へっぽこポケモン探検記




















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第十章 “運命の塔”編
第百七十二話 最後の“願い”
 ――“運命の塔”が、壊れていく。闇に食い尽くされていく。そこから脱出してきた四人の仲間たちは、その様子を直に目の当たりにする事となった。“イーブル”、ダークライ、そして“ナイトメアダーク”。迫る脅威に勇敢に立ち向かい仲間を助けた彼の名は、この先ずっと語り継がれるだろう――その命を、引きかえに。





 ギルドへ戻ってきた瞬間から、もう、何十分こうしているんだろう。スバルは、泣き崩れて立てないまま、ずっとシャナの腕の中でしがみついて嗚咽していた。そうしているせいでしゃがんだままの姿勢から立ち上がれないシャナも、何も言わずになされるがままにしていた。泣きじゃくるスバルには、見えなかった。俯いた彼の目の縁にもまた、光るものがこぼれ落ちて頬を伝ったのを。
 ミーナも、苦しそうな顔をしていた。ルテアに至ってはその場で慟哭していた。
「なんでッ……なんでカイなんだよッ……どうしてッ――」
 まだ、スバルたちが戻ってきて数十分だった。だが、カイが仲間を守るために犠牲になった事は、一瞬にしてギルド、そしてトレジャータウンに広まる事となった。
 殊、この事実に対するショックがでかかったのは、流浪探偵のローゼだった。怪我の処置を受けて包帯が様々な場所に巻かれていた姿の彼は、事の仔細を聞いて全身の力が抜けた。彼は、カイが死する事をわかっていた。わかっていたからこそ、運命を全うしたのではなく、ナイトメアダークに飲まれたという報告が、どうしても受け入れられなかった。
「カイ、くん……」
 誰かを信じる事を教えてくれた、小さな体の大きな存在が、消えた。呆然としたその目から、やはり涙がこぼれ落ちた。
 カナメはその報告を聞いて、自分の勘違いが引き起こした大きなゆがみが、一人のポケモンの命を失わせてしまった事にひどくショックを受けた。
 自分を、呪った。だがそれは、遅すぎた行為だった。


「うっ……ううっ……」
 スバルは、泣いて、泣いて。涙のせいで混濁する意識の中で、カイの残した最後の言葉を思い出した。
 ――さっき言った僕らの秘密……ギルドに帰ったら、君が、やるんだ――。
 スバルは、震える手をトレジャーバッグに突っ込んだ。そして、世界がどれだけ変わっても、普段と変わらず美しい七色の光沢を放つ“命の宝玉”を、取り出す。その行動に、気づいたシャナが、掠れた声でスバルへと尋ねた。
「なにを、するんだ……」
 ――果たさなきゃ。果たさなきゃ……。カイとの約束を、果たさなきゃ……。
 スバルは、どうにか涙を拭いて、宝玉を持つ。涙は拭き取った矢先にまた流れた。そして、嗚咽のこもった声で、小さく決然と唱える。
 カイから耳打ちされた、合い言葉を。

