Steal 11 プランA
アリアが舞台の中央に立つ。ピアノ伴奏のコロボーシが席に座る。アリアが目を閉じる。コロボーシの腕があがる。鍵盤に向かって降りる。
まだだ。まだゴーは出さない。少し待て。貯めろ。まだ早い。
前奏が始まる。撫でるような出だし、美しいピアノの旋律が響く。イントロで既に息をつくポケモンが出た。メロエッタが息を吸う。
すぐだ。もうすぐだ。行くぞ――。
――仰ぐ空に、雲はなく――
「!?」
待て……。
心臓が跳ね上がった。メロエッタの声。その一瞬、その声が喉からもれ、それがマイク越しに俺の耳へ、そして脳へ届いた瞬間。
「……主?」
モズが敏感に俺の心の異変を感じ取って小さく声を上げた。だが、そんな声にかまっていられないほどの衝撃が、俺の全身を駆け巡る。
「“アルファ”、応答しろッ! してくれ、早く!」
小声で叫ぶ。雑音とともに、音量を最小限に抑えたロウの声が入る。
『どうした、なぜゴーをださねぇ?』
「そいつじゃないッ!」
『はァ……?』
俺たちが小さく会話する間にも、歌姫は両手を組んで歌い続ける。会場中に響く歌姫の声。それを聞けば聞くほど、俺の中の直感が確信に変わっていく。
「“歌姫”の声じゃない!」
『何言ってやがる』
なぜだ! なぜ誰もこの違和感に気づかない!?
「――あいつの声は……。あのメロエッタは、“歌姫”じゃないんだッ!」
――Steal 11 プランA――
「落ち着け、どういう事か説明しろ」
ナイルの声がかなり切迫していた。裏社会での幾多の危機を、持ち前の太い精神で乗り越えてきたゾロアーク――ロウ=スカーレットは無線越しに弟分をたしなめる。
「メロエッタが“歌姫”じゃないィ? じゃあ目の前で歌っているこれはなんなんだ?」
『どうやっているか方法はわからない! だが、これはメロエッタの声じゃない。自分じゃない声を、何かしらの方法で口から出してやがる!』
どういうことだ、とロウは内心で首を九十度に傾げた。改めて、歌っているメロエッタの姿を見るが、どう目をこらしても彼女が口パクをしているようには見えない。だが、怪盗“黒影”としてのナイルがここにきて伊達や酔狂でものを言っているとも思えない。
「俺にはどこからどう見てもメロエッタが歌っているようしか見えねぇ」
仮にナイルの言葉が合っているとして、どうしてナイルだけがそれに気づけたのか? それも疑問だ。ロウはカテツと目を見合わせる。するとカテツは、何かを心得た、と言う風にロウの視界から瞬時に消えた。どうやら、彼なりの方法でナイルの言葉の裏を取りにいったらしい。
「んじゃ、どうしたいんだ? 作戦は中止か?」
小声でそう返して少し辺りを見回してみると、静かにごった返す観客の間で、自分と同じように片目に傷を負ったヘルガーが鋭くこちらを見ていた。
――チッ……。ありゃ“煉獄”じゃねぇか……。なんでこんなところにいやがる!
裏社会でもその名を轟かす敏腕刑事、“煉獄”のフレア。彼がこちらに目を光らせている。作戦を中止にするとしても下手な動きは出来そうにない。
内心で悪態をついたと同時に、カテツが再びロウの目の前に戻ってきた。テッカニンの特性上、素早さは既にポケモンの目にも捉えられないほどになっている。カテツの動きで不審がられるかと思い再び“煉獄”を横目で見たが、彼はまだアクションは起こして来ない。
「主の言葉の意味がわかりました」
カテツの抑揚の乏しい声が、珍しく興奮しているように聞こえた。
「翅で空気の振動を感じ取りましたが、確かにあのメロエッタには違和感がありまする。恐らく、“なりきり”を使っているのではないかと」
「“なりきり”、だとォ……」
――つまり今この瞬間、あのメロエッタは“なりきり”の技で、誰かの歌声を完全コピーしている、ということなのか!?
