プロローグ
「待ちなさい! 怪盗“黒影”!」
待てと言われて待つ怪盗がいるか!
それはもう、俺は猛烈にそう叫びたかったのだがそうもいかなかった。怪盗“黒影”専属の刑事であるレパルダスのエイミは、俺のことを執拗に、執拗に、執拗に追ってくる。毎度ながらご苦労なことだと思うが、今回ばかりはあまりにもしぶとい。ここで追手を撒けなければビルの屋上にたどり着いてしまう! それは同時に、屋上で“黒影”のことを今か今かと待ち伏せている警官に挟み討ちされることを意味するんだ!
「今回ばかりは観念しなさい!」
「チッ……」
今回の盗品、古代の文字が書かれた石盤を脇に抱え直しつつも、思わず口の中で舌打ち(やめようと思っていても、怪盗をしている限り舌打ちの数が増える一方だ)をした。
ええい、一か八か!
エイミ刑事といたちごっこを続けている舞台は、とある博物館の非常階段だ。俺はその一段目に足をかけた瞬間、くるりと踵を返し場を逆走し始める。つまり、階段を駆け下りる。
追ってくるエイミ刑事と対峙する形になるのだから、相手は驚かない訳が無かった。しかし相手も伊達に“黒影”の相手をしていない。すぐに俺が何かを企んでいると踏んで迎撃の体勢に入る。
「ついに観念したのかしら!?」
「そんな馬鹿……なッ!」
俺がそう叫んだのと、抱えていた古代の石盤を天高く放り投げたのと、エイミ刑事が「ぎぃやぁ!」という普段ならまず聞かない悲鳴を上げたのはほぼ同時だった。
さあ、走れ!
エイミ刑事の中ではあの石盤の金銭的価値が頭の中に溢れ返っている事だろう。俺はその間に、石盤に釘付けになっている彼女に向けて“リーフブレード”の一線をお見舞いしてやった。
「きゃぁ!」
女性に乱暴するのは俺の趣味ではないが、エイミ刑事は女性である以上に戦闘力化け物だ。よってカウントしないものとする。
さて、攻撃の余波で刑事が壁に叩き付けられたと同時に、俺は重力の影響を受けて降ってきた古代の石盤をキャッチする。それを持参のリュックにしまい込み、俺は階段の非常窓を腕の刃で叩き割った。
「く、くぅ……空から逃げる気ね……ま、まちなさい……」
あいかわらず化け物じみた回復力をしてやがる。俺はエイミ刑事に追いつかれるより早く、窓に足をかけ、夜の大海原へと飛び出した。
翼を持たないポケモンなら、地上数十メートルから落ちてただでは済まないだろう。しかし俺には秘密兵器がある。ビルとビルの間でのみ飛ぶ事のできる凧の出番だった。バッと大の字になる。手足に先端を付けた布が風ではためき、パラシュートのように広がる。
よし、後はこれで警察の追跡をくぐり抜ければ――。
「――お、面白い事してんじゃぁないの、あんた!」
「!」
びっくり、という言葉が生易しくなるほど、俺の心臓と肩が跳ね上がった。いったい、どういうことだ!? 滑空する俺のすぐ横で、見知らぬ声がしただと!?
俺はすぐに、滑空の角度を変え、得体の知れない声の主から距離を取った。いつ、俺は奴の接近を許した。というか、なぜこの場に俺と警察以外の第三者がいて、予定外の場所から飛び出したはずの俺について来ている?
「よぉ、怪盗!」
声の主のことを、距離を取った事でその全身を確認する事が出来た。地上からのサーチライトに照らされて黒光りするボディ。目は黄色く光り、胸元の赤が目立つ。翼のように見える腕――実際その腕で滑空をしている――からは、白く鋭い爪が伸びていた。
ガブリアス、という種族のポケモンが、俺と同じスピードでそれを飛んでいる。
「誰だ、貴様は」
本能が、俺に叫びを上げていた。
こいつは、一体何者だ? 危険な予感しかしない……。
「なにって、怪盗の大先輩にずいぶんな事言ってくれるじゃないの」
怪盗の大先輩だと? 見ず知らずのガブリアスの言葉だというのに、真剣にその発言の意味を考えてしまった。いかんいかん、妙な奴の言葉を真剣に受け取っては行けない。
「ま、といっても俺の事なんて知る訳ねぇか。もう最後にここで活動したのは十数年も前の話しだしなぁ」
「十数年も前に活動している怪盗とやらが、なぜ盗み途中の怪盗の前に現れる? ルール違反だぞ!」
怪盗は、窃盗試合でもない限り相手の盗みを妨害したり、冷やかしに姿を見せに行くのはタブー行為だ。それは怪盗の間での“暗黙の了解”であったはずだ。
「いやぁ、ね? 久しぶりにこの町に戻って来たから、今はどんな怪盗が一世を風靡しているのかおいちゃん気になっちゃってね。そいで調べてみたら、“黒影”が今一番この町を騒がせているって言うじゃない」
だから、物見遊山のような調子で見に来たとでも言うのか……。
「だからちょっとまぁ、自己紹介がてら挨拶を、と思ってさ」
「挨拶、だと?」
ペラップ返しに聞いた俺を見てガブリアスは、一つニヤリと破顔した。またとんでもない奴に俺は目をつけられた気がするのだが、気のせいだろうか。
「俺の名は、怪盗“風錐”! 怪盗“黒影”、今お前に向けられている世間の注目を、今再び俺が盗んでやるから覚悟して待っていろ! ハハハハハハハハ――」