Steal 9 確かに届いている
俺は早々に立ち入り禁止の屋上を後にして、見舞いがてらあんさんの様子を見に行く事にした。だが、いざ彼の病室に行ってみるとベッドは空だ。彼がぎっくり腰をこじらせて数日。もう自力で動けるようにはなっているとはいえ、俺が病室に顔を出しても姿が見えない事には少し驚いた。
「あんさんの奴……一体どこへ行ったんだ?」
しかたがない。下手に動いてすれ違うより病室で待っていた方が楽だろう。暫くしたらもどってくるだろうし……。そう思って、俺は手頃な簡易椅子を手元にたぐり寄せてベッドの横に腰掛けた。意識しなくとも勝手にあくびが出てくる。少しばかりの涙を目尻にためるとともに、俺は口元を押さえた。
「あ、ナイル君……!」
と、丁度その時だろうか。俺の背後で聞き慣れた――そしてなぜだか情けないトーンの声が響く。
「ちょ、ちょっと手伝ってくれないかな……」
「なんだ。どうしたあんさん、治りかけの腰をまたぎっくりこじらせたか?」
俺は少々ブラックな冗談も込めてそう言いながら、あんさんの声をした方を振り返る。案の定、そこには痛みから腰を丸めたあんさんと……。
「あ」
「あ……」
なぜか、あのチルタリス――レインの姿があった。
「な、ナイルさん……!?」
「え、なに。君たち知り合いなの?」
チルタリスのレインは俺とアフトの顔を驚きとともに交互に見て、あんさんは逆に俺とレインを交互に見て目を見開いた。
最悪なタイミングで現れてくれたものだ。レインとは昨日初めて鉢合わせたばかりだが、あんさんに見つかるとこれまたあらぬ誤解を受けてしまいそうだからな。
いや、だがそれ以上に俺が驚いたのは、面識は無いはずの二人が俺の視界の中に同時にあらあわれた事だ!
「……なに患者に介護されているんだ、あんさんは!」
そう、二人が視界に入った瞬間は驚きで冷静に状況を判断できなかったが、よく見ると腰を丸めたアフトの手をレインが持っている。これはもう完全に腰がやられて歩けそうにないあんさんをレインが引っ張って上げているようにしか見えない。しかもレインは右の羽が動かないと言うのに……。
するとあんさんは、照れ隠しでもするように顔を赤らめ、後頭部を手で掻いた。
「あ、いやぁ。ちょっと動けるようになったからさ、久しぶりに外の空気を吸おうとおもったらやっぱりぎっくりがぶりかえしちゃった! そしたら偶然通りかかったこのチルタリスさんに助けてもらっちゃったよ。あははは、油断は禁物だね!」
「あ、あの……どうしても放っておけなかったので……すいません……」
「なんで謝るの! すごく助かったよ!」
ぎっくりを二度もやらかしたにもかかわらず爽やかな笑顔でレインに笑うあんさん。俺はもう、何も言えなくなって、黙ってレインからあんさんの身柄を受け取った。
「あんさんはもっと要介護者という自覚を持て! 爽やかに笑いやがって、まったく」
「要介護だろうとそうじゃなかろうと、どんな状況でも爽やかな笑みは絶やす必要はないよ」
「腰丸めた状態で格好付けても全然かっこ良くないからな!」
「あ、すいません、出過ぎたまねを……。あの私もう行きますね」
「あ」
恐らくチルタリスという種族が持てる脚力を最大に駆使して、レインは逃げるようにその場から立ち去った。あんさんが彼女を呼び止める頃には、もう病室から青いリボンのような尻尾も見えなくなっている。
「ちょっとま……ああ、行っちゃった」
その間に俺の手によってベッドに無事収まったあんさんは、なぜかこちらの方を非難がましく見る。
「ナイル君がそんなに怖い顔するからだよ」
「これがデフォルトだって言っているだろう」
「ねえねぇ、彼女とはどういう関係なんだい?」
そらきた、どうしてこう不思議荘の面々は俺が女性と知り合いだとみんなそう聞いてくるんだ。
「昨日すこし病院で鉢合わせただけだ」
「その割に彼女、名前とか覚えてくれているじゃないか、ふふっ」
「笑うな、何が楽しいんだ」
ヒトの顔を見てニヤニヤしやがって。
「彼女の事を追わないのかい? 動けない僕の代わりにお礼を言ってきてくれよ」
「自分で言え! からかうのもいい加減にしろよ」
