第五十七話 四本柱
――ローゼさんの完璧な推理によって、わかったこと。そう、怪盗“D”はヴェッタさんだったんだ! それに加えてイーブルの一員であるヴェッタさんは、いきなり“フラッシュ”を放ってきて……?
★
そして――。
“フラッシュ”による強い光が収まった後には、そこにヴェッタさんはいなかった。
「クソッ! 逃げやがったなあの野郎ッ!!」
ルテアさんがそう叫んだ後にひとには聞かせられないんじゃないかってぐらいの暴言を吐く。
「待って! トニア君もいません!」
「宝玉もですねぇ」
「なんですって!?」
ミーナさん、ローゼさん、ナハラ司祭の順に発言する。
えぇええ!? どうしてトニア君まで……!
「迂闊でしたね……! まさかヴェッタさんが正体がばれたときの対処の仕方までトニア君と示し合わせていたとは。これなら、無駄に推理をひけらかすべきではありませんでしたか……」
ローゼさんが焦燥と後悔を孕んだ声でそう呟いた。まさか、ローゼさんにそんな声が出せるなんて、ちょっと意外だ。
「過ぎたことだ、仕方がない! それより今は二人を追うぞ!」
シャナさんはそういっている間にも祭壇の外へ続く洞窟に向かって走り出していた。他のみんなも後を追って外へ向かう。しかし、ナハラ司祭が外へ出ようとしたとき、彼の前に立ちはだかる者がいた。
「――司祭、あなたはここで待っていただけませんかねぇ」
……ローゼさんだ。
突然のことにナハラ司祭は困惑した様子だった。と同時に、宝玉を奪われてしまったのに早く取り戻しに行けない苛立ちも見えた。
「なぜですか! 私だって宝玉を取り戻してトニアも連れ戻し――」
ナハラ司祭の言葉は、唐突に中断された。なぜか? ローゼさんが“静かに”という風に、彼に手のひらを見せたからだ。
「あなたのお気持ちはそれはもうよくわかるんですけどね……今のあなたはどうもトニア君の前に出したら何をしでかすかわかったもんじゃない様子なんですよ」
そういうローゼさんの表情は穏やかだけど、目には有無を言わせぬ強い光を称えていた。この人……目が一番正直だ。
確かに、さっきナハラ司祭はトニア君のことを『掟を破って』云々と言っていたし、そう言うときの彼の怒りは尋常じゃなかった。そんな彼が、もしこのままトニア君に会ったら……。ちょっと想像したくない。
「と、いうわけで。あなたにはここでお留守番をしてもらいます。何か文句はありますか?」
ローゼさんがにっこりと笑いながら首を傾けた。……それが逆に怖い。
「い、いいえ……」
たぶんナハラ司祭も、彼のその笑顔に何かただならぬものを感じたようだ。冷や汗たっぷりにコクコクと頷く。ローゼさんはナハラ司祭の賢明な反応に満足を覚えたのか、くるりと振り返って声をあげる。
「さて……。では怪盗を捕まえに参りましょうか」
「……あの……」
……僕は、ローゼさんに恐る恐る声をあげた。
「もう僕たち以外はみんな行っちゃいましたよ……」
「……」
ローゼさんは笑顔のまま表情が凍りついた。……そして、みんなの後を追いかけるべく、全速力で走り出す。……その時、僕は波導が読めないはずなのに彼の背後に黒っぽいオーラを感じた――。
★
――まさか、ここまで完膚なきまで、自ら作り上げた推理を反論された上に正体まで暴露されるとは。
ヴェッタは、山郷を包むように生い茂る森の中を低空飛行をしつつ、くちばしの中で舌打ちをした。彼の後ろには、顔を泣きそうに歪めながらも二つのオーブを浮かせて大人しく付いてくるトニアがいる。多分、今になって逃げ出そうなんて気は起こさないはずだ。トニアは技による恐怖と共に、精神的な弱味を握られているからだ。
『――わかっていますね? もし、あなたが仮に私を裏切って逃げ出したり作戦に背いたら……。この山郷を、跡形もなく消滅させます。もちろん、誰も生かす気はありません。簡単なことですよ、私は“イーブル”のメンバーですからね』
この脅しは思いのほか効果が絶大だった。あの胡散臭いフローゼルの切り返しのせいで一気に不利になってしまった予想外の状況でも、トニアは自分で濡れ衣を着てくれたのだから。
ヴェッタが先程までの出来事を思い出していると、低空飛行で目まぐるしく変わる視界の端にある姿をとらえた。そして。
「――止まりなさい!」
視界の端にとらえたその姿から甲高い声が発せられた。ヴェッタはすかさず翼をはためかせて急停止をかける。そして、声の主――緑色を基調とした長い胴体、赤く光る鋭い目をしたポケモン――の名を呼ぶ。
「――ミケーネ様!」
ミケーネ、と呼ばれたそのポケモンはジャローダだった。ヴェッタは(声のトーンからして)彼女に恐縮したように頭を下げる。
「申し訳ありません、ミケーネ様。作戦は失敗に終わりました」
「失敗したことは見ればわかりますわよ。期待はしていませんでしたし」
ミケーネは甲高い声音をねっとりとした口調をプラスした。もちろんそれに対しヴェッタは額に青筋を浮かべたが、表情にはおくびにも出さずにもう一度「申し訳ありません」と言った。そして、先程まで何が起こっていたかをかいつまんで説明する。
「……と、言うわけでして……」
「まあ相手は流浪探偵。まさか本物がこのタイミングで現れたなんて、初めからとことん運に見放されているわけですわね。……はぁ」
ミケーネはため息をついて彼方の方向を眺めた。
「あぁ……またボスの憂いがひとつ増えてしまいましたわ……これは由々しき事態……」
これにはヴェッタも唖然として声をかけづらい。が、探検隊が追ってきているのでいつまでもミケーネのため息に付き合っている暇はなかった。彼はなんとか声をかけようと試みる。
「あ、あのー……ミケーネさ――」
「お黙りなさい! あたくしがボスを案じているときに声を出すことは許さなくてよ、低能!」
「て、ていの……!?」
……危うく彼がかけているメガネが割れかけた――怒りで。
――て、低能……低能だとッ……!?私が作戦に失敗したことは認めるが、なぜこいつなどに低能呼ばわりされなくてはいけない!?
