Steal 4 依頼人
ブイゼルは俺が半分だけ開けた窓を全開にして、俺に中へ入るように促してきた。だがもちろん、部屋へ招き入れられたって素直に従うようなまねはしない。本来なら依頼人なんぞと会話をするのもごめんだったんだ。手っ取り早く用件だけ聞いてさっさと帰りたかった。依頼人と接触したって、きっとろくな事が無い。
「紅茶でもどうですか。あなたが来てくださると聞いて海外から茶葉を取り寄せたのですが」
ブイゼルはベッドの横のテーブルの上のポットを傾けて、二つ分のティーカップにそれを注いだ。俺に紅茶の善し悪しはわからないが、その香りだけで普段喫茶店ででるようなものとはレベルが段違いだという事だけはわかった。俺は窓辺の木の枝に腰を下ろし、幹に背中を預けた。大人っぽい口調で話すそれに取り合う事はしなかった。それがたとえ、打算ではなく本心から俺をもてなそうとしていたとしても、だ。
「用件だけ聞こう」
「……ふふっ、仲介さんから聞いた通りの方ですね」
仲介。その単語に俺は思わず目を剥いてしまった。それを相手は鋭く睨まれたとでも勘違いしたのか、含み笑いをやめて顔だけの微笑みに切り替えた。
「奴からはなんと聞いた」
「“きっとあなたとは無愛想にしか話しませんよ”、と」
「あの野郎……」
ヨノワールめ。いらんことばかりを吹き込みやがって。今度あったらどんな皮肉を用意してやろうか。
俺が内心でそんな悪態をついていると、いったい今の何が面白かったのかまたブイゼルは小さく笑う。だが本来の用件を思い出したのか、手に持っていたティーカップを再びテーブルの上に置いた。そして手を胸に当てる。
「僕はブイゼルのセルドと申します。“黒影”さん、わざわざ来てくださって本当に嬉しいです」
いったいこいつの短い人生に何があったのか、本来ならもっとくだけた口調で世間なんてしらない無礼千万な年頃であるはずのブイゼル――セルドは、丁寧な敬語で自己紹介をした。だけど、なぜそんなに大人びているのか、その疑問をわざわざ聞く必要もあるまい。しょせんは怪盗と依頼主で終了する関係なのだから。
「能書きはいい。何を盗んでほしいんだ」
「はい。僕があなたに盗んできていただきたいもの、それは――」
今まで穏やかに微笑んでいただけの依頼人が、その一瞬だけ表情を曇らせたのを、俺が見逃すはずも無かった。
「――“歌姫”の、歌声」
「“歌姫”の歌声、だと――?」
「はい。その通りです」
このタイミングで“歌姫”の名を出すという事は、やはりその名前が指すポケモンは一匹しかいない。いま世を席巻しているアリアと言う奴に違いないだろう。そいつの歌声を盗め、だと?
「……そいつを攫ってここに連れて来いとでも言いたいのか」
「ご理解がお早いのも仲介さんのおっしゃった通りでしたね」
セルドはそう言いながら、再三教養のある紳士のように手を口に添え小さく笑う。その様がものすごく癪に障った。
「その通りです。“歌姫”をここへ連れてきてください。一度だけでいい、その歌声をまた生で聞いてみたいのです」
「“また”」
気になる言葉を聞き逃すほど俺の耳は腐ってはいない。鋭く、低く、そいつの失言らしきものを反芻してみると彼は微笑したまま黙した。
まぁ、怪盗ごときが興味の無い依頼人の詮索をするのはやめておこう。後々面倒になりそうだ。
「レコードじゃいけないのか」
「と、申しますと?」
「生にこだわる理由が解せない」
「おや、音楽の教養が少しでもある者なら、レコードに吹き込まれた声と生で聞く声……どちらがすばらしいかなど口にする必要すらありませんよ。ねぇ、“黒影”さん?」
「……」
……どうやら俺はこいつを少し見くびっていたようだ、と。俺はそのときのセルドの自信に満ちた表情を見て思った。この若きブイゼル――セルドは、一癖も二癖もあり一筋縄ではいかない依頼人らしい。いや、別に依頼人相手に何かを攻略するわけではないのだが……隙を見せて得をする相手ではない。
「仲介さんからは、僕の依頼が制限時間付きだと聞いているはずですよね」
