第六十八話 その後 3
――カイとトニアがナハラ司祭の寛大な処置に喜んでいるもう一方で、ミーナはあるポケモンに会うために歩き回っていた。
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ギルド内をうろついていたミーナは、ようやく目的のポケモンを見つけるとその方に近づいていった。
「あの……ルテアさん」
「あ?」
彼は恐らく話しかけてきたのがミーナだと気づかなかったらしく、かなり素をさらけ出した声音で振り向いた。ミーナはその声音に若干後ずさる。
「あ、なんだミーナか。どうしたんだ?」
ルテアはそんなミーナの反応に気づかないまま尋ねる。
「いえ……大したことじゃないんですけど……」
「?」
歯切れの悪いミーナの口調に、若干赤い双眸を細めるルテア。ミーナはしばらくためらうような素振りを見せた後、こう言う。
「私……里に帰ろうと思ってるんです」
「え? 里に……ってことは故郷にか?」
ミーナの故郷は“空の頂”の麓にある“シェイミの里”という隠れ里だ。
「また、なんでだ?」
「……なんというか……」
ミーナが俯く。そうするとルテアの視点からはまるで小さいブーケと会話をしているように感じてしまう。
「あの三匹がNDであんな悲惨な状況になったのを見て、もしかしたら私の里もそうなってしまっているのかと考えると……里が心配になったんです」
「……怖かったか?」
ルテアは静かに聞いた。
「え……?」
「ミーナ自身があれを見て怖いと感じたか?」
「……」
ミーナは答えるのを少しためらった。だが、しばらくすると顔を上げ、「……はい」と答えた。
「そうか……ごめんな」
「えっ……?」
「俺の力が至らなかったせいだ。もう少し頑張っていれば、あるいはあの三人も……」
「そ、そんなことは! ルテアさんは悪くありませんよ!」
ミーナが慌ててそう言うと、ルテアは頭を振る。
「いや……でも、俺は……俺たちはもっと強くならなきゃいけない。だから……ミーナ、里に帰るならひとつ約束してくれねぇか?」
ルテアは決意を込めた表情でミーナを見た。ミーナが緊張しているのが見てとれる。
「里に帰っても、ミーナと俺がお互いに強くなって、また何かあったときに来てくれると約束してくれ! それこそ、NDに打ち勝てるように!こんな中途半端な状態で終わりたくないんだ」
ルテアの言葉で、ミーナの目が見開かれた。そしてすぐミーナ自身もルテアと同じように何かを決意したような表情になる。
「……わかりました、約束します。次に会ったときはお互いに強くなって会いましょう! こんどは、しっかりと救えるように!」
「おうよ!」
二人はお互いに前足を差し出す。そして二人は固い握手を交わした。
★
ルテアとミーナが決意を交わし合う一方で、未だに目を開けないスバルは……。
意識が持ち上がったかと思ったらまた沈む。スバルは、何回も何回もそれを繰り返し感じていた。
まるで宙に浮いているようにフワフワした感触、それから抜け出せたのは何時間経った後だったか。とにかく、いままで軽かったスバルの体が久しぶりに重力を感じ始めたかと思うと、頭痛や傷の疼き等の痛覚やだるさも同時にのし掛かってきた。
そして、ゆっくりまぶたを上げる。
「ぁ……」
最初に見えたのは部屋の天井だった。その事を認めるのにしばらく時間がかかったのか、数回まばたきを繰り返す。
――ここは……どこだろ……?
この天井には見覚えがある。確か、ギルドにある自分たちの部屋ではなかっただろうか? その事がわかると、芋づる式に他の記憶もスバルの脳内に蘇る。
四本柱のエルレイド、攻撃を受けるトニア、そして……。
『――スバル……キミノネガイヲ、カナエテアゲタヨ……』
――ちがっ……ちがう……! 私はっ……!
