第六十七話 その後 2
――ギルドへ戻ってきたメンバーは、それぞれが他人、もしくは自分自身と“対峙”していた。そして、スバルの部屋から出たカイは……。
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僕はローゼさんに少し休むように言われてスバルの部屋から出た後、そのままギルドの外の丘の上に座って景色を眺めていた。
外はすでに星空が満点に輝いていて僕を照らしてくれるんだけど、それが逆に僕には自分自身がちっぽけな存在のように思えてならなかった。他人がそれを聞いたらちょっとセンチメンタル過ぎると言われるかもしれないけど。
――僕は……これからどうすればいいんだろう……――
言い様のない不安が僕を押し潰すかのように迫ってくる。“もう一人のカイ”の言葉が、苦しむスバルの姿が、そして無力な自分が……僕に“不安”という形で襲いかかってくる。
「……うぅっ……ヒクッ……!」
どこまで僕はちっぽけなんだろう……! 僕はどうしてこんなにも……!
心のなかが不安と一緒に罪悪感で一杯になる。スバルも、トニア君も、“僕”も、こうなったのは僕のせいなんだ……!
「……ごめん、なさい……!」
心のなかにいる“もう一人の僕”に必死に謝る。でも、彼から返事はない。やっぱり、許してくれないよね……!
「カイ……?」
「!」
誰かが背後から僕を呼んだ。僕は慌てて涙をぬぐい、腫れぼったい目で後ろを振り返る。そこには、風でたてがみを揺らしながらルテアさんがたっていた。
「なにやってんだ? こんなところで……。ちょっと寒いじゃねぇか」
彼はそう言いながら僕に寄り添うように座る。今になって外が少し寒いことに気づいた。ルテアさんのおかげで体があったかい。
「……どうした?」
ルテアさんは静かに、僕に向かって囁いた。今までの豪快な雰囲気からは想像できない、優しく暖かい声。
「えっ……と……その……」
「話してみろ。聞いててやるから」
僕がまごついていると、ルテアさんは僕から視線をはずして前を向いた。彼なりに僕が話しやすいようにしてくれたらしい。
「……僕は……」
「ん?」
「……僕は……弱い……。無力でした……」
「……そりゃ、どういうこった?」
「僕は、スバルが……僕のはじめての友達が、仲間が、傷ついて苦しんでいるのに……何もできなかった」
ルテアさんが何も言わないで黙っているから、僕は小さい声で続ける。
「……僕は、自分が弱いのを理由に、知らず知らずのうちにピンチになったら“もう一人の僕”に頼ればいいと……甘えていたんです。でも、実際はなんの解決にもならない。“僕”だって、僕の体を使ったらいつかは壊れる。それに彼にも負の感情があって、僕の甘えに、全部手を施すことはできない。なのに、僕は彼に頼りすぎて彼にひどい思いをさせてしまったんです……」
ルテアさんが“もう一人の僕”のことを知っているかどうかわからなかったけど、溢れ出した感情は止まらない。
「僕は強くならなきゃいけない……! なのに……なのに僕は困ったときには“僕”に頼りっぱなしで実際には何にもしようとしなかったんです! “僕”が『君はこのままでいいのか』って言ってきて……! 僕……いまさらその言葉が身に染みてっ……!! いまのままじゃ、ダメなんだって……!」
「カイ……」
「悔しい……! 僕がなにもしなかったせいで……無力なせいで……スバルが、“僕”が苦しんでるのに何もできなかった自分が悔しい……!」
しゃべっている間に、また涙が喉から込み上げてきて、僕は必死にそれを押さえた。目を擦って耐えようとする。すると……。
そっ……と、静止の意を込めてなのか、ルテアさんが目を擦る僕の手に自分の手を置いた。
「よく聞け、カイ……。お前は……すごいことに気がついたんだぞ?」
「え……?」
すごいこと……?
「お前は、自分の弱さに気がついた。そして、それを悔しいと思ってる。変わりたいと思ってる、そうだろ?」
僕は、弱々しくこくりとうなずく。
「俺にもあった。自分自身が変わらなきゃ……強くならなきゃいけない、と思うきっかけが。それに気づいたときにはとても辛いくて、どうすればいいかという不安に押し潰されそうになる。だが……それに気づいて変わろうとするやつだけが強くなれるんだ、わかるか?」
僕はこくりとうなずく。
「世の中には自分の弱さに気づけない奴はいくらでもいる。だが、カイは気づけた。それはカイが強くなる資格があるってこった。誰にだってできることじゃねぇ。な、だから……」
ルテアさんは尻尾で僕の体を引き寄せた。
「今は我慢しないで泣いちまえよ。強くなるのはこれからだからな。俺は何も言わねぇし、他の誰にも言わねぇから。我慢すんな」
「……!」
ルテアさんの言葉が、ゆっくりと僕の心に染み入る。不安に押し潰されそうな僕の心がだんだんと雪解けのようにじんわり暖かくなると、だんだん僕は涙を我慢することができなくなって……!
