第五十一話 対決当日!2 器の定義
――“眠りの山郷”にたてられた祭壇。その祭壇に祭られていたのは、“満月のオーブ”の“器”だけではなかった!! え、ちょっと待って、“対価のオーブ”って……まさか……!
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ナハラ司祭の衝撃的な一言に、僕らがいる空間は静まり返った。
「え……“対価のオーブ”って……あの“英雄伝説”の……?」
辛うじて、スバルが絞り出すように言葉を発することができた。だけど、“対価のオーブ”の行方は、伝説には詳しく記されていなかったはずじゃあ……?
「どういうことだ? なぜここに“器”と、“対価のオーブ”が一緒に保管されている……?」
そういうシャナさんの声も驚きで掠れていた。無理もないことだ。今まで何十年、何百年と、伝説の中でしか語り継がれていなかった代物が、今自分の目の前にあるのだから――。
探検隊としてこれ以上の嬉しさはないだろう。
「確か、“対価のオーブ”って……対価を払えば願いを叶えられるっていうあれですか?」
ミーナさんの言葉にルテアさんが重々しくうなずく。
「ああ……! まさかお目にかかれるなんて……夢にも思ってなかったぜ……!」
本当にルテアさんのいう通りだ……!
「しかし……“満月のオーブ”の“器”と、その“対価のオーブ”が一緒に守護されているのは、何か理由があるのですよね?」
そう言ったのは、やはりというか、流石というか、ヴェッタさんだった。探偵である彼の着眼点は鋭い。
「もちろん。共にこの祭壇に祭られているのには意味があります」
ナハラ司祭は僕ら全員を見渡した。
「“対価のオーブ”――正式な名前は“命の宝玉”ですが――は……この“器”があってこそ、破壊することができるのですから」
まずい……頭がこんがらがってきた……!
“対価のオーブ”は“器”があってこそ破壊できる? そもそもまず、英雄さんは“対価のオーブ”を破壊しなかったの? 伝説では、英雄は両国の王に『“対価のオーブ”を破壊する』といって姿を消した……。その後“対価のオーブ”がどうなったかは確かに誰にもわからなかったけど……。
「“器”は“満月のオーブ”を完成させるために“三日月の羽根”を取り込むものではないのか?」
「……恐らくあなたたちは、“器”の定義について少々誤解をなさっているようです」
シャナさんの言葉に、ナハラ司祭はゆるゆると首を振った。(実際には体を揺すったようにしか見えなかったけれど)。それにしても、僕らはいったいなにを誤解しているのだろう……?
「なにも“器”は、“三日月の羽根”を取り込むだけのものではないのですよ。それは“器”の数ある用途の内のひとつなのです」
「つまり、“器”プラス“三日月の羽根”が“満月のオーブ”であって……“器”に何がプラスされるかによって、“器”はその姿や効用が変わってくるということですかねぇ?」
ローゼさんの理解が意外に早い。驚きだ。“器”が“満月のオーブ”になると、NDを消滅させられるということだね。すると、ルテアさんが「じゃあ、“器”プラス“対価のオーブ”だとどうなるんだ……?」と言った。
「“対価のオーブ”を“器”に取り込んだ場合、お互いに能力が中和され……どちらも消滅します」
……なるほど。それが『“対価のオーブ”の破壊』ってわけだね。
「じゃあなんで今までそうしないで、わざわざ別々のまま保管していたの? “対価のオーブ”は過去に悪用されたんだから、早く破壊したいはずでしょ?」
スバルがもっともな質問をする。だけど、その理由を僕は何となくわかってしまった。
「……“対価のオーブ”を、“器”に取り込める力を持ったポケモンが現れなかったから、ですね?」
僕は上目使いにナハラ司祭を見た。彼は『ご推察』、という風に頷く。
「過去に“対価のオーブ”を“器”に取り込めることができる力を持った者は、あなた方の言う“英雄”しかいませんでした。しかし――」
