Steal 13 奇襲
レインに俺の正体がばれた。いや、無理して楽観的に考えるとしたら、あそこまで至近距離で行動していたのにもかかわらず、このタイミングでやっと俺の正体に気づくなんて……という話だ。
「ナイルさん……どうして、こんな……!」
レインは、目の縁に涙をためていた。今更ながら思った事だが、レインは他のポケモンたちとは違って“怪盗”というものを快く思っていないようだ。犯罪者という本来の尺度で俺たちの事を見てくれている。
それが嬉しいんだか悲しいんだか、俺にはわからなかった。
さきほど、レインは俺……つまり“ナイル”に抱いている感情を成り行きとはいえ話してくれた。たった二回しか会っていない俺をあんなに信頼してくれていたのか。だとしたら、これはとんだ裏切り行為だ……!
――俺は、レインの心を踏みにじったんだ……!
「どうしてッ……!」
こうなってしまえば、彼女に本当の事を喋るしか無い。
「……覚えていないか?」
「えっ……?」
「昔、あんた病院で……窓越しの姿の見えない患者に会っただろう」
俺は、依頼人のセルドの事を喋った。数年前、病院で歌を歌っている窓越しの見えない隣人に『天使みたいな声だ』と声をかけた事。姿が見えないながら仲良くなったものの、ろくに挨拶も出来ないまま病院からこつ然と消えてしまった事。その声の主が後に“歌姫”として現れた事。
依頼人の境遇を話しながら思った。セルドの奴、もしかしたらメロエッタが“歌姫”でないことを、最初から気づいていたんじゃないだろうな……!?
「……俺は、依頼された。昔病室で聞いた“歌姫”の歌声を、もう一度生で聞きたいと」
「……セルド君……?」
どうやら、レインも覚えているようだった。やはり、こいつがセルドの病室の横にいたポケモン……そして、本物の“歌姫”なのだと改めて思い知らされた。
俺は、頭を下げる。
「頼む、俺の事はなんと思ってもらってもかまわん。だが時間が無い。俺と一緒に来て、依頼人に会ってくれ」
「私……」
レインが、そう呟いたきり押し黙ってしまったので俺はとりあえず頭を上げる。もしかしたら、俺とともに来るべきかどうか迷っているかもしれない。
だが、俺には確信があった。ぎっくり腰のあんさんに手を貸した心の持ち主だ。俺の嘘みたいな話も全部の見込んだ上で、恐らく彼女は一緒に来てくれるだろうと。
「……頼む、レイン」
俺が、数歩はなれたレインの方へ歩き出そう足した――その時。
「!」
――殺気!
「伏せろッ!」
「えっ……!?」
俺はレインの元へ駆け出した! それと同時に、海から盛大な水しぶきが上がり、ひとつの影が弾丸のように甲板へ迫る。
姿が見えない! 影は甲板へ着地したかと思うと、その手から一瞬にして飛び道具をレインへ放つ!
「くそッ!」
一瞬の出来事だ、レインは状況を把握すらしていない! 俺は持てる脚力全てを使ってレインを突き飛ばした! 迫る飛び道具、いや! 違う、アレは飛び道具ではなく……!
――ザンッ、と嫌な音がする。同時に、脇腹から伝わる激痛。
「がはぁッ……!」
「きゃっ……!」
や、られた……! 俺に突き飛ばされたレインが甲板へ倒れ込むと同時に、傷口から吹き出る鮮血とともに俺は倒れる。左の、脇腹がやられた……!
「ナイルさんッ……!」
「ハッ……くっ、そ……!」
ひたり、と奇襲をかけてきた何者かがこちらへ近づいてくるのがわかった。だが、立てない……。
――あの存在への警戒はゆめゆめ怠らぬよう、仲介一同よりよろしくお願い申し上げます――。
今更になって、仲介の低い言葉が俺の脳内に鳴り響く。だが、もう遅い……。
激痛で飛びそうになる意識を、精神力でどうにかつなぎ止めながら顔を上げた。目の前にまで迫っていたそいつへ睨みを飛ばす。
そいつは俺の事を氷点下の目で見下ろしていた。すらりと長い手足、その先についた三つの吸盤。赤く光る両目に、真っ青なボディ、そして首に巻いた赤い舌のようなもの――ゲッコウガだ。
……そう、か……貴様が……!
