第二十二話 “もう一人のカイ”
――“カイ”がダークライを撃破した時より、時間は少し遡る……。
☆
暗い、閉ざされた空間――。
堅く、堅く目を閉じていた。何も見えない、何の音もしない。ただ、暗かった。しかし、その中で……。
「に……ためだ、…やったら…で……?」
小さく、聞いたことのない誰かの声が途切れ途切れに聞こえた。
誰……?
★
私は、誰かに揺さぶられている気がした。しばらくぼんやりしていた感覚がだんだんと現実世界へ戻っていく。
私はうっすらと目を開けた。そこにいたのは……ミーナさん?
「よかった……。スバル、気がついたか?」
「え……!? ミ、ミーナさん……その格好……!?」
私の目の前にいたのは、ブーケのような姿のミーナさんではなかった。
なんだか手足が伸びて、胴体に白い部分が増えて、目がやけに凛々しい……?
それに、しゃべり方もなんか……?
ミーナさんは私の視線に気づいたのか、自分の姿を見下ろして……?
「ん? ああ、今ボクはスカイフォルムといって、グラシデアの花でこの姿になったんだ」
……なるほど、それでミーナさんがそんなに男らしく……。 いや、シェイミって性別不明……? ……深く考えるのはやめよう……。
しかし……私、さっきなにかの夢を見ていたような気がする……。あれは、なんだったんだろう?
あれは誰の声だったんだろう……。
「スバル?」
ミーナさんが私の顔を覗きながら声をかけた。
「大丈夫か?」
「はい、ちょっと耳鳴りがするぐらい……」
「よし、じゃあ頂上へ急ごう」
そうだった。今頂上にはカイと師匠が! 私こんなところで気絶してる場合じゃなかった!
「いきましょう!」
私が強く頷くとミーナさんは「よし」と言って宙に浮かび上がり、私の真上まで来てその手をつかんだ。そして……?
「うわっ!」
ミーナさんは私の手をつかんだまま宙に浮かび上がった! ちょ、ちょっと!?
「ミーナさん!? な、何を……!?」
私が慌てて聞くとミーナさんはフッ、と不敵に笑い……?
「わざわざ頂上まで素直に昇ってやることはない! ボクの力でひとっ飛びだ!!」
「なっ……!?」
ちょっとそれガイドの言う台詞ですかぁ!?
「しっかり掴まってろ!!」
そうミーナさんが言うと同時に私の下の景色がどんどん遠ざかっていった。上昇してる!?
まって! まだ心の準備が……!
「ま、ま、待ってきゃあああああああッッ!?」
ビュンッ!!
ミーナさんは問答無用で頂上に向かって飛んだ。
「あ……わっ……!?」
と、飛んでるっ! 高い、高いぃいいいいッ!
私はパニックに陥った。これは高所恐怖症じゃなくてもいやぁあああああッ!!
「まずい……!」
ミーナさんが私の上で声をあげた。まずいって何が!? これ以上なにかあるの!?
「もうすぐ夜だ!」
私は半ば放心状態になりながらミーナさんの言葉を拾った。夜……?
目をうっすらと開けて周りを見てみると、確かに日はずいぶん西に傾いている。
「え……夜になると何か困ることでも?」
「おおありだ! ボクは夜になると……!」
ミーナさんがそういった瞬間、ミーナさんの体が光り出した! 私たちは空中でバランスを崩す。
な、何が起こってるの!?
そして、光がおさまったときミーナさんのその姿は――ランドフォルムになっていた!
つまり……?
「「うわぁああああ!?」」
私たちは空からまっ逆さま……! 死ぬぅううううう!!
バキッ!ドカッ!
「……いたっ……」
私たちは茂みの中に墜落した。しかし木の葉のおかげで大怪我は免れた……!!
ふう……助かった……!
「ス、スバルさん! 大丈夫ですか!?」
私の少し隣で同じように木の枝に引っ掛かっているミーナさんが私に聞いた。ランドフォルムなので口調が丁寧に戻っている。
「だ……大丈夫です……!」
私の被害は腰を打っただけ。あの高さから落ちて無事なあたり、ポケモンはやっぱり丈夫だなあ……。
「す、すいませんでした。調子に乗りすぎました……」
ミーナさんが今までにないくらい申し訳なさそうに言った。
確かに破天荒な行動だったことは否定できないが、これで距離は稼げた!
