シザー・マザー
3:現実充爆発
 赤ん坊と、(信じがたいがその世話をしていたらしい)赤い鋏ポケモン・ハッサムを拾ったら、いきなりシークレットサービスもどきに追いかけられる羽目になった。そしたら今度は通りすがりの自称プロトレーナー・サイリが、手持ちのクチートに向けてなにやら妙なことをし始めた。

「――いくぜぇハニーぃいいッ! メガ進化ッ!」
 メガ進化、その単語に呼応するかのように彼のカフスの宝石が光りだした。その光はクチートへと降り注ぎ、そして大顎ポケモンは全身が白く光り輝き始める!
 髪のように流れる大顎は二股に割れ、体は一回り大きくなる。そして、その光がおさまった時。チィイイイイ、と力強い威嚇の声を鳴らす主は、さきほどのクチートではなかった。黄色い上半身はそのままだが、下半身はピンクの袴をはいたような模様だ。そしてなにより、ただでさえ何でも噛み砕けそうなその顎が、さらに大きく、そして二本になっている。
 私は思わずサイリを見た。背中しか見えなかったが、顔を見なくても彼が不敵な笑みを浮かべていることはすぐにわかった。
「行くぜ、ハニーッ! メガクチートになったその力を見せてやれッ!」
 こいつは確実にバトルマニアだ。迫りくる追っ手にも臆すどころか、喜々として自分の手持ちをけしかける。もちろん出し惜しみなどせず、だ。
 このメガクチートと呼ばれるものに姿を変えたハニー。素人目にも強さが尋常ではないことはよくわかる。
 クチィイイ! とハニーは一声上げ、勇猛果敢に相手の懐へ走り出す。
「“じゃれつく”!」
 サイリの口から、バトルにおおよそふさわしくない単語が飛び出した。と、その瞬間ハニーはくるりと敵ポケモンたちに背を向け、二振りの大顎で相手にじゃれ――。
 がぶり。
 ――いや、噛みついた。
 ……ひとこと言いたい。これのどこが、“じゃれて”いるように見えるのだろう?
 ポケモンとその主人たち(つまりシークレットサービスもどきたち)は、そのメガクチートの恐ろしさに一歩後ずさりする始末だ。
「おいおいどうした!? ハニーの甘噛みにつきあってやれる肝の据わった男はいねぇのかよ!」
 あきらかにこの状況を心底楽しんでいるらしいサイリが叫ぶ。あれが甘噛み?
 ハニーが一歩前へでる。どうやら雄ばっかりらしい追っ手のポケモンどもは、その歩調にあわせて一歩後ずさった。その様子を、人間たちは悔しそうに悪態をつく。どうやら彼らはそろいもそろって“草食系”らしい。
「あーらら。根性のねぇやつらだぜ……」
「そんなことより、早く逃げたいんだけど!」
 いくらポケモンたちを牽制したとはいえ、相手は銃で容赦なく人を撃つような連中だ。早く撒くにこしたことはない。
「ああ……そうだったな、ハニー!」
 サイリはメガクチートを呼び戻して、レオンの首もとを数回叩く。ウィンディはすぐに吠えて再び地面を力強く蹴った。発進とともにハニーが私の後ろにすっぽりと収まる。どうじに、ハッサムもクチートの後ろにまたがった。
 人間三人とポケモン二匹を乗せたにもかかわらず、レオンは爆発的ダッシュで追っ手から遠ざかった。
 ……主人に指示され後を追ってきたポケモンたちは、ハニーのひと睨みですべからく走るのをやめた……。


 ウィンディのレオンが、私たちを乗せて走ることをやめたのは、追っ手を撒いてからだいぶ時間がたった頃だった。サイリはレオンへ、人が歩くくらいの速度まで歩調を落とすように指示を出し、涼しい顔で私の方を振り返る。
「で、メグちゃん。これからどうすんの?」
「どうすんのって……」
 ウィンディに乗せて連れ回しているのはそっちだ。私がどうこうできる状態じゃない。
「とりあえず、メグちゃんが電話してたシイナちゃんって子、きになるねぇ」
「き、聞こえてたか」
 あんなに一瞬の通話だったのに。
「どんな混乱のさなかでも、女の子の声と名前はしっかりと聞こえてくるぜ!」
 どんな耳をしてやがるこのチャラ男は。
「その子なら頼りになるのか?」
「……わからない。とにかくいま、こんな笑っちゃうような状況を受け止められるような信頼できる友達は彼女しかいないから」
 だけどやっぱり。さっきは気が動転してとっさにシイナへ電話をしてしまったが、本当ならきっと警察に行った方がいいんだろう。でもさっきの追っ手は交番へ行こうとしたら現れた。だとするときっと警察の周辺に張り込んで、私たちが現れるのを待ち伏せていたに違いない。
「――メグミ?」
「エッ」
 サイリのものではない、だけど聞き覚えのある声が路地の先から聞こえてきた。まさか、こんなところで名を呼ばれるような仲の者と出会うとは露ほどにも思っていなかったので、自分でもよくわからない変な声を上げてしまった。
「シイナからの連絡で辺りを探してみれば……なにやってるんだこんなところで」
 この寒さに見合ったダッフルコートを身にまとい、ジーンズ姿でこちらに歩み寄ってきたのは色素の薄い髪をした、男性にしては華奢な体躯の青年――。

