Steal 1 アフトの災難
――怪盗。獲物を盗み、巧みにセキュリティを掻い潜る夜闇の住民。そんな彼らの登場が日常と化したこの社会で、若きベテラン怪盗“黒影”の名声は未だに衰えることを知らなかった。
*
いつもなら、目覚まし以上にやかましいヤツが俺の腹にダイブをかますはずだ。なのに、今朝に限っては“目覚まし以上にやかましい”そいつよりもさらにやかましい音で目が覚めるとは思っても見なかった。
――バキッ、ドカッ!
――ぎゃあ!?
「な、なんだ?」
夢うつつの中にいた俺は、普段は滅多な音には起きないはずなにの布団から飛び起きた。派手な爆音よりも音量こそ劣るが、いやに胃を逆撫でする木の崩れる音だ。それに続いて聞こえた声の主は……!
俺は寝不足のだるさも忘れて自室を飛び出した。そして、音のしたであろう廊下へ瞬時に飛び出す。そこには――。
「な、ナイル君! 助けてくれ……!」
「あ、あんさん……?」
ここ不思議荘の住民であるヌマクローのアフト(通称あんさん)の――下半身が、無い。
いや、違う。下半身が無くなったのではなく……埋もれている。どこに? ――階段に、だ。
俺はようやく状況を理解した。
不思議荘の階段の底が、アフトの体重すら耐えられずに、抜けたのだと。
――Steal1 アフトの災難――
「ついに……恐れていたことが起こってしまったのね」
俺が現在身を置く下宿――不思議荘の大家代理を務めるニンフィアのティオさんがほっとため息をついたのは、俺が階段の底に埋もれたあんさんを救出してから五分後のことだ。さきほどの騒動でもちろん俺だけではなく、彼女や、普段の俺の目覚まし役のイーブイ――マルも飛び起きてしまっていて、早朝だと言うのに全員集合という近年まれに見る状況を迎えている。
「不思議荘は年々老朽化が進んでたんだけど、まさかこんなことになるなんて」
不思議荘は築うん十年の木造建築物のはずなのに、なぜかいまになっても崩れそうで崩れないから不思議……の筈だったのだが、さすがにずっとその理屈を押し通すのには無理があったと言うわけか。いや、当たり前だが。
「あいた、いたたたた……」
「アフトお兄ちゃん、大丈夫?」
「いや、ちょっとこれは……だいじょばないかも……」
リビングの椅子に浅く腰掛けながらも、未だに腰を丸めた姿勢から立ち直れないアフト、そんな彼のことを心配するマルだが彼はもう自力ではたてない状況にいた。
「この姿勢から動けないよ。もしかしたら、これは――」
「――あ、マルそれ知ってるー! “ぎっくりごし”っていうんでしょー?」
相変わらずマルは着実にボキャブラリーを増強しているようだった。そんな小学一年生に自らの言わんとすることを先取りされ、いつもの眩しい笑顔も今日だけはひきつるあんさんだった。
「仕方がないな。病院に行こうあんさん」
「下手したら入院かしらね」
「ひゃぁ……勘弁してくれぇ……!」
好青年アフトも、さすがにこの災難には堪えているようだった。
「ねーねー、“黒影”はアフトお兄ちゃんの“ぎっくりごし”、盗めないのかなぁ?」
マルが、世にはびこる怪盗のなかでも、特にお気に入りの怪盗の名を例にしてそんなことを口走った。
「残念だが、さすがにそりゃ無理なんじゃないのか?」
たとえ俺でも、な。
今さら説明もなにも必要ないと思うが、俺たちの暮らすこの社会は怪盗社会だ。様々な盗みのプロたちが日々富豪や権力者から金品や美術品を盗み漁る。人々は怪盗の活動に湧き、ある者は目的のものを盗んでほしいと依頼をしたり、またある者は怪盗観賞を娯楽とする。
そんな社会で、俺は。
ナイルと“黒影”、フリーターと怪盗、日常と非日常、その狭間をフラフラと行き来している。
*
