Steal 3 “歌姫”
「おや……これは珍しいこともあったものですね」
とある街角のレコードショップの視聴スポットにて、仲介のヨノワールは世にも奇妙な光景を見たかのようにそうぼやいた。そこには、彼と同じような銀のアタッシュケースを脇に置き、ヘッドホンで何かを熱心に聴き入るポケモン――ジュペッタの姿があった。ジュペッタはヨノワールの気配を背後に感じ取ったのか、ふと顔を上げ振り返りヘッドホンを外すと、
「よぉ、ヨノワールじゃねぇか。達者か?」
そう陽気に薄っぺらい片手をひらひらと上げた。そしてヨノワールの表情を一瞬見ただけで顔をくしゃくしゃに歪ませる。
「うへぇ、その様子だと皮肉屋っぷりも相変わらずみてぇだな」
「あなたも、あいかわらず男性勝りの口調っぷりで」
ヨノワールは、“黒影”との会話とは打って変わって何の表情も貼付けないまま低く素早くそう言った。
「なぜあなたがこのような場所に?」
「どうせお前も知ってんだろ、こちとら相棒が殺されちまって今日一日暇になっちまったんだよ」
「しかしなぜまた暇つぶしの場所がここなのですか」
「そりゃぁあんた。これだよ、これ」
ジュペッタは先ほどまでヘッドホンから流していたらしい曲のレコードを手に取ってヨノワールに見せた。そこには黄緑のながれる髪が美しいメロエッタというポケモンが、祈るように歌う姿が写し出されている。
「いま世を席巻する“歌姫”様の声を、さ」
「あぁ」
「なんだよぉ、その反応。お前んとこの相棒、今度の獲物はこいつなんだろ? もっとこうさ……なんか別の反応とかあんだろ?」
「おや、暇なわりにはそういった情報は耳に入れるのがお早いですね」
「たりめぇだ。仲介の情報網なめんな。お前よりかは劣るがこっちも情報収集にゃあ長けてんだ」
「ええ、そこは否定しませんが」
と、ヨノワールは三日月型に細めた眼を光らせる。
「一つ訂正を。彼は私の“相棒”ではありませんよ」
「つれねぇなぁ。お前も結構楽しんでるくせに。“相棒”とのやり取りを」
「私が楽しんでいると思われているとは、心外ですね。彼とはビジネスライクな付き合いを心がけています」
「嘘こけカマトト野郎。そんならお前あんなに皮肉の応酬するかよ」
ジュペッタはそこまで言ってからからと笑った後、ふとその表情を曇らせる。まるで泣き笑いのような自嘲気味の笑みだ。
「うちもさ、ずっとそうしながらあいつと付き合っていくと思ってたんだがよ……」
「あなたの専属は確か、“エネル”でしたね」
ジュペッタの専属である怪盗“エネル”。彼のことは“黒影”ほどではないが名が通っていたのでヨノワールもよく記憶していた。確か種族はデンチュラだったはずだ。
しかし、怪盗“エネル”はつい先日――殺された。
「“怪盗狩り”ですか、仲介所としては厄介きわまりない存在ですね」
「おうよ」
“怪盗狩り”の名を挙げた瞬間、ジュペッタの表情があからさまに歪む。そんな彼女を表情を見たヨノワールは不思議でたまらなかった。なぜそこまで、殺された怪盗の事を思い、殺した相手にそんな顔をするのか。
「あーあ。長年連れ添った“相棒”が無惨に殺されたってのに、明日からはまた別の奴に割り当てられちまうんだろうなぁ、うち」
「あなたは担当の怪盗に感情移入しすぎるのです。最初から感情移入などしなければ、このようなことを引きずる事にもならないでしょう」
「そうだなぁ。いつのまにか、うちも自分が引いていた境界を踏み越えている事に、気づかなかったのかもなぁ」
ジュペッタはあくまでもからからと笑った。泣き笑いのように顔がくしゃくしゃになりながら、それでも涙は流さなかった。まるで長旅に疲れた旅人が、故郷を思うかのような表情をしていた。だが彼女は、ふと真顔に戻ってヨノワールにまなざしを向ける。
「あんたは、できんのかよ」
「なにがでしょう」
「“怪盗狩り”さ、こんどはお前んとこ狙うかもしんねぇぜ。もし殺されたとき、あんたはそうやっていつもみたいに割り切れんのかよ。知らん顔で笑っていられるかよ」
「愚問です」
ヨノワールはばっさりと切り捨てた。だがしかし何かを思い直したのか、その大きな手をあごに当ててこう続ける。
「それに、割り切る、割り切らないなど。そんなことは彼が死んだときにでも考えればよろしいでしょう」
「……はっ、ほーら!」