「信じがたい話ですが、主はそれをあの耳で感じ取ったのかもしれませぬ」
「我が弟の五感には昔から驚かされてきたが、ここまで来ると恐ろしいなァ!」
興奮が押さえきれなかった。ロウは思わず小声で感嘆の叫びを上げる。楽しくなってきた。全身の毛が奮い立つほどに、いま自分は楽しい状況に置かれている。
「ですが、“なりきり”をするにしても、やはり“本物”がそばにいなければ技の効力は発揮されませぬ」
「今この近くに、本物の声の主がいるってェことだな!」
だが、そうなってくると一つ懸念材料が起きる。ロウは興奮した自分をどうにかなだめつつ、無線に小声を吹き込んだ。
「おい、落ち着いて聞け。どうやら、この歌を歌っているのは確かにアリアじゃなく別人らしい。だが、お前んとこの依頼主は、レコードのジャケットに映っているメロエッタという“キャラクター”を連れてきてほしいミーハーなんじゃねぇのか?」
『いや、彼の望みは“歌姫”の歌声そのものだ! だからメロエッタが“歌姫”じゃ無いとわかった今、誘拐する意味などなくなった』
なるほどなぁ、とロウは不敵な笑みを漏らす。
「だが今から作戦を中止するにしても、警察は既に俺たちを不審ポケモンとして見ているらしい」
『まさか! 担当はあのエイミ刑事だぞ!』
「どういうわけか、知恵の回るベテラン刑事がこの場にいやがるんだ」
そう言っているそばから、例の“ベテラン刑事”がポケモンたちの足下を縫って、静かにロウの元へと近づいてきていた。このままでは、もう自分たちがお縄についてしまうのは時間の問題らしい。
『ロウ! お前だけでも逃げてくれ! 万が一お前が捕まったら、“不思議荘”周辺の治安がひっくり返る!』
「焦んな、お前らしくもねぇボロが出てやがるぞ。言っただろ、楽しめ。この状況も」
『そんな悠長な事――』
「聞け。“ベータ”によれば、本物の歌姫は必ずメロエッタの近くにいるらしい」
既にヘルガーは、飛びかかれば触れられてしまうほどの距離に近づこうとしている。ロウはにやりと犬歯を見せ、カテツとうなずき合った。やはりカテツは状況をうまく飲み込んでいてくれる。
「全て手筈通りに行く。俺が場を掻き乱す。てめぇは全力で本物を探せ! そして盗め!」
ロウが叫んだ。そんな彼へ声をかけんと“煉獄”が口を開いた、その瞬間――。
パッ!
全てのスポットライトが消え、辺りが一瞬にして暗闇に包まれた。
*
「なに!?」
全ての照明が一瞬にして落とされ、急に暗くなった辺りにポケモンたちの短い悲鳴が響き渡った。私は、照明係のいるはずの照明操作室の窓へ一瞬だけ目を向ける。
だめだ、いけない! フレア刑事から、「俺が今から“アカ”に接触するから目を離すな」と言われていたのに! 私はあわてて、暗くなってしまった会場のフレア刑事の方に視線を戻した。しかし、既に私の視界の先にスカーレットの姿は無く、代わりにフレア刑事が見失ってしまったゾロアークの姿をきょろきょろと見回していた。
「ど、どうしたのいきなり!」
「も、もしかして、怪盗“黒影”か!?」
一瞬だけ生じた観客たちの不安の波が、瞬く間に広がってざわめきに変わっていく。私のような種族でなければ、いきなり暗くなった会場に目が慣れなくて前後不覚になってしまうから、だからこのざわめきは仕方が無いんだけど……! 私はフレア刑事の方へ走り寄った。
「刑事!」
「だめだ、“アカ”を見失った。しかし、この照明は……」
「“黒影”の仕業でしょうか! 照明操作室で何が!?」
「落ち着け、これは罠かもしれん」
ジリリリリリリリ!
「!」
いきなり当たりに響き渡った警報に、会場が一気にどよめいた。もしかしてこれは、緊急避難の警報!? だけど、私たちが踏みしめている船に異常は全く見られない。誤報? 罠? それとも本当に?
「“黒影”め……姑息なまねを」
フレア刑事は、どうやらこの状況を罠だと思っているようだ。だが、冷静な彼とは違う観客たちはそうも行かない。いきなりの暗転、そして警報に、その不安は一気に爆発しそうだった。
「に、逃げた方がいいんじゃないか……!?」
「この船にいったいなにがあったの!?」
「に、逃げろ!」
ステージ上のアリアさんとコロボーシさんはまだステージ上にいるがおろおろしている。辺りからついに叫び声が響き始めた。
「会場から出るぞ!」
「救命ボートで逃げるんだ!」
「ああ……、まずい、まずいぞ……」
フレア刑事が柄にも無く焦りの声を漏らした。ポケモンたちの後方は既に、閉め切っているはずの会場のドアへと走っていっている者がいる。そして、一人そいういうポケモンが現れたら、その場のポケモンたちは……!
