第六十四話 それぞれの正体
――僕は、自らの意識を奥底に潜め、体を“もう一人の僕”に譲った。……なのに……なのにどうして、僕はまだ意識があるんだ……!?
★
「“サイコカッター”!」
「きゃッ……!」
“サイコカッター”が迫り来るスバルの方に向かって僕の体が追っていく。でも、その体を動かしているのは僕じゃない。“もう一人の僕”だ……。
「“神速”」
“僕”は足を踏み込んで、瞬時に爆発的な速さにまで到達した。そして“サイコカッター”が当たる寸前にスバルの肩、そして足に手を回して彼女を抱きかかえた。いわゆる“なんとか抱っこ”をしてその場を走り抜ける。“サイコカッター”は対象が消えた地面をえぐることとなったものの、その威力は、スバルを一瞬で倒すには十分すぎる威力を持っていた。恐らく、僕らに奇襲をかけた時の技もこれだったのだろう。
それを見届けた“僕”は、“神速”を解除した。彼女の方はいきなりの出来事にしばらく呆けている。
「……スバル? 大丈夫か?」
“僕”は、そんなスバルの顔を、抱きかかえた姿勢のまま覗き込んだ。お互いの吐息がかかるほどにその距離が近い。
「か、“カイ”ッ……!? あ、あ、あなたいったい何をしてッ……!?」
「? ……君を助けただけだが」
“僕”がそう言うと、スバルの顔が真っ赤に染まった。まるで頭が沸点に達したかのような……。
「と、とにかく降ろしてッ! 一人で立てるッ!」
「……ああ、すまない」
スバルは、“僕”がその手を離す前に無理矢理自分から逃げるように立ち上がった。その拍子に背中に痛みが走ったのか、「うっ……」と言いながらよろける。“僕”はそんなスバルの肩を持って倒れないように支えた。
「大丈夫か」
「わ、私のことはいいから、トニアを……!」
「わかっている。エルレイドを追い払うまで君が彼を見ていて」
「……わかった」
スバルはゆっくりとトニア君の方に歩き出した。“僕”がトニア君を見ると、彼は“リーフブレード”を食らった腹部から血を流して倒れていた。呼吸が荒い。
――ここままだと彼は危険だ……。
僕の中で“僕”の意識がそう呟いた。どうやら、今の僕らはお互いの考えを共有できるらしい。“僕”はエルレイドの方を向いた。エルレイドは、いきなり態度が変わった僕をじっと見つめていた。
「……貴様は何者だ」
「君に名乗る名もない」
「噂に聞いたもう一人の、という奴か」
「好きに想像をしてくれて構わない」
「……」
エルレイドは一瞬黙り込んで、“僕”の姿を凝視した。見られる方としては恥ずかしいことこの上ないんだけど……。“僕”は微動だにしなかった。体ではなく、心が。と、“僕”を見ていたエルレイドがおもむろに口を開く。
「なぜ、そのリオルの味方をするのです? あなたともあろう方が」
「……なに?」
いきなりエルレイドの口調が敬語に変わった。これにはどちらの“僕”も驚かずにはいられなかった。“あなたともあろう方が”だと……?
「君は……いや、君たち“イーブル”は、私のことをどこまで把握している?」
「“イーブル”はまだ何も知りません。俺が個人的に予想をしていただけです。ですが、その予想が今確信に変わりました」
――……だめだ、言ってはならない!
“僕”の気持ちが強く伝わってきた。
これは、“恐怖”――。
自分の正体を明かされることに対する恐怖が、僕の意識にじんわりと伝わってきた。なぜ怖がっているんだろう、“僕”……? 君は……いったい何者なの……?