「“怪盗、狩り”……ッ!」
「な、ナイルさん……ッ!」
「来るな、レイン……!」
遠くなりかける意識の中、レインが俺の方へ走り寄ってくるのがわかった。だが、もう目の前に“怪盗狩り”のゲッコウガがいる。俺をかばおうとすれば、即刻レインが斬られる可能性もある……!
攻撃された脇腹を押さえるが、もちろんそんな事をしても出血が止まる訳ではない。俺が受けた技は“水手裏剣”……! 本来ならあまりダメージの無いタイプの攻撃のはずだが、奴の場合全てがポケモンを殺すために特化されている……!
やばい……このゲッコウガは……強い……!
俺はどうにかして、片膝をつくまで体制を立て直した。だが、だとしても……この状況、どうすりゃいい……!?
「怪盗、“黒影”……この世を醜く汚す犯罪者……。憎い敵ながら、我が奇襲から少女を守った事は賞賛に値する」
「……ハッ……くッ……!」
「まぁ、もうまともに意識を保つ事もできぬか」
だめだ、視界に映るゲッコウガに靄がかかってきた……。どうにかして、レイン、だけでも……!
「その……ッ、チルタリス、に、手を出しやがったら……ただじゃ、おか……」
――俺は、ここで……ここで、死ぬのか……?
――Steal 13 奇襲――
「その……ッ、チルタリス、に、手を出しやがったら……ただじゃ、おか……」
ドサッ。ついに意識を手放したナイルがゲッコウガの前で倒れこんだ。レインはその様子に小さく悲鳴を上げて、駆け寄る。ゲッコウガはその様子を感情のこもらぬ瞳で見ていたが、まだとどめを刺す事はしなかった。
自分よりもチルタリスを優先して守った彼への、“怪盗狩り”なりの最後の慈悲だった。
「娘、そやつが助けた命に免じて、一度だけ忠告しよう。そこをどくのだ」
「……」
レインと呼ばれたチルタリスは、ナイルを傷付けた技を持つゲッコウガを前にして全身を震わせていた。だが、彼の胃に反してレインは、ナイルをかばうようにして立った。その様子にゲッコウガは少し目を見開く。
「……なぜ、こんなことをなさるのです? “怪盗狩り”……怪盗を、殺し回っているとでも言うのですか……!」
「知っていれば話は早かろう。貴様も邪魔をするのならそやつと同じ運命を辿る事となるぞ」
「なぜ、他人をあやめるのですかッ! 彼は、あなたに何もしていない……ッ!」
驚いた。気丈な娘は自分が脅しをふりかけても動じずに叫んだのだ。どうやら片側の羽が動かないようだが、弱いからだと違って心は芯のある珍しい娘だとゲッコウガは思った。
「……“怪盗”は犯罪者であるのに野放しにされている。彼らを断罪せねばこの世は腐敗の一途をたどるだろう」
「たとえ犯罪者でも、あやめていい理由にはならないでしょうッ!」
「奴ら“怪盗”が、ただの悪党であれば、な」
「……」
「貴様ら一般人は、“怪盗”という存在に違和感を覚えた事が無いのか?」
「……それは、どういう意味ですか?」
「心の清らかな娘よ、貴様にはわからぬだろうよ」
どうやら、チルタリスは自分の忠告に応じるつもりはいないようだ。彼は早々にレインへと見切りをつけ、“辻斬り”という技を乗せた腕を振り上げる。
「綺麗事ばかりで、この世はよくなりはしない」
そして、ゲッコウガは何のためらいも無く、レインへその腕を振り下ろした――。
「――待てッ!」
まさに、辻斬りがレインへ到達するかと思った瞬間、ドスの利いた声とともにゲッコウガの腕が炎によってはじかれた。新たに迫った奇襲にゲッコウガは一瞬でレイン――正確にはレインの背後にいる何者か――と距離をとる。“怪盗狩り”が距離をとったのと同時に、甲板の入り口からサッと姿を現したのは、片目に傷を負ったヘルガーだった。
「……長い事お前を追ってきたが、やっとお目にかかれるな……“怪盗狩り”!」