「“時空を超えて、心を一つに”――」





 あふれる光に目を閉じて、スバルが再び瞼を開けたとき、そこはギルドではなかった。
 海の底のように、藍色の空間の中で澄んだ水色の波紋が揺らいでいる。ここは、いったいどこだろう。体が妙にふわふわしていて落ち着かないが、息が出来るので海の底ではなさそうだ。
 そして、スバルの目の前には……威厳、畏敬の権化のような、神々しい姿の白いポケモンが佇んでいた。
『――余の眠りを覚ましたのは、誰ぞ?』
 彼女は、その質問に対し咄嗟に声を上げる事も出来なかった。なんて神聖な、なんて恐れ多いポケモンなんだろう。いや、もしかしたらポケモンですら無いのかもしれない。
 だが、ここで勇気を奮わねば。カイが残した頼みを達成するべき使命感にスバルは突き動かされた。
「わ、私は……スバルです」
『ほう……』
 ただポケモンは名乗ったスバルを見下ろしているだけだというのに、不思議な色をした目で見据えられるとそれだけですくみ上がりそうになった。
『余の名はアルセウス。眠りとともにこの地を見守り続ける者。……スバル、と申したか。その姿は虚偽のものであるな。そして、その身に強い力を宿している』
 アルセウスの前では、どんな隠し事もお見通しのようだった。いや、もともと隠すつもりなど毛頭無かったのだが、アルセウスに願いを叶えてもらうためにはどうやらそこまで全て明かさないといけないらしい。
「わ、私は……もとは人間でした。そして、願いを叶えると言われる力を図らずも持つ事になりました。それ故に、私は追われる身となり、逃げてきた先でポケモンになったんです」
『ほう……』
 ソオンの力は未知の部分が多いので、そうとしか説明のしようがなかった。だが、神と呼ばれしポケモンには、その正体すらも見透かされているような気がする。体や、心の奥底までも、全て。
『……余の眠りを覚まし人間の子、スバルよ。聞こう、そなたの願いを』
 だが、アルセウスは余計な言葉は一切なしに本題へ移った。スバルはここでやっと顔を上げる。やっとまともにアルセウスの姿を見る事が出来た。
 ――このポケモンが、どんな願いでも叶えるポケモン……。
 スバルの“ソオン”も願いを叶える事が出来るが、それにはスバル本人の身から対価を払わねばならなかった。それこそ、人の命を救おうなどと思えば、自分の命を犠牲にしなければならないほどの重い対価だ。“願い人”の力は万能ではない。だが、それでも重い対価を払ってまで願いに欲望な先人たちは、次々と命を引き換えにしてきたが故に短命の者が多かったという。
 だが、目の前のアルセウスは違う。己の身から対価を支払い願いを叶えるのではない。しかとした手順を踏んで、しっかりと代価をどこかで準備しておけば、どんな願いも叶えられるのだ。
 ――もしかしたら、カイの命も……。
 ふと、そんな事がスバルの頭をよぎる。そうだ、アルセウスなら。彼女の大事なパートナー――スバルたちを助けるために犠牲になった大切な人を、蘇らせてくれるのかもしれない。
「私の、願い、は……」
 のどの奥が詰まった。
 会いたい、切実に。会いたい、胸が張り裂けそうなほど。
 スバルはここにきて、今までカナメがどんな気持ちで対価を集めてきていたのかを思い知った。彼はスバルを失って、五年もの間こんな胸が張り裂けそうな気持ちでいたのだ。
「わたし、の……」
 でも、だからこそ。そんなカナメを見たからこそ。スバルは、喉が詰まった。涙が頬を伝い、願いの言葉は嗚咽に変わった。
 ここで、カイを蘇らせようとしたら。カナメと同じ過ちをしてしまう事になる。彼は人一人の命を蘇らせる代わりに、大きな犠牲を生みすぎた。そして、それはカイを蘇らせるとしても同じ事だ。
 どんな風に願いを叶えようとしても、対価なしで無条件に願いを叶える事は、不可能なのだ。
 誰かの犠牲の上にカイとまた会える事になったとしても、彼は、きっと喜ばない。
「私の願いは――」
 スバルは、涙を拭いた。そして決然とした表情でアルセウスを見る。

「――“ナイトメアダーク”を消滅させて、吸い取られたみんなの魂を元に戻す事です」

『人間の子、スバルよ。そなたは己の願いにどんな対価を差し出す?』
 アルセウスが次の問いを投げかけた。ナイトメアダークの力は強大すぎる。半端な対価では願いを叶える事は出来ないだろう。
『そなたの対価が、己の願いに見合ったものであれば叶えよう』
 ――カイ……。
 スバルは、彼の最後の言葉を思い出した。自分たちだけの秘密を、彼の声を。かかった吐息を。
「対価は……“命の宝玉”です」
『……』
 アルセウスは沈黙したままであった。説明しろ、と言う事らしい。
「“命の宝玉”は、私たちポケモンが願いを叶えるために、あなたの空間へ渡るの唯一の交通手段です。それを、渡します」
 “命の宝玉”があるかぎり、これからの未来でポケモンたちは願いを叶え続けるだろう。ルアンのいた時代のように、そして今回の“イーブル”のように。
 宝玉を対価として渡すと言う事は、もう願いを叶える事は出来なくなる――その未来に叶えるはずだった全ての願い、そしてその対価を放棄すると言う事だった。
 そして、それは。もともとルアンが帯びた“宝玉を消滅させる”という使命が果たされると言う事でもあった。
『スバルよ――』
 アルセウスは、そこまで聞いて初めて再び厳かに口を開いた。

『――その対価のみでは、そなたの願いを叶える事は出来ぬ』

「え……っ」
 脳天から雷を食らったような衝撃を受ける。
「そ、そんな……」
 これが、唯一の方法可能性だった。悪夢からみんなを救う方法だったと言うのに。
「ど、どうして……だめなんでしょうか、この対価では!」
 大いなる願いには大いなる犠牲が伴う。その犠牲者を救う事も出来るというのに。だが、次のアルセウスの言葉は意外なものだった。
『人間の子、スバルよ。差し出す対価は間違ってはいない。だが、そなたの願いを叶えるならば、まだ足りぬ』
「えっ……!」
 瞬間、スバルの瞳に希望の光が宿る。対価は、間違ってはいない。問題は質でなく量だと彼は言っているのだ。
 カイは、頑張った。彼だけではない。仲間たちは、ナイトメアダークを払拭するために奔走してくれた。だとしたら、自分に差し出せるものならばどんなものでも差し出そうと思った。命なんて大層なものはさすがに無理だが、出来る限りのものを対価に当てたいと思った。
いま、自分がカイに出来る事は、なんとしてもナイトメアダークを払拭する事だ。
「あとどれくらいで足りますか! 私が差し出せるものは、何かありますか」
『己の願いを、己の身から差し出すと言うのなら――』
 アルセウスは片足を上げ、スバルへ向けた。