「大丈夫です! あと頂上までどれくらいですか?」
「もうすぐです! 行きましょう!」
★
「あそこを抜けたら頂上です、行きましょう!」
率先して走るミーナさんの声を受け、私の足にも力が入る。頭がガンガンしてるけどそこは気にしていられない!
だんだんとゴールが近づく。そして……開けた視界の先には――。
「くっ……! 今日のところは、退散すべきだね。……どうやら、君の連れも来ちゃったみたいだし」
あ……あいつは……!
いつか私たちの前に現れた黒いポケモンが宙に浮かんでいる!
そして、そのポケモンと対峙しているのはカイだった。
――カイ……!?
目の前にいるカイの表情は普段のそれとあまりにかけ離れている。自信に満ちた表情……。
誰……?
そして、私たちの少し先には大怪我を負って倒れている師匠と、ぐったりと横たわってピクリとも動かないアリシアさんがいた。
なに……? この状況……!?
そして、黒いポケモンはゆらゆらと空に消えていく……! そして、姿が完全に見えなくなった。
し……ん。
耳が痛くなるほどの静寂が頂上を支配する。私はしばらく止まない耳鳴りを気にしていたけど、ミーナさんが師匠に“アロマセラピー”で応急処置をしているのを見てハッとした。
「カイッ!」
私はダークライが消えた方の一点を鋭く見据えるカイの背中に駆け寄った。
「カイ! カイ、大丈夫!?」
私に呼ばれたカイは、こっちをゆっくりと振り返った。その顔はどこか疲れたようで……やっぱりどこかカイじゃない……。
そして、彼は静かに言う。
「……君は……あのときの……?」
「……え……?」
“あのとき”……? あの時って……まさか……?
『……私ではもう限界なんだ。すまないが、この子を頼む……』
「……あなたは……」
この人……カイじゃないッ……! 私は一歩後ずさった。
「誰……誰!? あなたカイじゃない! 誰なの……!?」
「……私は」
カイじゃない誰かは、少し目を伏せる。そして何かを考えた後、私を見た。
「私はまだ自分が何者か言うことができない。ただ私は、カイの敵ではない。それだけは信じてほしい」
「……そ、そんなこと……」
――どう信じればいいの……!?
どうしてカイなのに、カイじゃないの? この人誰……? どういうこと……?
私が“カイ”に責め立てようとしたとき……。
「ス、スバルさん……! カイさん……!」
後ろから聞こえた声に私たちは振り返った。ミーナさんがアリシアさんの近くで今までにないぐらい困惑した表情をしていた。一歩間違えればパニックになりそうな、そんな表情だ。
「ア、アリシアさんがっ……目を覚まさないんです……! 私、“アロマセラピー”を使ったんですけど……。い、息してないんです! 鼓動も、聞こえなくて……!!」
え……そんな……!
「……行こう」
“カイ”は静かに言ってアリシアさんたちの方へ向かう。私はいろいろ聞きたいことがあったけどとりあえず彼に続いた。
「ど、どうしましょう……!? アリシアさんが……死んじゃう……!?」
「ミーナさん、落ち着いて……!」
私はそうとしかかける言葉が思い浮かばなかった。……本当にどうしよう……!? と、その時。
「――大丈夫だ。まだ間に合う」
そう言って、この状況を動かしたのは他ならぬ“カイ”だった……!
“カイ”はアリシアさんの前でしゃがんでその体に手を触れた。そして。
「……君、名前は?」
私を見て言った。
「え……ス、スバル……です」
「スバル、君の助けが要る。力を貸して欲しい」
「え、な、何をすれば……?」
と、私が言い終わる前に“カイ”は自身の左手をアリシアさんに触れたままもう一方の手で私の手を強引につかんだ。
「ひゃっ……!?」
な、何をするの……!?
「スバル、よく聞いて。君がいつも電撃技を放つ時のように、全身に電気を貯めてくれないか?」
「え……電気を……貯める?」
「早く、一刻を争う」
「は、はい」
“カイ”の静かな、しかし断ることを許さない声音に私は従わざるを得なかった。
言われた通り頬に意識を集中して帯電する。頬からビリビリとした感触が伝わった。
「いいぞ、そのまま」
“カイ”は私と手を繋いだままそう言い、目を閉じる。
すると。
“カイ”の耳の後ろの房がピンッ、と張り“カイ”の全身が青いオーラに包まれた。
――これは……まさか……“波導”?