ヨノワールの言葉に、ジュペッタはさも嬉しそうに両手を叩いて軽快に叫んだ。
「やっぱりあんたも、“相棒”のこと信頼してんじゃねぇか」
「信頼などとは、心外ですね」
「はっ。まあいい。そんな素直じゃねぇお前に、新鮮ほやほやの情報くれてやるよ」
ヨノワールは「はい?」とでも言いたげに怪訝そうな顔つきになる。ジュペッタは至極まじめな顔つきで低くうなるように告げた。
「――あの“煉獄”が、エイミ刑事と手を組んだぜ」
「……ほう」
ヨノワールは興味深い、という風に感嘆の声を上げた。ジュペッタはヨノワールの反応が気に食わないのか、それとも自ら告げたその状況が気に食わなかったのか、ケッと悪態を吐き捨てながら言う。
「戦闘以外に能力が皆無だったあの女刑事が、あの刑事に知識やら経験やら吹き込まれちまったら……お前んところの“相棒”も、さすがにやばいんじゃねぇの?」
「さぁ、どうでしょうね」
ヨノワールは、もう話す事もここにいる理由も無いと判断したのか、アタッシュケースを持ち直してジュペッタに背を向ける。だが、数歩音も無く歩き出した彼はふと足を止め、顔だけ彼女の方を一瞥した。
「どちらにせよ、面白くはなりそうですね」
――Steal 3 “歌姫”――
「あれぇ? プーたろーが“はなうた”なんて珍しいね!」
「えっ」
アフトの入院する事になった病院から不思議荘に戻ってきた俺だったが、そのしばらく後に学校を終えて帰ってきたイーブイ――マルからそんな言葉をかけられた。ちなみにマルは大人たちから入らぬボキャブラリーをぐんぐん吸収しており――それこそ元気な植物が水を吸い上げるかのごとく、だ――俺の事を“プー太郎”と呼ぶのだが、これが何度俺が訂正させても呼ぶのをやめない。
「俺、今鼻歌なんか歌ってたか」
その時になって初めて俺は、自分の鼻からメロディなどという洒落たものを発している事に気づいた。生まれてこのかた、音楽になんて興味も湧いた事が無かったしこれからも湧く事は無いだろうと思っていたのだが。
「そーだよ? 自分で気づかなかったの?」
「……」
どうやら、病院でソプラノの声がずっとループして歌っていたあの曲が、自然に頭の中にインプットされてしまっていたらしい。
こんな恥ずかしいこと、他の奴らならまだしもよりによってマルに聞かれるとは! いや、仲介に聞かれるよりかはまったくもってマシなのだが、それでも恥ずかしい事この上ない。マルに指摘されてやっと、なんだか口と鼻の辺りに違和感を感じて手を持っていった。マルはしばらくそんな俺を見上げながら黙っていたが、何を思ったのか尻尾を振りながら満面の笑みを漏らす。
「ぷくくっ。ぷーたろーってお歌がヘタクソなんだね! 音楽の授業で歌うみんなよりもヘタクソだよ! えっと……そう、“おんち”!」
「ぐっ!?」
どうしてそうお前は覚えた言葉を一回で的確に使えるんだよ。
「うるさいな」
「わーい! 僕はじめてプーたろーに勝てるもの見つけちゃったぁ! あとでママとアフトお兄ちゃんにも教えてあげよーっと!」
「それだけはやめろ!」
あの二人にそれが伝わった日には、それこそ俺が死ぬまで一生からかいのネタにされるに決まっている! そう思ってどうにかマルを捕まえようとしたが、彼は俺の手をするりとすり抜けてきゃっきゃっとテーブルの周りを走り回る。
「おい待てッ」
「わぁ! プーたろーが怒った!」
「――あらあら、二人とも走り回ってどうしたの?」
「げっ……」
最悪のタイミングで、ティオさんが買い物を終えて帰ってきてしまった。俺とマル二人してピタリと足を止める。くそっ、もう少しでマルを捕まえられるところだったのに。
「ママお帰り! ねぇねぇ聞いて!」
「おい、やめ――」
「プーたろーってば」
「話を聞――」
「“はなうた”なんか歌っちゃってね」
「あらぁ」
「ちょっと待――」
「しかもすっごく“おんち”なの!」
「まぁ! ナイル君が音痴ですって!?」
「おいやめろッ!!」
案の定、マルとティオさんから新たに見つけた俺の苦手分野をいじられるだけいじり倒された。ようやっとそれから解放されたのは、ティオさんが俺たちの夜ご飯を作り終えて三人で食べようとしたときだった。親子共々の攻撃ならぬ口撃から解放されたとき、俺は肩で息をするほど疲弊していた。不幸中の幸いなのは、そこにアフトのあんさんがいなかったという事か。これで彼が参戦していたら俺は肩で息をする程度じゃ済まなかったに違いない。
