1:巨大鉄赤鋏
ハッサム一匹、赤ん坊一人を拾った。
こういう時は交番へ行けばいいのだろうか。それとも、ポケモンを扱う職業――トレーナーの集う施設であるポケモンセンターとやらへ行けばいいのか、それとも産婦人科? 子育てはもちろんのこと、ポケモンを持ったことすら一度もない一介の大学生である私に、そんなことがわかるはずもなかった。
「……」
「……」
私と赤い鋏ポケモンはお互いに動くわけでも目をそらすわけでもない。相手が攻撃してくることもない。私は不思議と逃げもしない。とてもシュール。うん知ってる。
とりあえず、まずは落ち着いて考えよう。何が起こったのかを整理したい。
私は下宿しているアパートから歩いて五分もしないコンビニへアイスを買いに行っていた。冷たい冬のことである。アイスは冬にこそ食べるものだ。それは譲れない。
それはさておき。コンビニという現在爆発的に普及している万能施設の裏の路地には、業務用の蓋付き巨大ゴミ箱がある。どうやら業務の過程で出てしまうらしいゴミを、収集者が回収にくるまでにためておく指定場所らしい。
そのゴミ箱の横で、私は赤い物体を見つけた。
最初は素通りしようと思っていたが、よくよくみるとそれは人が横たわっているようにも見える。全身に血を浴びた男が壁にもたれっかっていいるのかと思ってギョッとした。ギョギョッ。むしろギョッとしただけですんだ私の精神は果たして女子大生の標準装備なのかと自問自答したりもした。
だ、大丈夫ですか、と持っているアイス入りビニール袋をお供に、おっかなびっくりその物体へ近づく。背にもたれ掛かってぐったりしているらしいその大男、なにかよからぬことを考えている変態であればすぐさま逃げ出そうと考えていた。だが、もしかしたらけが人かもしれないし、そうしたらポケナビで救急車でも呼ぼうかと考えていた。
そしたら、である。赤い物体はいきなり、どう目したかのようにカッと目を見開いて立ち上がった。ビビって数歩後ずさる。これは女子大生として正常な、いや人間として正常な判断だろう。
そしてそのとき初めて気づいた。
あ、こいつ人間じゃねぇ。
頭はぱっくり三本の角が生えてるみたいに割れてるし、背中には羽がついているし、何より両腕から先は手じゃなくて鋏だし。なんだか肩から布を提げていて、中にある何かを大事に抱いているようだけど。
もとより同期からはやれ危機感が欠如しているだの、やれ鈍感だの、やれ人と着眼点が著しく違うだのさんざん言われて続け腹が立っていたが、こりゃ言われても仕方がない。
こいつが人間じゃないと言うことは、結論は一つ。こいつはこの世にすむ人間以外の異形の者――ポケットモンスターの一種だということだ。
おいマジかよ。
そうだとしたらまず私は逃げなければいけないっぽいぞ。
正確な種族名はわからないが、おそらくこれはペットで飼うようなポケモンとは全くもって違う。だって背が高いですよ。手は鋏ですよ。誰が相手したって死にますよ。
とりあえず小学校の授業ではトレーナーでない一般人はポケモンを見たら手を出すなと習う。下手をすれば軽く自分たち人間など死んでしまうからだと意地悪な先生が私たち生徒を脅していたのをよく覚えている。
それはさておき赤い巨大ポケモンである。そいつは腕の中に何かを大事に抱えながら私を威圧するかのように前へ立ちはだかる。完全に腰を抜かす私を見下ろしてる。こいつもしや私を食べるつもりなのだろうか。かなり体は汚れているし所々傷ついている。もしかして近くの森で生きていた野生のポケモンが、腹を空かしてここまで降りてきたのかもしれない。
「か、かかか勘弁してよ……マジかよ……」
腹減ってんの、私じゃなくてアイス食べる? 修羅場の冗談にしてはナンセンスな台詞だが、そんなことを言う暇もないくらいにテンパっていた。私が食べられるくらいならアイスを身代わりにしてその隙に逃げようと考えていた。棒状のアイスの袋を開け、中身を突き出す。
赤い鋏のポケモンからすれば、餌もとい腰を抜かした人間がおそるおそる冷たい何かを差し出したように見えただろう。しばらく棒アイスを凝視していた。が、鋏で器用にアイスをつかむと、手の中の物体が危険物かどうかを調べるSFのロボットのように、角張った動作でそれを顔に近づけた。そして。
ばきっ。
鋏の中でアイスがつぶれた――。
「……」
「……」
アイスの棒が折れる音だった。その後、お互いの沈黙と寒い冬の風が流れる。鋏の中でつぶれたアイスは、破片が飛び散りいくつかはポケモンの顔にかかっていた。
たぶん、鋏の力加減を間違えたっぽい。
「……は、はは……」
とりあえず、目の前で起こったシュールすぎる光景に、のどから笑いを絞り出すしかなかった。
お相手様は、鋏の中でつぶれた甘い物体に興味が失せた様子だった。表情一つ変えずに、何かの旅の荷物らしい布の中身を抱えなおした。例えるなら、昔の忍者の持つ荷物みたいだった。長い布は肩から伸び、腹の辺りで布が広がって中身を入れられるようになっている。ポケモンが人型だから、まさに武者修行をしに来た赤い忍者に見えなくもない。
――……おぎゃあ……おぎゃぁ……。
他に例えるとしたら、昔の人が赤ん坊を抱くための布だろうか。そう、いましがた聞こえた声のように、布の中でおぎゃあおぎゃあと泣く赤ちゃんを屋外でも見れるように作った……おぎゃあ?
