9:一応大団円
懐の中で、画面が割れて今にもご臨終になりそうなスマホが、かろうじてバイブレーションしている。
現状この場の有様はひどいものだった。初めてここに訪れた者には、三百六十度どこを見回してもこの場をオフィスと答えられないほど、地面はひび割れ、調度品は粉々になり、壁には引っかき傷から殴り傷まで様々だ。
散乱した瓦礫の上に大の字に寝転がっていたサイリは、しばらくののちに自身のスマートフォンを取り出した。一度だけ画面をタップし、耳元に当てる。
「おぃっす……いや、今取り込み終わったところ。うん、元気だぜ。え? テレビ? はぁあ、シンオウにも中継されるとはついに俺も有名人かね。きっとかわいコちゃんが捨てておかねぇぜ」
大の字になったサイリの横には、同じく一戦を終えてその場にへたり込んだチャンピオンのダイゴがいる。自慢のスーツも所々が破け、ほつれている。彼はアスコットタイを首からほどいた。その向かい側では、このビルを占拠したA国改革派のリーダーのトグラが目を回して倒れている。
「……いや、ふざけてなんかないって。ちゃんとリーダーはぶっ倒したし、俺がデボンを解放したもんだぜ? シルフカンパニーを救ったレッドの再来とか言われちゃうかも……え? 国家問題? 裁判沙汰? だいじょーぶ、だいじょーぶ。だってお前がいるだろ?」
耳元の電話相手がうるさかった。と、その時に、オフィスの入り口から見知った顔がひょっこりとこちらをのぞいた。共にデボンビルへ潜入したメグミとハッサムである。
「あ、言ってるそばからかわいコちゃんが! じゃあな!」
サイリは相手との会話を強引に終了させた。スマートフォンの画面をタップしてそれをポケットにねじ込んだ後、ヘラリと笑い手を上げる。
「よぉ! メグちゃん! ありゃ、逃げてなかったんだな。もしかして、俺が心配になってついてきちゃったとか?」
話をかけられたメグミは、黙ってずんずんと彼へと近づいた。そして彼の目の前で、止まる。
「……」
「……」
お互いの間に流れる、沈黙。そして――。
「ざけんなぁあああああああああああああッ!!!」
メグミ渾身の腹パンが、みぞおちに決まった。
サイリはぐぼぉお、と叫んでそのまま伸びた。
ダイゴは片手で頭を押さえてため息をついた。
*
バカサイリへ一発腹パンを食らわせて溜飲を下げたところで、私の周りは、止まっていた時が動き出したかのように慌しく動き始めた。ダイゴさんが入れた連絡によってデボン本社ビルに警察と救急隊員がなだれ込んできたからだった。
A国改革派を率いるトグラは、サイリとダイゴさんの二人掛かりで止められたという。担架で運ばれる屈強な男を見てしまった私は思わず心の中で合掌した。悪いことをしていたとはいえ、この二人に会ってしまったがばっかりに体の傷より心の傷が全治うん十年だろう。
「南無阿弥陀仏……」
「ゲ、ゲロゲロ……」
救急隊員に連れられて私達もデボンビルを後にすることになった。サイリからの「正面エントランスから堂々と出ようぜ! (キラッ!)」というサムズアップに対してはその親指を丁重にへし折ってやり、私はハッサムと一緒に裏口から救急車へ乗り込んだ。救急車に乗るような怪我なんてしてなかったけど、救急隊員さんもそれが仕事なんだろう。
ちなみにそのあと二日くらいだけ検査入院のおまけが付いた。私としては健康診断の気分でいたけど、後から費用を請求されてびっくりした。保険で医療費が降りることを心から祈る。南無阿弥陀仏。
ちなみに入院しているときテレビを見てみたら、デボン正面エントランスの外でバッチリといくつものフラッシュを浴びながら取材を受けるサイリの姿が映っていた。しばらくキラッとした暑苦しい顔が連日報道番組に出ていたのでテレビがつけられなくなった。ハッサムが気を遣ってリモコンを真っ二つにへし折ってくれたから都合がよかった。
「このリモコン真っ二つにしたの、君のハッサム? トレーナーが弁償ね」
「私のハッサムじゃないで……」
看護師さんが怖かった。
「いえ、すいません、弁償します」
「げ、ゲロゲロ……」
つーか、カクレオン。あんたはいつまで私のところにいる?
