Steal 1 仲介ヘの指令
怪盗。華麗な業で物を盗み出し、日常を非日常に塗り替えるエンターテイナー。そんな彼らの蔓延る世は今、“怪盗狩り”という存在により新たなフェーズを迎えようとしている。
「おーーーーーーーきろーーーーーーーーーーー! 朝だぞーーーーーーーー!」
いつものように、厄介な目覚ましが俺を起こしにくる時間になった。だがいつもと違うのは、俺がただ一度の目覚ましにしっかり起き上がったという点か。
「あれっ、お寝坊で寝起き最悪のぷーたろーが、僕が一回叫んだだけで起きた!」
「悪かったな、一回で起きて」
俺の住む下宿――不思議荘の部屋へ差し込んでくる朝日に目を細めつつ起き上がった俺を、茶色の毛並みのポケモンが見上げてくる。遺伝子ポケモンのイーブイ、いつも目覚ましと称して俺の腹へダイブしてくるやんちゃ坊主のマルだ。今日に限っては、例のダイブを出来ずに少し不満げな顔であるが。
「おい、マル、ニュースはどうなっている」
「えぇ? お兄ちゃんがニュースを気にするなんて珍しいね。“めでぃあ”は嫌いなんじゃなかったの?」
「今日ばっかりは別だ!」
俺は布団を畳む時間も惜しくなり、すぐに朝ご飯とテレビの待つ一階へ駆け下りた。
あいつは、あいつは一体何者なんだ!?
――俺の名は、怪盗“風錐”! 怪盗“黒影”、今お前に向けられている世間の注目を、今再び俺が盗んでやるから覚悟して待っていろ――。
怪盗“風錐”だと? ふざけた事を抜かしてくれる。昨日の“黒影”の犯行はテレビの取材陣がきっちり映像に残しているはずだ。だとしたら、逃げる途中に俺に近づいて来たあのガブリアスも取沙汰されているに違いない。
一階には、いつものように好青年のヌマクロー・アフトがリモコンを片手に持ちながらみそ汁をすすっていた。俺があわててテーブルへ駆け寄ってくるなり、あんさんは少しだけ驚いた顔をしつついつものように爽やかな笑顔を向けてくる。
「やぁ、おそようナイルく……」
アフトからリモコンをひったくった。俺は、静かなアナウンサーが出ているニュース番組から、騒がしくエンタテイメント臭の強い朝の情報番組へチャンネルを切り替える。
『……昨晩の“黒影”の犯行現場に突如現れた謎のポケモン。彼は一体何者なのでしょうか!? 我々は“黒影”の逃走を見届けた後、そのポケモンへ体当たり取材を試みました!』
「なに、どうしたのナイル君。君が朝の情報番組を見るなんて……誰か明日の天気予報見たー? 明日は槍が降るでしょうって言ってなかったー?」
アフトが半分真剣に、半分冷やかし気味に俺へそう言って来たが無視する事にする。テレビ番組の取材に応じる怪盗など、よほどの自信家で目立ちたがり屋しかいないのだが……。
『諸君、待たせたな! 怪盗“風錐”だ!』
きっちり出て来た。
怪盗“風錐”はテレビ側がご丁寧に目を黒く隠した状態で、画面上に現れる。
『怪盗“風錐”……今まで聞いた事のない名前ですが、あなたが活動を始めたのは最近の事でしょうか?』
リポーターがそう質問すると、画面の中のガブリアスはリポーターのマイクをひったくる。
『俺は、この町にまだ怪盗が出始めたばかりの頃一世を風靡した怪盗だ! 長い活動休止期間を経て、今! 再び怪盗界に舞い戻った!』
「なに? どうしたの?」
と、台所からテーブルへ、今度はニンフィアのティオさんが現れた。そして彼女はテレビに視線を注ぐ俺を見るなりびっくり仰天、目を大きく見開いている。ああ、わざわざテレビから目を離さずともその様子はわかるさ。
「ティオさん、こいつ知ってるか?」
