シザー・マザー
7:超大根芝居
「俺は! もう、しんでやるー!」
 デボンコーポレーションが占拠されて、二時間が回ろうかというくらいの時分である。人質を詰め込んだオフィスの一室が、不意に男の間の抜けた叫びで騒然となった。
 改革派軍の主要メンバーは人質と距離を置いたオフィスの奥に集まっていた。なので、いきなり響いたその叫び声が、一体何の騒ぎなのかその一瞬で判断する事は出来なかった。
「なんだ、なにがおこっている」
 トグラはピリピリと殺気立っていた。つい先ほど、電話口に現れたネゴシエーターへ、「指定されて時間内に王子を連れてこれなければ、人質を一人ずつ殺していく」と、重い宣言をしたばかりだ。
 腹心のミスイがすぐさま部下へ報告を急がせる。
「はッ! 人質の一人が、緊張状態に耐えられないのか錯乱しています!」

「落ち着くんだ、サイリ君」
 人質のフロアの空気は爆発しかけていた。正確には、たった一人――プロトレーナー・サイリが自分勝手に場をいろんな意味で爆発させようとしていた。
「なんなんだよぉ! 俺はただ! モテたかっただけなのに!」
 胴回りを縛られた状態ながら器用に立ち上がり、彼はオフィスのガラス張りの壁へぴったりと背中を貼り付けていた。ガラスから眼下を覗けば地面は遥か数百メートル、落ちればもちろんタダでは済まない。だがここは、天下デボンのビルである。もちろん壁ガラスは車に使うそれ以上の強度を誇っている。
 そんなサイリをなだめようとするのは、もちろんチャンピオンのダイゴ。むしろそれ以外の会社の者は、自分自身もいつ改革派軍の凶弾に襲われるか不安で仕方がない、今この場の精神的支柱は間違いなくダイゴだ。錯乱したサイリの説得は、暗黙のうちに彼へ託された。
「いったいどうしたというんだ、サイリ君! この状況で君が騒ぎ立てても事態は好転しない!」
「うるさーい! チャンピオン様にはわからねぇだろうなぁ! 俺がなんのために過酷なポケモンプロトレーナー界でしのぎを削ってきたと思う!? ――女の子だよ! 女子にモテたくて始めたんだ! トレーナーで食っていけさえすれば俺の人生バラ色だと思ってたんだ! だが、どうだ! プロトレーナーになり早数年、俺は女子にモテるどころか! 極楽メガヤンマのレッテルだ! この気持ちがわかるか! わかるまい!」
「すまない……僕は君の気持ちをわかってあげられないかもしれない……。僕は、君のように女性を追いかけるでもなく石を追い続けているが、なぜか彼女たちの中には僕を追ってくる者が絶えないからね! 君の気持ちを汲めなくてすまない!」
「てめぇええええふざけんなぁあああああああああ」
 サイリは白眼になりながら、ダイゴへ呪詛に近い叫びを上げた。そんななか、場の異常さに気づいた改革派の軍たちが、銃を構えつつ人質たちの方へ集まりだした。
 どより。本物の武器に人質たちの不安は肥大する。
「やめるんだ! 彼の癇癪の原因は色恋沙汰だ! 僕が落ち着かせる!」
 軍のなかには、銃をガラスに背を預けるサイリへ向ける者も少なくなかった。そんな彼らへダイゴはそん叫ぶ。ことの馬鹿馬鹿しさに、改革派軍の何人かはダイゴにこの場を収拾させたほうが何倍も楽なのではと思い始めていた。
「今日、俺は……そんな自分の人生に嫌気がさして、一際高いこの高層ビルにゲスト入館していた。ガラス張りのオフィスから下層を眺めて、ここから落ちてもいいかもな、と……!! そしたら、本当に人質になっちまったじゃねぇかぁああああ! 俺の人生おしまいだぁああああああ! 人質になって殺されるくらいなら、ここで身を投げてやるぅううう!」
「ま、待つんだサイリ君! はやまるな!」
 一際大きな叫びに、生身の人間にこのガラスが割れるはずもないという事実も忘れ、ダイゴはサイリの元へ走った!
 ――その時。