ナハラ司祭は意味深に言葉を区切る。そして……。
「――“英雄”は、“対価のオーブ”の破壊に……失敗した」
「……伝説には無い新事実ですね」
ヴェッタさんがメガネを押し上げながら言った。
「英雄が“対価のオーブ”――“命の宝玉”の破壊に失敗し、それを破壊できる力を持った者はその後現れなかった。しかし、欲を持ったポケモンに再び“対価のオーブ”を悪用されてはいけない……。
そういう考えで“器”と“命の宝玉”を時が来るまで隠そうと思ったのは、その当時のクレセリアたち――アリシア様のご先祖様です」
つまり、この祭壇を作ったのも、あの物騒な地下牢を作ったのも、そもそもこんな分かりにくい場所に山郷を作ったのも、すべてはアリシアさんのご先祖様というわけだ。血は争えないね。
「……今後“対価のオーブ”を破壊できる力を持ったポケモンは現れるのか?」
「……その点に関しては、私は何も申し上げられません」
シャナさんの質問に、ナハラ司祭は含みを込めた口調でそう答えた。
トクン……。
……どうしてだろう……? 僕の胸がざわついて落ち着かない……。
――今後、“対価のオーブ”を破壊できる力を持ったポケモンは現れるのか――。
★
「さて、これから怪盗“D”はこの二つの宝玉のいずれか、もしくは両方を狙ってくるわけですね」
一通り話が終わると、ヴェッタさんはそう言って全員を見渡した。どうやら彼の中で“探偵スイッチ”が入ったようだ。しかし、ミーナさんはいまだに心配そうな顔を崩さずヴェッタさんにたずねた。
「相手はナハラ司祭のバリアを掻い潜ることができるポケモンです。……なにか策はあるんですか?」
「Dが今日の日没以降に現れるのは予告状に記されています。勝負は日没以降ということになるのですが……」
確かに、予告状には『次の満月の夜に祭壇にまつられた宝玉を盗みに参上する』ってなってるもんね。
「残念ながらDがバリアを掻い潜ったトリックを見破るのはまだできていませんし、これといった対策法は思い浮かびませんが……こちらとてみすみす怪盗を逃すことはしません。なので、最も古典的で効果的な方法を使うことにします」
古典的で効果的な方法?
「どんな方法だ?」
シャナさんが聞くと、ヴェッタさんはメガネを羽でぐいっと押し上げながらスパッといい放った。
「――張り込みます」
は……!
『張り込みぃ!?』
僕らは全員で大合唱をした。まさか、張り込みって……!
「日没から日の出まで、ここにいる全員が――もちろんムンナたちも含めて――祭壇の前で怪盗を待ち伏せるのです。怪盗がバリアを掻い潜る能力を持っていたとしても、宝玉を盗むには必ず入口(ここ)か裏を通らなければなりませんから、鉢合わせたところを確保します」
なるほど……。でも、それってつまり僕ら全員徹夜ってことじゃあ……!?
「とりあえず、今から日没までは皆さん自由行動ということで。私はそれまでどうにかトリックを見破ってみますが……最悪の場合、皆さんどうぞよろしくお願いします」
そう言ってヴェッタさんは、なんと僕らに向かって深々と頭を下げた。うう……そこまで誠意を持って頭を下げられたら、なんかいたたまれない気持ちになるじゃないか……。
「……了解だ。今はそれが最善の策なら俺たちは全力で協力するまでだ」
そう声をあげたのはシャナさんだった。リーダーである彼がそう言うのであれば、僕らはそれに従うべきだ。僕ら全員は、シャナさんの言葉を受けて力強くうなずいた。
こうなったら何がなんでも怪盗“D”を捕まえなきゃね!
「では、いまから各自自由に行動をしてください。日没にまたここに集合しましょう」
★
私の中でヴェッタさんの印象はなかなか良い方だった。探偵として数々の事件を解いて来た彼だけど、決して自分を棚に上げたり相手を見下すような態度は見せていない。謙虚だ。少なくとも、言い出しっぺながら何もしないフローゼルよりは良いポケモンに決まってる!
