土木現場は土の色
今日もまた新人クンが遅刻をかましたらしい。
と、作業場の一番年の近い先輩がそうこぼしていた。
新人クンとは、文字通りついこの間この建設現場に入って来たジュプトルのことだ。又聞きした話じゃ本来なら大学に通うべき年齢らしい。
僕はひっそり、彼とはもしかしたら仲良くできるんじゃないかと淡い期待を抱いていた。僕も本当なら大学に行く年齢だし、できればそうしたかった。涙をのんで地面に穴をほり、岩を砕き、基礎を作る……ようは土木作業員として精を出しはじめたのがもう遠い日に感じる。
彼も同じなのだろうか。彼も涙をのんで久しいのだろうか。それとも、望んで大学を蹴りこの世界に飛び込んでみたのか。もし前者なら親近感から“トモダチ”という物が出来るのではないかと期待していた僕がいる。
彼は遅刻魔だった。
配属二日目で一時間遅刻した。チーフのカイリキーさんから大目玉を食らったのは言うまでもない。新人クンは平身低頭して謝ったが、遅れた理由は濁した、らしい。
そんなサイクルが今日でもう四回目になる。
「つぎ遅刻したらおまえ即刻クビ」
思ったそばから怒声が飛んだ。こんなことなら、多分明日にでもクビだろう。
少しだけ落胆した僕がいる。
あともう少しだけ、新人クンについて話そう。なぜ来て間もない新人クンについてもっと詳しく話せるのか。彼にはよからぬ噂がたくさんあるからだ。
持ち場がたまたま一緒だった先輩たちから聞くのだが、彼はいつもどこかに擦り傷をつけていたり、包帯を巻いている時もあると言う。実際に僕もちらりとその様子を見たことがある。だけど、僕の知る限りここの土木作業で彼が怪我をした記憶は無い。
つまり、新人クンはこの場とは別の場所で生傷を作って来ている、という事になる。
加えて、何者も寄せ付けない鋭い目つき。
生まれつき? 種族柄? いやいや、ジュプトルなら彼以外にも会った事がある。あんなに眠さと威圧感と覇気のなさと死相の漂った瞳はいままでご覧になったことがない。
目つきと、生傷と、遅刻。これだけ材料が揃えば誰でも思いたくなる――私生活で何やら良からぬ裏家業なり、カツアゲなり、そう、言うなれば“そういうこと”をするヤツなのではないか、ともっぱら噂なのだ。
鋭い目つきで相手に絡み、包帯が手放せないような取っ組み合いのけんかをしたせいで遅刻する。そういうシナリオを思い描いてしまうのは想像力豊かなポケモンの悲しいさがだろう。
そう、だから。僕が新人クンとトモダチになる事はおろか、作業員は誰も彼に近づかない。
「休憩入りまーす」
いつもの昼休みだ。冬まっただ中なこの時期は、休憩の合図で全員が、暖をとるため休憩室かコンビニに直行する。それは僕も同じ。
「おゥ、リオ」
「はい、なんですか」
エンブオーのチャゲさんに呼び止められた。ここの作業員でも最古参、現場だけじゃなくて書類業務もやる責任者的なポケモンだ。この時期でも暖を取らなくて良い数少ないひとであり、さらに言えば僕を雇ってくれた上司だ。すぐに暖をとりたくても彼に呼び止められたら無下には出来ない。
「悪いな、呼び止めて。もうすぐ年が変わるだろ、書類更新しなきゃいけねぇからこれに書いといてくれィ」
「はい」
「昼休みまでにだぞォ」
「あ、はい」
用事が短くてよかった。僕は書類を受け取って、すぐに仮設の休憩室に逃げ込んだ。
……ここに逃げ込むべきじゃなかった。
「お疲れ様です」
休憩室には先客がいた。というか、室内が暖かいにも関わらず先客は一人しかいなかった。
例の新人クンだ。
「お、お疲れさまです……」
僕の脳内ですぐに、「海の藻屑にしてやろうかエェ」と迫るサメハダーとその陰で不気味に笑う新人クンが思い浮かんだ。
なるほど、みんなコンビニに逃げ込んだんだな。僕はすぐに見当をつけた。
相変わらず新人クンは目つきが鋭くて人相が最悪だった。さっき怒られたばかりだからきっと機嫌も悪いのだろう。自然に足が震えてしまう臆病な僕がいる。
出来れば関わりたくなかったけど、いまさらコンビニに行ったって休憩が終わるまで間に合わない。それに、チャゲさんに言われた書類を早く書かなくちゃ。
お昼は買いにいけそうになかった。僕は諦めて朝ご飯の残りのおにぎりを出して、新人クンの向かいに座る。休憩室は狭すぎて、席がもうそこしか無い。泣きたい。
とにかく、早く書類つくってここから出てしまおう。
そう決心した僕は書類を出して筆を進める振りをして、ちょっとだけ彼を盗み見た。いや、もちろん怖かったけど、ほんの少しの野次馬精神が僕に馬鹿な事をさせたんだ。
ところがどっこい、彼を見た僕は驚いた。
新人クン、なんとお手製の弁当を広げていたんだ。
「い、意外……」
「ん、なにが」
「あ」
まずい、声に出てたぞ。
「い、いいいいいいやぁ……あはははは……」
