第二十一話 “覚醒”
――三つ巴の戦いに決着がついたあと、空のいただき・頂上では……?
★
「き、聞いて下さい……カイさ……」
アリシアさんが必死に声を絞り出した。重傷を負っているはずなのに何かを訴えようとしている。僕は耳をアリシアさんに近づけた。
「な、なに? 聞いてますよ!」
僕はできる限りアリシアさんを励ますように声をあげた。するとアリシアさんは、僕にとって衝撃的な一言を放った。
「……ダー……クライ、は、“ナイトメアダーク”を産み出した……張本人です……っ!!」
「な……っ?」
なんだって……!? ダークライが“ナイトメアダーク”の……!?
「今の……あなたたち、では……っ……到底かなう相手で、は……ありません……逃げ……」
「……アリシアさん?」
「……」
僕はアリシアさんの言葉の続きを待つ。しかし。
「アリシアさん? アリシアさん!!」
アリシアさんの声が消えた。僕はアリシアさんに必死に呼び掛けるが、彼女は完全にうんともすんとも言わなくなった。
「……っ」
目が半開きのままうつろで、焦点が合っていない。体温はいまだに下がり続けていて、まるで……!!
「死んでるんじゃないかな?」
「なッ……!?」
この声は……!!
僕は振り返った。恐る恐る、ゆっくりと……。
そこには……じっとりとした目で僕を見下ろす黒いポケモン――。
――ダークライ……!
「ど、どうして……!? シャナさんと戦ってたはずじゃ……!?」
「ああ、“爆炎”かい? それなら、ほら、あそこに」
ダークライはそう言って数十メートル先にある木の幹を指差した。そこに、全身アリシアさんと同じ種類の傷を受けてぐったりと倒れるシャナさんの姿が……!!
「そんな……あのシャナさんが……!!」
ありえない、そんなこと……!
目の前の現実をどう受け止めればいいのかわからなかった。シャナさんが戦闘不能になった今、戦えるのは僕一人――! だけど、シャナさんが叶わない相手を、僕が倒すなんて……。
「あっちの方は、まだ死んでないと思うけど。どっちにしろ、しばらく目を覚ますことはないね」
僕の心を見透かしたかのようにダークライは言った。“しばらく目を覚ますことはない”……その言葉が重い圧力としてのしかかる。おそらく、ダークライの作戦なんだろうけど……僕はそれを頭で理解できても、本能には逆らえなかった。
――怖い――。
シャナさんをあんなにもあっけなく……! そんな相手じゃ、僕なんか瞬殺だ……!!
「さて、リオル……カイだっけ? 君、そこのクレセリアからなにかを渡されなかったかな?」
「え……」
まさか……さっきの羽根……!?
僕がびくっ、と反応する様子を見て、ダークライは細く笑う。
「……心当たりがあるようだね。さぁ、それを渡してもらおう」
ダークライはこちらにゆらゆら近づいて来て“差し出せ”という風に片手を前につきだした。
「……僕は、何も、も、もらってない……!!」
僕はそう言い返すけど、その声はひどく裏返っていた。
「……怖いんだろう、カイ。わかるよ、手に取るように……早く渡してしまえば楽になるよ。しょせん会って間もない、見ず知らずのポケモンから渡されたものだ。守ってなんの意味がある?」
「……」
……確かに、いう通りだ。今の僕には、ダークライの言葉が甘い蜜のように思えてきた。なぜだろう……渡してはいけないのを頭ではわかっているのに……。
「そうだ、渡して、楽になるんだ。さぁ……!!」
「……」
僕は、ゆっくりとてを伸ばした。羽根を持つ手を……。そうだ、楽になろう。どうせかなう相手じゃない……。
――“ポケモンたちを、ナイトメアダークから救えなくなります!”
「!」
ダークライが僕の手を取ろうとした。刹那――僕の脳裏に声が響いた。慌てて手を引っ込める。今のは……!!
麓でアリシアさんがいっていた言葉……。
そして、それがきっかけとなったように、次々と他の声も折り重なる。
――“ここは私に任せて、行ってください!”
――“自分の都合で人の命を消すなど、許せるはずがない!”
最後に浮かんだ姿、それは……。
――“大丈夫、行って”――。
スバル……!!
僕はあのとき、初めてみる幹部を相手に、あんなことを言える君が不思議だった。でも……。いまは、わかるよ……君は、みんなのためなにができるか……それを考えて、自分が困難でもそうすることを選んだんだね。
仲間のために……!!
