Steal 12 正体
メロエッタが歌を披露するはずの中央ホール、そのステージの丁度裏に当たる控室にて、彼女は化粧台の下に隠れていた。場に鳴り響いたあの警報が、彼女の心を完全に萎縮させてしまっていた。動かせない翼ではこの船で何が起こっていても逃げる事なんて出来やしない。そう思い、助けが来るのを安全で暗いこの場所で、息をひそめて待っていようと思ったのだ。
暗い場所でうずくまっていると、ずいぶんと昔の事が自然に思い出された。まだ病院という名の鳥かごに捕われる前。よく両親から冷たい声でこういわれたものだ。
――どうして、お前は飛べない体で生まれてきてしまったのだろう。
――お前は飛行ポケモンとしての恥だ。お前を生んでしまった私たちも共に恥をかくハメになった。
――迷惑をかけないでおくれ。誰にも目のつかない場所で、ひっそりとしているんだ。
そう言われた日は決まって、こうやって薄暗い場所で夜を過ごした。
ベッドの下に隠れたり、机の下に隠れたり。
ひっそりと、言われた通りに。己の体を呪いながら、いつかこんな日々も終わると願いを込めて、大好きな歌に願いを込めて。いつも小さな声で歌った。
「“いつの日か、出会う時を。いつの日か、飛べる時を”……」
だめだ、声が震えてしまう。この船は、一体どうなってしまうのだろう? 果たして、助けなど来るのだろうか? 誰も、自分の存在なんか知らないんじゃないのだろうか?
「誰か……ッ」
恐怖に耐えられなくなって、彼女は小さな叫びを上げた。それと、同時だっただろうか。
バァン、とドアが強く開け放たれる音がした。
音も無く室内へ入ってくる何者かの足下が、化粧台の下に隠れている彼女の視界に入った。鋭く三本に尖った緑色の足が、赤い絨毯を踏みしめる。
――もしかして……。
彼女は、見覚えのあるその姿に思わず涙が溜まる。なぜここにいるのか。どうして助けにきてくれたのか。それとも本当に助けの手かはわからない。それでも、彼女は嬉しくてたまらなくなった。
足音が近づいてくる。化粧台の目の前で歩が止まる。そしてしゃがみ込んだ足音の主は――。
「……そんなところで何をやっている」
「……えっ……!?」
――想像していたポケモンとは違い、目元に黒いマスクをしているジュプトルだった。
――Steal 12 正体――
――いつの日か、出会う時を。いつの日か、飛べる時を――。
「!」
微かだが、例の歌の一節が俺の耳に届いた。俺は慌ててブレーキをかけ、通り過ぎた廊下を後戻りして、歌の聞こえたはずの船室のドアの前に立つ。
ドアには鍵がかかっていた。どうやら本物の“歌姫”がこの中にいるらしいが、警報が鳴ったにもかかわらず船室に鍵をかけて歌を口ずさんでいるらしい。ひどく怯えた声だった。よっぽどロウの鳴らした幻の警報が恐ろしかったらしい。
だとしたら、早く逃げるべきなのではないかというまともな思考が一瞬俺の頭によぎったが、“黒影”の立場としては“歌姫”がまだこの場に残っていてくれるのは嬉しい限りだ。
さっさとかっさらってこの船からおさらばしよう……。
俺は腕を上げる。“リーフーブレード”を使って鍵をぶち壊し、ドアを足で押して船室に進入した。化粧台の下の暗がりから、隠れきれていない青いリボンのような尻尾が見え隠れしている。
「……」
まさか、本物の“歌姫”って……。
俺はしゃがんで化粧台の下を覗き込んだ。すると彼女は、涙を目の縁に溜めながら怯えた様子でこちらを見る。
なんてことだ……。
「……そんなところで何をやっている」
なぜ、今まで気がつかなかったんだ……! 俺は馬鹿な自分の頭を何千回でも叩きたくなった。
――本物の“歌姫”は、レインだったんだ……!