俺はアフトの対応に、わりと本気で嫌になって低い声であんさんにそう唸ってやった。すると、彼は俺の予想に反して驚いたような表情で目を見開く。
「ちがうよ、からかってなんかいない」
「じゃぁ、なんなんだよ」
アフトは至極真剣な顔つきで、ベッドの上から椅子に座る俺を真っすぐに見る。つぶらな瞳ながら全てを見透かすような視線だ。こうなったあんさんとは俺は目が合わせにくい。
「ほら、ナイル君がバイト先とか不思議荘の人たち以外でよく誰かと一緒にいるのって、物腰丁寧そうなヨノワールさんと、ちょっとおっかなそうなゾロアークさんだけじゃないか」
実に不本意だが、この事実は認めざるを得ない。最近はこれに加え、ちょっと忍者っぽいテッカニンさんとヌケニンさんもいる訳だが。
「ほら、だから。たとえ偶然病院ですれ違っただけだとしても、こういう出会いは大切にしなきゃ」
「……」
「僕は結構嬉しいんだ。健気な君にああいう……ぎっくり腰で困っているヌマクローを見過ごせないような知り合いが増えてくれるとね」
「……あんさん」
「ってことで。僕が直接お礼をしたいから、もう一度チルタリスさんをここへ連れてきてくれないかな」
俺に向けられたアフトの笑顔がまぶしかった。やはり彼は、まごうことなき爽やか好青年だ。
――Steal 9 確かに届いている――
とりあえず俺は、レインが病室から消えた方向へ歩を進める事にした。かなり大きな病院だから、すぐに姿を見つける事は不可能だが、まぁ、俺には足の裏の感覚がある。適当に歩いていればチルタリスの独特の足音を、その感覚を通して見つけられる事だろう。
少し肩の力を抜くくらいの感覚でいよう。そう思いながら廊下の角を曲がろうとした時。
「――こ、今回私はちょっと……」
「ねぇ、そんな事言わないで、お願い……!」
い、いきなりビンゴか……。
足を踏み出して曲がりかけた廊下をあわてて戻り、俺はとっさにその陰に隠れた。そして、そろそろと不審者よろしく先ほど声の聞こえた方をすこし覗いてみる。
ビンゴはビンゴでも、ダブルビンゴだ。いま聞こえた声の前者は、先ほども聞いた細いレインの声だ。この前会った時のような潰れた声からはマシになっているが、まだひどい喉の風邪のような掠れた声は治ってはいない。
そしてもう一方。後者はおどろいたことに――“歌姫”のメロエッタだ。
緑色のながれる髪。黒くて細い足にすらりとしたボディ。間違いない。レコードのジャケットとも一致する、今世を席巻しているあの歌姫だ。今、喉の不調でこの病院に入るとゴシップ記事には書いてあったが、まさかこんなところでお目にかかれるとは。
しかし、二人は面識があったのか?
「一曲だけよ、それに“アクアフェリー”に乗れるし」
「で、でも……私は飛べないし、あなたにもしもの事があったら……」
「大丈夫よ。身辺の警備は万全だもの。ね、だから……」
なにやら、メロエッタのアリアとチルタリスのレインは、もめていると言うほどでもないがなにかの交渉がなされているらしかった。そんな感じのやり取りの後も、しばらくメロエッタの押しとレインの戸惑いが続いていたが、最終的にはレインんが小さくうなずいて折れるかたちとなったようだ。メロエッタはその様子を見届けて、満足そうにステップを踏みながら遠ざかっていく。
“アクアフェリー”という単語は出たと言う事は、数日後のあの船上ツアーのことを言っているに違いない。だとすると、アリアはレインにあの船上ツアーへ誘おうとしていたのだろうか。
しかし、あのメロエッタが喉の不調? そんな風には全く見えないな……。
はぁ、とレインがため息を漏らすのが聞こえた。いつまでも廊下の角に潜んでいる訳にも行かない俺は、改めて出直そうと思って踵を返す。……が、一歩遅かった。彼女が、引き返そうとする俺を目敏く見つけてしまったのだ。ああ、こうなってくるとどうやって声をかけたものか全くシュミレーションしていなかったな。
「あー……」
「……見て、いましたか? いまの」
少しばかりの非難と、少しばかりの悲しさを含まれた潤んだ目がこちらを見る。
「……えーっと」
「見ていたんですね」
