今時サンタは緑色
今時サンタは緑色
「さて、行くか」
 出し抜けに、ナイル君はそう言って立ち上がった。その言葉が独り言ではなく、僕に向かって言っていると気づいたのは、彼が僕の前に立った瞬間だ。
「え、どこに?」
「どこって、決まってんだろォ」
 ナイル君の代わりに、アカさんがなぜか得意げに言う。
「チャゲんとこのアジトだよ」
「エッ」
 さっき僕に、あれだけ「場所が分からない相手をどう捜す?」って言っていたのに!
「居場所はもう分かっている」
 僕の心を見透かしたようにナイル君がクールに言ってのけた。
「どうやってそんな事知ったの!?」
 彼は一瞬沈黙し、一言。
「伝手」
 ナイル君、君の持っている伝手はどんな伝手だ!?

 彼の言っている事は本当だった。僕がそう信じたのは、ナイル君が連れて来てくれた場所が絵に描いたようなアジトだったから。いかにも悪者がたむろしていそうな場所だ。
「本当に、ここが……?」
「リオ、引き返すなら今だ」
 彼が僕を見ていた。いろいろな感情をはらんだ目だ。本当に覚悟があるのかと問う目。行くなと僕に訴える目。そして、必要ならどこにでも付いていく覚悟を持った目。
 足がすくんだ。でも、僕は。
 ――リナ。
「行く」
「そうか」
 ナイル君は、どこか諦めたかのような様子だった。
 その後すぐに彼は、僕を通気口へ連れてくてくれた。アジトじたいがまるごと巨大な工業地帯なため、どうやらここから入るのがいいらしい。この手際の良さ、さっきの伝手といいアカさんといい、僕は彼の素性にどこまで突っ込んで聞くべきかおおいに迷った。
 まさか通気口にアジトの住民が待ち伏せしている訳も無く、僕らはあっさりすぎるほどあっさりと、チャゲとあのゴウカザルのいる部屋の真上までたどり着いてしまった。こんなに簡単でいいのだろうか。
 僕とナイル君は示し合わせたかのように、お互いの目を見て、そして黙った。僕は耳で思わず口を塞いだ。言うなれば悪の巣窟の大ボスたちの真上。一つでも声を上げたり物音を立てれば、それこそ即座に“海の藻屑”だ。――気づけば、足が震えていた。
「アニキぃあいつほんとにカモなんですかぃ? ただのヨワッチイガキにしか見えませんでしたぜ」
「はは、だからいいんじゃねぇか。あいつ、アレでもあの現場に働いて長いからな。金は貯めるが使わない。手術を控えた妹がいるからな」
 あいつらが、喋っている。僕の事を喋っているんだ……!
「ははぁ。確かにそんなにあからさまな“カモネギ”も珍しいや!」
 ゴウカザルがそう言いながら部屋の当りをうろうろする。そうして初めて僕は、部屋の構造を見渡すだけの心の隙間はできた。豪華そうなソファがあって、あろうことかそこらに(本来のポケモンであれば使うはずも無い)武器などが散乱している。銃に、刃物に、それいがいにも、口に出す事すらはばかれるようなものもおかれている。
「でも、なんか今日はあのジュプトルに邪魔されちまって」
「あの遅刻魔ヤロウか?」
「あいつ遅刻魔なんですかい、チャゲのアニキ」
「そいつがお前にたてついたのってのだけで驚きだ。まるで他人に関心がなさそうだった」
「あいつ、今度も邪魔してきますかねぇ〜、なーんかいけすかねぇんだよな、あの目」
 がははは、と豪快にチャゲは笑った。ゴウカザルの言葉がさも面白かったらしい。何が面白いのか全く分からない。僕は彼らが異国の言葉を話しているようにしか見えなかった。
「天下の悪党が何言ってやがる! 邪魔も何も、たてつくヤツは力で黙らせられるだろ! 金もある! ハヨウのおやっさんから仕入れた武器もある! ポケモンもいる! なーにを怖がる必要がある? あのジュプトルもそうだが、リオはなぁ。ちょっと痛めつけてやりゃぁピョンピョン飛び上がって小銭を落としてくぜぇ」
「ははは、ちげぇねぇ」
 全身が、がたがたと震えてる。
 前歯がガチガチと鳴って、耳で口を押さえていなかったら今頃発狂していたのかもしれない。
 これが恐怖から来るのか、怒りから来るのか。屈辱か、義憤か、親しい者に裏切られた恨みか。
 なんなんだ。なんなんだ!
 だけど、一つだけ分かるのは。
 ――足がすくんで、ダクトに這いつくばった体勢から、一歩たりとも動けそうになかった事だ。
 怖い。こわいよ。あんなやつらに、僕は目をつけられてしまったんだ!
 最初の意気込みはどこへ行ったのだろう。僕は? そしてリナは? これからどうなってしまうんだろう……。