「……うっ、うぐっ……うゎっ」
僕は思わずルテアさんの柔らかい体毛に顔を埋めた。
「うわぁあああ! うぅ、ひぐっ、うぁああああああ!! うぅう……!」
ルテアさんは、泣きつく僕に何も言わないで背中をさすってくれた。てっきり僕は、ルテアさんなら『泣くな』と言うかと思っていた。でも、本当は優しい人だった。
僕にはそれが、嬉しかった。
★
しばらく泣いて、自分の感情を吐き出した僕は、ルテアさんと一緒にギルドに戻った。そして、二階に上がる階段の前についたとき……。
「カイ、もう大丈夫だよな」
「はい……。ルテアさん、ありがとうございます」
「ははっ、水くせぇな。じゃ、俺はもう行くからな」
そう言ってルテアさんは先に階段を上がっていった。僕は、しばらく心の中を整理するために深呼吸を数回し、階段を上がる。
スバルのいる部屋の前に行くと、入り口の横の壁にローゼさんが寄りかかって待っていた。僕の姿を確認すると、薄く笑ってそこから退いてくれた。……心なしか、表情が無理をしているように見えるのは気のせいだろうか?
いや、たぶん気のせいだよね。
僕は、ローゼさんに見送られながら、静かに部屋に入った。
「本当に……面白いですね、彼ら“シャインズ”は……」
カイが入っていった部屋の入口を見て、ローゼは目を細めながら呟いた――。
★
僕は朝の陽ざしに瞼を刺激され目を覚ました。どうやら、スバルを看ていたら知らないうちに寝てしまっていたようだ。覚醒しきれていない頭も、まばたきを数回すれば完全に回復する。僕は体を起こして伸びをした。……が。
い、痛い……! 忘れていた……! 僕は背中を怪我していたんだった……! 僕は慌てて腕を引っ込める。
僕がふと横を見てみると、まだ目を覚まさないままでいるスバルの寝顔があった。
「……もうそろそろ朝礼が始まるかな……」
僕はひとまず握っていた手を離し朝礼に向かうことにした。
朝礼はいつものようにラゴンさんが仕切っていた。今日の報告内容は山郷で起きたことの簡単に説明だった。詳しいことはまた後日ということになった。
「――よし、解散!」
ラゴンさんがそういうと、ギルドのメンバーが任務をこなすために各々散っていく。そんな中……。
「あ……あのっ……」
「ん?」
後ろから誰かが小さい声で僕に声をかけてきた。この声は……。
僕は後ろを振り返った。そこには、僕が予想した通りピンクの体をしたムンナ――トニア君の姿があった。
彼はモジモジ、というかオロオロと恐る恐るの真ん中ぐらいの表情で僕を怯えたように見ている。何かを言いたそうにしているが言い出す勇気がないのか、しばらく待っても何も言ってこない。なので、僕は助け船を出すことにする。
「どうしたの……?」
「……ご」
「『ご』?」
僕が先を促すと、トニア君は目の縁に涙をいっぱい溜めて呟くように言う。
「ご、ごめんなさい……。ぼくのせいで、スバルが……」
「……あ」
そうか、あの傷……。
僕が目を覚ましたとき、スバルはすでに腹部に深い怪我を負っていた。だけど、あの傷は本来スバルが受けたんじゃなくて、トニア君が……。
だとしたら、ものすごいことが起こったことになる。冷静に考えてみると、トニア君が受けた傷が、スバルに移動しているなんて、自然の摂理に反することだ
こんなことは、確か前にもあった。そう……サスケさんだ。あの時は、サスケさんの『感情』が移動していた。だけど、今回はトニア君『傷』が……?
スバルの能力は感情の移動だけじゃない――?
