5:巨大鋏逆襲
「――で、兄さん自身もホウエンリーグにいるわけ?」
私がそこらのプロレスラーですら文句なしの一発KOを食らわしたサイリへ哀れみの視線を寄越しながら、セイゴ君は画面にに質問を投げ掛けた。
『いや』
ホウエンリーグチャンピオンとやらは、サイリの被害のことには触れない方が賢明とでも思ったのか、彼の安否を聞きすらもしない。……なによ、そんなに腹キックがいけない?
『僕自身は今デボン本社にいる。サイリ君を叩き起こして、とりあえず早急にデボン社前まで来てくれるよう伝えてくれるかい?』
ダイゴさんは、そこで一瞬言葉を切り……。
『そこまで来てくれれば会社のヘリでリーグまで連れていける。今は一分一秒が惜しい。いつA国の刺客が赤ん坊を狙ってセイゴの家を襲うかわからないからね』
「メグミ、許せないのはわかるけど、この人をのすタイミングは今じゃなかったわね」
「みじゅみじゅ……」
それを言ってくれるな、シイナ。衝動にはどうしても逆らえなかったんだよ。それに、ミジュマルにまで非難されちゃいたたまれない。仕方がないので――決してこの空気に負けた訳じゃないけど――クルリと踵を返した。そして、この家に来てから直立不動で赤ん坊を見張っているハッサムの方へと歩く。フローリングにドスドスとかかとを叩きつけながら。
「今の話、聞いてたよね?」
ハッサムに電話の内容が理解できたかはわからないけど。
「やっとあなたたちと私はおさらばみたい」
まず、ハッサムの肩へ赤ん坊を支えるゆりかごがわりの布をかけてやった。
「残念だけど私は一介の女子大生、これ以上はキャパオーバー。わかる? 銃で撃たれそうになったり、ポケモンに襲われかけたり……もう、脳ミソからよくわからない汁が出そうなの」
ハッサムは微動だにしない。昨日はあんなに聞き分けがよかったのに。うなずきすらもしないなんて、納得していないってことかしら?
「そんな顔してもダメだからね」
そして、フローリングに敷いた布団の上ですやすやと眠る赤ん坊……かわいい王子さまをゆっくりと抱き抱えた。私が布団に近づいたとき、「ゲロゲロ……」と驚いたカクレオン――セイゴ君の大事な相棒だ――は驚きで擬態も忘れて私から遠ざかった。
臆病な彼の行動は放っておいて、私はハッサムに赤ん坊を預けた。そう、私が初めて二人を見つけたときのように(いや、一人と一体とでも言えばいいのか)、赤ん坊は金属生命体の用心棒の胸の中にすっぽり収まった。
「あとは、頼もしいプロトレーナーが、赤ん坊を全力で守るわ」
「……」
ハッサムは、正面から無表情に私を見つめた。頷きも、首を横に振ることもしない。だから、私には彼がこの措置に反対なのか賛成なのかわからなかった。
……こうなってくると、この赤い物体にかける言葉が見つからん。
「私のこと、取って食わないでおいてありがとうね」
仕方がないので、私はハッサムにそうとだけ言って、未だに鉄拳制裁の余波から脱しきれていないプロトレーナーを起こしにかかることにする。
「おーい、サイリ起きろこのやろー!」
「……め、メグミ」
足で小突くがサイリは起きない。あらら、予想以上に強く急所に蹴りいれちゃったかな。
「メグミッ」
「ちょっと! サイリってば!」
サイリのバカヤロー。あんたが起きなかったら私が凶暴な女子大生だって誤解されるじゃないのよっ!
「メグミッ」
ちょっと? さっきから私の名前を連呼してるのは誰!?
サイリを起こすのに夢中で(白状すると、私が凶暴な女子大生でないことを証明するのに夢中で)、さっきから聞こえる切羽詰まった声が私を呼ぶ声だと気づいて、やっと私は顔をあげた。その瞬間、セイゴ君がつんのめるようにこちらに走ってくる。
「後ろ!」
「え、なに――」
*
プロトレーナーサイリは、突然容赦なく自分の顔へ叩きつけられた冷水に、肝が縮む感覚がして目を覚ました。
「ぶふわぁッ!?」
バッ、とフローリングから上半身だけ飛び上がり、辺りを挙動不審ぎみに見渡す。
「――やっとお目覚め?」
声が上から降ってきた。その方を向くと、物凄い形相でシイナが自分を見下ろしている。足元にいるミジュマルも鳩胸ぎみにこちらを威嚇していた。恐らく水をぶっかけたのはこいつだろうとサイリは見当をつけた。あとで覚えてろよ。
ミジュマルはさておき、怒った顔のシイナちゃんも悪くなぇなと場違いなことを考えるながら、サイリは今一度あたりをみまわしたが、場にはハッサムも赤ん坊もメグミもいない。
「お、俺の報酬は? かわいこちゃんメアドゲットのチャンスは?」
「あなたが伸びている間に、いろんなことが起こりました」
サイリの言葉を無視してそう告げるシイナの声は、色々な感情が混ざっていた。怒り、焦り……そして友を心底案ずる気持ちか。
――こりゃ、メグちゃんに何かあったな。
サイリは気を引き閉めた。立ち上がってモンスターボールのホルスターを確認する。
「どこにいきゃあいい?」
「ハッサムを追って、今すぐ! メグミがハッサムに気絶させられて連れていかれたわ! まだ遠くに行っていない」
「……なんだとぉ?」
サイリは眉をつり上げた。
――なんてったって、ハッサムがメグちゃんにそんなことしなきゃなんねぇ? まさかあいつ、改革派の仲間なんじゃねぇの?
