Steal 2 ジュペッタ
どういうわけか、俺は怪盗“風錐”に目をつけられてしまったようだ。だが、いつまでも途方に暮れるわけにもいかないし、昨日の盗みの依頼の後処理の事もある。
俺は朝ご飯を食べた後、例の公園へ向かう事にした。しかしいざ不思議荘の外へ出ると、見知らぬポケモンがぽつりと立っている。特徴的な人形のようなボディ、口はファスナーになっていて、両手はペラリと薄っぺらい。ジュペッタと言う種族のポケモンが、なにやら不思議荘の中を覗こうと背伸びをしている。
また怪しい奴がうろついているな。
不思議荘は今にも崩れ落ちそうな外観をしているが、築うん十年経っても壊れないから不思議――なのだが、まさかこのボロい長屋を買いたがる物好きな不動産屋でない事だけは確かだ。
よく見るとジュペッタは、手に見慣れたアタッシュケースを持っている。
「はぁ……」
そいういうことか。“風錐”だけでも俺の処理能力はキャパシティオーバーに近いというのに、もうこれ以上の厄介ごとは勘弁してほしかった。
「俺の家をじろじろ覗き込むな――仲介」
「おっ? よぉ! あんたがうわさのってやつか!」
ジュペッタはへらっと笑ってアタッシュケースを持っていない方の片手を上げた。何がうわさなのかは分からないが、俺は思いっきりそのジュペッタを睨みつけてやった。
「家の前に来るなと言ってるだろうが」
「うちはいけすかないヨノワールとは違うぜ。べつにおめぇの家族に何かしようってつもりは……うん、わかった。場所を変えるからそんなに睨まないでくれ、な?」
――Steal 2 ジュペッタ――
いつもなら“仲介所”から俺の元に派遣されてくるのは、怪盗“黒影”専属仲介のヨノワールのはずだ。だかなぜか、今回俺の元に現れたのはジュペッタだった。おそらく、ヨノワールの代理だと思われる。仲介所との腐れ縁はもう十数年にもなるが、奴が代理を寄越したのはこれが初めてだ。
俺とジュペッタは黙って公園へ場所を変えた。いつもそうだが、ここは今日もポケモンがいない。
俺はベンチにどかりと座って、ジュペッタと目を合わせないようにした。なぜヨノワールが来ないのかほんの少しだけ気になったが、それをこの場で聞いて妙な誤解を招かれても困る。
「用件だけ聞こう」
「おう、ヨノワールなんだがな」
ジュペッタは皮肉の一つもなしに用件へズバッと入った。拍子抜け過ぎて気持ちが悪い。仲介は全員皮肉を武器にしていると思っていたからだ。
「あいつはちょっと野暮用で、しばらく“黒影”専属からはずれるぜ。その間はうちが代理だ」
「は?」
「心配すんな、なにかへまをやらかした訳じゃあないみたいだぜ」
「心配など微塵もするか」
むしろ、あいつが俺の視界からしばらく消えるなんて願っても無い事だ。清々する。そういうつもりで俺は奴の言葉の尻に食い気味に言ってやったのだが、ジュペッタにはなぜか「ははっ」と笑われた。
「まあいい。本題だ」
ジュペッタはアタッシュケースをおいてロックをバチンと外す。
「冗談でもなんでもなく、今回仲介所はいっちゃんでっけぇ仕事をあんたに頼みたいらしいぜ、“黒影”」
“でっけぇ仕事”とは得てして、“面倒な仕事”とイコールだ。その理屈で言えば今まで面倒でなかった依頼は何一つなかったのだが、それを代理に皮肉ったところで通じるかどうかは微妙だったから黙っておいた。
「さっきまでのテレビ見てたか?」
テレビを見ていると心労で頭痛が激しくなる。
「ついさっきのことだが、命知らずな奴がおめぇさんに挑戦状を送りつけてきやがった」
そう言って、ジュペッタは挑戦状らしいカードを俺へと手渡して来た。俺に挑戦状だと? 俺は視線を合わせずにそれを受け取り、ベンチにふんぞり返ったままそれを読んでみる。
『予告状
諸君! 待たせたな、怪盗“風錐”だ!
