ある二人の過去 後編
☆
眩しい……。
私が再び目を開けたとき、目に浮かんだのは規則的な天井だった。
……ここはどこ……? 私……死んでない?
体はすごく重くて、所々鈍く痛んだけど、いくらか前の激痛は和らいだ。私は体を起こしてみる。
すると、私の目が覚めたのに気づいたのか、誰かが息を飲む音が聞こえた。そして、私の視界に入ってきたのは……。
「大丈夫か……!? どこか痛むか?」
……しゃべるバシャーモ。
……しゃべる……?
「う……わぁ……!?」
バ、バシャーモがッ……バシャーモが喋った……! ど、どうして……!?
私は思わず後ずさりしようとした。でも、体が思うように動かない。するとバシャーモが、私の行動を見て困ったように慌てた。
「おい、動くな! 傷口が開く! ……どうしたんだ、落ち着け」
これが落ち着いていられますか!?ポケモンがしゃべるだなんて……!
……え……。傷……?
私は、恐る恐る自分の体を見てみる。
……待って……肌が(というか、毛が)……黄色い……?
どゆこと?
私は自分の頬を触ってみる。プニッとやけに柔らかい感触だ。そして、手を頭のてっぺんに持っていくと、そこにはちょこん、と尖った耳……。まさかと思って手を見てみると、指は五本あるのだが……小さく、黄色い……。
「……えっ……え? ……え……」
待って……これって……。
「うわぁ……!!」
――私……ピカチュウになってるぅううう!?
「えっ……あ……? な……ど……!?」
ど、どういうことだろう!? わ、私は、ピカチュウなんかじゃなかった! 元は人間……人間?
「……ん……?」
私……誰だっけ? どうしてここに? 元は人間だった? でも、どうしてそう思うんだろう……?
あれ、何も思い出せない……。
「……お前……口が利けないのか?」
「え……」
何言ってるの……?
と思って、私はバシャーモを見たけど……本人の顔はいたって心配そうだった。
ああ……そうか。私さっきから“な”とか、“え”とかしか言ってないから……。
だって、そりゃ動揺して言葉なんて出ないよ……。取り乱さないのが不思議なぐらい……。
「しゃ、喋れます……」
「そうか……」
バシャーモは安堵して息をついた。確かに、私が喋れなかったら途方にくれるしかないもんね。するとバシャーモはこう言ってきた。
「……名前は?」
「なまえ……」
私の名前……。必死に記憶を手繰り寄せる。
――……お前の名は、遠い星の名だ。どんなに遠くても絶対にその星の光が道しるべになるように……絶対にまた会えるように……――。
「……スバル」
「え?」
「スバル、です。私の名前……」
「スバル……」
バシャーモは首を捻った。どこか異国の名だろうか、と小さく呟く。
「……それで、どうしてそんな大怪我を? 少し遅かったら間に合わなかったんだぞ……」
「……」
なんでだろ?
「……わかりません……」
「どこから来た? 家は?」
「……わかりません……」
「両親は? 名前はわかるか?」
「……わかりません……」
私……ぺラップになったみたい。同じ事ばかり繰り返し言ってる。……実際はピカチュウだけど。
「なにか思い出せないか?」
「……思い出せません」
誰かが私の記憶の扉に鍵をかけてるみたいだ。何かを思い出そうとしても、何にも出てこない。
何か……何か思い出せないの……?
――ズキィッ!
「う……!」
頭に鋭い痛みが走った。これは……本格的に脳が記憶を呼び覚ますのを拒んでるみたい……。
私が頭を抱えるのを見て、バシャーモが静かに言う。
「大丈夫か? ……無理するな」
……全く、なんにも浮かばない。なのに、なんで私が人間だったことは覚えてるんだろう……?
こういう状況……何て言うんだっけ。
――記憶喪失?