「“カイ”……」
トニア君の横にいるスバルが心配そうに“僕”の名を呼んでいるのが耳に入った。
「あなたは――」
エルレイドが静かに言う。
「――“英雄”ですね」
「――“波導弾”ッ!」
“僕”はエルレイドがその正体を口にしたと同時に“波導弾”を撃ち込んだ。どれだけ速いかは知らないが、弾道が全く見えないまま技はエルレイドにヒットする。
「ぐあっ……!」
「よくもその名をッ……! “悪の波道”ッ!」
「があぁあッ!」
邪悪な衝撃波が容赦なくエルレイドを貫く。彼の叫びが響いた。
「“サイコキネシス”ッ!」
「が……はッ……!」
“僕”が発動した“サイコキネシス”が、エルレイドの首を絞めていく。や、やめて……“僕”ッ! お願い! 止めて! エルレイドが死んじゃう……!
「――やめろッ!」
「!」
この声は……!
スバルでも、エルレイドでも、ましてやトニア君でもない声が僕らの背後で響いた。“僕”はハッとして“サイコキネシス”を解除する。
「っはぁッ! ……ゲホッゲホッ……!」
首締めから解放されたエルレイドが激しく喘ぐ。そして“僕”は、声のした方をゆっくりと振り返った。
「……はぁっ、はぁっ……! 何をやっているんだ……カイッ!」
そこには、激しく肩で息をするシャナさんの姿があった――。
★
カイが“もう一人のカイ”に意識を譲る少し前に時間は遡る。
ドカン!
何かが地面に衝突する音が、シャナのいるこの場所まで伝わってきた。彼は走っていた足を止め、音が伝わってきた方を向く。
「! なんだ、今の音は……!?」
――もしかして……もう四本柱が……!
シャナは珍しく上がった息を整えつつ、再び走り出した。もし、ローゼが指した方向にしたがっていたら、この衝撃音すら聞こえなかっただろう。
実はこの衝撃音こそが、スバルに向けられた“サイコカッター”が地面をえぐる音なのだが、今のシャナにはそんなことを知るよしもない。
「いったい何が起きているんだ……!」
シャナは全速力で音のした方に走る。
――早く! 二人が危ない!
しばらく茂みの中を走って、何かが起きている場所へ転がり込むように到達した、そこには――。
――エルレイドの首を“サイコキネシス”で絞めるカイの姿があった――。
「――やめろッ!!」
シャナはありったけの音量でカイに向かって叫ぶ。彼はその瞬間、ハッと我に帰った様子で技を解除した。エルレイドが激しく喘いでいる横で“しまった”という顔をしているカイにシャナはさらに叫ぶ。
「……はぁっ、はぁっ……! 何をやっているんだ……カイッ!」
★
「……き、君は……」
“僕”はものすごい形相のシャナさんを見ながら息を飲んだ。自分が何をしようとしたのかを、今になってやって理解したようだった。シャナさんはそんな“僕”に大股で詰め寄る。
「てめぇ……! 今自分が何をしたかわかってるのかッ!?」
「……ぐッ……!」
シャナさんが“僕”の前に立ちはだかったのと同時に、“僕”が苦しそうに片手で胸をギュッと握ってしゃがみこんだ。
「ハッ、ハッ……!」
「……カイ? どうしたッ!? 大丈夫か!?」
「わ、私のことはいいッ! それよりッ! “イーブル”を逃がすなッ!」
“僕”はシャナさんの足をもう片方の手で強く握って訴えた。シャナさんがエルレイドのいた方を見ると、彼はちょうど逃げ出したところだった。シャナさんの視界の端からエルレイドの後ろ姿が消えていく。
「……くそっ!」
シャナさんは逃げたエルレイドを追うために走り出した。“僕”はその瞬間、地面にドサリと倒れ込む。
「……ぐッ! ガハッ! ゲホッ!」
“僕”は倒れた状態のまま口に手を押さえて激しく咳き込んだ。口から手を離すと、そこには血が付いている……! ぼ、僕の体が……!?
――だめだ、限界が近い……! これ以上私が体を使うと……壊れてしまう……!
壊れる……!? 僕の体が……? そ、そんな……!
――ああ……。すまない、カイ……!
