シザー・マザー
6:会社大占拠
 デボンは占拠されていた。
 何を言っているのか分からないと思うが、見たままを言うぜ。デボンが占拠されていたんだ。
「なんなのよ、これ」
 私はハッサムに、脳天を勝ち割られるのではないか、というほど痛い拳(ならぬ鋏)の一撃を食らったものの、彼の説得に折れチャンピオンのいるデボンコーポレーションまでA国の王子様を送り届けるという約束を取り付けた。
 デボンに送り届けるまでが私の役目だったはず。なのに。
 ビル周辺は、ポップコーンがはじけるような騒然ぶりだった。ビル前には刑事ドラマでしか見る事の無かった「keep out」のテープが貼られ、透明なプラスチックで顔を保護したホウエン警察が、関係者以外を全面的に遮断するようにずらりと立ち並んでいる。これが人間バリケードか。わお。
 そしてバリケード内部には、どう考えてもここ数時間に建てたであろう仮設テントがいくつも並び、私たちのような一般人は“人間バリケード”の外で取材に野次馬と忙しい。
「ただいま、デボンコーポレーション前にて中継をしております。先ほどはいった情報によりますと、ホウエンの誇る大企業・デボンコーポレーションが正体不明の武装集団により占拠されたとのことです」
 おぎゃあ、おぎゃあ。先ほどまで静かに私の腕のなかで寝ていた赤ん坊が、場の騒々しさに再び泣き声を上げた。
「で、デボンコーポレーションが、占拠されたですって……」
「まさかの、だよな」
 ん? いま私のすぐ横で聞き覚えのある声がした。当たり前のように横に立っているその人影の方をハッサムと同時に向く。そう、その人物はまぎれも無く――。
「サイリ!」
「よっ、メグちゃん数時間ぶり!」
「せいやぁあああ!」
 私はサイリに踵キックを食らわせた。
「なんでだぁあああ!」
「私がハッサムに連れ去られてたって時にどこほっつき歩いてたんだ役立たずぅうううう! プロトレーナーのくせにいぃいい」
「ごめんごめんごめんっていうか! メグちゃんの蹴りに気絶してたんだけども!?」
「ゲロゲロ……」
 とりあえず、明後日の方向を向いて口笛を吹いておいた。


 いま取沙汰するべき問題は私の蹴り云々の話ではない。デボンコーポレーションは一体誰に、なぜ、どうやって占拠されたのだろう?
「まぁ、タイミングを考えるならどう考えてもA国の改革派だな。俺たちが赤ん坊をダイゴに引き渡しちまえば、国の護送でA国保守派の方へ戻るだろう。やっこさんは赤ん坊へ簡単には手が出せなくなる」
「にしても、どうしてデボンを? 赤ちゃんをチャンピオンさんに引き渡すのは私たちと彼本人しか知らなかったんじゃない? 私たちを直接襲うのだとしたら凄く分かるんだけど……」
「うーん、盗聴されてたかな」
 と、盗聴!? サイリ、あなた「炊飯器のスイッチ押し忘れてたかな」と同じような感覚でおっしゃってますけどねぇ!? なんとまぁ、先ほどからドラマのような展開の単語が出るわ、出るわ。
「ど、どどどどどうしよう、盗聴だってハッサム!」
 あんた、まさかその赤いボディに盗聴器仕掛けられてるとかじゃないでしょうね! 私が巨大赤鋏にいぶかしげな視線を送ると、彼はゆるりと首を横に振った。
 うーん、とサイリは唸った。こんな政治に関わるイレギュラーな出来事がバンバン起こっているのにもか関わらず、彼は普段と同じようなテンションのチャラ男だった。プロトレーナーのメンタル恐るべし! そんなサイリが今後の私たちの行動を決めあぐねている最中、先ほど私たちのすぐ近くにいた取材陣が再び中継を繋いで全国のお茶の間にデボンの様子を伝える所だった。
「新たな情報が入って参りました。デボンコーポレーションを占拠したのは、A国の改革派と名乗る武装集団です。かれらは、私たちマスコミに声明文を送ってきました。『デボンコーポレーションを解放してほしくば、このホウエンのどこかにいるであろうA国の王子をこちらに受け渡せ』と言った旨が書かれています」
 おぎゃあ、おぎゃあ。
「げ、ゲロゲロ……」
 セイゴ君の元から私たちについて来たカクレオンが必死に赤ちゃんをなだめようと努力しているけど、一向に泣きやむ気配がない。
 やはりビルを占拠したのは、ここホウエン地方で平気で銃をぶっ放す“シークレットサービスかっこかり”のいる改革派だったか。そして彼らがビルの開放の条件に差し出して来たのが、他ならぬ今私の腕のなかにいる赤ん坊……。
 ま、まじっすか……。
 私は中継リポーターの読み上げるA国改革派の声明文とやらのくだりを聞いた瞬間、今すぐにマスコミの目から離れるべきなんじゃないか、と思って後ずさった。
「どうしよう、サイリ!」
「ん? 決まってんだろ!」
「え……?」
 サイリは爽やかな笑顔でサムズアップをした。

