第六十五話 “願い”
――交錯する想い……。それぞれが葛藤の最中におかれるその近くで、また新たな展開を迎える者が一人……。
★
「トニアッ! しっかりしてッ……!」
私は“カイ”からトニアのそばにいるように言われて、すぐに彼の元へ走り寄った。走ったと言っても、私が背中に受けた傷が思ったより深いせいで歩く速度と何ら変わりはなかった。トニアに駆け寄った私は、必死にその名を叫んだ。だって……!
「うぅ……」
「トニアッ! こっち見てよッ! 目を開けてッ!」
あのエルレイドの“リーフブレード”がトニアのお腹に深い傷を負わせた。そのせいでそこから血が止まらないし、目も虚ろでとても危険な状況なの……! 私は他人を回復させる技なんか持ってないから、トニアを直せるとしたら彼の“波導”しかない。
「“カイ”……!」
私は思わず彼の名を呟いた。
早く……! 早く来て……! 今の私には、必死にトニアの名を呼ぶことしかできない。せめてトニアが意識をどうにか保っていられるように……!
「トニア……! 目を閉じないでよ……ッ!」
「……ス、バル……」
「! トニア!? そ、そうだよッ!! 私だよ! スバル! わかる!?」
トニアが半分閉じきったまぶたから焦点の合わない目を覗かせて静かに私の名を呼んだ。よかった、まだ意識がある……!
「トニア! 大丈夫だからねッ!? もうちょっとで助けが来るから! それまでの辛抱だよッ!」
「……スバルッ……ぼく……ぼくっ……!」
トニアの手が宙をさまよって私の手を求めた。私はすぐにその手を掴み返す。
「……ぼ、く……だめかもっ……もう……し、ぬのかな……ッ?」
「なッ……!? 何言ってるのそんなわけないよッ!」
いや……いやッ! やめてッ! だめッ! だめだよッ!
「……っ、みん、なに……ごめんなさい……いって……ほしい……な……!」
「いやッ……絶対にいやッ! 自分で言ってよッ! 私言わないから! 絶対にッ!」
私の手を握るトニアの握力が弱くなってるのは気のせいだ! そうに決まってるッ!
「許さないッ、逃げないでよ! もし死んだら、私は……一生君を許さないからッ!!」
「……うっ……! ゲホッ、ゲホッ……!」
「と、トニア……!」
嫌ッ……!
誰かが死ぬなんて……見たくない……! どうすればいいの!? 私じゃ、トニアを救えないの……!?
「死なないで……! お願い! あなたが生きていられるんなら私……なんだってする……!」
私はトニアの手を強く握った。その手に目から流れた涙がポタポタと落ちる。助けたい……! 私の前で……私の目の前で、誰も死なせたくない……!
『――ネガッテ……』
――救いたい……救いたいッ! 誰も死なせたくないッ!
『――モット……モットダヨ! モットツヨクネガウンダ!』
トニアを――【救いたい】!!
『――……アァ……ソレデイイ……。カナエテアゲルヨ……ソノネガイ……』
★
――ドクンッ!
「か……はッ……!?」
いきなりスバルは、心臓に釘を打ち込まれたような衝撃を感じた。
「……ぇ……」
――い、息がッ……できない……!
全身がドクン、ドクンと脈打ち、その間隔はだんだん短くなっていく。
「ハァッ、ハァッ……!」
スバルは頭の中が真っ白になった。自分の身に何が起きているか全くわからなかった。ただ心臓の痛みに耐えるために、必死に呼吸をして、正気を保つため反射的に、掴んでいるトニアの手をこれでもかというほど強く握る。
――ドクン、ドクン、ドクン……!
「っ……ぁ……!」
全身の体温が上がった。自分が何を考えていたのかわからなくなる。
――熱い……! 私に、いったい、何がっ……? 救いたい……でも、いったい、誰を? 何から……?
「だ……だれ、か……ッ! たす、け…ッ…!」
『ダメダヨ。キミガネガッタンダ。マダカナエテイナイ……カナエサセテ!!』
誰かの声が頭に直接響く。ただでさえ苦しいスバルは、誰かわからない声にさらに不安と恐怖が粟立った。
――いやッ……イヤッ! やめてッ!! 私……死にたくない……! 誰かっ……助けてッ……!
そして――。
――ビキッ!
「ぇ……ぁッ……!」
腹部に痛みを感じる。スバルは、信じられない気持ちで恐る恐るそこに手を押さえる。そして、手を見てみると……。
――血……!?
「なっ……なん、でっ……わた……し、が……!?」
スバルの見る世界が反転した。気づけば自分は地面に伏している。押さえた所からトクトクと血が止めどなく流れる。
「……ぇ……わたし…っ…しぬ、の……?」
そして、スバルはまぶたを開けていられなくなった。だんだんと意識が遠のく中、最後に思い浮かんだのは……。
「……カ……イ…ッ…!!」
そして、スバルの視界は静かに暗転した――。
『――スバル……キミノネガイヲ、カナエテアゲタヨ……』
★
「――……くん……? カイ君……!」
だれかが僕を呼んでる……! いつの間にか気を失っていたようだ。起きなきゃ……。僕は背中の痛みに耐えながら、ゆっくりと目を開け、体を持ち上げる。
「うっ……」
「大丈夫ですか? ずいぶんと辛そうな様子ですが……」
「……ローゼ、さん……?」
僕はローゼさんの顔を見たとき、一瞬誰かわからなかった。彼の顔には、僕らが別れる前には無かった見通しメガネがちょこんと乗っかっている。なんの冗談か、と聞きたくなったけど……ローゼさんのことだ、とんでもない答えがその口から飛び出るに違いない。なので僕はあえてなにも聞かないことにした。
「ローゼさん……“器”は……?」
「心配ご無用、ちゃんとナハラ司祭に届けてきましたよ。そちらは?」
「……今シャナさんが追っているところです」
「そうですか。……で? スバルさんとトニア君は?」
「……」
――そうだッ!!
