シザー・マザー
2:軽薄戦闘狂
 『――次のニュースです。保守派と改革派との紛争が続いているA国は今日未明、三日間の休戦期間を終えたとのことです』
「……」
 テレビの音声、そしてカーテンから降り注ぐ日光に刺激されて嫌でも目が覚めた。どうやらリビングのテーブルに突っ伏したまま眠ってしまったらしい。やっちまった。体の節々がとんでもなく痛い。
 テレビの中のアナウンサーが報じるニュースはちょうど、申し訳程度にしか報じない国際政治のコーナーにさしかかっているようだった。正直眠気眼じゃ、なにを言っているのか全く頭に入ってこない。だが、テレビの前ではあの赤い巨大鋏ポケモン――ハッサムが、表情の読めない顔つきでテレビの前を陣取っていた。
 おいまさかお前、勝手にテレビ付けやがったな。
『なお、現在A国の内戦は改革派が優勢であり、保守派との紛争は今後もさらに激化するものと思われます』
 昨日拾ったハッサム、そしてフローリングに敷いた布団中で眠る赤ん坊。昨日の出来事はやっぱり夢じゃないのね、そりゃそうか……。
『以上。国際ニュースでした。続いてのコーナーは“ビューティフルワールド”。本日はアーレイスの水の都・ウォルタを特集します――』


 ハッサムとの約束通り、今日は黙って一人と一匹を警察へ引き届けることにする。幸いにも今は大学も冬休みだし、バイトもない。だからこの複雑な経緯のありそうな彼らはその手のプロフェッショナルに任せて、私自身は悠々自適なバケーションライフを送りたいものだ。とりあえず、赤ん坊にミルクをあげ、ゲップをさせて外出の準備に取りかかる。
 ハッサムは意外にも、私が赤ん坊を抱いての外出に不満はないようだった。黙って後ろをついてくる。無表情なのがなにかと怖いのだが。
 交番まで行く間、すれ違う人たちの中には私たちのことを胡乱な目で見る者もかなり多かった。というかむしろ道行く人は全員一度は私たちを、なにかの間違いだとでも言いたげに振り返って見ていた。
 うん、まぁそれが正常な判断だと思う。こんな赤い鋏ポケモンをモンスターボールからわざわざ出して連れ歩いているのだから。いくらポケモン交流が盛んなホウエンと言えども……。
「ほら、あそこが交番だから」
 遠目からでも交番の存在がわかる程度には目的地に近づいたので、後ろを歩くハッサムの方へ振り返り言ってやった。ハッサムはいつもと変わらぬ無表情で私の言うことに首肯する――と思いきや。
「……!」
 なにを思ったのか、いきなり目つきを鋭くさせて、赤ん坊を抱く私の前に躍り出た。そして、中二病よろしく鋏を前につきだしてポージングをする。
 なにやってんだこいつ。
「ねぇちょっとお兄さん? そんなところに突っ立てたら私たち前へ進めないん――」
 パシュッ、キイィン!
「え――?」
 ハッサムが右手の鋏を私の眼前に持っていったのと、ほぼ同時だっただろうか。その瞬間、その右手に何かがはじかれた。ものすごい号速球、そして地面に粒のような何かが落ちる。
「……」
 気づけば血の気が引いていた。心臓が自分でもおもしろいって思ってしまうくらいに激しく、そして早く脈打つ。ゴクリと唾を飲み、赤ん坊を抱きなおした。そして、視線だけでおそるおそる、地面に落ちたその“粒”を見下ろす――。
 ――この弾丸、ですね。うん……。
 私の前に立つハッサムの体の隙間から、数メートル離れた狙撃の主が見えた。シークレットサービスよろしく全身黒ずくめにグラサンの体育会系男だ。やはりその手には、拳銃がうそだろ逃げろ!
「は、はははハッサムっ!」
 高校の体育祭以来のスタートダッシュ! 面白いくらいに裏返った声で命の恩人となったハッサムの名を呼び、来た道を全速力でUターンする。すると相手も、すぐ後ろを走ってるんじゃないかというくらいの足音で追ってきた。
 警察じゃないことは確かだ。だけど、どうして、こんなに堂々と交番の前で拳銃を見せて発砲してくる!?
 ハッサムはいつもと変わらぬ表情でしっかりと私の後をついてきている。赤ん坊はいきなりの激しい揺れに泣き出してしまった。
 いったいぜんたい、なにがどうなっているというんだ。
 走り、というか運動全般は対して得意じゃない。だけど本能で逃げること以外の選択肢が存在しないことを悟った。それだけでも勘弁してほしいのに、私のすぐ後ろで恐ろしい音が聞こえてくる。パカン、というモンスターボールの開閉音、そして獰猛な獣のうなり声だ!
「カエンジシ! “炎の牙”!」
「し、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬッ!!」
 シークレットサービス(仮)の指示の声と、カエンジシと呼ばれたポケモンのうなり、そして耳元にまで迫る四足歩行特有の疾走音。そして肌を焦がす熱気。
 やられる。
「ギャンッ!」
 振り向きざまにそう思った瞬間、カエンジシ――炎のたてがみを持った獰猛な四足歩行のポケモン――が飛びかかった絶妙なタイミングで、その懐にハッサムの拳が炸裂した。
 電光石火の早業だった。鋏を閉じて作った拳が弾丸のごとく敵の懐を捉えたらしい。カエンジシは情けない叫びとともに地面に強くたたきつけられ、足がもつれそうになった私はつまづきそうになるもどうにか足を踏ん張った。
 もう筋肉が限界だ。文化系なめんな。そう言いたいが訴える相手がいない。誰か助けてくれ……!
「! そうだ! ポケナビっ!」
 ポケットに入れていた端末――ポケナビを取り出して電話を起動する。こんな非常事態、大学友達もサークル仲間も役に立たない。消去法で電話番号を入力し耳に当てる。後ろからは先ほどのカエンジンと、また別のポケモンが数匹追いかけきてる。頼む、頼む頼む頼む! 電話に出てくれ……!
『――もしもし?』
 出た! おお神よッ!
『やだっ、メグミ! どうしたのいきなり電話なんて、久しぶ――』
「――シイナ! シイナシイナッ! 頼むゥッ、今頼れるのはあんたしかいないッ!」
『え、なにどういうこと』
「信じられないかもしれないけど聞いてッ! 今追われてて死にそうでとにかく何でもいいから助けて! というか助けろ!」
『ちょ、ちょっと落ち着いてよ、音が飛び飛びでよく聞こえない……』
「ぎゃああああっ!?」
 私の頭上から青と黄色の体のポケモンが、全身を帯電させながら突進してきた! ライボなんとか、とポケモンの名前を呼び指示を飛ばすシークレットサービスだがそんなのも耳に入らない。た、助けてハッサムぅうううう!