頼むからそんな目つきで僕を睨まないで……海に沈めないで。
「じ、自炊とかするんだぁってオモッテあはは」
「……」
「……」
一瞬の沈黙。
「……ああ、弁当の事か」
僕は海に沈められずにすんだ。神様、アルセウス様、ありがとう。
「俺が作ったんじゃないぞ」
「エッ」
五人目ぐらいの愛人が作ったのかな。
「五人目ぐらいの愛人が作ったのかな」
「……」
「……」
再びの沈黙。さっきより長い。
多分、死んだ。この癖なんとかならないのかな。
ああ神様ごめんなさい、僕はやっぱり海に沈められます。
「……」
「…………」
「………………」
「……………………プッ」
新人クンの肩がぴくりと動いた。そしてすぐに、箸を持った手で口を押さえて、後ろを向く。
「ぷっ……くく……」
肩が小刻みに震えている。やっぱり、怒ったのかな、沈められるのかな、って思った僕だけど。
「やばい……腹筋が痛い……ぶふッ」
どうやら新人クンは。
笑いをこらえているらしい。
おお、神様、アルセウス様。あなたは僕に二度も慈悲を下さるというのか。
「ご、ごめん……な、なんか変な事言って」
「い、いや……ブっ」
やっと新人クンが落ち着いたと思ったら、僕の発言でまた思い出し笑いをさせるハメになった。
「そ、そんなに面白かった……?」
「い、いや、面白いと言うか、その豊かな想像力はいったいどこから来る?」
「じゃあ違うの? 自分で作ったとか?」
「そう言う時もまれにあるが、今日は違う。マ――弟から、早起きして作ったとか言われて押し付けられた」
「えっ、弟がいるの!?」
意外や意外。ヤバい事をやっているのではないか、ともっぱら噂の新人クンが、なんと弟クンに弁当を作ってもらっていたなんて!
新人クンは僕の言葉にちょっと複雑そうな顔をして、まぁ弟と言って差し支えないか、と呟いた。
弟もヤバい事をやっている可能性も否定しきれなかったけど、弁当を作ってくれるポケモンに多分悪いヤツはいない。
「弟クンはいくつ?」
「小学一年生」
「エッ」
幼い! なんということだ。ヤバい事以下略な新人クンの弟はなんと小学一年生!
「奇遇だね、僕も同じ年くらいの妹がいるんだ!」
忘れかけていた“トモダチ”という単語が脳裏をよぎった。いつもよりちょっと声量が大きくなっていた僕に、新人クンは少しだけ目を丸くした。だけど、箸を動かしながら沈黙で先を促された。
僕はいつも襟のしたにしまっている写真を取り出して(もう所々はぼろぼろだ)新人クンに見せた。
「左にいるのが 妹。リナっていうんだ。どうだい、かわいいホルビーだろう? 僕の大事な家族さ」
多分彼は不思議に思っただろう。その写真の中のリナは病院のベッドの上だし、一緒に写っている僕は死相がくっきりと出ている。でも、僕はそんな写真を隠さない。隠したりはしない。同情してもらう為に出した訳じゃない、妹を自慢したいから見せたんだ。
「リナは一年前に重い病気にかかっちゃったんだ。だから僕は、大学をやめてリナの手術代を稼ぐ事にした。額は馬鹿にならないし、ここはきついけど、それで妹が元気になると思うと楽しいよ」
「なるほどな」
「そういえば、僕の名前を言っていなかったね」
僕は片手を新人クンに差し出す。
「僕はホルビーのリオ。よろしく」
「……ナイルだ」
新人クン――ナイル君は僕の差し出した手を握った。細い見かけによらず少し固い手で僕はびっくりした。
「悪い、そんな境遇なのに俺が遅刻ばかりして。しわ寄せが来るだろう」
「エッ」
僕は、ここ一番にびっくりして目をまんまるにした。なんと、悪い噂しかない新人クンから謝られた! それこそ今まで周囲の評判が最悪だったから、彼が急に良い人に見えるマジックのような物なのかもしれない。
「――おおおおおィ、休憩が終わるぞォ」
ビクゥッ!
二人だけで静かだった空間に、ドアの開く音と野太い音が乱入してきて僕は飛び上がった。声の主はチャゲさんだった。
「リオ、書類書いたかァ」
「あ、はいぃ」
すっかり忘れていた。僕はあわてて書類にサインをして、それをチャゲさんに手渡した。
「よし。ちゃっちゃと飯食って作業再開しろーィ」
「は、はいぃ」
「あと、遅刻魔ァ! 遅れた分しっかり働けーィ」
そう言ってチャゲさんは扉の向こうに消えていった。後に残ったのは外からの冷気と再びの静寂。
僕はあわてておにぎりをほおばった。ナイル君はというと、チャゲさんが消えた扉をあの鋭い視線でじっと見据えている。
「ナイル君?」
「――余計なお世話かもしれないが」
「エッ?」
扉を見据えたままナイル君が厳しく言う。
「あの書類、作業員全員が書いたか? 確認した方が良い」
「え、う、うーん」
あの鋭い目つきは、僕がいつも先輩から聞いている恐ろしい視線とは気色が違った。
なんというか、何もかもを見透かすような視線だ。