僕はスバルたちがいるところへ走り出した。ローゼさんが何事かと後を追う。
「スバル!」
数メートル先のスバルは、なぜか地面の上に伏している。僕は嫌な予感しかしなかった。なんで……! なんでスバルが倒れてる!? トニア君は!? 何がどうなってるの!?
僕は倒れ込むようにスバルの前に座り込んだ。彼女はトニア君の横で目を閉じて、細い息をしている。
「スバル! スバルッ!! 何があったの!? ねぇ、スバルッ!」
「! ……待ってください、動かさないでッ!!」
僕の上からスバルを覗き込むローゼさんが、今までに聞いたことの無い緊迫した声音で叫んだ。
「……退いてくれませんか、カイ君」
「はっ、はい……!」
僕は素直にスバルの前をローゼさんに譲った。彼は真剣な表情でスバルの様子を見ていく。そして……。
僕らは見てしまった。彼女が負った傷を。
「なんで……! なんでスバルがこんな傷を……ッ」
僕は、スバルが負った腹部の傷を見ながら言った。そして、その横で静かに倒れているトニア君の方を見る。
「……傷が……無い……!?」
「……どういうことかわかりませんが、今はひとまずスバルさんをどうにかしましょう。カイ君……バッジを」
「えっ」
「あなたが落ち着かなくてどうします? バッジです、探検隊のバッジ! それで山郷に戻るんです」
「あっ、ああ! バッジですね、はいっ……!」
落ち着け、落ち着くんだ! 僕が落ち着かなくてどうする……!
僕は震える手でバッジをつかんで掲げた。その間の動作だけでも何回もバッジを落としそうになる。
「……行きます!」
「どうぞ」
僕が掲げたバッジから光が溢れた。その光は僕ら四人を包み込んで瞬間移動させる。その時、僕は光が自分を山郷に運ぶ瞬間……スバルを抱えるローゼさんの呟きを聞き取った。
「――やはり……これは でしたか……!」
★
「……いったい、こいつらに何が起こってるってんだ……!?」
恐れを知らないはずな“槍雷”のルテアが、三匹の異様な変貌を見て一歩後ずさりした。
彼の技で倒れ込んで立ち上がれない三匹の目、口、鼻、耳……いたる所からどす黒い、煙とも霧とも見分けがつかないモノが、シュウシュウと湯気が上がるかのように出ている。
「……え……なッ、なに……?」
ミーナに至っては、三流ホラーよりもたちが悪いその姿に思わず吐き気がして座り込んでしまった。ルテアはバトル時の冷静さも吹っ飛んだ狼狽ぶりでミケーネに詰め寄ろうとする。
「おい……おいッ!! てめぇこれはなんだッ!?」
「……大人しく見ておきなさいな」
「ふざけんなッ! あれじゃあ、あいつら死んじまうぞッ!」
「もう手遅れですわ」
「なッ……!」
ミケーネがキッパリと言い放った。ルテアはあまりにも確信を持ってそう言われてしまったせいで二の句が継げなくなってしまう。そして、見たくなくても三匹の方を向いてしまった。
三匹の顔の穴から放出する黒い煙は止まることを知らない。出た煙は空中に停滞している。するとそれは、まるで意識のある生き物のようにふわふわとどこかへ飛んでいってしまった。
そして残ったのは……屍のように動かない三匹の体だけだった。
「あれが、ナイトメアダークに侵された者の末路ですわ」
ミケーネが、不快感を露にした声で静かに言った。
「……どういうことだ? あの煙はなんだ、あいつらはどうなったんだ!?」
ルテアは敵ながら彼女にそう聞かざるを得なかった。目の前の光景があまりにもアンオーディナリーすぎるのだ。誰でもいいから説明を聞きたい、とルテアは叫びたかった。
「あの黒い煙……あれはNDが吸い出したあいつらの魂ですわ」
「魂、だと?」
「あの悪趣味なダークライは、何の目的があるか知りませんがNDでポケモンの魂を集めていますわ。……なぜボスはあんな得体の知れないポケモンを側に置いておくのかしら……」
「あいつらはあのままなのか!?」
「あのままですわ。……魂が戻らない限り」
すでに質問をするルテアの脳内では、ミケーネが敵だということをきれいさっぱり忘れている。また、ミケーネも敵であるルテアに情報を垂れ流しているわけだが、さして気にしていない。恐らく、この不快感を誰かと共有したいがための情報流出らしい。
「そんな……そんなっ……! こんなことって……!!」
ミーナが三匹の前で力なくへたり込んだ。その様子から、目の前の光景に対しての驚愕、恐怖……その裏に彼らへの同情心が垣間見えた。そして、その目には涙が溢れそうに溜まっていた……。
「……」
しばらくそれを見ていたミケーネだが、やがて興味を無くしたかのようにくるりと踵を返す。
「これであの三匹は用無しですわね。今ここであなたたちを倒すこともできますが……興ざめてしまいましたわ、やめておきましょう。……命拾いしましたわね」
そして、呆然とする二人を置いたまま、ミケーネは木々の間を這って姿を消してしまった。残されたルテアは、ピクリとも動かない三匹を見て、静かに前足の爪を地面にのめり込ませた。
「……こんなことが……こんなことがあってたまるかッ……!」