「――俺たちでビルに乗り込んで、デボンコーポレーションを解放しようぜ!」

「……」
「…………」
「………………ざっっけんなぁあああああああああああああ!」






 本当にやるのか……!? 本当にやるのか、このプロトレーナーは!?
 私たちは、占拠されている件のビルの裏口付近にいた。やっぱりここも警備は物々しいけど、マスコミや野次馬の数はそこまで多くない。そこの隅っこで目立たないように小さく丸くなっている私とは対照的に、サイリは軽く膝の屈伸運動を繰り返して、すでにビルに潜入する準備を進めている。
「サイリぃ、考え直しなさいよぉおお! あんた一人じゃいくらなんでも殺されちゃうって!」
「ん? 何言ってんだ、メグちゃんも来るだろ?」
「ばかぁああああああ!!!」
 だめだ、この男は。
 第一、私はごくごく普通の大学生であって占拠されたビルから人々を解放し、A国の怖い人々を追い出す技術などは持ち合わせていない。あいにくだけど。
 それに、いま抱えている赤ん坊はどうするのよ! 億分の一、私がビルに潜入できたとして、赤ん坊あやしながらビルを開放しろっての!?
「マスコミの話だと、ビルの中の人やポケモンを人質に取ってるせいで、警察も迂闊に手を出せない状態なんですって! どうするのよ! 私たちがどうこうできる問題じゃないでしょ!?」
「いや、だから俺たちが動けるんでしょ!」
「『俺たち』いうな! 死にたがりはあんただけだ!」
「大丈夫大丈夫、作戦はしっかり考えてあるから」
 蟹味噌よりもまずそうなすっからかんの脳みそしか持ち合わせていなさそうなサイリの作戦なんて聞きたくないんですけど……。