自由行動を言い渡された私たちのなかで、ルテアとカイはナハラ司祭の家に戻って仮眠を取り、ヴェッタさんと師匠、ナハラ司祭は祭壇に戻って張り込みの準備をするらしい。
私はこれからどうしようかなぁ? カイたちみたいに仮眠をとるのも考えたけど……今は夢を見たくないし。だからといって師匠たちに混じるわけにもいかない。あの会話はいわゆる“大人の会話”なんだ。私が口を出して良いものじゃない。……日没まで何してよう……?
「……ん?」
私は適当にナハラ司祭の家の近くをぶらぶらしていると、一匹のムンナが私より少し離れたところでオロオロしているのが見えた。
あれは……あのときのムンナだ!
「おーいっ!」
私は大声をあげながらムンナに向かってブンブンと手を振った。ちょっと幼稚な行動だったかも。少し後になってちょっと後悔した。相手の方は私の声に気付くとオロオロから一転、ギョッとした顔になって固まった。え、なんで? そんなに大声だったかな。私はムンナに走り寄る。
「ねぇ、また会ったね! 怪我の方……大丈夫?」
「……だっ、だいじょぶ……」
消え入りそうな声だ。
「よかった! 私もうあのときは本当に心配したんだからねっ!」
「……」
「ねぇ! あなたの名前は?」
「…………トニア」
「トニアね! 私はスバル。よろしくね」
私がムンナ――トニアに向かって手を差し出すと、トニアは恐る恐るといった感じで私の手を掴み返した。なんでこの子こんなにオドオドしてるんだろう? 不思議な子。
「トニアは男の子?」
トニアはうなずくようにまるっこい体を縦に揺すった。
「そっかぁ。ねぇ、聞いてもいい?」
再び縦に揺れるトニアの体。私は声のトーンを落とした。
「……なんでトニアはあそこで怪我してたの?」
「……」
「……」
「……が」
『が』?
『が』って何?
「がけ、すべった」
「……え? すべった?」
「……ぼく、もう、いく」
「えっ、あ! ちょっと待って!」
トニアは初めて私と会ったときのように逃げるように私の前から去ってしまった。なんで猛獣(ポケモン)から逃げるみたいに去っていっちゃったの!?
「……お前が質問攻めにするからじゃないのか?」
「えっ……」
行きなり頭上から低い声が降ってきた。私は弾かれたように上を向くと、そこには私を見下ろす青い瞳が……。
「あれ? いつからいたんですか……?」
「さっきからだ」
そう、私を見下ろしていたのは師匠だった。ねえ、トニアが逃げたのって、あなたが来たからじゃないでしょうね。
「怪盗を迎え撃つための密談は終わったんですか?」
私はお互いに話しやすいように師匠の肩の上に登りながら言った。おー……相変わらず良い眺めだね。
「密談って……大袈裟な。ただ誰をどこに見張りを置くか決めただけだ」
「ふーん……?」
師匠は私を肩に乗せたまま歩き出す。どうやらナハラ司祭の家に戻るつもりみたい。すると。
「……なぁ、スバル」
「なんですか?」
「……何か、俺に隠してることがあるんじゃないのか?」
ビクッ。私の心臓がなかなか威勢良く飛び上がった。そのせいで体全体が強張ってしまう。
「か、隠してることって?」
私はあえてしらばっくれてみる。
「お前ちょっと変だぞ。最近妙に暗い顔をしているし。疲れてるのか?」
「私……暗いように見えます?」
「俺にはな」
師匠って、なんでいらないところで敏感なんだろう? 鈍感そうな顔をしているくせに。
「……」
私は、一瞬だけあの夢の事を話そうかと思ったけど……。やめた。ただでさえ今は怪盗騒動で忙しいのに。
「別に大丈夫ですよっ。杞憂ってやつです」
「……そうか」
そう答える師匠の声は、釈然としない時に出すものと同じだった。だけど、それより先は追求してこない。ただ、一言。
「……無理するなよ」
そう言っただけだった。