幸か不幸か、今日はバイトもなにも予定がなかったので俺がアフトの病院行きを手伝った。自力じゃ歩けないんだから仕方がない。大の大人であるヌマクローを背中にかついで普段なら近づきもしない大学病院へと連れていく。時々俺たちを好奇(もしくは不審)の目で捉える者がいたが、この際そんなことは気にしていられなかった。
たどり着いた病院で随分と待たされた後、やっと通された診察室で医者が下したアフトに診断はやはり“ぎっくり腰”……しかも二週間入院というおまけ付きだった。
「まったく、もう、勘弁してよね……」
入院先の部屋(個室ではなく他の患者と一緒で、アフトは窓際のベッドだ。)でやっと一息ついたアフトが悲痛なため息をつきながら言った。この事態には、笑顔の眩しいかの好青年も疲れきった様子である。
「まぁそう言うなよあんさん。二週間たてばまた普通の生活に戻れるし、この際たまりきって使ってない有給でも消化してゆっくり休んだらどうだ」
「有給のない君が言うから説得力があるね」
「しがないバイト貧民だからな」
それに、怪盗は自営業のようなものだから有給なんて存在しないし。
それにしても、不思議荘の老朽化はそろそろ見過ごすことができない段階まで来たということか。だが、俺や家族たちは他の家への引っ越しも、不思議荘を取り壊してその上に新しい家をたてることもしたくないだろう。さて、どうしたものか。
「リフォームでもするべき、か……?」
そんなことを考えつつ、俺はなにげなしに窓の外に広がる中庭を覗いてみる。ベンチには治療中と思われる患者がちらほら腰かけていたり、見舞いに飽きてしまった子供がはしゃいでいたりと申し訳程度ににぎやかだった……。
――が、ここにいてはいけない者の姿を、見つけてしまった。
「職の引っ越しなら大歓迎なんだがな……」
「ん? なんだって?」
「いや、なんでもない。すこし散歩してくる」
「――いやいや、いつもの場所へ赴いてみても誰もいらっしゃらなかったので戸惑いまして……。あなた様のお姿を探すのに大変苦労いたしましたよ」
自然と重くなりつつある足取りで中庭へと踏み入れるといつの間にか、でかい図体がゴーストタイプ特有の静けさで俺の前に立ちはだかっていた。
“姿を探すのに大変苦労した”、だと? 笑わせてくれる。こいつら“仲介所”の情報網にかかれば、俺がこの病院にいることはおろか、アフトがぎっくり腰になったことすらも五分後には承知済みのはずだ。
事実、いま目の前にいるでかい図体――不気味に光る一つ目にふくれた腹、そして何をも鷲掴みにする特徴的な手――をしたヨノワールは、俺を見つけても余裕綽々とした挑発的な笑みを浮かべるだけだからな。
「お前と会話なんて一秒たりともしたくない。用件だけを言え。そして消えろ」
「おやおや。壁をすり抜けて病室まで赴くことも出来たのにここで待って差し上げたのですよ。そんな態度でよろしいのですか?」
「……」
アタッシュケースを持ちながら、そんな脅しにも近いことを言うヨノワールに、俺はふっかける言葉を見つけられなかった。いや断じて、俺はこいつの脅しに屈したから黙ったわけではない。
こいつ、真面目な顔しながら壁をすり抜けるようなことをするのか。
*
某所。昼間だと言うのに薄暗い裏路地は、普段なら通りかかるポケモンも皆無だ。だが今日に限ってはここも様々な種族でごった返している。路地を右往左往するポケモンたちは皆、自身が警察だと証明する腕章や首輪を身に付けていた。
そんな彼らを横目で流し見ながら、レパルダス――エイミ刑事はとある疑問を抱いていた。
――なぜ、“黒影”関係以外の現場に私が呼ばれたのだろうか。
怪盗課に所属しており、しかも巷を席巻する怪盗“黒影”の専属刑事であるエイミは、例え能力が高くとも他の案件の現場に駆り出されることはないはずだ。(逆に言えば、能力が低くとも怪盗“黒影”が絡んだ事件なら無条件でお呼びがかかる。)どうやら、ベテラン刑事には、何も知らされずに現場にだけ来てほしいというお呼びが、しかも他の部署からかかったとなれば状況はイレギュラー以外の何物でもない。