 ホウエン地方はもとより、ここ一帯の地方の民はみな平和というぬるま湯につかりすぎている。
 A国改革派および、デボン占拠作戦の司令塔――トグラ。彼は、この地方で一番栄華を誇っていると見えるデボンコーポレーションを占拠したときにそう思った。
 このビルには、デボンコーポレーションの御曹司であり、ホウエン最強のチャンピオンであるダイゴも籍を置いているビルだ。警備もそれなりに一流であったし、彼自身も、戦闘にもつれ込めばそれなりにこちらの戦力を削ぐ脅威であった事は間違いない。
 だが所詮、激動に一度として身を置いた事の無い人間ばかりだ。本当の意味での危機感は持ち合わせていない。
 彼らは、戦闘に持ち込む事すら出来なかった。警備員たちは少数精鋭の改革派の軍の動きに一掃され、ダイゴが戦線に現れたときには既に、自身の部下である社員たちが人質に取られていたが為に手出しをする事が出来なかった。彼の六匹の相棒は、いまベルトごとトグラの手の中に収まっている。
「人質たちの様子はどうだ――少尉」
 トグラは、部屋のなかで固まっている約五十名ほどの人質をするどく見張っている迷彩服に声をかけた。鍛え上げられた肉体だが、そのしなやかな体の豊満な部分はしっかりとラインが浮き上がった、完璧な体脂肪率とプロポーションを誇る、彼の腹心である。彼女はトグラの声を受け、忠実なハーデリアのごとく彼の横へ馳せ参じた。
「は。反抗的な者はおらず、とても静かです。どうやらチャンピオンが声をかけて人質たちを安心させているためかと思われます」
「そうか、下がれ」
 彼女――ミスイ少尉は、トグラが絶対的信頼を置く腹心である。女性とは思えない絶対的身体能力、そして軍人としての容赦のない冷酷さ、そして旧A国体制に疑問を抱く事の出来る合理的思考能力。
 そして何より彼女を彼女と足らしめるのは、ポケモンを一流の戦力として育て上げられる育成スキルだ。A国の軍にはどうしても武術一辺倒でポケモン戦術をおろそかにしてしまう者が多い。あまりポケモンの分布が多くなく、ホウエン地方のようにポケモンとの生活が根ざしている訳でないからそれも仕方ない。
 だが、ミスイのポケモン育成は一流であった。
 これまで、A国国王の近衛兵に献上したポケモンの数は知れず、そしてそれは皮肉にも、A国改革派が旗揚げする戦力になくてはならぬ存在になったのだ。
 ――そうだ、今こそ。今だからこそ、改革派可能である。これはテロなどではない、後の革命なのだ。
 戦争も紛争も無いホウエン地方の人々には分からないだろう。祖国が今の体制でどれだけ苦しんでいるのか、この改革が成功した暁には、どれだけの国民が幸せになるのか。
 そう、今日の出来事はほんの序章に過ぎないのだ――。
「――トグラ中佐!!」
 と、彼の崇高な思考が、叫び声に寄って遮断された。部下の一人が慌てた様子でトグラの元へ駆けつける。
「なんだ」
 彼の声には微量ないらだちが含まれていた。
「び、ビルの中に隠れていたとおぼしき一般人が投降しに来ました」
「捕まえたのか」
「は、はい。とても武人とは思えぬ様子ですし、なんというか、『ビルの中を歩いていたらいつの間にか占拠されていた。みんな捕まっているし、殺されたくないので抵抗しない』と言っていたので一応いま縛り付けてこの部屋の前まで引きずって来たのですが……」
「なんだ。はっきりと言え」
「い、いえ。そいつは捕まったのにも関わらず妙にへらへらと笑顔を張り付けていたので、少し不気味で」
「……ふん、まあいい。そいつも人質たちのところへ放り込んでおけ」
「はッ」
 部下は少しばかり引きつった顔でトグラに敬礼をした。そして、部下にドアを開けさせる。そして二人の軍人に引きずられながら、その人質は入って来た。

「あ、これはどうもご丁寧に……おお、ほんとに人がいっぱいいらぁ。あ、どうもみなさーん、プロトレーナーのサイリでーす!」

 トグラはあきれかえった。そして、ここホウエンのポケモンを扱う者たちの知能レベルを疑った。一人の行動がその職種や国民の水準を決めるという自覚が、彼には欠如しているらしかった。
 だがとりあえず、プロトレーナーと名乗っている事への警戒だけは怠らぬよう、ダイゴと同じようにベルトのホルスターは没収した。ホルスターにはモンスターボールが六個取り付けられてあった。
 かくしてサイリは、晴れて胴回りを縛り付けられた状態で、乱暴に人質たちの元へと放り投げられたのである。



「君は一体……なにをやっているんだ」
 ぶっ、と放り投げられた拍子に顔面から倒れ込んで奇声を上げたサイリは、同じく縛られて他の人質とともに座っているダイゴに小声で叱責を食らった。
「あ、どーもチャンピオン」
 小声のダイゴに比べて、サイリの声は標準値かそれより大きい。
「しっ! どーも、じゃないだろう。どうしてわざわざ丸腰で……」
「そりゃ、人質を解放するためっすよ!」
「これではデスカーン取りがデスカーンだよ!」
「まーまーまーまー! ……ちょっとお耳を拝借」
 サイリは体をデンヂムシのようにくねらせながら、それでも(彼としては)スマートに他の人質の影をつかい、A国改革軍の死角に入った。
「チャンピオン、あんたもポケモンを奪われて無力化されてるんだったら、ちょっと俺の茶番に付き合ってくださいよ」
「……何か作戦があるんだね?」
「とりあえず、このビルの構造に感謝っすね」
 サイリの言葉を受けて、ダイゴは改めてこのオフィスの四隅を目で追ってみた。
「何の変哲も無い、ガラス張りのオフィスだが」
「イエス、ガラス張り」
 サイリはその言葉に含みを持たせ、にやりと不敵に笑った。
 ――作戦がある事自体は喜ばしい。だが……。
 そのサイリのその表情を見たときにダイゴは、どちらかといえば安堵以上に不安を抱いたのは言うまでもない――。

ものかき ( 2016/07/31(日) 23:17 )