「ちょ、ちょちょちょちょっと……ねぇ……」
私はおもっくそビビり腰ながら、立ち上がってポケモンの提げる布の中のものを見ようとした。もちろん、声はその布の中からしてくるのは。これはもしかして、いや、もしかしなくても……。
「まさか、その中に……赤ん坊がいるの?」
赤いポケモン、そう聞いた私のことを数秒凝視した後、首肯。
「に、人間の子供?」
首肯。
「だ、だとしたら、ミルクとか、あげないと、だめなんじゃないの? 世話してる? お母さんは?」
するとポケモンは、おもむろに、鳴き声のする布の中に鋏を入れた。な、なななにを……。と声に出すより前に、鋏で器用に鋏ながら取り出したのは――。
「――ほ、ほ乳瓶……?」
ま、ままままさか。まさかこのポケモンが、人間の赤ん坊の世話をしているとでもいいたいのか……?
「き。君がその子を……?」
首肯。
「布の中で泣いている、その子を……?」
首肯。
「ど、どうやって……」
私がそう聞いた瞬間。
ばきっ。
鋏の中で、ほ乳瓶が割れた――。
*
とりあえず、今すべきことはネットで“ミルクのあげ方”を検索することだと思った次第である。はい。
学校に入学してから一年と半年。今まで一人でしか過ごすことのなかったこのアパートの部屋が、女子大生と赤い鋏のポケモンと赤ん坊で埋まり今は少し狭く感じる。
ほ乳瓶が割れてしまったことで、私を取って食うのかと思っていた鋏ポケモンは、腕の中で泣きじゃくる赤ん坊を家にまで連れていこうとする私の後を黙ってのそのそとついてきた。自分での保育の限界を彼(彼女?)なりに感じ取ったのだろう。
というかふつう無理だろ。誰だこいつに赤ん坊押しつけたバカは。育児放棄だろ。
少し安心したのは、この赤ん坊が見る限りでは元気そうにしていたことか。しっかり泣いているし、新しくあわてて買ってきたほ乳瓶をくわえて、ネット検索で作ったミルクを元気よく飲んでいる。この子がどこの誰かは知る由もないが、ひとまず育児知識ゼロの私が一晩を安心して過ごせる健康状態にあるらしい。
一方の鋏ポケモンは、LEDの明かりに照らされると所々の傷の深さがいやでも目立った。本来なら赤い光沢を放つ鋼のボディ(この材質……鋼……だよな……?)はどこもくすんでいる。何日間も世話をしないとたぶんそうなるんだろう。
どうしてこんな傷を負っているのか、どうして全身埃と汚れだらけになるまで放っておかれているのか。そしてどうして赤ん坊を抱いてコンビニの裏にいたのか。わからないことだらけだがそれを聞く相手があいにくいない。このポケモンが人語をしゃべるわけがないし、ましてや私がポケモンの言葉をわかってたまるかという話だ。
ポケモンは、私が赤ん坊に見よう見まねでミルクをやっている間、そして赤ん坊にげっぷを促している間も、まばたきすら忘れる勢いで私を凝視していた。彼なりの監視なのか、それとも別の意味があるのか。私にはその視線の真意はわかりかねる。私の部屋の隅っこで、打ちひしがれたボクサーのような座り方をしながら、だけど目だけは鋭くして私を見ている。そのポケモンに、私は人間と対峙しているときには感じない得体の知れぬ怖さを感じていた。そりゃそうだ。知らない人を家に上げる方がまだましだ。
正直、ほ乳瓶を盛大に割るというコメディアン顔負けの芸をかました後だから、あまり想像はできないが……。もしかしたら、私が赤ん坊に妙なまねをしたら一瞬で首を掻っ切れるように虎視眈々と様子をうかがっているのかもしれない。だとしたらとんでもないものを拾ってしまったと今更ながら思う。