そして青いオーラ――“波導”は私とアリシアさんも包み込む。“カイ”が私の手を握る力が強くなった。その瞬間……。
ピリ……。
私が貯めていた電気が、流れていった。
流れていった電気は“カイ”の“波導”を通じてアリシアさんの体内……恐らく心臓へと伝わって行く。私は電気を通してそれを知ることができた。そして――。
――ドクンッ!!
「……っ……はぁっ、かはっ……!」
「!」
アリシアさんがあえぎ、咳き込んだ。息を吹き返したんだ!
「アリシアさん!」
ミーナさんが目に涙を浮かべながら叫んだ。“カイ”はアリシアさんから手をはなす。
「“アロマセラピー”を」
「はい!」
「……いったい、何をしたの……!?」
私は“カイ”が手を離したと同時に聞いた。
「……君の電気を“波導”で送った。このクレセリアの心臓を動かすには電気が不可欠だった」
「つまり……蘇生処置……!?」
今までのカイは“波導”を使えないと言っていた。なのに、目の前の“カイ”はあんな高度な……それこそ、蘇生処置を取れるような“波導”使い方を……?
「スバル……ありがとう……っ……君がいなかったら、はぁ、彼女を救えなかった……ぐっ……!」
“カイ”は苦しそうに息を切らした。
「……だ、大丈夫……!?」
私がそう言うと“カイ”がフラフラと立ち上がったので手を貸す。
「……すまない。私が表に出ていられるのには限界があるんだ」
「表……?」
カイは二重人格なの? まさかとは思うけど、もう一方の人格がカイの体を使ってるとか……?
「……?」
“カイ”は、私の方を静かに鋭く見つめていた。私はその眼差しに不覚にもどぎまぎしてしまう。
「……な、何ですか」
「そのまま」
「え」
“カイ”は私に短くそう言うと……?
コツン……。
彼は私の腕をつかんで、私のおでこに自分のおでこを……くっつけた……!
「な……なななな何をッ……!?」
カァアア、と私は自分の顔が下から熱を帯び始めるのを感じた。ちょ、ちょっと、なんで火照ってるの私は……!?
お互いのおでこを突き合わせて『カイ』はしばらく目を閉じていたが静かに目を目を開く。ちょっと、顔が近いよ……!
「スバル……君、さっきから耳鳴りがしているね。誰かに攻撃を受けたのか……?」
「え、う、うん。ちょっと……でもどうしてそれを……?」
お願い……! 恥ずかしくて気絶しそうだから早くおでこを離して……!! 今の私には、耳鳴りなんてどうでもいいよ……!
「……深呼吸を」
私は言われた通りに深呼吸する。すると、“カイ”の体が再び青いオーラに包まれた。その“波導”は“カイ”から私に流れていく。すると……?
ィイイイイイイン……。
すぅ、と耳鳴りは静かに引いていった。やっと周りの音が正常に聞こえるようになった。
そして、ここまで来て“カイ”はやっと私から離れた。ふう……。
「……はぁっ、はぁっ……!」
“カイ”は息を切らしながら膝をついてしまった。とても苦しそうにしている。
「……カイ……?」
私は名前を呼ぼうかどうか迷ったけれど他に呼び方が無いのでそう呼んで、苦しそうな“カイ”に近寄った。
「……本当のカイは大丈夫なの? 無事……?」
「……ああ……大丈夫だ……っ……私が引けば、カイは戻ってくる……」
「そう……あの、ありがとう」
私がそういうと、“カイ”は一瞬驚いたような表情になった。どうしてこんな顔をするんだろう……? 私何か変なこと言った?
「……いや」
“カイ”は地面を見る。そして言った。
「これからも……カイを頼む……」
「う、うん」
そして、彼はゆっくりと体を傾けた。私はあわててその体を受け止める。……どうやら気絶したようだ。さっき彼が言った通り、『引いた』のかな……?
それにしても、私が森でカイを助けたとき……表に出ていたのはこの人だった……。アリシアさんを救うためにカイの体を動かしたのと同じく、あの時もカイの代わりに谷からこの森まで歩いてきたんだね……。
これで一つ謎は解けた。でも、彼はいったい……?
私はそう思いながらも、いつまでたっても引かない顔の熱を冷ますのに必死だった――。