“僕”がそう伝えると、僕の目からつう……と、何かが流れた。
「すまないッ……! カイ……! 君の体で、他人を……あやめようとしてしまった……!」
僕の体で涙を流す……。でも、心で泣いているのは“もう一人の僕”……。
どうして僕の体なのに、僕の意思とは関係なく涙を流しているのだろうか……。心の片隅で、場違いとは思ったけど僕はそんな複雑な心境になった。
「すまないッ……! 許してくれッ……!」
やめて……! 謝らないでよ……! 僕は、どうすればいいのかわからない……!
――許して、くれ……!
だんだんと“僕”の意識が底に沈んでいく……。自分の体が戻ってくるにつれ、痛みやだるさが僕のものになってきた。
どうして……!
「うぅっ……! どうして謝るの……! “僕”……!」
完全に体は僕に戻ってきた。
なのに……。
僕の目から涙は止まらない……。まるで、涙だけまだ“僕”の意識を引きずっているかのようだった……。
★
「待てッ!!」
俺は前を走る“イーブル”の四本柱に叫んだ。もちろん、待てと言われて素直に止まる敵などいないはずだが……。エルレイドは宝玉を片手に持ち、走り続けた。足が速い。少しずつだが俺とエルレイドの距離が離れていっている。
「止まれッ! “電光石火”!」
俺はエルレイドとの距離を詰めるために、“電光石火”で足を強く踏み込んでスピードアップした。よし、これなら追い付ける……!
ピタッ。
「なっ――」
ズザァ、と俺は“電光石火”で速めた足を止めることとなった。なぜなら、前方を走っていたエルレイドがなぜか歩を緩めてついには完全に停止したからだ。
いったい何を考えている!? こいつは……。
「……」
エルレイドは無言でこちらの方を振り返った。冷たい視線が俺を射抜く……。
……待てッ……!? この顔は……まさかッ――!
「――エル、ザ……?」
まさか……まさかそんなはずはッ……! あいつは!! あいつがここにいてはいけないんだ!! なぜなら、あいつは……! だが、今目の前にいるエルレイドの顔は、まさしく……あいつの顔でッ……!
ギリッ、と俺の胸が締め付けられた。目が回って呼吸ができない……! 封印したはずの記憶が……あの記憶が俺のなかで鮮明によみがえる……。
『――な、なぜなんだッ……! どうして……!』
『――お前が……憎いからだ!』
「エルザッ……! まさか本当にお前なのか……!?」
「……五年ぶり、か。久しいな」
エルレイド――エルザは、抑揚の欠片もなしに言った。
「なぜッ……お前はあの時……!」
「――“死んだはずだ”、と?」
「ッ……!」
俺の言おうとしても言えない言葉を、エルザは俺をさえぎって言った。俺は倒れ込みそうになる。
思い出したくない……ッ!
拒絶反応が頭を刺激する。ひどく頭痛と吐き気がした。俺はそれをまぎらわすように強く目をつぶって叫ぶ。
「なんでお前が“イーブル”にいるんだ……! なんで四本柱なんだ!! どういうことだッ!!」
「……あれから五年が経った。何があろうとおかしくはない」
エルザは俺の問いに淡々とそう答え、くるりと背を向けた。
「ま、待てッ……!」
「――二週間後」
「え……」
「二週間後にあの場所で。……一人で来い」
タッ!
エルザは足を踏み込んで跳躍した。宝玉を抱え、俺から遠ざかる。 俺は足が動かなかった。宝玉を追う気にもなれなかった。
どうして……!
あいつは生きている……敵として。俺は、そのどちらも認める気になれなかった。
「ぐ……あぁああッ!!」
俺は近くの樹に“炎のパンチ”を打ち込んだ。大樹は音を立てて倒れた。だが、そうして木に当たったからと言って俺の気は晴れるどころかさらに荒れていくばかりで……!
――消えろ……! 消えろ! あの時の記憶など……俺ごと全部消えてしまえばいいんだッ!!