それに、先程から鼻が酷い血の臭いでもげそうだ。この先にあるのはきっとむごたらしい現場であることは間違いない。いったい、ここで何が起こっているのだろうか。
そんな不可解な疑問を胸に抱きつつ、彼女はこの現場の主任らしきヘルガーに近づく。彼は左目にお約束のような傷を負ったベテラン刑事で、その手腕は課が違うエイミの耳にも届いているほどだ。確か名前は――。
「――フレア刑事」
エイミが名を呼ぶと種族柄強面なヘルガーは睨みをきかせるように振り返った。もちろん本人からしたらそんなつもりは毛頭無いのだが、幼い子が今の彼をみたら“泣く子も黙る”どころの話ではなくなるだろう。
「初にお目にかかります。怪盗課所属刑事のエイミです」
「“黒影”専属の嬢ちゃんか。フレアだ、よろしく頼む」
と、ここまで言った後、フレアはエイミの表情を一瞥し、それから再び彼女に背を向けた。
「……いろいろ聞きたいことはあるんだろうが、黙ってまずはこれを見てみろ」
「は、はい」
なぜここに自分が呼ばれたのか、その理由を聞きたくてエイミはそわそわしていた。そんな彼女の表情はどうやらベテラン刑事にはお見通しだったらしい。
――こんなことで心の内を見透かされては怪盗にも舐められてしまう……。
彼女はそんなことを考えながら、気を引き締め直してフレアの隣に立った。
「……これは……」
目の前に広がった光景に、エイミはやっと鼻を強く刺激する血の臭いの原因を知ることができた。暫く言葉を紡ぐことができない。狭い路地や壁にまで広がる赤は、ここで誰かが誰かに血潮を迸らせた事実を強く物語っていた。
「今日未明に通報があったから駆けつけたら、なんとも哀れな姿の仏が倒れていた。種族はデンチュラだった」
デンチュラは、電気と糸を巧みに操る蜘蛛ポケモンだ。進化前のバチュルが世界最小のポケモンなのに対し、デンチュラの巨体とそれに見合わぬ素早さは、敵に回したら厄介なことこの上ない。
「遺体はさすがにもうここには置いておけなかったんだがな」
「いったい誰が、こんな惨いことを……」
こんな惨状、きっと事故などではなく誰かにやられたとしか考えられない。と、そこまで思考を巡らせたエイミは、とある一つの仮説にたどり着き顔面蒼白になった。
「ま、まさか……!」
――まさか、“黒影”が!?
自分が呼ばれたからには“黒影”が絡んでいるに違いない。そして目の前にこの事件ということは、やはりそう言うことなのか。
いや、しかし“黒影”は義賊だ。ポケモン殺しをする暇も、リスクを負う理由もないはずだ。それに彼女は彼を追うことで、まさか奴がそんなことをするはずがないと高を括っている部分も少なからずある。犯罪者相手にそう決めつけるなど本来警官であればあってはならないことである。だが刑事と怪盗間には、時間の作り上げた妙な信頼関係というものが確かに存在するのだ。
そんな“黒影”がまさか殺し? そんなこと、怪盗を追う自分への重大な裏切りだ――。
「――あー、嬢ちゃん」
と、フレアの声でトリップしかけていたエイミの思考が現実に引っ張られる。
「は、はい!?」
「犯人が“黒影”である可能性は限りなくゼロに近いと思うぞ」
「あっ……。えっ? な、なぜでしょうか」
先輩刑事の言葉に、(表情に表れてしまっているものの)内心ホッと安心したエイミだが、今度はどうしてそう言えるのかが気になった。
すると、どうだろうか。今まで冷静な表情を保っていたフレアは、ただでさえ怖い印象のある顔の筋肉を歪めて重い空気を醸し出した。
「なぁ、嬢ちゃん――“怪盗狩り”って、知ってるか」