「逃げましょう!」
「おい、行くぞ!」
ポケモンたちが一気になだれだした! フレア刑事は、必死に「待て! 警察の指示に従ってください!」という声を張り上げるが、誰も聞いてはくれない! もしかして、これが“黒影”の作戦!?
「フレア刑事! 本官は、機械操作室に行きます!」
「待て! 恐らくこれは“アカ”のイリュージョンだ! みんな幻影に惑わされている!」
「しかし、もうこの波は止められません! スポットライトが消えたということは、おそらく電気タイプのポケモンたちが“黒影”に気絶させられたのでは!? 今から追えば捕まえられます!」
「消えた照明もイリュージョンの一つかもしれないぞ!」
「“アカ”が“黒影”の仲間だという確証はありません!」
「……」
ポケモンたちが出口へと押し寄せる中、フレア刑事は焦りとともに目を閉じ、数秒後強く見開く。
「わかった! 嬢ちゃんは照明操作室へ行け! 俺は“アカ”を探す!」
「了解しました!」
私は、一気に混乱した会場の出口へと駆け出した。去り際、ステージの方を見るとメロエッタと伴奏者のコロボーシは既に部下の警官とともに避難を始めている。
よし、これで安心して“黒影”を追う事が出来る、機械操作室へ急ぐわよ!
脚力をフルに使って機械操作室へ走る! これが本当の警報か、スカーレットの幻影か、それとも“黒影”が照明係のポケモンを気絶させて警報を鳴らしたか。その正体は行ってみれば自ずとわかる。もともと“黒影”はスタンドプレーの怪盗だ。もし機械操作室にいたら、そのままお縄をちょうだいするまで!
目的の部屋のドアが見えた、私はそこを開け放ち、急いで中に踏み込む。
「大丈夫ですか!?」
暗くなった操作室の中では、やはりデンリュウやピカチュウといった照明係のポケモンたちが倒れていた。やはり、“黒影”によって気絶させられたんだ! 私は足下に倒れているポケモンたちの安否を確認しようとしゃがみ込む。
「許せないわ、怪盗“黒影”!」
こんな非道なやり方に思わずそう言った、瞬間。
ブゥン、という低い翅の音が聞こえたとともに、私の真後ろのドアがバタリと音を立てた!
「しまった!」
一瞬だけドアの窓から紅く光る目が見えた! だがそれもすぐに消え失せて辺りは再び暗くなる。私はドアへ駆け寄って、ドアノブを回してみるけど……。鍵がかかっていてびくともしない! 何回か体当たりしてドアを壊そうとするけど、やっぱり船に使っているドアだけ合って、このくらいでは壊れそうにない。
「もしかして……私、閉じ込められた!?」
――しまった、“黒影”に騙されたッ!!
*
「“ベータ”が、うまくエイミ刑事を機械操作室に閉じ込めたようでございまする」
「よし」
全力で船内を走る俺の横で、モズが嬉しい知らせを届けてくれた。これでひとまず、あの“化け物戦闘力”ことエイミ刑事を無力化する事が出来た。
ロウの幻影で照明を落とし、警報が鳴ったように見せかける。場を混乱させた上で、エイミ刑事がカテツの倒した照明係に気を取られているうちに機械操作室の中に閉じ込める。そして俺はメロエッタを気絶させ、用意しておいた俺たちだけの救命ボートを使い、混乱に乗じておさらばする。それがプランAだった。
“煉獄”とかいうベテラン刑事の登場、アリアが歌姫でなかった事。想定外の出来事が起きつつあるがとりあえず、プランAの変更点は誘拐対象がメロエッタじゃなくなった事だけだ。
場は混乱している。船自体は何ともないのにも関わらず、ほとんどのポケモンが我先にと救命ボートへと向かっているはずだ。……ステージ周辺の“本物の歌姫”がまだ逃げきれていないと祈るしかない。
失敗は許されない。俺は“黒影”のマスクとリングをはめる。
「モズ、俺は大丈夫だ。ボートの準備を頼む」
「ハッ。ご武運を祈りまする」
モズはそう言い残し、ゴーストタイプ特有の溶けるような消え方で場を離れた。
「……」
メロエッタは、歌姫ではなかった。あの病室で聞いた、悲しい歌声の主ではなかった。
だとしたら、本物の歌姫は一体誰だ……!?