サイリは、このただならぬ事態にスイッチを入れ替えた。シイナを見れば、いまにも目の縁から涙がこぼれそうだ。おそらく、ハッサムにメグミを人質にとられて何もできなかったのだろう。女の子を二人もただならぬ目に遭わせたとなると、サイリが真剣モードにならぬ理由がない。
「セイゴは念のため警察に行ったわ。ダイゴさんはデボン社にいる! お願い、サイリさん……!」
「心配すんな!」
サイリはすでに、シイナの言葉の途中でリビングの扉のドアノブに手をかけている。
「ハッサムをぶっ倒して、メグちゃん取り返して赤ん坊をリーグ――いや、目下はデボン社か――に届ける。簡単だろ?」
*
「……ねぇー、何がどうなってるか説明してくれるかなぁ」
視界がガタガタと揺れて、ついでに舌も噛みそうだ。だけど、こんなことを言って気をまぎらわせていないとやっていられない。
だって、今しがた目が覚めたら、なぜだか私はハッサムに担がれているんですよ? ここはどこ? 私は誰? もう勘弁してくださいって。
ひとまず、状況を整理しよう。どうやらA国の改革派に命を狙われているらしい赤ん坊の王子様は、今までハッサムに少なからず助けられてきた。そんななか、私がこの子たちを拾い、サイリと出会い、命からがらセイゴ・シイナカップルの家に転がり込んだ。そこで親戚のチャンピオンさんが、赤ちゃんを護送してくれとサイリに頼み込んできた。ここまではオーケー。
問題はこれからだ。やっとこの物騒な騒動とおさらばできると思い、私の制裁で気を失っていたサイリを起こそうと思った矢先――。
――私は固い物で殴られた。
……そして、目を覚ましてみたらこの状況。もうこれ以上私の身にどんな不幸が起こると言うの……。
おそらく、何で殴られたのかはこの妙な状況から想像がつく。この巨大赤鋏の手――文字通りの巨大鋏が私の脳天に振り下ろされたに違いない。
「ちょっとー。聞いてるー? ハッサムってばぁ、どうしてこんなことしてるんですかぁ?」
ちなみにわたくしは今、大工さんが木材を運ぶ時みたいにハッサムの肩に担がれているためハッサムの背後の景色がとてもよく見えます。どうやらまだカナズミシティから出てはいない模様です。しかし、人通りの少ない路地のためか、この不可解な状況を目撃している住民は、野良ニャース以外にいない模様です。以上、リポーターでした。
「……だぁあああああ! いい加減にしなさいよぉおおおおッ!!」
いい加減、肩に担がれたままでいるのも飽きてきた。いつまでも私の声を無視したって、そうはいかないんだから。
じたばたと暴れて、どうにかハッサムの肩からの脱出を試みる。いかにボディが鋼でできていて力もあるとはいえ、それをつなぐ関節は人と同じくらいの太さだ。いつまでもこのメグミ様が従順でいるとおもうなぁあああ!
「なによぉおおおお! 私は今までさんざんあんたの味方だったでしょうがぁああ! プロトレーナーが守ってくれるまでに事態が好転しただろーがよぉおおおお!」
ハッサムの腕のなかの赤ちゃんが泣く。おぎゃぁあ。おぎゃあぁ。今の私の視界には見えないけど、おそらく私のドスの利いた(自分で言うのもなんだけど)声に恐れをなしたに違いない。
だが、もうこんな仕打ちを受けた上でまだ赤ん坊をあやそうなどとは思わん。泣け、泣くのなら勝手に泣いてとことんまでハッサムを困らせろ王子様!