「それより私はあなたがなぜ嫌いなテレビを見ているかを問いただしたいのだけれど……ええ、名前は聞いた事あるわね。たしか、私が若い頃に活動していた怪盗だったような……もう昔の事だからぼんやりとしか覚えてないわねぇ」
そうか、では一応怪盗の黎明期に活動していたという話は本当なのか。
『怪盗“黒影”!』
俺の仕事時の名前をいきなり“風錐”に叫ばれ、びくりと肩が震えた。
『どうやら今この町でいっちゃん有名なのはあんたのようだが、俺が舞い戻った今、この町での怪盗の頂点をもらうのは“風錐”だ。首を洗ってしっかり待っているんだな!』
『今は、“怪盗狩り”という未知の存在もいますが、それについては……』
『なに? “怪盗狩り”? ははっ、おいちゃん生きて長いからね、そういうアンチの一つや二つ慣れっこなのよ。まぁとにかく、これを見ているであろう視聴者諸君に俺から一つ犯行予こ――』
ブツッ。
俺は心なしか頭痛が激しくなって、リモコンの「切」ボタンでインタビューを強制修了させた。黒線で目が隠れたガブリアスが画面から消える。
「うわぁ、また強烈なのが現れたねぇ」
アフトのあんさんは、相変わらず爽やかなマイペースさでそう言うことで、画面の向こうで起こっている怪盗のどんちゃん騒ぎの感想とした。
「“黒影”ファンはやっぱり怒るかしらね」とティオさん。
「で、どうなんですか? “黒影”ファンのマルさんとしては」と、アフトはマルに水を向ける。
「うーーん」
マルは意外にもすぐに憤慨を露にする事はせず、その場で腕を組むような素振り(あくまで素振りだ、四つ足のイーブイに腕を組むという芸当は難しい)を見せ、唸っていた。マルは怪盗名鑑カードで“黒影”を引き当てれば目をキラキラさせるほどのファンだから、すぐにでもそのボキャブラリーを駆使して“風錐”に食って掛かるかと思ったのだが。
「僕ね、あの“かぜきり”のおじちゃんのこと、嫌いじゃないよ」
「え、どうして?」
「なんでかわからないけど……」
ティオさんの問いに、マルは本当に答えられないでいるようだった。
マルが一ミリでも“風錐”に怒ってくれれば、とほんの少しだけ期待していた自分がいた。だからマルの予想斜め上の反応に、ほんの少しだけ落ち込まざるをえなくなった。
――俺が、怪盗“黒影”であるが故に。
新聞は今や怪盗捕物帳で、テレビは怪盗の犯行をリアルタイムで中継する。玩具・アミューズメントは怪盗グッズで埋め尽くされ、表沙汰にはされないものの怪盗のパトロンになる企業もいるらしい。それが俺たちを取り巻く町の風紀だった。倫理も法律もへったくれもあったものじゃない。
ただ最近はその怪盗たちも鳴りを潜めつつある。なぜか? 奴だ――“怪盗狩り”だ。
怪盗ばかりを狙うゲッコウガ。闇に紛れ決して足跡を残さない暗殺者が猛威を振るい続けている。もうこの町に残っている怪盗は何人いるだろう。少なくとも予備軍はほぼいなくなったはずだ。殺された者、恐れをなして始める前からやめた者......後者の選択は賢明とも言える。
俺、怪盗“黒影”は、そんな怪盗界の異常事態でも休むことは許されていない。怪盗に仕事を斡旋する秘密組織“仲介所”は、俗に“危ない橋”と呼ばれる案件をほいほいと持ってくる。たとえ“怪盗狩り”が襲いかかっても大丈夫と高をくくっているか、俺を使い捨ての駒として見ているのか。いや、両方だろう。
そして今度現れたのは、自称「舞い戻って来た怪盗」――“風錐”。
いよいよ、この町は混沌としてきている。
――Steal 1 仲介ヘの指令――
普段なら、いけすかない上に食えないこの男に、同情など微塵もしない。だが、今日に限っては同情とかそういう感情以前に、なぜこのような状況に陥ったのか疑問にならざるを得ない。......と仲介のジュペッタは思った。