そんななか、ティオさんはテーブルに作った料理を置きながら、ふと今何かを思い出したかのように言う。
「あぁ、そういえば最近凄く流行っているのよね、その曲」
「ん? どういうことだ?」
「最近世を席巻しているアリアという歌手がその曲を歌っているのだけれど。すっごく美しい声をしていて人気急上昇中よ。ナイル君、自分で歌ってたのに知らないの?」
「いや、今日あんさんのいる病院内で誰かが歌っていたのを聞いたのが初めてだ」
「学校でもみーんな歌ってるよ。お兄ちゃんみたいに」
「……」
忘れかけていたさっきまでの恥ずかしい事を思い出させるなよ、マル……。
「音楽に微塵も興味のないあなたが口ずさんでしまうほどなのだから、やっぱりだてに人気じゃないってことねぇ。そう、私もね――」
ティオさんは、ニンフィアの特徴であるリボンの触手を操り、シンクの横にあったエコバッグの中を探って、大きな薄い盤面を取り出した。
「――レコード、買ってきちゃった」
「わぁ! 見せて見せてー!」
マルが目をキラキラさせてレコードに手を伸ばす。ちょうどその目の輝きは、お菓子の付録の怪盗名鑑カードで激レアを引き当てたときと同じようにまぶしい。
「ふーん、そいつがアリアって奴か」
「そう、“歌姫”っていろんなひとから絶賛されてたわね」
そのレコードのジャケットには、メロエッタというポケモンが全面的に写っていた。ああ、確かこのポケモンって歌がうまい種族だったか。
「レコードを買ったって……蓄音機が無きゃ聞けないぞ。そんなもんあったか? この家に」
「パパのがあるわよ。どうせ埃をかぶってるんだから私たちが使ってあげなきゃ」
パパ、というのは文字通りマルの父親にしてティオさんの旦那さんの事だ。不思議荘の二代目大家のはずなのだが、彼は根っからの放浪気質を放っており、旅に出たきりもうずいぶんと戻ってきていない。そんな彼の所有物なら、確かにこの不思議荘のどこかで埃をかぶっていてもおかしくはない。
“歌姫”、アリアか。
病院で歌ってたあのソプラノヴォイスも、相当歌はうまかったが、こいつはそれ以上にうまいのだろうか。
まさか、あのとき歌っていたのがこのメロエッタなんてことは……。
――いや、まさかな。
*
午前零時十分前。依頼人との約束の時間が迫ろうとしていた。
辺りは俺たちの住む住居街とはまるで違い、家の一つ一つが立派に立ち並ぶ高級住宅街だった。やはり俺に名指しで依頼してくるからには、依頼人も相当財力があるだろうとは思っていたが……。
目的の邸宅は、そんな高級住宅街のなかでも一際広い敷地の中にあった。門のセキュリティを肩慣らし程度に解除し、開けずにそのまま飛び越えて敷地内に入る。芝生のひんやりとした感触が足の裏から伝わってきた。どうやら、ここの手入れをする庭師も一流の者を雇っているらしい。芝生を横切り城のような邸宅をぐるりと一周してみたら、数ある窓の中でも明かりが漏れているのは一ヶ所だけであった。午前零時を回ろうと関係なく仕事を続けているであろう使用人の部屋まで暗くして一部屋だけ明るくしているとなると、ご丁寧にも俺へわかるようにそうしているらしい。
明かりが点っている部屋は二階で、その窓へは庭に生える木を伝って上れそうだった。俺は深く短く呼吸をして気を整える。そして仮面をしっかりしていることを確認し、芝生を蹴る。窓へと伸びる枝に着地すると、部屋の中の様子がよく見えた。
黄色い暖かな明かりに映る家具は暖色が多い。きっとどれも盗めば価値のありそうな高級調度品だ。そんな物たちで占められた部屋の中、その真ん中を陣取るベッドにその依頼人はいた――。
なんともまぁ、こんな俺よりも年下のブイゼルだとは!
オレンジを基調とした体にヒレを腕から伸ばしたそいつは、俺の気配に未だ気づかないのか窓ガラスをぞんざいに叩いてやるとやっとこちらを向いた。そして俺の姿を捉えるとゆっくりとベッドから降りて、古い窓の鍵を外す。ブイゼルはその動作だけでも辛いらしく、すこし呼吸が乱れていた。どうやら、彼は若さ相応に息災というわけではないらしい。
俺は窓を開ける。
「……“黒影”さん、ですか……?」
予想していたよりも大人びた声が、そう俺に尋ねた。
「安心しろ、偽物じゃない」