「え、えぇっと! 技の名前、忘れちゃった……。えぇえい! なんでもいいからこのガラスをぶち破りなさーいッ!!」

 一瞬の出来事であった。
 サイリの背後から、ばさりと大きな羽ばたきの音が聞こえたかと思うと、巨大な鳥ポケモン――ウォーグルが、視界いっぱいに現れたのである。
 そして、そこに乗った二体のポケモン――クチートとハッサムが、オフィスのガラスめがけて技をぶち込んだのだ!
 バキャァ! 厚さ数十センチもあろうかというガラスが、二匹のポケモンの一撃によって粉々に砕かれる。ガラスに一番近い場所にいたサイリとダイゴは、二人して慌てて床の下へ伏せた。
 降りしきるガラスの破片とともに、ハッサムとクチートがオフィスへと着地する。武装した改革派たちは弾を撃つ暇もなく突然の侵入者を許すこととなった。
 そして、さらなる侵入者はその二体のポケモンだけではなかった。
「マァタドカース」
 紙を破るかのごとくかち割られた強化ガラス。その隙間から浮遊しながら入って来たのは、大小のドクロを二つ合わせたかのような体型の毒ガスポケモン――マタドガスであった。
「ブロッサム、“煙幕”だッ!」







「大丈夫大丈夫、ちゃんと作戦は考えてあるから」
 蟹味噌よりもまずそうなすっからかんの脳みそしか持ち合わせていなさそうなサイリの作戦なんて聞きたくないんですけど……。
 そう思った私のことなんか一ミリも理解できないであろうサイリは、喜々とした表情で私にその「作戦」とやらを伝えてくる。
「いいか、まず、俺がダイゴもいるであろう人質のところに、残っていた人質の振りをして潜り込む」
 そんなことしたら敵にあんたのポケモンが取られちゃうじゃない。
「いい指摘だぜー、メグちゃん」
 サイリのきざなサムズアップ。
「もちろん、それは考えてあるぜ。俺はベルトにブランクのモンスターボールを付けておくんだ」
「ぶらんく?」
「あー、トレーナー用語でな。要はポケモンが入っていないダミーのモンスターボールを腰に付けておくわけ」
 じゃ、じゃあどうやって人質を助けるのよ! トレーナーってポケモンがいなきゃただの一般人じゃない!
「だーかーらー、そこでメグちゃんの協力が必要なんじゃねぇか! な! 一緒にデボンを救おうぜ!」
「……」
「げ、ゲロゲロ……」
「お願いしますどうかお力を貸してくださいメグミ様」
「よろしい。話だけは聞こう、話だけは」
「幸いデボンはオフィスの壁側がガラス張りになっている。ありゃ人間には壊せねぇ防護仕様になっているが、俺のポケモンくらいの強さなら壊せないわけでもない」
 サイリの話を要約するとこういうことらしい。
 人質の中に紛れ込んだサイリは、何らかの方法でガラス壁に近づく。それを合図として私が、サイリのポケモンたちを使って外からガラスを蹴破り不意をついて突入すると言うのだ。
「あとは、俺のブロッサムちゃんが煙幕をまきちらしゃ、残りのポケモンたちがその隙をついて敵を気絶させられる。あとはダイゴの指示で人質をオフィスの外に誘導すれば完璧」
 そんなにうまくいくのかな? しかも、それってつまりサイリのポケモンに私が指示を出すってことでしょ。言うこと聞いてくれんの?
「まぁこの非常時だ。ハニーもブロッサムもソアも賢いからな、こんなとき誰の指示を従えばいいかくらいはわかるぜ。もちろん、お前も協力するよなぁ、ハッサム」
 正直、どの名前がどのポケモンか覚えていない。
「あ、あとこれも渡しておくぜ」
 そういうと、サイリは一体何を思ったのか耳に付けていたカフスを外して、私に手渡して来た。奇麗な虹色の宝石がついた、まえにクチートの顎が二つに変身したときに光っていたやつだ。
「なんでよりにもよって、これを?」
「なぁ、メグちゃんはハッサムのステータスを調べたことは無いんだよな?」
 ステータス? なにそれ。
「まぁ、知らないのは無理も無い。ポケモン図鑑をもってるやつとか、ポケモンセンターとか、専用のアプリでしか調べられないからな」
「それがどうしたっていうのよ」
「そのハッサム、つえぇぞ。能力も、持ち物も。メグちゃんと会って数日しか経ってないから博打だが、二人に絆が刻まれていたらあるいは……」
「?」
「まあいいか、保険のお守りって思ってもっとけよ」
「う、うん……」
 なんだかよくわからないまま、私はサイリからカフスを受け取った。RPGだったらここでアイテムゲットのジングルが鳴ると思う。
「いいか、よく覚えてくれ。ガラスを破るときに指示する技は、ハニーには“アイアンヘッド”、ハッサムには“バレッドパンチ”だ」
「あ?」
 何語の呪文を唱えた?
「バレーボール?」
「ちがう」
「あのさ、サイリ」
「うん?」
 私は今の今まで忘れていた、腕のなかの赤ちゃんをサイリに見せつけた。
「まさかだけど、赤ちゃんはこの作戦に加えないよね?」
「……さすがにそりゃないぜ……」
 だよね。