「――セイゴ君!」

 まさかこんなところで見知った顔に出会うとは思っていなかった。しかもどれだけ運のいいことか、彼はシイナと同じくらいに話の分かる、そして信頼の置ける人間だ。というか、電話一本でセイゴ君をよこしてくれるシイナ天才だろマジで。
 私は腕の中の赤ん坊に刺激を与えないようにウィンディから降りて彼へと近づく。そのときのサイリは、第三者の登場で楽しみを奪われてしまってふてくされたような表情をしていた。
「セイゴ君いいところに来た助けて頼む」
「え、なにどういうこと。ていうかなんで赤ちゃんつれてウィンディに乗ってんの」
「詳しい話は後にするからとにかく今はかくまってくれ頼む」
「かくまう? なんで」
 するとセイゴ君は至極まじめな顔つきで、サイリのことを指さしながらこんなことを言う。
「あの男の人との隠し子な感じ?」
「せいかーい」
「ざけんな」
 天然ボケ噛ますアホと便乗するアホにタイキックをかましてやった。





 シイナが心配していたぞ、とセイゴ君は軽く言いながら、結局理由も話していない私たちを家へと招き入れてくれることになった。レオンもハニーもモンスターボールに格納し、私の横を歩いていたサイリは小さく私に耳打ちをする。
「あれ誰? 彼氏?」
「ご心配なく。私の彼氏じゃない」
「やった」
「私が彼氏いないからって喜ぶな」
「堅いこと言うなって」
「会って数分程度しか経ってないのに私をターゲットにすること自体意味分からん」
「ターゲットとは人聞き悪いぜ。世の女の子はみんな俺のストライクゾーン。もちろんポケナビから聞こえたかわいい声の主もストライ……」
「着いたけど」
 私たちの会話をブッたぎるには十分な、ぶっきらぼうなセイゴ君の声が前方から飛んできた。


「これが、家?」
 セイゴ君の家についたとたん開口一番にそう言う人間は、もちろんここではサイリしかいない。
「そうですけど?」
「君、学生だよねぇ? 一人暮らし?」
「だったら?」
「いやーこれは学生が一人で過ごすにはでかすぎるでしょーあははは」
 プロトレーナーの給料ががいかほどかはわからないが、サイリの笑いがひきつっているのは自分の収入と目の前の邸宅を照らし合わせてしまったせいか。
 築三年、三階立て、倉庫とログハウス風ベランダ付き。白を基調とした一戸建ては、確かに青年一人が持ち合わせるには不釣り合いなほど豪勢な建物だろう。
 家の主がセイゴ君でなければ、の話だが。
「俺の家がなんだろうとどうでもいいけど、入るの? 入らないの?」
 若干あきれた様子でセイゴ君が聞いてきた。


 通されたリビングには(体感的には遠い昔のように感じられるが実際はついさっき)電話で会話をしたシイナがいた。黒髪をのばしていて動きやすそうな服装でソファに座っている。そしてその横には、彼女の相棒のミジュマル――一言で言うと貝を腹に付けたポケモン――もいる。彼女は私の姿を見つけると、安堵と困惑と再会のうれしさをごちゃ混ぜにブレンドしたような不思議な表情でこちらに駆け寄った。
 セイゴ君の家にシイナがいたことに衝撃を隠せなかったらしいサイリのすごい表情が見えたが、今は無事に再会できたことを喜びたいから視界からシャットアウトする。
「メグミ、無事だったんだね」
「ごめんシイナいきなり訳わからない電話をして」
「それもそうだし、今君が抱いている赤ちゃんについても、それはもう猛烈に事情を聞きたいけど……今は再会を喜びましょ」
 みじゅみじゅ、とシイナの言葉に相づちを打つように、ミジュマルは腕を組んで首を縦に二回振った。
「シイナちゃんって、さ。君の彼女?」
「そうだけどそれがなにか?」
「……俺以外の男なんてみんな爆発すればいいんだーッ」
「はい?」
 私の後ろでそんな会話が聞こえてきたが、今は無事に再会できたことを喜びたいから私の耳からシャットアウトする。