「おめぇよ、一体何をしたのさ」
「別に何もしておりませんよ」
ジュペッタの質問にそう答えたのは、ヨノワールだ。今日の彼はいつも以上に能面のようで表情が読めない。ジュペッタの情報網によると彼は、専属の怪盗相手にはニヤニヤとしながら皮肉をふっかけるらしい。だのに、同僚相手にはこれだ。
「何もしてねぇって、そんなわけあるか!」
二人のいる路地はポケモンなど一人もおらず静かだった。
逆に言えば、ポケモンの影すら見えないこの場だからこそ、ゴーストタイプ同士が密会を交わすにはうってつけと言えた。だが先ほどの叫びからして、ジュペッタは始めから“密会”をする気はないらしい。
「仲介のボスに呼ばれるなんざぁよほどの事だ。そういう奴は大抵何かしでかしてる奴って相場が決まってんだよ」
かつてはここもそれなりにポケモンのいる小さな街であった。治安の悪化とともに崩れた塗装からコンクリートがむき出しになる建物が増え、犯罪者が増える。それに従って非力な者は街を去り、ついには彼らにたかる犯罪者すらも姿を消した。今やじめじめとして閑散としたゴーストタウンだ。
“黒影”の住む町からさほど離れていないのにこの落差である。あの町の住人も、一歩外の世界に出たら命の保証はできない。
ジュペッタとヨノワールは、しばらく寂れた街を歩いた。彼女からすれば他人事のはずなのに、自分のことのように怒鳴り散らすジュペッタは相変わらずだ、とヨノワールはしみじみと思う。
「私が大丈夫と言えば大抵のことは大丈夫なのです。いちいち誰かに気を揉んでいては怪盗“エネル”の時の二の舞ですよ」
「その根拠のない自信、うちには理解できないね」
ジュペッタはかつて、とある怪盗の専属仲介人であった。“怪盗狩り”によって相棒を失って以来、彼女は仲介所本部の事務へ異動となったが、やはり本調子にまで立ち直るにはかなりの時間を要した。
「あのなぁ、うちはやっぱり自分の“キモチ”にウソはつきたくないのさ。相棒が殺されりゃぁ悲しい。いけすかないあんたでもボスに呼ばれりゃ心配になる。それがポケモンの情が生むさがってもんよ」
「怨念という“情”で魂を宿す、ジュペッタという種族のさがでしょうね」
あくまでヨノワールはドライであった。ジュペッタから心配されること自体は、“黒影”が自分から進んで依頼をこなすことと同じくらい珍しいことであるのだが。
――感情移入ほど不毛なものはないというのに。
ガラスにひびが入っているショーウィンドウの前で二人は立ち止まった。石畳の路地に、等間隔で植木とベンチ――前者は苗を枯らしてほとんど鉢だけになって、後者は脚がぐらついている――が並んでいる。
ヨノワールはショーウィンドウを背にする形で近場のベンチに座り込んだ。彼はその時、不機嫌で仏頂面のビジネスパートナーとベンチで打ち合わせする場面を思い出したが、一瞬でその記憶を頭から追い出す。
ジュペッタは心配そうな顔のままベンチから遠ざかり、彼女はそのままゴーストタイプ特有の音のない去り方をして消えた。
辺りは静かだった。
生きた者などいないのだから、足音などもちろん聴こえない。鳥ポケモンのさえずりも無い。生活に関わる音の一切が排除された不気味な空間。
......しかし、ヨノワールの全身には大きな威圧感が降りかかっていた。
『――ヨノワールよ』
「はい、ここにおります」
どこから降って来たのか全くわからないが、彼は直接脳内に降り掛かって来たかのようなその声に答える。低いのか、高いのか分からぬ、何十ものポケモンが一斉に声を上げているかのような声だ。