「……ああ。いつまでに遂行すればいい?」
「そうですね。タイムリミットは――」
こいつは、何から何まで優雅に笑いながらもったいぶる癖でもついているのだろうか。これだから教養のある金持ちって奴は。
「――僕の命が尽きるまで、ですかね」
――Steal 4 依頼人――
「少し、昔の話をしてもよろしいですか?」
「……ああ」
別に拒む理由はなにもなかったので、俺は静かにそう答えた。夜は長い。夜勤の日に比べたらまだまだ眠気など来る気配がない。
「僕は生まれつき心臓に持病を抱えていましてね。そのせいで建物の外に出る事はおろか、ベッドから動けない日々が当たり前の生活でした」
セルドはそんな言葉を前置きに、自身の境遇について詳しく話を始めた。
生まれたときから病院での生活が当たり前だった彼は、幼い頃からの闘病生活に精神的苦痛を強いられていたという。当たり前だろう。健康なポケモンであればまず経験しない苦痛、その辛さたるや俺には想像ができない。
俺も……幼い頃は苦痛だった。に生まれたときから苦労はした。だが、それは決してこいつと同じ種類のものではない。種類の違う辛さを、自分よりかはマシだろうと思い込んで軽視してはいけない。
「すこし動いただけで苦しい、注射も痛い、手術は恐ろしいで……お恥ずかしながらあの頃は荒んでいまして。しかし、そんな僕を救ってくれたのが――“歌姫”の歌だったんです」
セルドがいた病室は、やはりこんな邸宅に住む金持ちなのだから当たり前ながら個室であった。だが、家族がいつも側にいてくれるとまではいかず、一人で過ごす時間も少なくなかった。
しかし慣れというものは恐ろしいもので、そんな生活も数年経てば当たり前の“日常”として受け止めていたという。
本でも読んでいれば一日は過ぎ去りますからね――というセルドの言葉に、なぜこいつがここまで大人びているのか、俺は少しだけ理解した気になった。
「すいません、少し話がそれましたね。で、そんな生活も僕の人生なんだと、そろそろ受け入れられるくらいの年になった頃――出会ったのです、彼女と」
「出会った? “歌姫”に?」
「ええ。……いえ、“出会った”と言うには少し語弊がありますか」
うららかな春の日の午後。いつものように病室にて一人で本を読んでいると、開けていた窓の外から美しい歌声が聞こえてきた――。
「それはそれは、とても清らかな声でした。心が洗われるとでも言いますか」
セルドは、声の表現として自分の口から放った言葉が可笑しかったのか、小さく声に出して苦笑いを漏らした。
俺は沈黙で話の先を促す。
「今までに病室の窓の外から歌なんて聞こえてきた試しなどなかったものですから、思わず窓の外に身を乗り出して声をかけてみたんですよ。『天使みたいだ』ってね、柄にもなく。やはりあの歌声が僕を突き動かしたのもありますでしょうが」
声をかけられた“歌姫”ことアリアは、はじめこそセルドからかけられた声に困惑していたようだったが、彼らが打ち解けて仲良くなるのにそう時間はかからなかったらしい。二人が同年代というのもそれを後押ししたに違いないだろうが。たしか“歌姫”はかなり若かったはずだ。
“歌姫”もセルドと同じように、病室から出られぬのっぴきならぬ理由があったらしい。彼らは毎日、病院の窓から姿の見えぬお隣さんとの会話を楽しんだ。
「ふぅ、病院で灰色の人生を送る僕に訪れた最初で最後の青春と言いますか。お互いに声だけの会話であった筈なのに意気投合しましてね。しかも異性ですし」
そう語るブイゼルの目は、眩しい光を見ているかのようにとても細くなっていた。
幼い頃、病院に世話になっていた歌姫か。俺はふと、今日の昼に屋上で聞いたあの歌声を思い出していた。微かだが美しく、そして芯のこもった歌声を。
「毎日毎日歌っていました。飽きもせずに。まるでなにかにとりつかれたかのように。声が枯れることも珍しくありませんでした。僕は心配したのですが、聞かなくて」
まさか、な。まさか病院でのあの歌声は――。
「まぁ、僕の“青春”とやらもすぐに過ぎ去りました。ある日こつぜんと、彼女はいなくなりましてね」