腹の底から沸き上がる太い声に、レインは新たな存在への恐怖と安堵とで腰が抜けた。そんなレインの脇を通り過ぎたヘルガーは、倒れているナイルと彼女をかばうように堂々と立つ。
「この“煉獄”のフレアが、貴様を逮捕する!」
*
逮捕、その単語を聴いた瞬間、レインは味方がやっと現れてくれたのだと安堵して泣きそうになった。そんなレインへと、フレアと名乗ったヘルガーが振り返る。
「よう、嬢ちゃん。あんた頑張ったじゃないか。安心しろ、俺は警察だ」
ゲッコウガが再び戦闘体制に入る。フレアはすぐにレインから視線を外して“怪盗狩り”を睨んだ。
「後ろにある甲板の細い道をたどると救命ボートを積んでいるところがある。悪いが“黒影”を連れて逃げてくれ。今回ばかりは、そいつの逮捕もお預けだ」
「ッ……!」
チルタリスは気力を振り絞るかのように息を吸い込み、片方の翼に力が入らないながら、なんとかナイルを担いで少しずつフレアと“怪盗狩り”から遠ざかっていった。
フレアは完全にチルタリスたちの姿が見えなくなるまでゲッコウガを牽制した。そして犬歯を見せてグルルと低く唸る。
「ははぁ、まさか“怪盗狩り”の正体がゲッコウガだったとはな!」
これで、今までの被害者たちを傷付けた証拠が見つからない事にも納得がいった。“水手裏剣”でその命を奪ってきたのであれば、凶器は時間が立てば蒸発してしまう。
「“怪盗を断罪せねばこの世は腐敗の一途をたどる”、だと? よくもまあそんなこと抜かしやがって、貴様らみたいな奴がいるからこの世の中はよくならねぇんだ」
「我らの崇高な思想、貴様などに理解してもらおうなどとは思わぬ」
――“我ら”……? こいつらには仲間がいるのか……?
「どうだっていい。貴様を牢にでもぶちこめば少しは治安もよくなるってもんだ」
「できると思っているのか? 相性ではこちらが有利だ」
「ふん、タイプ相性でなめてかかる青二才が」
お互いににらみ合って、誰が決めたのでもない距離の円に沿いながら一歩一歩とすり足をしつつ相手の出方をうかがう。そして――。
「ッ!」
“水手裏剣”と“火炎放射”が同時に放たれた。鋭利に尖った水の刃が炎を切り裂いてフレアへと迫る。彼は飛び退いた。だが、その隙を縫ってこちらに迫ってくるかと思われた“怪盗狩り”は、なんと甲板の手すりから飛び降りたではないか。
「! 待ちやがれ!」
ザブン、と。ゲッコウガが落ちた海面から水しぶきが上がる。フレアは手すりから顔を下ろしてその様子をしばらく見つめていたが、彼が再び奇襲のために顔をのぞかせる事は無かった。
――逃げられた。
「怪盗ではない俺には用はないって感じだな……」
せっかく訪れた逮捕のチャンスを逃してしまった。だが、今まで手がかりすら得られなかった“怪盗狩り”の種族がゲッコウガだとわかっただけでも収穫だろう。
フレアは、再び甲板から船内に戻るためにきびすを返した。最初は手負いの“黒影”を追おうかとも考えたが、エイミ刑事との合流を優先する事にした。あの実直な刑事が、何か妙な事になっていないか心配だったからだ。
「……次は、逃がさん」
*
「はぁッ……はぁッ……!」
レインは息も切れ切れだった。もともと右の羽が動かない上に、病院生活で体力なんてあったもんじゃない。船には誰も見当たらないし、肩を貸しているナイルの傷口の血が止まらない。彼女の純白の羽は生々しいほどの赤に染まっている。
――このままでは、救命ボートで陸に着く前に……!
「だ、だれか……ッ!」
その時だった。
ブゥン、という低い唸りとともに、レインの目の前に赤目の虫ポケモンと、黒い目をした黄土色の体のポケモンが現れたのだ。
「……主!」
「これは……!」
テッカニンとヌケニンだ。レインは神にでも縋るような形相で、現れた見ず知らずのポケモンに懇願する。
「ああッ、お願いします……ッ! ナイルさんを……ッ、ナイルさんを助けて……ッ!」