「そんな相手の脳天に鋏を振り下ろして気絶させて、ただですむとおもうなよぉおおおおお――ぎゃあぁッ!」
いきなり視界が急降下した。そして気づけば私は、ドスンとコンクリートの地面に尻餅をついている。なんとも……ご丁寧な客の降ろし方だ。尾てい骨が痛い。うっすらと目に涙が浮かぶ。
「いっ……たい……」
お尻をさすりながらも、なんとか上を向く。その先にはやはり、初めて会った時から変わらぬ直立不動の仁王立ちで、私を見下ろすハッサムがいた。大声で泣く赤ん坊を抱えながら。
なんなんだ、その目は。ちくしょう。
もうこうなったら、人間としてのプライドの問題だ! どうにかそれを原動力にして尻餅による関節の痛みを跳ね返し、立ち上がった。ハッサムと同じように仁王立ちをし、腕を組んで相手を睨み据える。
「どういうことか説明してくれるんでしょうね? 赤ちゃんと一緒に無事に保護される事の何が不満なのかね!? ん!?」
……沈黙。人気の無い路地には、赤ちゃんの泣き声だけが響いている。
「なに!? もしかしてあのチャラ男のサイリが気に食わなかったとか!?」
……首肯。おぎゃぁ。おぎゃあ。ゲロゲロ……。
しょ、正直だな……。あんまりにも素晴らしく真っすぐなうなずきに、私は次にかける言葉が見つからない。
「……も、もしかして、私を連れてきたのは……サイリの代わり……ってわけ?」
首肯。おぎゃぁ……。ゲロゲロ……。
「ちょっと! なんでよ! サイリはプロトレーナーなんだってば! 前みたいにおっかない変なポケモンたちが襲ってきても守ってくれるんだよ!? 私みたいに、叫ぶだけで何も出来ない人間といるよりよっぽど安全じゃない! 何が不満なのよ!」
おぎゃぁあ、おぎゃあ――。
「うるさいわねッ!」
ビタッ。赤ん坊を睨んでそう叫んでやったら、一瞬にして泣き声が止んだ。
「……」
「ゲロ……」
ハッサムは、そんな私の追求と、赤ちゃんの泣き声と、それをたしなめる私と……。一連の動作を全て沈黙とともに眺めた後、初めてモーションを起こした。(私たち以外の声が聞こえたような気がしたが、まぁ気のせいだろう。)
赤ちゃんを包む布(気絶する前にポケナビで検索してみたら“キャリー”と出た)へ器用に手を伸ばし、中から哺乳瓶を取り出す。慎重な手つきでそれを私の方へ突き出してきた。
「……」
「……」
私は、しばらくその様子を眺めていた。
「……」
「……なによ」
つまるところ、サイリには赤ん坊の世話が出来ないとでも言いたいのか。いや、それはそれで認めるけど……。
「もしかして、私に赤ん坊の世話をしてほしいから気絶させてまで連れてきたってこと?」
しばらくの沈黙、そして首肯。
……つまり、このハッサム。自分の身に降り掛かるであろう敵の攻撃を守ってくれるプロトレーナーよりも、赤ん坊の世話がある程度できる人間の方がよっぽど重要だと? 自分の身より、赤ん坊の方が重要だと……。
確かに、赤ん坊というのは不安定だ。赤ん坊を育てた事も無かった私がこの二日間一緒に過ごしただけでも、それは嫌と言うほどわかる。ミルクを与えた後、げっぷをさせないと赤ちゃんの気管が詰まる。排泄したおむつを替えないと不衛生だ。うまく寝かしつけないと体力も持たないだろうし、いつ、どこから体の弱い赤ん坊に菌が襲ってくるかもわからない。
たとえ、サイリが百戦錬磨のプロトレーナーであったとしても、赤ちゃんの世話など出来ないだろう。ましてや、ハッサムだけでは不可能だ。
「でも、だからってそんな……私は、ほんとに何も出来ないのよ……」
いくら赤ちゃんの健康管理が重要だとしても、敵が来てしまえば私はただの足手まといだ。そういう念を込めてハッサムを見たが……彼は、私の言葉に首を横に振った。ゆっくりと。
まるで、何を馬鹿な事を聞いているんだ、とでも言いたげに。
“この俺が敵をけちらせないとでも?”とでも言いたげに。
そして彼は、ずい、と私に哺乳瓶を突き出してくる。
こんな私を、信用している。
ただの、女子大生。ポケモンの知識も皆無。いままで、目立って何かしてきた訳でもない、私に……。
「……もう、わかったよ」
こうなったら、乗りかかった船だ。ここでまた拒絶して、脳天に鋏を食らうのも勘弁してほしいし。
「ついていけばいいんでしょ? ついていけば……。ただし、デボン社に行くまでだよ? それでもいい?」
ハッサムは、先ほどよりも大きく縦に首を振った。表情からは感情の起伏がわかりにくいハッサムだけれども、もしかしたらうれしがっているのかもしれない。
「まったく、しょうがないなぁ」
とりあえず、時間的には赤ん坊にミルクをあげる時間だ。私は、先ほどからハッサムが手に持っている哺乳瓶に手を伸ばすと……。
バキャァ。
どうやら、力の加減をするのが限界だったらしい。哺乳瓶が鋏の中で割れた――。