初めましての奴も久しぶりの奴も、耳をかっぽじってよぉくおいちゃんの話を聞いてくれ。
今から三日後の零時丁度、警察本部のビルにある“プロフジェクトF”という書類を盗みに行く。しからば、この書類を賭けて、“風錐”は怪盗“黒影”へと窃盗試合を申し込む! もし俺が勝ったら、いま“黒影”が欲しいままにしている注目を返上し、この怪盗“風錐”に譲るように!
警察も大歓迎! お前らがいくら寄ってたかったところで俺を捕まえられやしない。
マスコミ! せっかく舞い戻った怪盗が世紀の超大型な獲物を盗んでやるんだ、しっかり仕事しろよ!
以上だ!
怪盗“風錐”』
「なんなんだ、このふざけた予告状は……」
俺は、不覚にも目尻をひくひくとさせながら、大分げっそりとした顔を仲介に見せるハメになった。ジュペッタは、あのヨノワールほど癪に障る笑みではなかったものの、ゴーストタイプ特有の不気味さで俺の反応をニヤニヤと観察している。
いや、だが俺がこれに注目すべきはふざけた文面ではない。差出人が、怪盗“風錐”となっている。
俺が、つい先日出くわした怪盗……。
「怪盗“風錐”ってな。あんたがまだ生まれてたかも定かじゃない頃に怪盗界の最前線を走っていたベテラン怪盗さ」
ジュペッタは楽しそうにしながら、ベンチの上であぐらをかいた。
「今の今まで鳴りを潜めてたってのになぜ今更戻って来たかはしらねぇが、こいつはとんでもねぇ跳ね馬さ。奴の暴れぶりに対抗できる奴は仲介所でもそういねぇ」
一度はこの町から姿を消した怪盗、か。あのガブリアス……。一体何を考えているんだ。
「この怪盗“風錐”って、一度姿を消す前は仲介所お抱えの怪盗だったのよ。ウチもよくは知らないが、なかなか良く働くやつだったみたいだぜ。それが、いきなり仲介所の目を盗んでこつ然と消えたもんだから、たぶん上もご立腹さ」
ジュペッタは“上”と言ったタイミングでペラペラの片手も一緒に上を指差す。指差した先の空は灰色の雲に覆われていた。
「んだから、“風錐”のよこしてきたこの予告状は、仲介所にとっても因縁な訳よ。こっちとしては、取っ捕まえてオトシマエをつけたいってこった」
ゾクリ、と背筋が泡立った。オトシマエ。その単語が俺の神経の奥底に危険信号を発する。
いつもはヨノワールと接触しているだけなので感じる事は無いが、仲介所というのは恐ろしい秘密結社だ。俺は、怪盗“黒影”となる過程で、その一端を何回も見て来た。
俺が、まだ働く事も出来なかった時分。怪盗になることを一度拒んだとき、あいつらは――。
「でな、“黒影”」
ハッとして、俺は現実に引き戻された。ベンチには変わらずジュペッタがいる。いかん、今は話に集中すべきだ。
「ウチら仲介所はこの予告状通り、あんたに“風錐”と“窃盗試合”をしてほしいってこった」
「……」
「ウチらはとにかく“風錐”の身柄を押さえたい。だが、すばしっこいあいつを素直に従わせるには、怪盗として木っ端みじんに負かしてやらねぇといけない。あいつは硬派な怪盗だからな。負ければ潔くこっちの言うことを聞く」
“窃盗試合”は、普段同業者との接触や獲物の横取りをよしとしない怪盗たちが、ほかの怪盗の獲物を横取りする事ができる、いわば公式戦。俺も何回か“窃盗試合”に挑んだ事があるが、大抵ロクなことがない。出来れば避けて通りたいのだが。
「“窃盗試合”で奴の獲物を横取りしても、それで仲介所が“風錐”を捕まえられるかはわからんな」
「いっただろ? あいつは硬派な奴らしくって、怪盗としての礼節やプライドを大切にしているのさ。むしろ試合で負かす以外にあいつの言う事を聞かせられねぇ」
