Steal 10 一流
『予告状
このたび私、怪盗“黒影”は、“歌姫”の歌声をいただきに参上する。場所はアクアフェリー号。午後八時に予定している“歌姫”の船上公演を犯行開始の合図とする。なお、犯行を行うに当たって、警察やマスコミ各位には多大なる苦労をかける事になるが、そこは職務と言う事で諦めていただきたい。
では諸君、お勤めご苦労。
怪盗“黒影”』
*
『豪華客船“アクアフェリー”号クルーズ〜海上で“歌姫”を聞くツアー〜』のという覚えるのが大変そうな名前のツアーの当日。今日は幸い雲もなく、風も弱く波も低い天候に恵まれた。ホエルオーもゆうに何匹も入ることが出来そうな豪華客船に様々な種族のポケモンたちが乗り込んでいく。私はそんな客たちの表情を、どんな些細な怪しさも見逃すまいと目を光らせていた。
「おいおい、嬢ちゃん。いきなり眼光飛ばしすぎだ」
「ふ、フレア刑事……」
片目だけ開けたヘルガー――フレア刑事が、私の横でそんなことを言う。ちなみに今私たちは客船の搭乗口のひとつに立っていて、警察が敷いた荷物検査を通り抜けていく客たちを見ていた最中だった。怪盗“黒影”が予告状を出してから数日、フレア刑事とともに万全の体制で“黒影”を迎え撃つ準備をしたつもりなのだが……。
「あの、刑事」
私は、自然体で客たちを見送るフレア刑事に尋ねる。
「なんだ」
「こうやって、軽い荷物検査のみでお客全てを通してしまって大丈夫でしょうか? やっぱり、ジュプトル族くらいは見つけ次第捕まえておいた方が……」
「おいおい、そんなことしたら全国のジュプトルが警察に提訴しにくるぞ」
フレア刑事は長年の経験で洗練された少しばかりの含み笑いを漏らしながら言う。
「あの怪盗“黒影”がまさか搭乗口で警察に見つかるようなへまはしないだろう。それに、普段活動している種族がジュプトルとはいえ、正体がジュプトルだとは限らないしな」
「え? ……というと?」
「もしかしたらやっこさんはメタモンかもしれないし、ジュプトルが実行犯で、ブレーンは別にいるかもしれない」
フレア刑事の言葉は、一つ一つがためになる。なぜ彼は怪盗課所属の刑事では無いのだろう。ポケモン殺し担当ももちろん重要な部署だが、彼が怪盗専属の刑事になった暁には、世にはびこる怪盗のほとんどが根絶やしにされるに違いないのに。
「だからこの荷物検査は、“黒影”をこの場で見つけ出すためにやっているわけじゃない」
「え、じゃあ……」
「嬢ちゃん、あれ見てみろ」
え? と私がフレア刑事の顔を見ると、彼は無言であごをしゃくって私に視線を促した。その視線の先にはちょうど、へらへらと笑いながら女性船員に近づこうとする片目のゾロアークを、とんでもない形相で止めにかかるジュプトルが船に乗っていくところだった。
「あれは……」
「ゾロアークの方。あれはヤバいぞ」
フレア刑事が低い声で唸る。
「たしか、彼は……」
「裏社会きっての顔役、“アカ”ことスカーレットだ」
「じゃ、じゃあ! ゾロアークと一緒にいたジュプトルももしかしたら……!」
「それは断定できん。だが、可能性は十分にある。それに、ゾロアーク自体もイリュージョン使いだ。案外“アカ”が“黒影”ってのも十分にあり得るな」
「今なら逮捕できるんじゃないですか?」
「それは無理だ。今行っても、“ツアーを楽しみにきただけ”と言われておしまいだろう」
「じゃ、じゃあどうすれば……!」
思わず声がうわずってしまう私に、まあ落ち着けよ、と年長者特有の余裕な姿勢でなだめられた。
「いいか、犯行予告は“歌姫”の公演時だろう」
「は、はい」
「それまでに、今のゾロアークたちのように怪しい奴らに目星をつけて、時間までに徹底的に調べておけ。彼らの船室の番号、行動パターン、そして本番前にどこにいるか……。ぼろが出るのは犯行の瞬間だ。目星付けた奴らに目を光らせておけば、怪しい行動をしたときにすぐに取り押さえられる」
「なるほど……」
私は、なんて無知だったんだろう……。経験も知識も豊富なフレア刑事と一緒にいれば、今まで捕まえられなかった怪盗“黒影”も、もしかしたら捕まえられるかもしれない……。
――Steal 10 一流――
「ははぁ、ナイルの言った通りだな。本当に堂々と船内に入ることができちまった!」
女性の船員からロウをひっぺがして無理矢理船内に引きずり込んで暫くすると、他のポケモンもいなくなって初めて彼は大声でそう言った。
「よくわかったな、荷物検査といってもそこまで厳しくねぇってこと」
船内への潜入は、どうするか。そういう相談になったとき、俺は迷わず“チケットを使って普通の客と同じように入る”ことを決めていた。