この謎の声がまぎれもなく、秘密組織“仲介所”をまとめる大ボスである。
『貴様の手腕、ジュペッタを始めとする部下どもから聞いている。優れた情報網を持つそうだな。私も貴様には大きな期待を寄せている』
ヨノワールは、降り掛かるプレッシャーにのまれかけた。よくわからないのだが、何かあらがいがたい重力のようなものに拘束されているような感覚だ。これが、大ボスの威厳なのだろうか。ヨノワールはベンチに座ったまま、かつて無い警戒心をもってして言葉を慎重に選んだ。
「……もったいないお言葉でございます」
『しかし、いまだに“怪盗狩り”は野放しにされたままだ』
「……」
間髪入れずにボスはそう告げた。
“怪盗狩り”。怪盗の命ばかりを狙う暗殺者の存在は、怪盗を斡旋する事で利益を得る仲介所からすれば害悪以外の何者でもない。
いち早く“怪盗狩り”を排除したいのは、どこよりもほかならぬ“仲介所”だろう。だが彼らが“怪盗狩り”について分かっているのは、種族がゲッコウガだと言うことだけだ。
『貴様は、本来なら何人もの命を犠牲にして得るような裏社会の情報も五分で知る事が出来る。しかし、“怪盗狩り”に関してだけは情報が全く上がって来ない。ヨノワールよ、よもや――“怪盗狩り”をかばっているのではあるまいな』
「もしそうだとして、私にはなにひとつとしてメリットはありませんね」
感情を揺らさない事に絶対的自信のあるヨノワールが、初めて冷や汗を流す感覚を知った。いま、自分はとんでもない人生の岐路に立たされている。ここで一挙手一投足……言葉選びを誤れば、この強大なプレッシャーを持つ大ボスに、一体何をされるのか想像もつかなかった。
「私の仲介している“黒影”も、“怪盗狩り”の被害に遭いかけました。今彼を失えば、私の食い扶持も稼げずじまいになるでしょう。そうなると、この社会で生きて行くにはひどく心もとない」
ここでヨノワールは言葉を一つ区切り、ここぞとばかりに語気を強くしてこう続けた。
「私としても、“怪盗狩り”は一早く排除したい存在です。ですが、怪盗“黒影”の仲介の仕事もあります故、探す時間を取るのに手間がかかっているのです」
『その言葉、偽りではあるまいな』
「無論です」
しばらく、寂れたゴーストタウンに沈黙が降りた。そして、ヨノワールに降り掛かるプレッシャーがほんの少しだけ和らぐ。
『では、ヨノワールよ。怪盗“黒影”の専属仲介を一時とりやめ、“怪盗狩り”の情報集めに集中するがいい。そして“怪盗狩り”の存在を見つけ出し、いち早く私の元へ届けるのだ。貴様の情報網、頼りにしている』
「かしこまりました」
フッ、と一瞬にして重く重いあのプレッシャーから解放された。ヨノワールは一瞬考える。一体自分は、誰と会話をしていたのか? さきほどまでの出来事がまったく嘘のように思えて来た。しかし、背筋の凍るようなあの感覚……そして、奇妙なトーンの声音は頭から離れない。
――“怪盗狩り”を探し出せ――。
“仲介所”の大ボスから、直々に任務を請け負ったというわけですか。
ヨノワールは少しだけ、そう、ほんの少しだけ、いつも依頼のことを聞くと露骨に顔をゆがめるビジネスパートナーの気持ちが分かった気がした。
「……しばらく、ジュペッタのおっしゃっていた“皮肉の応酬”とやらは出来そうにありませんね」
ヨノワールはアタッシュケースを持ち直し、ベンチから立ち上がった。さっさとこのゴーストタウンを抜け、怪盗が面白可笑しく立ち回るあの街へ戻ろう。
彼がそう思いながらもう一度だけ当りを見回したが、今さらそこに大ボスの気配などある訳も無く、ガラスの割れたショーウィンドウに自分が映り込むだけであった。