*
「……く、“黒影”……ッ!」
「うおわッ!?」
俺の姿を認めたレインは、一瞬安堵の表情を浮かべたかと思ったが。俺の顔をまじまじと見て……化粧台の下からしゃがんだ俺の体を力一杯突き飛ばしやがった。
あー、そうか。俺はいま“黒影”だったな……。突き飛ばされて盛大に仰向けに倒された俺は、黄色く光る船内の照明を眺めながら認識を改める。ま、ここまで間近に姿を見られて俺をナイルと気づかないレインの鈍感さには感謝しよう。
「な、なにしにきたのですか……!」
レインは警戒心マックスな様子で、俺と距離をとるために全力で後ずさる。まぁどれだけ防御の姿勢をとったところで、出口は俺の背中にあるから逃げる事は不可能なのだが……。
「アリアを……メロエッタを誘拐しにきたのですか……ッ!」
俺を見るレインの目からは、それなりに名の知れている怪盗を羨望している様子など微塵も見受けられなかった。犯罪者を軽蔑する目だ。
「こんなことは、今すぐやめてください……!」
「その台詞、あんたにそのままそっくり返してやるよ。メロエッタが“歌姫”でないことはわかっている。理由はわからんが、お前の歌声を騙って観客を騙していやがるな」
「ッ……!」
レインは黙った。その様子を見て思わず歯ぎしりする。
俺のように犯罪に手を染めている訳でもない。歌であんなに誰かの心を突き動かす奴が……俺すらも耳から離れなくなる歌声を持っていながら、なぜ堂々としない!
なぜ、俺みたいな情けない事をやっている!?
「チッ、くそったれ……」
……いけない。本来の目的を忘れてはいかん。
「一緒に来てもらおう。素直についてくれば手荒なまねはしない」
「い、いやですッ……!」
「……しかたない」
手荒なまねは俺の趣味ではないが、背に腹は代えられん。気絶させて連れて行くしか無いか……。若干後ろめたさも感じつつ、俺が一歩レインの方へ近づいた、その瞬間――。
「――待ちなさいッ! 怪盗“黒影”ッ!」
バァン!
先ほど俺がやったように、乱暴にドアが何者かによって開け放たれたかと思うと、そこから勢い良く船室内に入ってきたのは、ああ、もう本当に、勘弁してくれ……!
「あなたを逮捕しますっ!」
カテツが閉じ込めてくれていたはずのレパルダス――エイミ刑事だった。
「機械操作室に閉じ込められていたはずじゃなかったのか」
「私の戦闘力を舐めてもらっては困るわ! あなたを逮捕するためだったら、鉄の門扉だろうとなんだろうとこの爪で……!」
よく見たら、エイミ刑事の自慢の爪の先が少し欠けている。なるほど、彼女にも警察の意地があったか。……いや、意地などという曖昧な物であの頑丈な扉を壊されても困る。そこはやはり、エイミ刑事が“黒影”専属刑事になれるほどの戦闘力化け物だと評価すべきか。
「か弱い女性を襲おうとするなんて、ポケモンとしても最低な野郎ね! 見損なったわよッ!」
爪を絨毯に食い込ませ、バネのような四肢にググッと力を込め戦闘体制に入ったエイミ刑事。ああ、これはまずいな。
「というか、“見損なった”と言っていただけるほど俺の株はあんたの中で割と高かったのか」
“いただける”を強調しながら俺が言ってやると、エイミ刑事の頬があからさまにカッと赤くなる。どうやら自分の失言に羞恥を覚えているようだ。
「なッ、こ、これは言葉の綾よッ!」
自分の失言に取り乱してくれたおかげで隙が生じ過ぎだ。思わずため息が出てしまうのをどうにか押さえ込み、俺は素早く跳躍してレインの背後に回り“リーフブレード”を使う。ひッ、とレインが恐怖に悲鳴を上げる。そう、俺は“リーフブレード”をレインの喉もとに突きつけたからだ。
ほんとうに、あんたのおかげで手荒なまねをさせてくれるな、エイミ刑事!
「馬鹿なやり取りは終いだ。道を開けろ、こいつの命が惜しければな」
ああッ、もう!! どうしてこうなった! こんな事は俺の趣味じゃないぞッ!