「……」
これは、ごまかしきれん……。
*
とりあえず、俺とレインは病院の中庭へ出てベンチに腰掛けた。少しばかり開放感のあるこの空間では、俺たちの話に耳を傾ける者などいないと思ったからだ。内緒話をする訳でもないが、こういう込み入った話はヒトのいないところでやった方が何かと都合がいい。
ただし、屋上は本来立ち入り禁止のため使う事は避けた。あそこに行くと、なぜ立ち入り禁止の場所に悠々とはいる手段を持っているのかという疑問をぶつけられる可能性がある。
少しばかり俯いてベンチに座ったレイン。どうすべきか少し迷ったが、俺はいつも仲介と会話をする時のように、中型のポケモン一つ分の空間を開け、レインの横に腰掛けた。
「……以前、あんたは“歌姫”の歌が嫌いだと言っていたな」
回りくどいことを言っても仕方が無い。俺は彼女がメロエッタといる場面を見てしまったのだ。浮かんだ疑問を口にするしか無い。
「……はい」
「あいつのことが嫌いなのか?」
「い、いえ! 違うんです!」
俺は先ほどのメロエッタ――アリアの姿を思い浮かべた。あの状況からは、あいつの人格がまともか破綻しているか、計る事が出来ない。
「彼女は……」
レインは口ごもる。そして、なにかを言い足そうにしていたが結局何かを言う事もなく萎んでしまった。
「いや、しかし……あのメロエッタが本当にこの病院にいたとは」
ゴシップが騒ぎ立てただけだと思っていたが、実際のところ嘘でもないらしい。アリアはこの病院に通い詰めている。が。やはり病院内でアリアを誘拐するとなると生じるリスクがいくつもある……。
……まずい。一瞬、思考が“黒影”モードになりかけた。いかんいかん。
「そうか、じゃあやっぱりあの歌声は“歌姫”本人のものだったんだな」
「……え?」
ここにきて、初めてレインが芯の通った声とともにこちらを見た。確かに、今俺が言った事は端から聞いたら意味が分からない。
「いや、いつも……病院に見舞いにくると誰かが例のあの歌を、何回も繰り返し歌っているみたいでな」
屋上から微かに聞こえた、あの歌声。悲しげげ苦しそうな感情が見え隠れする、あの歌声。
“折れた翼に羽は無く、共に飛ぶこと叶わぬ鳥よ”――。
「俺は、聞こえてくるあの歌声が、どうしてあれほど悲痛なのか……なのに、どうして歌うのをやめないのかを、知りたいと思っていた」
「聞いていたのですか、あの歌声を……」
「ああ、が、結局のところ。あのメロエッタが病院の中で練習していたか何かだったのかもしれないな」
歌詞がそういう悲痛なものだから、自然と歌声も歌詞に込められる感情とシンクロするのだろう。
レインは以前、そんな苦しく、悲しいだけの歌声が嫌いだと言った。
「俺は……おたまじゃくしなんぞさっぱりわからないが」
だが俺は逆に、そんな救われない歌に、救われない歌詞に、救われない歌声に、自分を重ね合わせていた部分がある。
「やっぱり、歌というのは誰かの心に作用してしまうとんでもないエネルギーがある」
「エネルギー……」
「だから、アンタがあの歌声を嫌いになる理由もわからなくもないな」
「え?」
心に作用するエネルギー。俺はあの曲に自分を重ね合わせしまい、感傷に浸たってやるせなくなるときがある。
「心に作用するあの有り余るエネルギーが、自分の嫌な部分にダイレクトに踏み込んでくるからな」
だが、それでも――。
「それでもなぜか屋上であの曲を待っている自分がいる」
――誰に恋したかって? そりゃおめぇ、“歌姫”にだろォ!
「あの病院の歌声は、俺の耳に確かに届いている」
ああ、ロウ……。俺は確かにあの歌に――惚れている。
だから、柄にも無くこんなに俺が一つの事について言葉を紡いでいるのだろう。
俺はあの歌声を、盗む。
罪深く、だがそれでいて光栄なことだ。
「あんたがあの歌を嫌いになったのも、あの歌のエネルギーに当てられたからかもな」
「……確かに、そうかもしれません」
チルタリスは、俺に水を向けられて表情がこわばったが、ほんの一瞬、今までに見た中で一番穏やかな笑顔を浮かべた。
なんだ、やろうと思えばそんな表情もできるじゃないか。