しかおりません。ここの治安を守って行くのを他人任せにしておけません。本官は、本官自身の幸せのためにこの奇跡を守って行きたいのです」
 怪盗を捕まえて然るべき罰を受けてもらうのは、その奇跡を守る第一歩。そう信じて、いままで研鑽に励んで来たのよ!
「……なるほど、嬢ちゃんらしいといえばそうだな」
 フレア刑事は、さきほどの威圧感など嘘のように破顔した。もしかして、私は試されたのだろうか。そしてフレア刑事は、一歩前に出てぴしりと私の前に直立する。
「俺は嬢ちゃんのその言葉を信じる――それに免じて、ひとつ重大な事を頼まれちゃくれないか?」







 夜の帳が降りている。
 犯行当日。予定している時刻までは既に一時間を切っていた。空はゴロゴロと不機嫌な雷の音を響かせていて、仰げば厚い雲が一面を覆っている。
 ブウンという一瞬の翅の音とともに、どこからともなく現れたテッカニンとヌケニン――カテツとモズがそう切実な声音で尋ねて来た。
「主。今回ばかりはこのカテツと……」
「……モズに、手伝わせては下さらぬのですか」
 思わずため息が漏れる。
「何度も言うが、今回は警察本部への侵入だ。危険すぎる。巻き込むわけにはいかん」
「危険だからこそ」
「我らの協力無しで行くなど」
「くどいぞ」
 鋭く、できるだけ低く、言ってやった。
「……」
「……」
 忍たちは同時に沈黙する。なにか、俺にはわからない二人だけの意思疎通がなされているのかもしれない。
「承知いたしました」
「御武運を祈りまする」
 そう言った彼らは、現れたときと同じように一瞬にして俺の視界から消えた。
 俺は、その場に座り込んだ。いいや、へたり込んだとでも言えばいいのか……。
「ははっ」
 あんな断り方、する必要なかったのにな。
 本当なら協力を申し出てくれる相手にする言い方ではない。そのことは重々承知していた。だが、今日の犯行は誰の協力も得る気はなかった。
 これは、仲介所からの依頼。万が一何かあった時、なんらかの制裁を被るのは俺だけで十分だ。
 誰かが傷ついて耐えられるか、わからない。耐えられる自信が俺には無い。
「中途半端だよなぁ、やっぱり」
 俺が“風錐”の言葉に煮えたぎっていたのは──。
 ロウがアニキのように心配してくれたのがあんなにいたたまれなくなったのは──。
 ──他でもない。その言葉が図星だったからだ。
 “黒影”の正装を纏う。眼前の摩天楼を仰ぐ。このエリアは不思議荘からも大分遠く、夜でも活気づいている街だ。
「……今日は雨が降るかもな」
 犯行時刻はもう近い。

ものかき ( 2016/10/14(金) 22:58 )