エイミ刑事はただならぬ状況を把握して戦闘体制を解いた。冷や汗をかきながら切羽詰まった声を出す。そこには幾分か、俺に対する失望の眼差しも含まれていた。
「な、何をしているの! 女性を盾にするなんてこの卑怯者!」
誰のせいでこうなったと思っていやがる。
「この外道! 怪盗の風上にも置けないわ!」
「貴様、自分の置かれた状況を理解しているのか? 罵声を放つ暇があるならそこをどけ。こいつがどうなってもいいのか?」
「……ッ」
すいません、本当にお願いします。そこをどいて逃がしてくれるだけで十分です。俺はレインに危害を加えようなんて微塵も思っていません。というか彼女が怯えて声も出ないようなので、出来るだけ早めにどいてください……。
「聞こえなかったのか?」
「……わかったわよ!」
エイミ刑事は一瞬の躊躇あと、四肢の力を抜いて爪をしまった。俺は、刑事が攻撃の意思が無い事を確かに確認した後、レインを引っ張って出口から船室の外へ出た。そしてドアを閉め、レインの喉元につきつけていたこけおどしの“リーフブレード”をドアへ放つ。
ドアは金属音を響かせて、ほんの少しだけひしゃげていびつな形になった。こうしておけばしばらく彼女は出られないだろう。
「はぁ……はぁ……」
こけおどしとはいえ命の危険を感じたレインは、荒い息とともにその場にへたり込んでいた。やはりエイミ刑事の登場があまりにも想定外だとは言え、彼女には大変悪い事をしたと思っている。だが、そんなことを悲観している暇は俺にはない。
再びレインの羽を強引に引っ張って移動を開始した。あとはこいつをつれてボートに乗せれば……。
まったく、とんでもないことになった。
*
俺はレインを連れて、救命ボートが準備されているはずの甲板へ出た。暗闇に染まった夜空は、何事も無かったかのように星が輝いていて、風も穏やかだった。この船の中が既にもぬけの殻なこともあいまって、辺りは波の音以外に聞こえない。見事に静まり返っている。
モズが用意してくれているはずの俺たち用のボートはここから少し歩いたところにある。
甲板へ出たと同時に俺が立ち止まると、レインは怯えきった顔で俺の手を振り払って距離をとった。だめだ、もう、こんなはずじゃなかった……。この分だと俺は、罪悪感でしばらく立ち直れないかもしれない。
「……その、手荒なまねをしてすまなかった」
「ち、近づかないでッ」
レインは自分の身に危機を感じると、とっさに病院の屋上から飛び降りる奴だ。小声下手に刺激をしては、今度は海へ真っ逆さまに落ちるかもしれない。……と思っている側から、彼女は俺からさらに距離をとって甲板の中央にまで出る。気絶させてボートまで運ぼうにも、こうなってくると難しいな。
「……ここは海の上だ。逃げてもどうしようもないぞ」
「あなたのような非道な怪盗に捕まるくらいなら、こんな歌声消してしまった方がいい!」
レインが興奮から自棄を起こしてやがる。これは困ったな。
「他人の物を盗むなんてこと、どうして平気でする事が出来るのですか!」
枯れた喉から無理に大声を出して、目をつぶりながら叫ぶ。そうか、会った時からレインの声が潰れていたのは、病院で何回も歌を歌っていたからか。俺は場違いなこの状況で、今更ながら気づいたことに納得する。
「あなたと同じ種族でも、ナイルさんのように見ず知らずの私を助けてくれたり!」
「……………」
「面倒を見てくださったり! 不器用だけど、私を励ましてくださったり……」
レインが、自分の放った言葉に驚いてまじまじと俺の姿を改めて見る。
「そんな方も、世の中にいると、いうの……に……?」
“黒影”いかに極悪人であるかを説くために放った叫び声は、だんだんとしおれていってついには消えた。かけるべき言葉を失った代わりに、困惑が彼女の顔を支配する。
「あなたは……ナイル、さん……!?」
「…………」
――恐れていた事が、起こった。
「……………」
「……………」
「………“不器用”は、余計だ………」
――レインに、俺の正体がバレた。