「まて、しかし情報がないことには……この“プロジェクトF”とやらはなんなんだ?」
「“黒影”らしくもねぇな、クライアントに盗む獲物の事や盗む動機を聞くのはマナー違反だぜ。そして今回のクライアントは仲介所だ」
いや、まぁそうなのだが……。
「まさか俺に、犯罪者を捕まえんと息巻いている奴がうじゃうじゃいるこの警察本部に突っ込んでけというのか?」
「なんだい、天下の怪盗“黒影”が、窃盗試合の場所が警察本部だからって怖じ気づいてんのかい」
「当たり前だ!」
俺はこれでも、家族を守る為に危険な依頼をいくつもこなして来た。だが、そんな俺も――いや、俺だけじゃなく怪盗の誰もが――警察本部への侵入だけは避けて来た。そしてそれはこれからも変わらない。たとえ窃盗試合を申し込まれても、それを拒んだ事で名前に傷がついたとしても、飛んで火に入る夏の虫になる事だけはごめんだ。
命あっての物種、怪盗は捕まらないことが第一だ。
俺の本能が告げている。この依頼に首を突っ込んだら危険だ、と。
「俺は――」
「ほぉ。この“窃盗試合”を拒んで、あんたの周りがどうなってもおかまいなしってか、“黒影”さんよ」
ジュペッタが、問答無用で俺を横目にそう尋ねて来た。にやりと口に縫い付けられたファスナーが歪む。
ゴクリ、とつばを飲むはめになる。このジュペッタ、ヨノワールほど得体の知れぬ怖さは無いものの、やはり仲介所の職員だ。
俺の内側の事情まで見透かすような物言い、人心掌握に長けた会話だ。こいつらは、やはり。怪盗を手駒のように利用する以外に方法を知らないのだ。
「……いや」
逃げられない。
普通の犯行とは訳が違う。警察本部はセキュリティ強度も段違いだ。捕まらない確率より、捕まる確率の方が圧倒的に高い。だがこの依頼を拒めば、俺だけでなく不思議荘の住人にも被害が及ぶかもしれない……。
俺は、どうして。
こんなにも非力なのだろう。
「……わかった。“風錐”の“窃盗試合”を受ける」
「よし、決まりだな!」
俺を仲介するのがヨノワールにしろ、ジュペッタにしろ。
俺は、“仲介所”から逃げられない。
*
「“プロジェクトF”? それが次のお前の獲物ってかァ?」
バー・“Noisy”は相変わらず、二十四時間開店だ。だがもちろん、昼間から酒を浴びようという酔狂な奴は俺の目の前にいるオーナー以外に見当たらなかった。
右目の潰れたゾロアーク、その名もロウ=スカーレット。裏社会きっての顔役で、その広い人脈を駆使した勢力は“仲介所”・武器商人“ハヨウ”と同様、名だたる裏社会の組織に引けを取らない。そんな無駄に偉いこいつは、何かと俺の怪盗業に協力してくれている。
なんだかんだ言って、いいヤツだ。……酒さえ絡まなければな。
「ああ。ロウ、あんたその書類を知っているか?」
「いんや、しらねぇなァ。しらねぇってのが問題なのさ。弟よ、お前どんな盗みに手を出そうとしていやがるんだァ?」
「仲介所直々の依頼でな」
俺は、努めて淡々と答えた。まさか、仲介所からの圧力で弱気になっているなんてロウの前では言えなやしない。
彼はぐびぐびとロックのウィスキーをあおった。酔って暴れ始めたらいち早くここを退散する事にしよう。
「あいっかわらず気にくわねェ組織だぜ。きっと自分らの手を汚したくない仕事をおめぇに押し付けてやがるんだ。断っても良かったんだぜ?」
「……断れるかよ」
一瞬の沈黙。
ロウが俺を見るのが分かった。あえて目を合わせる事はしない。
「ふん、まぁいい。我が弟がまた俺を頼ってくれたんだ。調べてやろうじゃねぇの、警察本部の見取りと“プロジェクトF”ってェ代物を」
