Steal 2 “怪盗狩り”
怪盗と仲介との会話は、なにぶん機密事項のやり取りが多い。いや多いと言うより、こいつとの会話なんぞ事務的なやりとりと皮肉の応酬以外は皆無と言ってもいい。……つまり何が言いたいかって言うと、そういう会話をするときはヒト気の無い場所で行うのが一番だということだ。
俺とヨノワールは病院の中庭から、立ち入り禁止となっている病院の屋上へ移動していた。立ち入り禁止なのになぜ俺たちがそこへ立ち入れたかは怪盗の企業秘密と答えておく。
「何の用だ」
屋上の建物の壁に寄りかかり、出来るだけ抑揚を殺して仲介に問いかける。こいつには、隙という隙を見せてはいけない。すると仲介はにんまりと目を細めてアタッシュケースを地面におきロックを開けた。まるで“そんなことは言わなくてもわかっているでしょう?”とでも言いたげだ。もはやこいつは声を発しなくとも皮肉を飛ばすスキルを身に付けているらしい。
「あなた様にひとつ、早急に処理していただきたいご依頼がございます」
ヨノワールはそのままケースの蓋を開けて書類の束を取り出した。……いつもの依頼よりも若干書類に厚さがある。それをパラパラめくりながら、奴は俺が“いい”とも“悪い”とも言う前にその依頼内容とやらを説明し始めた。
「今回のご依頼はなにぶん特殊な事柄が多くございまして、少し口頭で説明をさせていただきます」
「まだ俺は受けるとも断るとも言っていない」
「……は。あなた様に“断る”という権限はございましたでしょうか?」
「……」
ヨノワールにバッサリとそう切り捨てれた瞬間、俺の頭上から“借金”と字の彫られた要石が落ちてきた。ついでに“肩代わり”という要石もその上から重ねて降ってくる。くそッ、呪ってやろうか父の奴……。
「どうかなさいましたか? 急に静かになられて」
「……父を呪い殺す算段をたてていた」
「それはいけません! 呪い、怨みの類いはは私どもの専門分野でございます! あなた様は怪盗業にご専念いただかないと……」
黙れゴーストタイプ。俺の言葉を嫌味と知っていながら真面目に切り返すんじゃねぇ。しかもにやにやと目元だけ笑いやがって。
「で、特殊な事柄とはなんだ」
「はい、まず第一に。今回の依頼主様なのですが、あなた様との面会をご希望です」
「は?」
依頼主が面会を希望、だと? 本来なら顔を付き合わせるのはタブーに近い俺たちが、か?
依頼主どもはたいてい、誰にも素性を知られることなく怪盗を利用したいから“仲介所” に依頼をするはずだ。それに怪盗も、仲介所以外のポケモンと極力接触しないから警察に捕まりにくいのだ。
それなのに、まさかそんなリスキーなことを依頼人は希望し――。
「――仲介所がそれを許したとでも言うのか?」
「私は申しましたではありませんか。今回は特殊な事柄だらけだ、と」
「……まさか」
仲介所が、俺と依頼人の接触を許可したのか!