「ブロッサム、“煙幕”だッ!」
 サイリの朗々と響き渡る指示のもと、ブロッサムと呼ばれたマタドガスは体の穴という穴から真っ黒い煙を吐き出した。オフィスのフロア一面の視界が黒く染まる!
 え、ちょっとまって、煙で起きた改革派の混乱に乗じて人質に逃げてもらうのはいいんだけど……これ、私たちまでむせるじゃない!
 気づいた時点で時すでに遅し。ひと呼吸しただけで一気に鼻の奥がツンと痛くなる。
「ごほごほっ、な、なんなの……ッ!」
 というか、痛いというレベルじゃない! は、肺が壊れるッ!
 げほげほ……がはがは……ごほごほっ……げ、ゲロゲロ……。
 黒く染まった視界の所々から、私のように涙の出るような激痛にむせ返る者の声が聞こえてくる。まったく、サイリのやつ……! こんなことになるなんてさっきは聞いていなかったわよ!
「わかってるよな、チャンピオン!」
「ああ、もちろんだよ!」
 視界が真っ黒な中はっきりと聞こえてくるのはサイリとダイゴさんの声。彼らは鋼の肺でも持ち合わせているのか、この煙幕の中でも普通に会話が出来るらしい。これを私は“トレーナーズ・ミラクル”と呼ぶことにした。
 それはさておき、ダイゴさんは早速この混乱に乗じて人質の誘導を行った。デボンの社員たちはみな避難訓練をしっかり受けていたようで、かなり速やかに逃げて行く。デボンはなかなかホワイトな企業みたい。よかったよかった。
 って、そんな場合じゃない! 私も逃げなきゃ!
「がはっ!?」
「な、なんだこいつは……ぎゃああ!」
 さっきからクチートのハニーとハッサムが敵をことごとく蹴散らしているみたいだ。サイリの作戦が本当にこんなにうまく行くなんて!
「よう、メグちゃん!」
 と、むせ返ってしゃがんでみても“煙幕”のせいで涙が止まらずにいる私の元に、サイリがひょいと煙の間を縫ってやってきた。
「やったな! メグちゃんはそのまま俺のウォーグルを使って逃げちまってくれ!」
「あ、あんたはどうすんのよ!」
「もちろん、親玉叩きにいってくるわ!」
「ばかぁああああああげほげほッ!」
 こんなときに限って親玉蹴散らして名前を売ろうっての!? プロトレーナーって馬鹿なの!? 馬鹿なんでしょ!?
「煙幕ももう晴れちまう。じゃあな、メグちゃんまた後であおうぜ!」
「ま、まちなさ……!」
 サイリが軽快に走り去ってしまった。正直、あんなにちゃらくて頼りない男だけど、この状況だといなくなった途端とても不安になる。
 そうだ、ウォーグルだったっけ、こんなところは元々私が来る場所じゃなかったんだ。早く逃げてしまおう!
「ハッサム、いくよ! 早く来――」
「動くな」
 いっ……! いきなり背後から聞こえた声に、私は背筋から凍ることになった。多分、女性の声。だけど放たれた声音はとても低くて、逆らったら本当に殺されちゃうんじゃないか、って思った。
 じっさい、私は背中に何かを突きつけられている感じだ。慌てて両手を上げる。こ、これはもしかして……いや、もしかしなくとも……。
 煙幕が完全に晴れた。辺りは倒れた兵隊さんと、そして少し遠くで微動だにしないハッサム。
「動いたらこの女を殺すぞ」
 あ、そうか。“動くな”って、私じゃなくてハッサムに言ったのか……。殺す、とかいう物騒な言葉が出たのにも関わらず、私はそんな場違いなことに納得してしまった。いや、むしろ怖すぎて冷静でいる。
 そして、背後で動くなと言った声の主が、ゆっくりと私の目の前へと歩を進めた。その人物は……。
 ……わお、抜群のプロポーションをした超絶の美人さんだった。

ものかき ( 2016/11/07(月) 19:31 )