 僕らは、アジトの入り口付近に戻って来た。正確には、ナイル君が動けなくてなす術が無かった僕をなんとか連れ出してくれてた。
「なぁ、リオ」
 ナイル君もチャゲやあのゴウカザルにさんざん屈辱的な事を言われていたのに、いつもと変わらぬ無表情で僕に声をかける。
「本当に、正面からあいつらへまともに許しを請いに行くのか?」
「……ぐっ」
 僕はアジトを正面にして立った。極悪非道のポケモンの巣窟を睨みつけた。
「……ぐうっ……」
 リナ……僕はリナを助けてやりたい……。
 動け、動けよ。歩き出せよ。どうにかして、どうにかして。借金を。
 怖いのか? まさか! ここで逃げてもどうせ明日にはまたゴウカザルに殴られる日々が待っているというのに! ここで、立ち止まってどうするんだ!
 動けよぉ!
「うっ、うっ……!」
 とうとう、僕の足はすくんで、震えて、動かなかった。涙ばっかりが出て来て、僕は自分の不甲斐なさを自分自身で証明してしまっていた。
 その唯一の証人たるジュプトルのナイル君は、そんな僕を淡々と見ていただろう。初めて会った時も、遅刻してしかられていた時も、僕を助けてくれた時も、同じ表情だったように。
 僕は、行けない。
「あ、足が……動かないよぉ……!」
 怖いんだ。
「勇気がないんだ……!」
「それは、勇気じゃない」
 ナイル君は、こんな状況でもきっぱり言った。
「ただの無謀なやけくそだ。なああんた、本当にここで無謀に突き動かされて、アジトに飛び込んで、あの外道らにいたぶられて最悪死にでもしたら――妹が悲しむだろうな」
 僕は初めてまともに彼を見た。
 やっぱり表情は淡々としていた。でも、“無表情”ではなかった。僕を止めたがっている目だ。僕に、生きていてほしいって目だ。
「もちろん、俺もな」
「で、でも……僕はこれからどうやって生きて行けばいい?」
 ありもしない借金にまみれて、手術の近い妹をつれて、たちの悪い借金取りのいる職場で殴られ続けるんだ。
「俺も、まぁ……」
 ナイル君は困ったように手で頬を掻いて、困ったように明後日の方向を向く。
「あんたの背負った額の何倍かの借金を背負って、悩みながらそれでもなんとか生きているヤツを知っている。いつか来るチャンスを待っている、そんなヤツをな」
 頑張る弱者の未来がこんな事であっていいはずが無い。
 ナイル君は、そう小さく付け加えた。
「だから、もう、帰ろう」





 夜。
 クリスマスを楽しんでいた子どもたちはもちろんのこと、大人でさえも大半が寝静まったであろう夜の街。その暗がりの間を縫って、一つの黒い影が街を走り抜けていた。
 その影の走りに迷いは無い。影は侵入者を拒む建物のセキュリティを、まるで蜘蛛の巣を払うかのようにくぐり抜け、白くコの字をした建物、その中庭へ歩を進める。その時になって、影は初めて足を止め、建物を見上げた。
 所々がまだ照明で薄く照らされていたが、規則正しく並べられた大半の窓は暗がりに染まっている。彼はそのうちの一点を睨み、木をつたって跳躍した。

 音も無く窓から部屋のなかを覗いてみた。ベッドの上に寝ていたのは小さなホルビーという種族のポケモン。そして横には、簡易椅子に座りながらも顔はベッドに埋めて寝ている一回り大きなホルビー。どうやら二人は兄弟のようだ。
 兄弟が寝入っている事を確認した影は、どうやら部屋への侵入を試みるようだった。彼はどこからか取り出した道具を使い、窓にはつきもののクレセント錠に細工を施そうとしている。
 カツン。
 道具と窓ガラスがふれあう微かな音がした。
「――ああ、くそ」
 声に出てしまうほどの凡庸なミスだった。相手は聴覚の優れた種族。影が最悪の想像をしながら部屋に視線を泳がせる。
「うん、なんかいま変な音が……」
 ぱちり。
「……」
「……」
 目が合ってしまったのは、ベッドの上に横たわっていた妹の方だった。