そうだ、なにをやってるんだ、僕は。僕が羽根を渡した時点で、みんなの――仲間の思いを一瞬で無駄にすることになる!
――いま、僕は独りじゃないんだ!
「これは……渡せないッ!!」
僕はダークライに叫んだ。すると、先程まで細く笑っていたダークライは、怖いぐらいにゆっくりと首をかしげた。
「……私にとしては、君を傷つけずに、実に平和的な方法でやってあげてるんだけど」
「……!」
僕は震えるほど怖かった。声は穏やかだけど目が笑ってない。
「……しょうがないね。“サイコキネシス”」
「っがぁああっ!?」
な、なんだ……っ!? 体が……!?
「あああああッ!!」
「そういえば、“サイコキネシス”は格闘タイプの君には効果抜群だったね」
意識が……飛……ぶ……ッ!!
「苦しそうだね」
ダークライがそう言うと、すっ、と“サイコキネシス”を解いた。
「ああッ!! ……はぁ……はぁ……!」
くそっ……!! 息が、苦しい……!
僕は思わず地面に手をついた。だめだ……かなう相手じゃない……!
「まったく、君も強情だね。自ら苦痛を選ぶなんて、そこまでして守るものなのかな?」
「……っ」
「警告だよ。羽根を渡すんだ」
ダークライは片手をつきだした。“サイコキネシス”の準備だ!
「……言っておくけど、死んだポケモンをかばっても、君にとってなんの得にもならないよ?」
「……し……?」
誰のことだ……!?
「……そこのクレセリアさ。もう、間に合わな――」
「アリシアさんは、まだ死んでないッ!!」
「……」
僕は思わずダークライの言葉を遮って叫んだ。まだだ! まだアリシアさんは、死んでなんか……死んでなんかッ……!!
「……あー……」
ダークライは面白くなさそうに目を細めた。
「……君も、自分より相手が傷ついた方が苦しい、といったクチかな? 相手のためなら、自分が傷ついてもいいとか? ……たしかに、君に“サイコキネシス”はあまり意味がないかもね……」
ダークライは、僕が必死になってたち上がろうとするなか、一人で納得していた。
「いいことを知ったね……こういう相手の方が――こういう相手であるばあるほど、よりいたぶりやすい。自分がダメージを受けてもおれないのは厄介だが……」
ダークライは、そう言って片手をあげた。“サイコキネシス”だ!!僕は身構える。が……!?
いつまでたっても痛みが来ない……?
僕は、恐る恐る目を開ける。すると、ダークライの“サイコキネシス”は僕ではなく、僕のバッグの中身を捉えていた。そして、取り出したのは……!?
「銀のハリ……!?」
そう、飛び道具の“銀のハリ”をダークライは 空中に浮かびたがらせていた。いったい、何を……!?
そして、ダークライはそれを飛ばし、遠くで倒れている……シャナさんの喉元にぴったりと標準をつけた……まさか……!?
「さて、私も気が変わったよ。……あそこで気絶している“爆炎”の命は、君の手に委ねられた。……羽根を渡してもらおう。さもなくば……」
「……っ」
そんなことって……!!
もし羽根を渡さなかったら……シャナさんがッ……! でも、渡したらアリシアさんの言葉を無視することに……!?
「わかってると思うけど、死んだポケモンを裏切ったところで、誰も君を責めないよ」
ダークライにまた心を見透かされた。
「さあ! 君はどっちを選ぶんだい!? “爆炎”? それとも、死人?」
「……ぐ……う……」
だめだ……!! 僕にどちらかなんて、選べない!
どうする? どうする! どうする!? 考えろ、考えるんだ!
僕はどちらも死なせたくないッ!!
「……さっきよりもいい表情をして来たね。その究極の選択を迫られたときの表情……。どうするんだい? カイ!」
「……っ、やるんなら、僕をやれよっ……!!」
「おっと、そうはいかない。僕は君がどちらを選ぶか興味があるんだからね」
「……こ、こいつっ……!」
そうだ、こいつは最初から僕の反応を……! こんなことのために、人の命をッ……!!
僕の心に湧いてきたのは、激しい怒り。
それはもちろん、ダークライにもあったけど、何よりも自分自身に向けられたものだった。
なんなんだ……! 結局何をしても、何もできないじゃないか、僕は。誰かを救ったり、守ったり、そんな大層なことじゃない。たった一匹のポケモンとの約束すらも、僕は果たせない……!