「あのさ」
赤ん坊はどうやらいつの間に、私の腕の中で寝てしまったようだ。
「明日は、ちゃんと病院か警察かポケモンセンターに行くからさ」
鋏ポケモンは微動だにしない。
「今日はひとまず、私をとって食ったりしないでよね」
ポケモンは首肯した。こいつ、聞き分けがいいな……。
「ええと? “ハッサム・はさみポケモン。ストライクの進化系”?」
“目玉模様のついた鋏を振りあげて相手を威嚇すると、頭が三つあるように見える。羽を使って飛ぶことはできないが、体温の調節はできる”。
「“鋏は鋼鉄を含んでおり、とらえたものはどんなに堅くても粉々に砕く”……うへぇ」
まさか、アイスやほ乳瓶を砕くことになるなんて、このハッサムは想像もしていなかっただろうなぁ。
「“タイプは鋼・虫であり、特性は『虫の知らせ』、『テクニシャン』の二種類。まれにこれとは別の特性を持つ個体も発見されている。”」
pokepediaより抜粋。“虫の知らせ”? “テクニシャン”? わけわからん。生物学むずい。
“ポケモンが傷ついた場合には、スプレー型の傷薬がフレンドリィショップにて廉価で販売されている。個人的なおすすめはシルフ社の――”
「――って、製造会社考察はどうでもええんじゃこんにゃろう」
傷薬考察のタブを無理矢理閉じて、今度は“鋼タイプ 風呂”と検索をかける。
とりあえずこのハッサムには風呂に入ってもらわねばとても臭う。それにきたない。だがこのポケモンの体は全身が鋼鉄である。さびないか一応調べるべきだろう。
なにせこのご時世、すべての情報はネットで入手できるのだから困ったもんである。トレーナーいらないじゃん。
「なになに……? “鋼ポケモンは、無機質の鋼と成分がにているものの、彼らは鋼ではなく“鋼の細胞”を持った“金属生命体”である”。故に、人間が細胞分裂を繰り返し体の組織を保つように、鋼ポケモンも細胞分裂を繰り返しながら鋼の体を保ち、死が訪れるまで錆びることはないのである”。
「“結論。鋼タイプのポケモンは正しい量のポケモンフードを与え、健康を保っていればちょっとのそっとじゃ鋼のボディがくすむことはない。なお、鋼専門のトレーナー、コーディネーターの中ではつや出しのためのワックスを使う者が多”……うぉおああッ!?」
いつの間にか、ポケナビをのぞき込む私の後ろにハッサムが音もなく立っていた。そして、彼もまたポケナビを見ていたのである。
「び、びっくりしたなぁ! もう! 見たいんなら一言いえよ!」
どうやら、このスレは大手販売社のリンクを貼っているらしい。ポケナビにはちょうど、トレーナーの嗜好品らしき鋼ポケモン専用のワックスの画像が並んでいた。左右にスクロールするとどんどん出てくる。手口がえげつないぞデボン社め。
どうやらハッサムは、そのワックスを見たいようで私のポケナビをのぞき込んでいたようだ。
「ふーん、あんたの主人はどれをあんたにつかってんの? 二、三千円の安いものなら買ってもいいけど」
しばらく、私がスクロールしている画像を表情も変えずに眺めていたハッサムだったが、とある商品が流れてきた瞬間、鋏の先を画面へと指した。
「ん? これ?」
“ホウエン地方チャンピオン・ダイゴをはじめとするプロトレーナー御用達商品! メタルコートを開発した会社の、鋼のすべてを知る匠が手で作るワックス! 今なら大特価! ¥60350”。
「ざけんな」
生意気な鋏の腹にタイキックを食らわせた。