それともうひとつ、気になることがある。ローゼさんが、あの時言っていた言葉……。
『やはり……これは でしたか……!』
もともと独り言だったせいか重要な部分が聞き取れなかったが、これだけは間違いない。
ローゼさんは、間違いなくスバルのなにかを知っている。
なぜ、ローゼさんがスバルのことを知っているのだろうか? 知っているとして、それは彼の研究内容である“ニンゲン”と、スバルのニンゲンだった頃の記憶と関係しているのか……。考え出したらキリがない。やっぱり、ローゼさんに直接聞くのが一番早いかな……。
「あ、の……」
「――え? あっ!」
僕はトニア君に呼ばれてハッと我に返った。
いけない。いつの間にか彼をほったらかして考え事をしてしまっていた。
「……スバルが怪我をしたのは君のせいじゃないよ、トニア君」
僕は改めてトニア君と向き合った。そして、こう続ける。
「僕はスバルじゃないからはっきりとは言い切れないけど、スバルなら今の君を見てこう言うはずだよ――『君が無事で、よかった』って……」
「……で、でも……」
「確かに、脅されたとはいえ“イーブル”の計画に荷担してしまったけど、僕が君でも多分同じことをしてた。仲間を守るために」
そう……トニア君は“協力しなければ山郷を消す”と言われたから、やったんだ。僕が同じ立場だったら、恐らく……。
「どちらにしろ、君が悪いかどうかは――君がどんな責任を負うかは、僕が決めることじゃないと思う」
「えっ……」
僕の言葉にトニア君はキョトンとした。すると、背後からいきなり……。
「――あっ! いたいた、トニア君!」
僕でもトニア君でもない声が放たれた。その方を振り返ってみると、そこには受付係のサーナイト――レイさんの姿が。
「トニア君、あなたにお客さんよ」
「えっ、ぼく……?」
噂をすれば、だね。多分あの人だ。
「行ってみよう、トニア君」
「う、うん……」
★
ルペールさんが普段見張り番をしている正門の前に僕らは向かった。するとそこには、ある一匹のポケモン――ピンクの体に、鼻からは不思議な煙を立ち上らせている――が待っていた。
そう、ムシャーナのナハラ司祭だ。
「ぁ……」
その姿を確認した瞬間、トニア君は誰にも聞こえないくらいの小さな声をあげて、僕の背後に回る。
いたたたた!! ま、待ってッ! 背中に触らないでッ!
僕が痛みで密かに背中をよじっていると、ナハラ司祭はゆっくりと僕らに向かって(正確にはトニア君に向かって)近寄る。
「……隠れるんじゃありません、出てきなさい。カイさんが困るでしょう」
「うぅ……」
トニア君は心の底から怯えているらしい、小刻みに全身を震わせる。しかし、それ以上にナハラ司祭の言葉は絶対らしく、僕の背中から出てきた。
「……」
「……トニア、あなたはとんでもないことをしましたね」
「ぐすっ……うぅ」
「あ、あの……トニア君は脅されていたわけで」
「あなたは黙っていてください」
「すいませんっ」
はい、やっぱりそうなりますよね。大人しく黙ってます……。
「……一族の掟は、あなたもわかっていますね?」
「う……は、はい……」
一族の掟……? あんまり穏やかじゃない単語だ……。
ナハラ司祭はさらに、畳み掛けるかのようにこう続ける。
「脅されていようと――それこそ命を落とすことになろうと、宝玉を守り抜くのが私たちの仕事。それを破ったあなたにはそれ相応の処罰を与えなくてはなりません」
うわ……どうしよう。僕じゃどうにもならない? スバルかルテアさんがいてくれたら……。でもこういう時に限って僕以外に誰もいない。そんな中ナハラ司祭はトニア君にこう言い放った。
「そこでトニア……あなたには山郷からの追放を命じます」
「っ……!」
「えぇええ!?」
僕は思わず叫んだ。
そんな! あんまりだよそんなの!! 情状酌量の余地は無いの!?
「……そして」
「え……」
“そして”? これ以上まだなにかあるの?
「あなたには――アリシア様の補佐を命じます」
「えっ?」
「……ん?」
僕らは二人してすっとぼけた声をあげた。一瞬何を言っているのかわからなかったからだ。いや、今でもわからないけど。
「……ど、どういうことですか?」
僕は恐る恐る聞いた。
「アリシア様は自由に浮遊移動ができないお方です。ですから、誰かが補助をして差し上げる必要があるのです。すでにアリシア様には許可をいただきました」
ナハラ司祭は得意気に話した。……ということは、つまりトニア君はずっとアリシアさんの側にいなきゃいけないわけだよね?
それって、ずっとギルドに……僕たちと一緒にいなきゃいけないってこと?
「……これ、喜んでいいんだよね?」
僕が慎重に言うと、怯えていたトニア君の表情がだんだんとほぐれていった。そして笑顔が戻ってくる。
「あ、ありがとうございます!」
「やったね、トニア君! 僕たちと一緒にいられるよ!!」
「うんっ!」
僕らは手を合わせてきゃっきゃとはしゃいだ。追放されちゃうと聞いて一時はどうなるかと思ったけど……よかった! 本当に!
「この度は、私どもが大変迷惑をお掛けしました。トニアを……宜しくお願いします」
ナハラ司祭は僕に向かって頭を下げて言った。
……一瞬、僕じゃない誰かに言っているような、そんな気がしたけど……気のせいだよね。