僕に、力があれば……!
誰かを守れる力があれば……!
僕に“波導”が使えたら……!
技の一つでも出せたら……!
僕が強かったら……!
――力が……力がほしいッ!
そんな大層なものじゃなくていい! ただ、大切なものを一つぐらい守れる力が! この状況を打破できる力だけでいいんだ!
――ドクン!
『……大層なものじゃなくてもいい……か』
……誰……!?
『この状況を、変えたいか?』
そうに決まってるッ! 僕自身はどうなってもいい! あの時の……リンみたいな時にはなりたくないッ!
『守りたいか? 一つでも』
守りたい! 僕の全力でッ!
『そうか、ならば――第三の選択肢だ』
「……なっ……!?」
第三の……選択肢……!?
――ドクン!
『私に……体を委ねろ!』
★
「さあ、どうするんだい……カイ!」
ダークライは再三叫んだ。カイが究極の二択とも言える決断をどうするか? ただ、今のダークライの考えはそれしかなかった。
と、その時……。
「――どちらでもない」
「ん?」
ドンッ!!
「ぐぁあああ!?」
ダークライは、行きなり腹部に衝撃を感じ思わず絶叫した。そして、吹っ飛ばされる。
その拍子にダークライがかけていた“サイコキネシス”も解除してしまった。銀のハリはシャナのすぐ横に落ちる。
「な、何が起きた……!?」
あわててカイがいた方を見るダークライ。カイは先程と同じ場所に立っていた。しかし……。
「……っ……どうしてそんなに余裕な表情をしてるんだい!? カイッ!?」
ダークライは先程とうって変わって、焦った声音で叫ぶ。この予想外の出来事が完全にダークライを狂わせていた。
「何をしたんだよ、君は!?」
「……その言葉、そのまま返そう、ダークライ。君は、とんでもないことをしたようだね……」
「……!!」
喋っているのは、確かに目の前にたっているカイだ。間違いない。声の質も、なにも変わっていないのだから。
しかし、ダークライはそんな彼にこういわざるを得なかった。
「――君は……誰だッ!?」
そう、目の前にいるリオルはカイだ。しかし、今彼がたたえるオーラはどうしても今までのカイとはかけ離れている。まるで別の人格のようだ。
カイではない誰か――“カイ”は、ダークライのその質問にゆっくりと口を開いた。
「君に名乗る必要もない。……カイではないのは確かだが」
彼はそう言った。そして、片足を引きボールを持つときのように両手を構えた。
「! あの構えは……!」
ダークライがそれに気づいた。しかし、避ける前に“カイ”は叫ぶ。
「――“波導弾”!!」
「ぐぁあああ!?」
避けられる速度ではなかった。シャナの攻撃すらも軽くあしらうあのダークライが、だ。ダークライは効果抜群の技をもろに受けて叫び声をあげる。
「ど、どうしてリオルが“波導弾”を……!?」
「無駄口を叩いている暇があるのか?」
「!」
すでに“カイ”は倒れているダークライの目の前まで迫っていた。……さきほどのシャナとの戦いと状況が酷似していた。
しかし、立場は逆。
「“はっけい”!」
「ぎゃあああッ!!」
再び効果抜群の“はっけい”がクリーンヒットし、ダークライは先程よりもさらに耳をおおいたくなるような叫び声をあげる。
「な……なんだっ……この強さはッ……!?」
ダークライは今の状況を受け入れたくなかった。数分前まで、こんなことになるのを誰が想像できただろうか?
「警告だ、ダークライ」
“カイ”はダークライを見下ろして言った。
「今すぐこの場から立ち去れ。お前がどうあがいてもどうにもならないことは、今ので身に染みたはずだ。……去れ」
「……な、なんだと……!?」
ダークライは一瞬殺気だったように声を上げたが、すぐに冷静になる。確かに彼が言った通り、今の“カイ”の強さは身に染みてしまっていた。このまま戦っても負けるだけだろう。
「くっ……!! 今日のところは、退散すべきだね。……どうやら、君の連れも来ちゃったみたいだし」
そう言って、ダークライは宙に不確かな足取りで浮かび上がった。それと同時に、二匹分の足音が頂上の入り口の方から聞こえてきた。
「……今日は予想外の出来事が多かった。その点では収穫かもね……また会おう――“もう一人のカイ”……」
ダークライは、そう台詞を残して、空の頂から姿を消した――。