「――ハニー! “不意打ち”!」

「ぎゃああ!」
 私は奇声をあげ、赤ん坊ごとしゃがみ込むと、電気をまとって私へ攻撃してきたそのポケモンをまた新たなポケモンが突進してはじきとばした! もうわけがわからない。男の声とともに現れた新たなポケモンは、黄色い体に黒い大顎を持つポケモンだった。もとある顔とは別に、髪の毛のように大顎を垂らしているポケモンだって!? 正直気味が悪い。
「おいおい、ねぇちゃんこっち!」
「いぃいい!?」
 がしっ、と。いきなり二の腕あたりを誰かに捕まれたかと思うと、今走っている道から一歩はずれた道へといきなり引きずり込まれた。もう、慣れない長距離走で酸素が全身へ行き渡っていない私には、いったい今自分の身に何が起こっているのかまったくわからない。
『ちょっと!? ねぇ大丈夫!? 無事!?』
 そ、そうだ、今電話をしていたことをすっかり忘れていた。
「だ、だだだだ大丈夫ッ! ごめんシイナ! 後でまた電話する!」
『ちょ、ちょっと待っ――』
 ブッ、とポケナビの通話を強制終了させた。シイナに助けを求めたのはいいけど、いろんなことがめまぐるしく起こるせいで、何か一つのことに集中しないと自分がだめになりそうだった。そして今は、逃げることに集中したい。
「なーんか、妙なことに巻き込まれてるっぽいじゃん? あんた」
 と、あがった息を整えるので声も出せそうにない私の真横で、よく言えば陽気な、悪く言えば軽くチャラい声が響く。
 こんどは誰だよ……! そう思って、おそらく先ほどの大顎のポケモンをけしかけ、私の二の腕をつかんでこの路地へ引き込んだ張本人である男を見る。
 くすんだ金髪の、肩より少し上までのばした髪。背はモデル並に高いがなで肩で全体的にしまりのない男。年齢はおそらく私よりも上だろうけど、チャラチャラしたオーラを全身にまとった青年だ。片耳だけについている宝石の垂れたカフスが、さらにそのチャラ度を際だたせている。
 でも、よく考えたら私の危機を救った人物、ということ……?
「だ、誰ですか……!? いったい、なにが、どうなって……!」
「俺も通りすがりにあんたが追っかけられてるのを見たから、この状況はよくわかんないけどさ――」
 金髪の男はヘラリと笑って敬礼もどきをした。