「くっ……」
「言っておきますけど、この作戦の全てはあなたが画策したのですから、全ての責任はあなたにありますわよ。あたくしたちは最低限の手助けしかしない。もともとボスから指令が来なければ、あたくしたちが助けることなどあり得ませんわ。おわかり?」
「はい……」
ミケーネの眼光が鋭くヴェッタを射抜いた。メガネ越しの彼の表情が一瞬恐怖に歪む。ミケーネはヴェッタの背後にいるムンナ――二匹の会話中ほぼ空気と化していたトニアが持っている二つの宝玉に視線を移した。
「これが“命の宝玉”と“満月のオーブ”ですわね……これを渡せば、ボスはお喜びに……!」
ミケーネがうっとりとしながらトニアが“念力”で支えている宝玉に近づいた――その時。
「――見ぃいいいつけやがったぞこの野郎ぉおおおおッ!!」
「……」
――なんですの? いまの野蛮な叫び声は?
ミケーネの全身が硬直した。そして、見るからに不快そうな顔をしながら声をした方を見る。そこには……。
「んのヤローーーッ! とっとと宝玉を返しやがれ似非探偵がッ!」
目の前に、全身の髪を逆なでたレントラーが叫びながら現れた――。
★
僕は全速力でみんなの後を追いかけるローゼさんを追いかけるのに必死になっていた。……なんというか、ローゼさんは置いてきぼりを食らったことを相当根に持っているらしい。僕は全速力で走ったせいで息が上がりつつも、ローゼさんに必死についていく。そして、茂みを抜けた先には……。
「んのヤローーーッ! とっとと宝玉を返しやがれ似非探偵がッ!」
先にヴェッタさんを追いかけているメンバーの中で、なぜかルテアさんが怒り狂った様子でヴェッタさんとトニア君に叫んでいた。……でも、なんでこんなところにジャローダがいるんだろう?
「なッ……! もう追い付いてきたのですかッ」
「てめぇ俺の赤目を舐めてもらっちゃあ困るんだよ! さっさとお縄につきやがれ怪盗“D”!!」
ルテアさんの叫びにヴェッタさんが苦い顔をした。その横で謎のジャローダが彼の声に不快感を露にした表情になった。
「うるさいレントラーですわね、品がありませんわ」
「あ゛ぁん!? なんだてめぇは! 俺たちの邪魔すんな!!」
「ルテア、落ち着け……」
今にも相手側に襲いかかろうとするルテアさんをシャナさんが尻尾を持つことで制する。どっちが犯罪者かわかったもんじゃない。一方ジャローダの方は、ルテアさんを見下すように体をのけぞらせた後、
「さっさと宝玉を持って消えなさいな。ボスをお待たせするのは許さなくてよ!」
と、目を見ずにヴェッタさんに言った。彼は一瞬ジャローダの命令口調に嫌な顔をした後、「付いてきなさい!」とトニア君に強く言って翼をはためかせた。トニア君は彼の声にビクッと体を震わせた。
「逃がしませんよ!」
ミーナさんがすかさず逃げようとする二匹に走りよろうとするが……。
バシィイインッ!
「きゃあッ!?」
ミーナさんに向かって“蔓のムチ”が放たれた! 彼女は数メートル飛ばされる!
『ミーナさんッ!』
僕らは一斉に叫んだ。吹っ飛ばされた彼女は、いきなりの攻撃によろめきながら立ち上がる。
「ふん……あたくしの足元をうろつくことは許しませんわよ」
「てめぇ!」
「……何者だ?」
ルテアさんの怒声が僕の鼓膜を震わせた。その後にシャナさんが静かな声で聞いた。その声がかすかに震えていた。シャナさんが怒ってる……!
「あら、あたくしの名を聞くなんて身をわきまえない平民ですわね」
「な、なんだと……?」
ジャローダの高慢な態度に、ルテアさんの顔がひきつる。
「ですが……まあ今回は特別に自己紹介してもよろしくてよ」
ジャローダはミーナさんに放った“蔓のムチ”を戻しながら言った。
「――あたくしの名はミケーネ。“イーブル”四本柱の一匹ですわ」