「ロウのおかげで正規のチケットも手に入っている。それに、警察もまさか搭乗口で怪しい奴全てをふるいにかける訳にも行かないだろう。そうなれば全国のジュプトルが黙っていないからな。だったら、下手に別の経路から侵入するより、正面から堂々と入った方がバレにくいだろう。名簿に名前も載るから怪しまれずにすむし」
さすがに、名乗る時は偽名を使ったが……。
「しかし、心配なのはカテツとモズだ。本当に二人はチケットを用意しなくてよかったんだな?」
そう、チケットさえあればこうやって悠々船内に入る事が出来ると言うのに、ロウはこの二人のチケットはとるまでもないと抜かしたのだ。貨物ルートや船員の使う裏口などは、もちろん搭乗口より警備がもっと厳しいだあろう。彼らはどうやって船の中に入るつもりなのか……。
「いいのいいの。あいつらにとっちゃ警察の警備なんて蕎麦の下に敷くザル見たいなもんだからな。“本番”近くになりゃ呼ばなくても来てくれるだろう」
「あいつら……いったい何者なんだ……?」
「ま、それはさておき作戦の最終確認といこうぜ」
そう言って、ロウは鼻歌でも歌いそうな軽い心持ちで船内を歩いていく。途中、何度か通りすがりのポケモンたちに遠目からこちらを見られた。彼らがヒソヒソと小声で何かを喋っているのを見る限り、どうやら裏社会の顔役の一人であるロウのことを話し合っているようである。だが、本人はそんな彼らを見てもどこ吹く風だ。
俺たちは甲板にでた。まだ出航していない事もあってポケモンたちの数も多い。そのほとんどは手に紙テープを持ち、見送りにきてくれている身内へ大声で叫んでいる者たちだ。だがそのおかげで俺たちの会話も周囲の喧噪に溶け込むので、秘密の会話をするのにあまり抵抗が無かった。
「おー、見ろ見ろ! テープを持っている奴らがたくさん! 俺たちも誰かに見送ってもらえば良かったなぁ」
「ロウ、お前……作戦の確認する気、ないだろ」
ロウは俺の嘆きには答えず、長い爪を額に当ててサンバイザーのように日よけを作った。そして港をきょろきょろと見回す。
「お前が住んでるのって“不思議荘”だっけ? 誰か見送りにきてないのかァ?」
「来るわけないだろ!」
このクルーズへは怪盗の仕事としてきているんだ! 不思議荘の誰かを呼んだりして、変に勘ぐられても困るだろう! 特にマルはテレビで大々的に報じられた“黒影”の予告文を、液晶に穴が開くんじゃないかというほど凝視していたと言うのに。僕もアクアフェリーに乗りたい、とせがまれた時はさすがにどうしようかと困ったぞ。
……そういえば数日前レインも、メロエッタにこの船に乗らないかと誘われていたな。俺は、背筋に嫌な予感がして甲板を見渡す。この場でレインと会うのはどうしても避けたい。どんな些細なところから正体がばれるかわかったもんじゃないからな。
陸を見つめていたロウが、怪訝そうにこちらを見る。
「お前何やってんの?」
「知り合いがいないか確かめていた」
「知り合いィ?」
それと同時だろうか、船からひときわ大きい汽笛が鳴り響いたと思うと、ついにアクアフェリーがエンジンの唸りとともに動き出す。逃げ道の無い、海のど真ん中へと滑り出したのだ。
「解せねぇなぁ。なぜそこまで正体を隠すことに神経をすり減らしているんだ? 今や怪盗はエンターテインメントだ、堂々としてりゃ良いじゃねぇかァ。正体がばれたところで警察に通報するようなくそ真面目な正義感を持つようなポケモンは、ここらじゃいねぇと思うし。万が一そんな奴がいたって、お前の戦闘力に叶う奴なんかそうそうでてきやしねぇって」
ロウの口から放たれた言葉に、俺は思わず目を剥いていた。そして平静を装って彼の顔を睨んでみるが、ふざけていると思いきや彼は存外にも真面目な顔をしている。
「バカ言うな、俺は――」
――強くないんだ。
俺は、ロウがお持っているほど強くはない。いつ正体がバレるか、心臓に悪い爆弾でも抱えているかのような心持ちだ。それに、アフトが言ってくれた「レインのような知り合いが出来れば嬉しい」と言う言葉も、俺にとっては胃が痛い。正体のバレる危険のあるポケモンが一人増えるようなもんだ。爆弾の火薬を増やすような行為だ。
だって、俺は……。仲介所に人生を握られている。俺が失敗すれば、害を被るのは俺の大切な人たちだ。正体を知っていたらなおさら、警察、仲介所……彼らに何をされるかわかったもんじゃない。
「俺は……」
グイッ。
俺がロウに言葉を紡ぐ前に。彼は強引に俺の肩を掴んで、甲板の手すりへ引っ張った。
「何しやがる――」
「――見ろ」
ロウは、出航して陸も遠くなりゆく外の景色を見た。肩を組んで、俺に同じ景色を見ろと促した。