「助かる」
「だけど、気をつけろよ。“怪盗狩り”もまだ捕まっちゃいねェ。“窃盗試合”の途中でまた現れるかもしれねぇぞ」
“怪盗狩り”のゲッコウガとは、一度対峙した事がある。あのときは、隙を作りまくっていた瞬間を狙われてあっけなく倒れた。“怪盗狩り”は俺を襲ったとき言っていた。“怪盗と言う存在に違和感を覚えた事が無いのか?”、と。
奴も、怪盗について俺の知らない何かを知っている可能性がある。ロウが“プロジェクトF”という書類の存在を知らないように。俺の知らない、何かを。
いきなりこの町に戻って来た怪盗“風錐”、彼が狙う“プロジェクトF”、そして“怪盗狩り”の意味深な言葉。
どれかがつながっているのだろうか。それとも、そのどれも関連が無いのであろうか。
「“怪盗狩り”がまた現れた時は、この前の決着をきっちり付けようと思っている」
「いいねェ、やけに息巻いているじゃないの」
ロウはいつものように、俺の分のグラスもバーテンのローブシンから受け取って、何の断りもなしに琥珀色の液体を流し込む。俺は昼間っから呑まないっての。
「そういえば、ロウは“風錐”については知っているのか?」
「ん? ああ、まぁな。俺がまだ若い頃にブイブイ言わせてた怪盗だ。直接会った事はねぇがな」
「どんな感じだった」
「種族がガブリアスって以外には、俺にもあまり情報がねぇな」
怪盗がまだエンターテインメントとしてあまり浸透していなかった黎明期。彼は百発百中の一流怪盗として名を馳せていたと言う。狙った獲物は必ず予告し、その通りに必ず盗み出す。盗んだ盗品は後日貧困層の者たちに何らかの形で分け与えていたと言う。
手本のような義賊ぶり。彼は市民の羨望を一気にかき集め、怪盗を“エンターテイメント”として浸透させる立役者となった。
「いいぜ、怪盗“風錐”についても調べといてやるよ。だが、やつがエンターテイナーを気取っていても油断はしねェことだ」
「ああ、わかっている」
俺に気配を察知されることなく、あんなに近くまで接近を許した相手だ、油断できるわけがない。
「なぁ、ナイルよぉ」
ロウは、ウィスキー臭い吐息とともに、俺へ顔を近づけた。
「本当に、怪盗を本業として腰を据える気はねぇのか」
「え?」
「このまま不思議荘のポケモンたちに正体を隠し通しながら今回みてぇなでかい仕事をこなすには、背負っているリスクが大きすぎるとは思わねぇか?」
「……」
俺は、一度。一般のポケモンに自分の正体がばれてしまった事がある。そのせい、という訳でもないがそんな彼女を危険にさらしてしまったのは事実だ。
「本当に頭から尻尾の先まで悪に染まるか、家族守りてぇんなら仲介所と縁を切って怪盗界を去るか。どっちも守れねぇってんなら、どっちかを捨てるしかねぇ。だろ、ナイル?」
ロウは、いつでも俺のために正しい説教をしてくれる唯一の存在だった。そんな彼に以前、言われた事がある。
本物の“悪”であるのなら、正体をさらしてでも守りたい者を守れるほどであれ、と。
俺には、それが出来なかった。
目先の恐怖に怯えて、せっかく出来た友人――はたまた、それ以上の何か――の、記憶を消してしまった。縁を切ってしまったのだ。
俺は、ロウに失望されてしまったのだ。そう思ってしまった自分がいる。
「……ああ、そうかもな」
この依頼が終わったら。考えよう。
こんな中途半端な事を続けるくらいなら。
もういっそ、今度こそ怪盗を辞めて仲介所に別れを告げるしか無い。
いや、仲介所から逃げられないなら。
守りたい家族に別れを告げるしか、ないのだろうか。