「――とりあえず自己紹介! かわいこちゃんはほっとけない、通りすがりのプロトレーナー・五十嵐犀利でーす!」





「イガラシ……サイリ……?」
 あがった息が戻らない。私は途切れ途切れに、男の仰々しい名前を反芻した。それと同時に、路地の先でなにやら激しい戦闘音が響いた後、ハッサムと大顎のポケモンが裏路地へと舞い戻ってきた。
「どーやら、あんたのハッサムと俺のハニーが、少し時間稼いでくれたみてぇだな」
 にやにや、という擬態語がふさわしい笑みで、サイリと呼ばれた男が言う。そしてハニーと呼ばれたポケモンを異常なまでのスキンシップでよしよしよしよし、とほめまくる。
「は、ハニー?」
「俺のクチート。愛しのハニーでーす」
 ハニーと呼ばれたクチートはクルルルと鳴く。すまないがその大顎を見てハニーと名付けるそのネーミングセンス……。
 この男、プロトレーナーとか言ったが、ポケモントレーナーというのはこんな訳も分からない危機的状況でもへらへらと笑っているものなのだろうか。
「かわいこちゃん、名前は?」
「かわいこちゃん言うな。……恵」
「メグミちゃん! かわいい名前じゃん! じゃあメグちゃんって呼ぶわ今から」
「はぁ!?」
 なんなんだこのチャラ男は!
「なにを勝手に……!」
「とりま話は後にしようぜ。なーんか、逃げなきゃなんねぇ事情があるみてぇだし? メグちゃんなにやらかしたん?」
「私が聞きたいわ!」
 声を荒げて叫ぶ。だってそうでしょ、こっちはいきなり襲われた身なんだから!
 と、思い出したように腕の中で赤ん坊が泣きじゃくった。私の叫びに驚いたらしい。あ、あーあーーー。こういうときどうすればいい!?
「あー、はいはいよしよしよし……!」
 とりあえずあやすしかない。私が腕の中の赤ん坊をどうにか泣きやませようとしていると、(正直力量はプロと呼ばれるほどのものなのか眉唾なので)“自称”プロトレーナーのサイリは、私と腕の中の赤ん坊を交互に見て……。
「赤ちゃん……だと……!?」
 よくわからない表情とともにそう聞いてきた。なにそれ、顔芸?
「……メグちゃんまさか……子持ち……!?」
「違う」
 全力で否定したのにサイリはひざを地面について打ちひしがれた。そして「合コンで……見かけそうな感じの子なのに……まさか……子持ち……」とぶつぶつ言っている。だから違うっちゅーに。
「偶然この子とハッサムを見つけたから一晩世話しただけ! 私の子じゃないから!」
「よっしゃ!」
 チャラ男復活。
「話はわかった。とりあえずメグちゃんを攻撃する謎の黒ずくめをさっさと撒いちまおうぜ!」
 いきなり威勢(虚勢?)をとりもどした自称プロトレーナーは、腰のベルトからモンスターボール――ポケモンを格納する道具――を取り出し、解放する。
「出番だぜ、レオン!」
 パカン! ボールの開閉音とともに中から現れたのは、オレンジの体をした私の体の数倍はありそうな巨大な犬っころだった。そいつは、わおぉおおんと軽い遠吠えをした後、その体躯からは信じられない甘えた目つきでサイリの体に頬を近づける。が、サイリは手でレオンの鼻を押さえてこう言った。
「悪いなレオン、今はじゃれてる時間はないみたいだぜ!」
 そういうが否や、再三追っ手のポケモンが現れる。どうやら私たちは、複数の追っ手から攻撃を仕掛けられているようだった。このカナズミ郊外でよくもまあこんな目立ったことをする!
「よっと!」
 サイリはひらりとレオンと呼ばれたポケモンにまたがって、私に手を伸ばす。
「俺の自慢のウィンディ、レオンだ。そこらのバイクより早く走るぜ! レッツ、ドライブだ!」
 台詞がいちいち気障だ! そうつっこみたいのをどうにか鋼の精神で押さえ、サイリののばした手をつかみレオンにまたがる。今はともかく、この通りすがりの救世主・自称プロトレーナーのサイリに黙って従うしかなさそうだ。
「レオン、追っ手を撒くぞ! ゴー!」
 わおぉおん。間の抜けた鳴き声とともにレオンが発進した。一歩目を力強く蹴ると、その瞬間いきなり重力をなくしたかのように私たちを乗せたその体は前へ推進しはじめた。迂闊に口を開いていると舌をかみそうだ。
 ハッサムとクチートは、少し遅れてその後を追っている。そしてさらに後方からは追っ手のポケモンたちが迫っていた。
 ウィンディに揺られ、倒れそうになりながらもどうににか私は赤ちゃんを抱えながらバランスを保つことに専念する。
「おっと、前方からもお出ましだぜ……」
「えぇ!?」
 サイリはこの状況でもにやりとした笑みを崩さなかった。トレーナーというのは全員こんな状況に陥っても笑っていられるほどの肝っ玉を持っているのか!? あるいはただのバトル馬鹿!?
「こうなったら……ハニー! 出番だぜッ!」
 主人のかけ声に、チッチィとクチートがレオンの頭を踏み越えて前方へ躍り出た。レオンは頭を踏まれた瞬間情けない声を上げたがこれはあえて無視する。
 前方のポケモンたちは結構な数だ。なのに、ぶら下げた顎以外はこんなに華奢に見えるクチートが、全員を相手などできるのだろうか?
「ちょ、ちょっと! あの子だけで大丈夫なの!?」
「まあみてろって!」
 そういった瞬間、サイリは片耳だけにつけている、キザ度を助長している例のカフスの宝石へ軽く指を触れた。
 そして、叫ぶ。

「いくぜぇハニーぃいいッ! ――メガ進化ッ!」

ものかき ( 2015/01/12(月) 09:34 )