「びくびく甲板見回してねぇで、この絶景を見ろ」
海は、傾く夕日で鮮やかに染まっていた。そして、港も。それを見送るポケモンたちの姿も。クラブたちが泡を吐いていた。その色も群青と橙に染まっていて。
「ナイルよぉ。てめぇも怪盗なら、どんな状況でも楽しめよ。正体ばらして、それで誰かを危険にさらすリスク抱えたって……その上で全てを楽しんでみろよ。万が一危険が及んだって、片手ですんなり守ってやれるくらい太くなれよ。仲介所なんかも笑い飛ばせるくらい、余裕かませる心持ちでいろよ」
そしてロウは、お互いの額がくっつくんじゃないかってくらい顔を俺に寄せる。
「なぁ弟よ、それが出来ればてめぇも一流の悪ってもんだぜ」
*
“黒影”の予告では、犯行は午後の八時。このアクアフェリーで最大を誇る中央ホールで、“歌姫”ことアリアが歌を歌う瞬間だという。
公演開始の一時間を切ったところで、まばらだった中央ホールにもポケモンの姿が集まってきつつある。この会場は吹き抜けになっていて、二階からはバルコニー越しにステージを鑑賞することができる。監視をするのであれば、二階も気を抜けない。
と、シャンデリアで照らされた少しばかり暗いこの会場の入り口に、私はフレア刑事の姿を認めた。
「刑事、ご苦労様です」
「ご苦労」
私が敬礼をすると、彼は同じように敬礼で返してきた。片目のヘルガーは年下の部下を相手でも決して礼儀を抜かない。
「アリアさんに会ってきたんですよね?」
「ああ。やっぱり、公演の中止は期待できそうにないな。自分が誘拐されるかもしれないってのに」
フレア刑事は肩をすぼめてため息をつく。
「もっと多くのヒトを、自分の歌声で魅了したいんだと。そのプロ精神は賞賛に値するんだがな……」
「いえ、問題ありません。我々、警官全員で……全力で“黒影”を阻止すれば良い話です」
「ああ、それと……」
不意に、彼の眼光が鋭くなる。
「今もここに潜んでいるかもしれない、“怪盗狩り”の存在にも要注意だな」
そう、フレア刑事が“黒影”逮捕に協力している本来の目的は、既に何人も犠牲者を出している“怪盗狩り”を捕まえるため。もちろん、そちらの方にも注意を向けなければ……。
「手筈通りだ、目星をつけた要注意ポケモンから目を離すな、と全警官に釘をさしておけ」
「ハッ!」
「後、嬢ちゃん」
「はッ」
その場からはなれようとする私を呼び止めるその瞬間だけ、フレア刑事の眼差しが少しばかりゆるくなった。
「くれぐれも、自分の身の事も考えろよ」
*
午後七時五十分。既にホール内には、足の踏み場も無くなるほどのポケモンたちが押し寄せいている。これも全て“歌姫”ことメロエッタのアリアを一目見ようと来た者たちだろう。
パッ、と会場の主たる照明が全て暗転し、入れ替わりにいくつものスポットライトがステージ一点をまぶしく照らす。照明操作室にいる電気ポケモンたちのフラッシュだ。前座としてプログラムに組み込まれたMCがステージに立つ。それだけで辺りは大きな拍手に包まれた。俺はその様子を二階のバルコニーから、ゆっくりと、音の無い歩きで見守る。
まだマスクははめていなかった。ここは人が多い。“黒影”の格好をするにはまだ早いと思った。
と、その時。
「――“ガンマ”、参上つかまつる」
俺の背後で声が上がった。“ガンマ”――ヌケニンのモズが無事にこの船内に侵入して、手筈通り俺の元へ駆けつけてくれたのだ。この分だとカテツの方もうまく潜り込めたに違いない。ロウの言う通り、彼らにとって警察の警備などザルも同然だったようだ。全くもって恐ろしい二人である。
「来たか」
『――“ベータ”が無事にこっちに来た。無線の方は良好か?』
少しばかりの雑音とともに、イヤホン越しにロウの小声が聞こえた。通信の方もトラブルは無い。俺はバルコニーの手すりから一階を見下ろす。ロウは見事に人影に隠れて気配を消しているようだった。赤く燃えるような髪が、ポケモンたちの集まりの大分後ろの方に見える。
「問題ない。手筈通りプランAでいく。“ベータ”、“アルファ”のサポートを頼む」
ブゥン、とロウの無線から翅の音が微かに聞こえた。今のが俺の言葉への了承だろう。
カテツとモズには無線を持たせていない。彼ら曰く、二人はお互いに一心同体で、離れていてもお互いの状況はある程度わかるのだという。つくづく謎の多い二人だ。
……よし。
俺は深呼吸を一つする。
ここまで大人数の協力のもとで仕事をするのは初めてだが、やるしかない。
俺が覚悟を決めて深呼吸を終えた瞬間、辺りが今までに無い喝采で包まれた。
――出た。
赤い絨毯のステージの上に、あのメロエッタが現れた。時刻は午後八時。
犯行開始だ。