別の病院へ行ったのか、それとも晴れて退院したのか。それすらもわからずに突然別れは訪れてしまったという。結局一度も顔を合わせる機会もなかったそうだ。
「ということは、“歌姫”の種族を知ったのは彼女がメディアに露出してから、ということか。メディア越しとはいえ数年を経ての“再会”というのもなかなか“青春”だな」
「……」
まずい、いつもの癖で皮肉っぽい言い方になってしまった。いつもならあの仲介が相手だから遠慮をしていなかったが、他のポケモンへ同じように接していたら相手の心をズタボロにしちまいそうだ。
「話は大体わかった。だが、あんたがさっき言った言葉の意味はまだわからんな」
――僕の命が尽きるまで、ですかね――。
セルドは持っていたティーカップをソーサーの上に置いた。陶器の触れ合う音が静かな空間に響く。
「……僕の持病が、この数ヵ月で悪化しました」
「……」
「医者曰く、僕の命は持ってあと一ヶ月程度だとか。まぁ、元々この年齢まで生きられたことが奇跡と言われていたのですが」
まさか、こいつの言うタイムリミットって――。
「なので、“黒影”さん。僕は死ぬ前にもう一度だけ、あのとき病院の窓辺で聞いたあの歌声を生で聞きたいのです。お願いします」
セルドは完全に改まってしまって、俺に向き直ると深々と頭を下げた。
なるほどよくわかった。なぜ、仲介所がここまでの特例措置を許したのか。本来なら直接会うなどあり得ない依頼人と接触させたことも、そして依頼にタイムリミットを儲けたことも。
――全ては、こいつが近いうちに死ぬからだ。
死人に口なしとはよく言ったものだ。俺がこいつの前でどれだけボロをだしたとしても、近いうちに死ぬのであれば問題ないと踏んだのだろう。だからセルドが俺と直接会うことを望んだときに仲介所はそれを許したのだ。
「……胸くそがわるい」
「はい?」
「いや。……報酬は?」
「……」
「報酬」
「は、はい」
俺が同じ言葉を同じ抑揚で言ってやると、セルドはやっと話題転換に追い付いた。すると彼は、いきなりベッドの下に潜り込んだかと思うと、なにやら手のひらに収まる程度の箱(これまたきらびやかな装飾がほどこされている)を手に持ってベッドから這い出てきた。
「この箱の中には、僕の家の全財産の記された通帳が入っています」
「何でそんなものをあんたが持ってるんだ」
「僕がこの家の当主だからですよ」
「……」
金持ちの複雑なお家事情には、俺はあまり口を出さない方がいいだろう。それにしても、こんなに美しい箱に通帳を入れるなどなんと無粋なことをしやがる。
「依頼が成功した暁には、これを箱ごとあなたに差し上げましょう。ああ、ちなみに。この箱を開ける鍵は仲介さんへ預けてありますので、あしからず」
なんとも抜け目のない依頼人だ。
「何か不明な点などは?」
「……いいや」
俺はもたれていた木の幹から背中を離して立ち上がった。怪盗の仕事というのは至極単純なものだ。たとえ依頼人にどんな事情があろうと、盗むものを盗んでくる。
それでいい。
「遅くても一ヶ月以内、出来るなら早くに。あんたの目の前へ“歌姫”を連れてくる。ただそれだけのことだろう」
相当に胸くそが悪い。それだけ吐き捨てて、俺は木から音もなく飛び降りた。
俺は、生きていたかった。
死にたくなかった。
惨めだろうが、苦しかろうが、泣きたくなろうが。
ただそれだけのために盗んだ。当たり前のように盗みを犯し続けた。なりふり構わず、他人を踏みつけてまでも。誰かの大切なものを奪ってでも。
どれもこれも、全ては生きるためにやったことなのだ。
俺は、生きていたかったんだ。
なのに、あいつは。
――僕の命が尽きるまで、ですかね――。
どうしてそこまで淡々と言える? どうして近いうちに来る自分の死を、こうも簡単に受け入れられる? いくら生まれながらに病気だったとはいえ――。
「チッ……くそが」
まだ幼いくせに妙に達観した依頼人も。そして、近いうちに死ぬからと俺に接触を許した仲介所も。
全てが全て。
胸くそが悪い。