「なぜこんな特例措置が下されたかは、依頼人様に会ってみればおのずとわかってくださるかと」
「……」
どうも嫌な予感がする。そう思いながら空を仰ぐと、雲が一つも無く視界一面真っ青で気持ちが悪かった。
できればこの依頼は受けない方がいいと本能が俺に告げている。だが、だからと言って俺に拒否権なんか無いからな……。
「そして第二に。今回のご依頼は制限時間を設けさせていただきます」
「制限時間、だと?」
軽くめまいがした。今回の依頼、難易度があまりにも段違いだ。失敗しろと言っているようなものじゃないか。
「制限時間を設けました理由としましても――」
「――依頼主とやらに会ってみればおのずとわかる、ってか」
「理解がお早く、とても助かります」
仲介は口許だけ歪めて俺に深く一礼した。白々しくて吐き気がする。
「それでは、具体的な依頼内容を説明しましょう」
俺に直接会いたがる依頼人に加え、タイムリミット付きの依頼か。解体できない時限爆弾を懐に抱えたような気分だ。
「と、その前に」
「あ?」
俺がそんなことを考えていると、仲介が何やらいつもと違う声音でそう言ってきた。いつもなら一秒たりとも聞きたくない声だが、このときばかりは聞き流そうにも聞き流せなかった。
「仲介所から“黒影”様へ、“怪盗狩り”の存在を警告いたします――」
――Steal 2 “怪盗狩り”――
「怪盗狩り、ですか」
「そうだ」
エイミが怪訝そうにフレアが放った単語を反芻する。だが彼はそうだと答えたのち、再びなにか考え込むような表情のあと、彼女に向き直る。
「いや、“知ってるか?”なんてタチが悪い聞き方だった。まだこの名は、怪盗課へ正式に報告が上がっていないからな」
二人は示し合わせたかのごとく、同時に血に塗られた現場に向き直った。
「――怪盗狩り。その名の通り、奴は怪盗ばかりを狙う暗殺者だ」
最初の被害が出たのは三ヶ月前。今回のデンチュラと同じように、現場は血の海だったそうだ。被害者には所々に裂傷が無数存在し、だが証拠は何一つ見つからなかった。そこまでは今までの猟奇事件と変わりがなかったが、他の事件との違いが現れたのは、三件目の被害が出てからだった。
「二件目のガイシャも同じように全身の裂傷を負い、それによって現場は血の海だった。だが、三件目のガイシャは、それに加えてある物を握っていた。――少し前に怪盗から奪われたはずの盗品だった」
もしや、この連続する事件の被害者ちは、みな怪盗だったのでは? そう考えたフレアたちは、最初の被害者も含め三人の仏の素性をもう一度洗い直した。するとどうだろう。あろうことか三人はどちらも、ここらでは中々名のある中堅怪盗だったのだ。
「だが、どれだけ調べても犯人の証拠らしい証拠が見つからない。捜査が難航する中で今日、四件目の被害と来た」
「話は大体分かりました。しかしフレア刑事……本官は確かに怪盗課所属ですが、“黒影”を捕らえること以外の事件を捜査したことがほとんどありません。果たして役に立てるか――」
フレアは鋭い眼光を虚空に向ける。まるで、姿すらも分からない“怪盗狩り”を見据えているかのようだ。
「いや、俺が嬢ちゃんを呼んだのはこっちの捜査に協力してほしいからじゃない」
「え?」
「“怪盗狩り”は、怪盗に何らかの私怨か、それに似た感情を抱いている。きっとこれからも怪盗を狙い続けるだろう」
エイミは先程からフレアの言葉に目を白黒させている。だが彼は構わず言葉を続けた。
「ここの地域の怪盗をピラミッド型にしたとき、その中間地点にいる怪盗はすでにほとんどが奴の手にかかってしまった」
フレアがここまで言ったところで、エイミは彼の言わんとすることをやっと察した。彼女はハッと息を飲む。
「……まさか、私が呼ばれたのって」
「そう。これは俺の勘なんだが、“怪盗狩り”の次のターゲットは“黒影”かもしれない」
“怪盗狩り”の尻尾がつかめない今、彼を捕まえるのは絶望的だ。だが“怪盗狩り”が怪盗しか狙わないのであれば、次に狙う怪盗を待ち伏せしていればそこに“怪盗狩り”が現れる。つまり、犯行の瞬間を取り押さえることができるのだ。
「嬢ちゃん、俺を怪盗“黒影”の捜査班に加えて欲しい。そうすれば、おのずと“怪盗狩り”にも接触できるはずだ。もちろん、奴が現れるまでは俺も“黒影”の逮捕を全面的に協力する。悪い話しじゃないだろう?」