そう思っていた矢先、セイゴ君とシイナが私のところにきてくれた。セイゴ君はいつも通りのクールな立ち振る舞いでいてくれたけど、案の定シイナには怒られてるんだか嬉し泣きされているんだかわからないテンションで抱きつかれた。それと同時にカクレオンが「げ、ゲロゲロォ!」とシイナに負けじと劣らぬ号泣ぶりで、やっとセイゴ君へ抱きつくことができた。
その後しばらくしてサイリもやってきた。彼も私と同じような危険な目にあったのに、彼はいつもどおりヘラヘラしていて、検査入院もないみたいだった。これがトレーナーという人種か。おなじ人間とは思えない。トレーナーズミラクルだ。
「そういえば、あんたから預かったカフスが光って、ハッサムがへんな変身を遂げたんだけど、あれはなんだったの?」
「お! やっぱりあんたらこの数日間で絆を手に入れていたか! あれはメガ進化ってんだ。ほら、俺のクチートのハニーも同じように姿を変えたところ、見ただろ?」
「あれと同じことが起こったっと言うの?」
「ザッツライト。そしてその現象はハッサムとメグちゃん、お互いに信頼関係がないとできない。多くのトレーナーの場合は長い時間をかけて絆を深めるんだが……すげぇな! メグちゃんあんた、トレーナーの素質あるぜ」
「死んでもお断り」
「う……即座に断られた……悲しい」
断る原因が誰のせいだと思っている!
私に降りかかったトラブルの原因張本人であるA国の王子様――そう、赤ちゃんは、無事にA国の要人に保護された。これで改革派と保守派の対立がなくなる……といったらそんなわけがないのだけれど、私とハッサム、そしてみんなで一つの命を守ることができたのは、素直に喜んでもいいのかな。
だって、私。ただの女子大生だったのに、赤ん坊の命を救っちゃったんだよね。
たまには自分を褒めてあげなくちゃ。
「はーあ! やっとあんたともおさらばね!」
検査入院も、事情聴取も終えて、やっと私はもとの大学の冬休みに戻ることができた。そんでもって、警察署の外へ出てまで私の後を付いてきていたハッサムに振り返る。
「A国の要人達の帰国便はいつになるかわからないけど、さっさとあんたも一緒に帰りなさいよ」
ハッサムは真っ直ぐに私を見つめてうんともすんとも言わなかった。いや、言うはずはないのだけれど。ポケモンの言葉もわかんないし。
「私、トレーナーじゃないし、ましてやあんたのおやでもないし」
ハッサム、首肯。
「まぁ、あんたを育ててくれた女軍人さんはみんな一緒に捕まっちゃったけど、赤ちゃんがいる限り君はあんたも需要があるでしょ」
ハッサムは微動だにしない。あら。
「なぁに? 改革派に育てられたポケモンだから、もう王子様のそばにいられないとでも思ってるの?」
首肯。
「だぁいじょうぶよ、私も一応あんたの活躍ぶりもちゃんと警察の人に話したし、あんたがいなきゃ私も赤ちゃんも今頃無事じゃ済まないよ」
首肯。
「……ありがとうね、私を守ってくれて」
首肯。
「あんたのこと、ずっとオスだと思ってたけど、あんたはあの赤ちゃんのお母さんだったんだね」
これからも、お母さんを頑張りなよ。
鋏の手をした、不器用なお母さんだけどさ!
*
やっぱりアイスは冬に食べるべきだと思う。そこは譲れない。
ふとそう思い立ったらやっぱりコンビニに行きたくなる。二十四時間いつでも開いている驚異の便利屋さん。彼らに冬休みがないと思うと、ちょっと切なくなってしまうけど。
「さーて、行きますか」
ガチャリ。ドアを開ける。
「……」
「……」
巨大な赤い鋏を持った、背の高いやつがいた。
バタン。ドアを閉める。
「……」
いまのは、幻覚? 気のせい?
「い、いやぁ……あははは」
そうだよね、いくら無事だったとはいえ、あの一件は私にとって衝撃的だったことは間違いない。あれだ、心的外傷後ストレス障害というやつだ。あれの主な症状に幻覚があったかは覚えていないけど。
深呼吸する。心を整えて、もう一度。
ガチャリ。ドアを開ける。
「やっほー! メグちゃん! 会いたかったぜ!」
「……」
「……」
バタン。ドアを閉める。
どうやら、幻覚がまた一人増えた。巨大な赤い鋏を持った背の高いやつと、くすんだ金髪のヒョロい男。
「おーい、メグちゃーん? 開けてくれないの?」
これは、どうも、幻覚でも幻聴でもないらしい。
ハッサムとサイリが、私の家の前にいる……。
恐る恐るもう一度ドアを開いてみる。
「やっぱり幻覚じゃない」
「ん? なんだって? ……まあいいや。このハッサムがあんたのところにいることをご所望だったらしい。A国の方も改革派の育てたポケモンはやっぱり信用ならないってんで、メグちゃんところのに行く許可が下りたってわけ。だから今日の俺はデリバリー係……」
「ざけんなぁあああああああ!」
「ぐぼぁあ!?」
「げ、ゲロゲロ」
せっかく平穏な女子大生生活が戻ってきたかと思っていたのにぃいいいいいい!
秒速でサイリに腹パンを食らわせて、ドアを閉めようとした。だけど、私が完全にドアを閉めきる前にハッサムがドアノブを掴む。
バキャァ。
ドアノブは彼女の鋏の中でひしゃげて潰れた――。