 月を背にして立っていたせいで、リナには侵入者の輪郭と表情はぼんやりとしか見えなかった。だが、相手の素性は分からずともそれ以外に分かった事が一つだけある。
 影は不法侵入者である、という事実だ。
「あなたは……」
 リナが何かを言う前に、ぼんやりとしか姿の見えない侵入者は無言で指を口に立てた。“静かに”の仕草である。リナはあわてて長い両耳で口を塞ぐとともに、目をキラキラ輝かせてベッドから飛び降りる。そしてまたもや種族の特徴である耳をつかって、壁をよじ登って窓の錠に手をかけた。
 窓が静かに開く。そして、冬の冷気がいっぱいに部屋のなかへなだれ込んだ。
 侵入者が開けた窓の格子に立つ。この距離なら暗くてもはっきりと姿が見えた。リナは息をのむ。目の前に立っていたのが、まぎれも無く仮面のジュプトルだったからだ。
「あなたは……怪盗“黒影”?」
 リナは、興奮を押さえるのに必死になりながら尋ねた。“黒影”とおぼしきジュプトルは、手を顎に当てながら困ったように低く唸った後――。
「いいや、サンタさんだ」
 真面目くさった表情でそう答えた。
「あら、じゃあサンタさん、私たちにプレゼントをくださるというの? 白い布袋を持っていないから、きっとたくさんは配れないわね」
「怖じけずよく喋る妹だな」
「何か言った?」
「いいや」
 自称サンタはため息まじりにぼやいて首を振った。そして、窓を開け冷気がこれでもかというほど流れ込んでいるのに、眠り込んで起きる気配もない兄のホルビーを見た。
「おにいちゃんね、今日は帰って来て早々大泣きだったのよ。『ごめんよ、リナ。不甲斐ないお兄ちゃんで』ってそればっかり。怪我もしてくるし、あんなに落ち込んでて何があったのか心配」
 リナは一瞬兄を振り返り、そしてサンタを再び見上げた。
「ねぇ、サンタさん。私の事はいいの。本当は楽しみにしてたんだけど、お兄ちゃんを元気づけてあげたい。私、しってるもん。お兄ちゃんはいっつも、私の為に無茶をする。きっと今日もそうなのよ。……なにかいいプレゼントは無い?」
「ごほん、えー」
 サンタは窓の格子の上に立つ、という器用な芸当をこなしつつ、懐から一枚のカードを取り出す。
「そんな兄想いの妹さんに、サンタさんからプレゼントをあげよう」
「べつに無理してサンタさんみたいな声をださなくていいよ」
「……」
 本当にこの兄の妹か、とサンタは思った。
 リナはサンタから受け取ったカードを覗く。そこに書かれていたのは、まぎれも無く今目の前にいる仮面のジュプトル――怪盗“黒影”のカードだった。彼女はその瞬間、冬の寒さも忘れて目を輝かせ、足をダムダムと鳴らしながらその場で飛び上がった。その時ばかりは病気もすっかり治ったように見えたサンタだった。どんな病気なのか彼には知る由もないが。
「これ! 怪盗名鑑カード“黒影”出張イベント参加者限定バージョン!」
「シッ、声がでかい!」
「イベントに行って手に入れたかったけど病院だからいけなかったのぉ! ありがとう、“黒影”! 自分のカードをプレゼントするのはどうかと思うけど!」
「だから、“黒影”じゃなくてサンタさんだっつうの」
 もはやサンタ口調はそうそうに諦め、彼は再びどこからかプレゼントを取り出した。まるでマジックのように、その手にはいつの間にか紙束が握られていた。もちろんリナにはその瞬間を黙視する事は出来なかった。
「あんたの兄貴にはこれだ」
「なにこれ、明日の朝刊じゃない」
「刷られたものを一部失敬して来た」
「うちは新聞取ってないけどさ、こんなものがプレゼントって意味わかんないよ?」
「それは、明日になってのお楽しみってやつだな」
「これでお兄ちゃんが喜ぶって保証してくれるの?」
「当たりまえだ。俺はサンタさんだ」
「はいはい」
「……」
 サンタはもうふてくされたように黙ってしまって、明日の朝刊らしい新聞を無造作にリナへ手渡した。
 リナがそれを受け取る為に手元に視線を逸らしたその隙をついて、サンタはいつの間にか窓から手元の木の枝へと飛び移っていた。
「では、“お勤めご苦労”」
「やっぱり“黒影”じゃない! ありがとう“黒影”!」
「サンタさんだって言っているだろ!」
「だったらせめて去り際にはそれらしいこと言っ……」
「メリークリスマス! 満足か!」
「警察に捕まんないようにねー!」
 だから俺は……とぼやきながら、サンタは木の枝から地面へと飛び降り、夜の中を滑るように消えて行った。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
 リナは興奮冷めやらぬ様子で、兄のリオを揺すり起こそうとした。だが、疲れからか完全に寝入ってしまったらしい兄は、リナのやかましい声にも目を覚ます事は無く、静かに寝息を立て続けていた。

ものかき ( 2016/04/07(木) 23:07 )