確かに、悪い話しではないとエイミは思った。なぜなら、フレア刑事はそれこそ界隈では名の知れた刑事なのだ。“煉獄”のフレアという異名は犯罪者たちにも知れ渡っており、彼を恐れ戦く者たちが多くいるし、刑事たちの中では尊敬のまなざしで見る者もまた多い。フレアは“怪盗狩り”が狙う次のターゲットが怪盗“黒影”ある事を、あくまで自らの勘と言った。だが、たかが勘でもされどベテラン刑事の勘。その言葉を無下に扱う事はできない。
そんな彼が、自らエイミに力を貸そうと言っているのだ。それを断る理由など万に一つも存在するはずがなかった。エイミはしなやかな背筋をピンと伸ばし、直立不動になる。
「その申し出、喜んで受けさせていただきます。本官もまた、“怪盗狩り”と接触した際には全力で逮捕に協力いたします」
律儀な後輩刑事の言葉に、フレアはフッと顔をほころばせる。
「決まりだな。よろしく頼む、嬢ちゃん」
*
ヨノワールが言いたいことだけ言い終えて音も無く消えた後も、俺はしばらく病院の屋上の壁にもたれて座っていた。仲介が説明した依頼の“詳しい話”は、結局依頼人と落ち合う場所と時間についてだけだった。ここからさほど遠くない郊外の邸宅、そこへ深夜零時丁度に待ち合わせという事になった。
いや、依頼の話はこの際どうでもいい。それよりも俺が気にしなくてはいけないのは、詳しい説明を受ける前に奴が告げた言葉の方だ。
『仲介所から“黒影”様へ、“怪盗狩り”の存在を警告いたします――』
“怪盗狩り”。
怪盗の命だけを狙う暗殺者……その素性は一切わかっていない。怪盗もだてに修羅場を掻い潜っているわけではないのだから、戦闘力という点では決して裏社会の中でも劣っているはずは無い。なのにそんな怪盗たちを次々と消し去っていっているのだから、相手は相当な手練、暗殺のプロに違いない。
思わず肺いっぱいに溜め込んでいた溜息が漏れた。
俺の周りには異例なことだらけだ。今までに無い依頼、いままでにない暗殺者。きっとこれから俺も“怪盗狩り”のターゲットとして狙われることだろう。もしかしたら、俺の素性と所在すらも突き止めて、どこでもかまわず襲ってくるのかもしれない。もし、不思議荘にいるときに狙われでもしたら――。
不思議荘の人たちに迷惑をかけないようにと、いち早く怪盗家業から足を洗おうと思っているのに状況は真逆。どんどん裏社会の深みに足を踏み入れてしまっているのか、俺は。
「……チッ」
どうすりゃいいってんだ。なぁ、教えてくれよ。いったい誰のせいだからって、俺はこんな事になっていやがる。
空を見上げたって、舌打ちしたって、誰かに問いかけてみたって。答えなんか誰もくれない。誰も手を差し伸べちゃくれない。やっぱり、自分でどうにかするしかないのか。誰かに頼るなんて――ましてや、不思議荘の住民の誰かに頼るなんて、そんなことは出来やしない。
出来やしないんだ。
「――」
「……ん」
屋上には誰もいないというのに、どこからかかすかに声が聞こえた。声の特徴を表現するにはあまりに安直なボキャブラリーしかなかったが、透き通った奇麗な声をしていた。女性の出すソプラノは、どうやらどこかの病室から風に乗って俺の耳にまで届いたらしい。
しばらく微かな声は断続的に響いてきた。先ほどまで物思いにふけっていてよく聞こえなかったが、少し耳を澄ましてみると、どうやら声の主は歌を歌っているらしい。
なんだ、俺はいまアンニュイだってのに。どこぞの誰かは病室で悠長に歌か。
「……」
ソプラノの声が放つ歌は、しばらくの間途切れる事が無かった。同じ病院内とはいえ、俺のいる場所まで聞こえてくるのだから結構な声量に違いない。なのに歌は止まらない。止まる事を知らない。喉がつぶれたり、枯れたりはしないのだろうか。
低く短調で始まった歌は、盛り上がるにつれて次第に明るく高いメロディへと変わっていく。そして一つのコーラスを紡ぎ終わったと思えば、また同じ曲を延々と繰り返す。歌詞はさすがに聞き取れない。いったいその曲が、誰を対象に、どんな心情を歌っているのかもわからない。
なのに、どうしてか。
その声を聞いた俺は、その曲がどうも切なく、悲しげで、それでもどこかに曙光を見いだそうとしている曲に思えてならなかった。
歌い手の声には、そんな不思議な魅力があった。
「……うまいもんだな」
先ほどまで新たな依頼や“怪盗狩り”のことを考えていた俺だったが、いつの間にか歌い手がその歌を歌い飽きるまで、目を閉じてその声に耳を傾けていた。