 そんなこんなで、やっと第三者に私の置かれたわけわからん状況を説明することができた。
 コンビニの裏でハッサムと赤ん坊を見つけたこと。彼らが不憫だったために家に連れ帰って一晩世話をしたこと。警察に届けようとしたところ、交番の前で待ち伏せしていたらしいシークレット以下略に追い回されたこと。危機一髪な場面を自称プロトレーナー・サイリと、ポケモンたちに助けられたこと。
 全ての状況報告が終わると、シイナとセイゴはしばらく開いた口がふさがらない様子だった。
「……あぁ。メグミは昔から人とちょっとずれてるところがあったけど、今回はこれほどまでとはね」
 病気も末期にさしかった患者を相手する医者のような声でシイナが言った。返す言葉がなくて視線を泳がせていると、床にしかれた布団の上でスヤスヤと眠る赤ん坊を取り囲むハッサムとミジュマルの姿が目に入った。ミジュマルの横にはなにやらギザギザ模様が宙に浮いているが、たぶんあれはセイゴ君の相棒だろう。彼は極度の人見知りだから、ギザギザ模様以外は滅多に姿をさらさない。
「話は分かったけど、これからどうすんの?」
 セイゴ君が至極もっともな質問をズバッと投げかける。彼の現実主義精神はたぶんハッサムの鋼のボディよりも堅い。
 彼の質問には私の隣に座っていたサイリが答える。
「追っ手が交番の前で張ってたってことは、奴さんには赤ん坊を警察に届けられたくない事情があるってことだな。そうれはもう、後ろめたいことこのうえない、な」
「後ろめたいって?」
 シイナがきくと、サイリは赤ん坊のいる方向を指さす。
「たとえば、こいつは大富豪のたった一人の子供で、あの黒ずくめが誘拐して親に身代金を要求してる最中にハッサムが連れ出した、とか」
「……」
 いまさらながらとんでもないことに首を突っ込んでしまった気がする。危機感の欠如については、飲み会で悪酔いした大学の同期の迷惑な忠告も素直に聞いておくべきだったかもしれない。
 これからいったい、どうすればいいのだろう。
「まぁ、この赤ん坊が身代金がらみの人質だろうと、たとえ一国の王子様お姫様だろうと、確認するすべがないからどうしようもねぇ。だけど追っ手はたぶんまた来るだろうな」
 この後に及んでサイリはさらに畳みかけた。ただでさえ万事休すだというのに。しばらく沈黙していた四人だが、ふとシイナはクリッっとした目を少しだけ見開いてセイゴ君の肩をたたく。
「ねぇセイゴ、お兄さんに相談できない?」
「ん、ああ……まああっちが忙しくなければできなくもないけど……」
 お兄さん? 私とサイリが顔を合わせて声を上げたのをよそに、セイゴ君は「まあ電話一本入れてみるか」と一人ごちながら、いまいるリビングの隅にある固定電話(なんと巨大なディスプレイのついたテレビ電話! サイリ曰く、ポケモンセンターにあるものと同じ代物らしい)へ歩いていった。
「シイナ、セイゴ君のお兄さんって?」
「兄弟じゃなくて従兄弟よ。なんでも、セイゴのよき相談相手らしくて」
「へえ」
「なあ、この家は賃貸? シイナちゃんは同棲してんの?」
 チャラ男サイリはこりもせずににやにやしながらシイナちゃんにそう聞きつつ、さりげなく彼女との物理的距離を縮めようとする。男の風上にも置けん奴だなこいつ。
 だけどそこは流石シイナである。嫌な顔一つせずに聞かれたことを的確に答えた。
「いいえ、セイゴが買ったのよ。自由につかっていいからって合い鍵を渡されたからおじゃましてるの」
「買った!? どういうこと!? 金持ち!?」
 サイリがいちいちうるさいのでとどめの一撃を放つことにする。
「セイゴ君はその筋じゃ有名な若手の画家だもん。収入が違うよ」
「んな……ッ」
 彼にしか聞こえないゴングが鳴り響く。
 彼がいくつかは知らないが、たぶん年下であるセイゴ君にあらゆる点で(それはもう、あらゆる点で)負けているのを自覚したサイリは、どこぞのボクサーのように白く燃え尽きていた。立て、立つんだサイリ。
「おーい、メグミ」
 と、サイリが灰と貸したのと同時に、リビングの奥へ引っ込んでいたセイゴ君がひょっこりこちら側へ顔を出した。どうしていきなり私の名を呼んだのだろう?
「兄さんが話したいって」
「え、私?」
「そう」
 もちろん、私はセイゴ君のお兄さんとは会ったこともないし、存在もいましがた知ったばかりだ。セイゴ君がこの状況をなんて説明したかはしらないけど、いきなり呼ばれるなんて驚きだ。
 私は若干背筋を伸ばしてディスプレイの前に立つ。画面の中では、セイゴ君のように色素の薄い髪を持つ、スーツ姿の美青年が立っていた。

『君がメグミだね? 初めまして、ボクの名前はダイゴだ』

ものかき ( 2015/01/20(火) 23:04 )