「記憶喪失?」
私がその答えにたどり着いたのにシンクロするかのように、バシャーモが語尾を上げながらそう呟いた。
へえ、記憶喪失……私が。
「……行く当てがないのか……?」
バシャーモは、私に聞く。いや、聞いたというよりは“当たり前だが一応確かめてみた”という方が正しい。
私は、ゆっくりコクン、と頷いた。
「そうか……」
バシャーモは、一瞬何かを決心したような顔になった後、私に横になるように手で促した。そして……。
「……もう一度寝た方がいい。俺が見てるから、ここは安全だ。だから……安心しろ」
バシャーモは、ブツブツ呟くように私に言った。頼り無さそうな声だ。このしゃべり方が癖なのかな。
でも、自然とこの言葉がやけに私の心のなかにじわりと染み込んだ。そのせいか、だんだんまぶたが重くなってきた……。待って……まだお礼を、言ってない……。
「……あの……ありが、と……ございます……助けて……くれて」
舌が回らないまま、私はそう呟いた。
閉じていくまぶたの裂け目に一瞬、泣きそうな……驚いたような、そんな顔をしたバシャーモがいた……。
どうして、そんな顔を……。
「……あなたは、誰……?」
私は尋ねた。沈んでいく意識の中、私が最後に聞いたのはそのバシャーモの名前だった……。
その名前は……――。
★
「――シャナさん?」
俺は、むかしの記憶を、ぼーっと思い出しながら、扉を取り付けた小屋の前の階段に座っていると、小さな声が聞こえてきた。俺が今、掘り起こしていた思い出の中と同じ声……。
「……スバル」
俺の前にちょこんと立っているのは、俺が昔助けた……そして、俺を悪夢という闇から救った、光を放つ“星”――。
思わず目を閉じてしまうような太陽の輝きとはまた違う、そばに寄り添うような光をスバルは持っている。
「何て顔をしてるんですか。天下の“爆炎”が」
スバルは苦笑いしながら言う。……はあ……。
「あんな仕打ちを受けて正気でいられる奴がいるか……?」
「フラレたら早めに忘れることをおすすめしますよ」
「それが出来たら最初から苦労しないぞ……」
「うわぁ……女々しい……」
……こいつ、俺が助けた当初より可愛いげがなくなってきたな……。
「なぁ、スバル」
「なんですか?」
スバルは、澄んだ無垢な黒い瞳をこちらに向ける。
「さっき聞きそびれたが、お前が強くなりたい理由って……」
「わ……。そこ聞いちゃいます? 野暮だなぁ」
おい、それ使い方あってんのか?
俺は喉元まで出かかったその台詞をなんとか飲み込む。ここで話が枝道にそれるのは避けたい。
スバルは少し照れくさそうに頬を赤らめて俯いた。そして……
「……“守るため”……かな……」
「まもるため……?」
「私、今まで助けられてばっかりで、何かのためにとか、誰かのためにとか考えたことなかった。……記憶喪失なのもあるし」
スバルはそこで一旦句切って上目遣いに俺を見た。なので俺は、続けてくれ、という意図で頷いた。
「でも、カイが……町が攻撃されてるのを見て、私は何も出来なかった。無力だった。初めて本当に心のそこから助けたいと、守りたいと思った。……そう思える人が来てくれた。だから私は……強くなりたい」
そうか……いや、待て。
カイが来たのはつい最近だが、スバルが弟子入りをしたいといってきたのはずいぶん前じゃなかったか?
するとスバルは、俺の心を見透かしたように自嘲気味に笑った。
「そう……私、最初はただ独りのさびしさを紛らわすためだけに、何の目的も無く弟子入りをしつこく頼んでたんです。自分でも気づかないうちに。でも、今は違う。ちゃんと、私には強くなるための目標がある」
そして、スバルは頭を下げた。
「だからシャナさん、私を、弟子にしてください!!」
「……」
大体の事情はわかった。スバルもカイとの出会いでいろいろ変わったんだな……。
だがしかし、俺にはひとつだけわからないことがある。
「スバル、お前はなんで俺にこだわるんだ? 別に師事するならルテアでもよかっただろう?」
何せ、やつは“槍雷”というおっかない通り名がつくほどの力量の持ち主だからな。
するとスバルは……。
「そんなの……。私がシャナさんのバトルスタイルを気に入ってるからですよ」
「……は……?」
俺の……バトルスタイル?
「ルテアの戦い方もいいけど……私はシャナさんの隙あらば大技! って方がいいなぁ……と思って」
スバルが俺に弟子入りしたい理由……そこにはちゃんとした根拠があったのか……。
「何でも相性ですよ。私はシャナさんと相性がいいんです」
……言うようになったな、黄色いの。
そうか……しっかりとした考えを持ってないのは――しっかりと向き合っていないのは俺の方だったか……。
『……何年前の過去を引きずってるんだ? てめぇはよ……』
……そうだな、ルテア。お前の言うとおりだ。前に進むことを拒んだら、俺は一生このままだ。ならば、スバルが与えてくれたこの機会を……。
俺は立ち上がる。
「……スバル……俺でよければお前に俺の持っている全ての技術を教える。それでいいか?」
俺がそういうとスバルは、一ヶ月間待った答えがやっと満足する形で返ってきた喜びで顔をほころばせた。
「――はい、師匠」
★
「そういえばルテアさん」
「ん、なんだ?」
「シャナさんが抱える過去って……まさか失恋っていうわけじゃないですよね?」
「……」
「ルテアさん?」
「カイ……ヒトの心ってさ、長年信じてたものに裏切られたとき、いとも簡単に壊れちまうよな……」
「え? あ、はぁ……」
「シャナはな、まさにそれだよ」
「……はぁ」