「――スバル……?」
ふと、彼女のすぐ横で小さい声が聞こえた。この声は、スバルが今一番聞きたかった声だった。
「……カ、イ……?」
スバルは視線だけで声の方を向いた。まだ首を動かすことすら痛みに繋がってしまうからだ。すると、スバルの視界に青い顔が現れる。
「スバルッ……! スバルッ、よかった、目を覚ましたんだね……!」
その目にうっすら涙を浮かべているのを見ると、自然とスバルも喉に込み上げてくるのがあった。
「カイ……わた、し……いきてる……?」
聞き取るのも難しい小さな声だった。カイはスバルが起きる前からずっと握っていた手に力を込めてうなずく。
「うん、うん……! 君は生きてる……! 生きてるよ、スバル……!」
「……っ……ほんと……? 夢じゃないよね……?」
「夢じゃない、君は生きているんだ……! わかるでしょ、僕の手の温もり……」
カイはスバルの握った手に力を込めた。すると、はだの温もりが改めてじんわりと伝わったスバルの目から一筋の涙が流れる。
「……うっ……ううっ……!」
彼女の口から圧し殺した嗚咽が漏れた。その目から、堰を切ったかのように、涙がボロボロと止めどなく流れた。
「わ、わたしっ……! いきてるッ……ひくっ、うぅ……!」
「スバル……」
「怖かった、怖かったの……! 私が、あの傷を受けたときに感じた……自分が生からどんどん遠ざかっていくあの感覚を思い出しただけで……震えが止まらないのっ……!」
カイは黙ってもう片方の手で握っているスバルの手の甲を撫でる。少しでも、あの感覚をまぎらわせてあげるために。
実は、彼女が震えているのを、すでにカイは気づいていた。
「大丈夫……もう大丈夫だよ」
「うぅう……! カイッ……! 私っ、もうカイに二度と会えないと思ってた……!」
「僕はここにいるよ。大丈夫だから、ね」
一度ほぐれた恐怖からの緊張は、簡単にはもとに戻らない。とにかくスバルは泣いて、泣きまくった。涙がボロボロと頬を伝う。
「もう大丈夫だよ、スバル……。泣かないで」
カイはそんなスバルに優しく声をかける。その裏腹で、あるひとつの想いを秘めながら。
――僕が、スバルを泣かせてしまった……。
彼女の涙が伝う度にカイは自分の心が締め付けられた。
「スバル、もう大丈夫だから……もう一度寝た方がいいよ」
「うぅ……! お願い、しばらく側にいて……!」
スバルがカイの手を強く握った。彼はもう片方の手もその手に添える。
「うん、僕はここにいるから安心して」
彼の言葉を受け、スバルは静かに目を閉じた。しばらくすると彼女の深い寝息が規則的に聞こえてきた。
★
「……スバル、僕はね……」
僕は、知らない間に深い眠りについたスバルに話しかけていた。
「君のそばにいれば、強くなれる、頑張れると信じていたんだ。でも……実際は違った。僕は、君といると知らず知らずのうちに甘えてしまう、弱いポケモンなんだ」
僕の手を握る力が少し強くなる。
「僕は強くなりたいんだ、自分の力で。だから……しばらくは……君といられない。――君を……守りたいから――」
僕は、スバルの手をそっと離した。途端に温もりが恋しくなるけど、グッと我慢する。
「ごめん、だから……僕が自分の力で強くなれるまで……見守っていて、スバル」
僕はその場から立ち上がる。
「……おやすみ」
僕は足音をたてずに静かに部屋から出る。出る直前に、もう一度スバルの顔を見ておく。目を閉じて、呼吸をしている。時々、眉を潜める。
――スバル……ごめん。
僕は心の中でそうつぶやく。そして、静かに部屋を出た――。
★
場面は大きく変わる。
NDの限界から発せられた暗紫色の煙――クーガン、バソン、フワライドの魂を乗せた煙は、“眠りの山郷”からかなりの距離を移動していた――。
「――来たね」
ここは“イーブル”の本拠地のとある一室。
最低限の照明以外全ての光源が絶たれたその部屋に、黒い煙は招かれるように入ってきた。その部屋で声を発したポケモンは、影との同化をやめ本体をさらけ出す。――ダークライだ。
「意外と早かったね。これなら順調に集められそうだ」
彼は煙を見ながらそう呟いた。そして、それを撫でるように触れると、煙はダークライの手の中に吸い込まれた。
その時、ちょうどいいタイミングで背後にある部屋のドアが開いた。ダークライがその方を振り返ってみると、そこには宝玉を持ちながら鋭い視線で立っているエルレイド――エルザの姿があった。
「お帰り。意外と早かったね。どうだい? 殺されかけた気分は」
ダークライは何ともないような口調で言った。エルザの神経を逆撫でようとしていることは火を見るより明らかだ。
「……」
だが、エルザはダークライの言葉には取り合わずに宝玉を――投げた。
「おっと」
ダークライは放られた宝玉――“命の宝玉”をキャッチする。
「ちょっと手荒だね。落としたら不味いんじゃないのかい?」
ダークライのわざとらしい非難には取り合わず、エルレイドは部屋から出ていこうとする。すると……。
「君が嫌いなのは、“正義”、そして――“裏切り”」
「……」
ピタッ。
エルレイドの動きが止まった。ゆっくりとダークライの方へ振り返り、その鋭い目を向ける。
「……何が言いたい?」
別段口調も変えずに淡々とそう聞いた。それらの事柄が嫌いだということをエルザは誰にも言ったことがないが、ダークライが他人の心を読めたとしても今さら驚くべきではないし、自分自身そういう風に振る舞っている。誰にそういわれてもおかしくはない。
「面白いよね」
「何がだ」
「だって、普通は他人にそんなこと言えないじゃないか。――君が一番の裏切り者だからね」
ヒュッ。
空気が動いた。ダークライが気づいた時には、エルザは彼の目の前にいる。彼は“リーフブレード”で鋭くした腕をダークライの喉元に突きつけていた。そこまでの動作を、ダークライは目視することができなかった。エルザがほんの少し腕に力を入れれば、ダークライの命は無いだろう。
「……一つ忠告しておく」
エルザは静かに言った。
「ボスの邪魔になるようなことをした奴、もしくは俺の過去の行動に口を出した奴は容赦なく、斬る。……それを覚えておけ」
エルザは言いたいことを言い終わると、ダークライに押し付けていた腕を降ろした。そしてダークライが何かを言う前に、部屋から出た。
「……ククッ」
残されたダークライは暫くすると、肩を小刻みに揺らし始めた。
「これはこれは。大層な忠告だね。
――破ってみたときが楽しみだ――。」