『そなたが身に宿している“ソオン”――その力を貰い受ける』

「っ……!?」
 全く予想していなかったアルセウスの言葉に、スバルは一瞬言葉を失う。そして過労時で喉から出たのは、「私の……力を……?」というペラップ返しの言葉だった。
「ソオンの力を差し出せば……ナイトメアダークを払拭してくれるんですか?」
 スバルの声の震えた問いに、アルセウスは鷹揚な態度でうなずく。
 しばらく、スバルは顔を伏せて胸の上で宝玉を強く握っていた。どうしてだろうか、あれだけ手放したいと思っていた願い人の力が、どうしてか対価として差し出すのに躊躇するのだ。
 ――何を迷っているんだろう。ナイトメアダークを払拭できて、この忌まわしい力も取り払ってくれるなんて、願っても無い事じゃない!
 スバルは覚悟を決めて、キッと顔を上げた。
「私の力――“ソオン”も、対価として渡します! だからどうか……どうか、ナイトメアダークを払って!」
 スバルの凛とした声に、アルセウスはまばたきすらもしないでしばらく黙っていた。だが、しばらく黙ってスバルを見つめていた彼は穏やかに瞼を閉じる。
『……そなたの願い、確かに聞き入れた』
 同時に、ぽぅと、スバルの持った命の宝玉が優しい光に包まれて、ひとりでにアルセウスの方へ浮遊していった。宝玉を自分の目の高さまで浮かせたアルセウスは、何かを懐かしむように目を細める。
『これは元々、下界の者との接触のために作り出した余の一部であった……。これがなくなれば、余は本当に世界を見守る事しか出来なくなるな……』
 スバルは、不思議な気持ちで神と呼ばれるポケモンの話を聞いていた。事務的なこと以外の言葉を発するのはこれが初めてだった。いままで感情と言う感情を見せて来なかったが故に、アルセウスに一種の神々しさを感じていたスバルだが、ここにきて急に彼への親近感がわいた。神と呼ばれしポケモンもまた、自分たちと同じ感情を持っているのだ。
 “命の宝玉”は、そのままアルセウスの体内へと吸い込まれた。一瞬だけ彼の白い体躯が先ほど宝玉を包んでいたもの同じ光に包まれたが、それも一瞬で消える。
『さて……、では“ソオン”の力を貰い受けよう』
「あっ……」
 フワリ。
 心の準備もできないまま、スバルの体が暖かい光に包まれて、仰向けに浮かび上がった。不思議な感覚が全身を支配する。急に何も考えられなくなって、彼女はまどろみのなかに引き込まれそうになる。全身の力が抜けて――思わず涙がこぼれた。
「ど、どうして……」
 流した涙が無重力の中にいるみたいに宙へ浮いていった。どうして、涙が出てしまうのだろう。だが、何か。とても大切な者が体から抜けてしまった虚無感に支配されて、彼女はうっすらと目を開いた。ちょうど、心臓の上らへんに、小さな光が漂っている。
 ――これは、もしかして……。
「“ソオン”……?」
 スバルは名を呼んだ。まさか、答えてくれるとは夢にも思ってもいないのだが、そう呼ばずにはいられなかった。すると、どうだろう。
 小さな白い光だったそれは、ピカチュウであるスバルの体と同じくらいの大きさにまでどんどんまぶしく大きく輝き光が収まる、何かを形作り始める。そして光が収まる頃には、星形の頭に背中から伸びる黄色のヴェール、そして頭には短冊のついたなにかが、スバルを見下ろしていたのである。
 スバルの目が丸くなった。
「あなた、は……ジラーチ……?」
 スバルは、多くはない種族の記憶の中の一匹のポケモンの名前を口にした。そう、まぎれも無く目の前にいるのは、願い事ポケモンのジラーチだったのだ。
「やっとお話しできるね、スバル……」
 ジラーチの声は、いつもスバルに抑揚無く語りかけてくる、“ソオン”の声と同じであった。スバルは、信じられない気持ちでジラーチに問う。
「あなた……ソオン、なの……?」
 ジラーチ――ソオンは、悲しそうに笑いながらうなずいた。
「ぼくは、君が人間だった頃にいた世界で、千年に一度目覚めて願いを叶えるんだ。だけど、ある人間の願いを叶えた事が、全ての始まりだった。――“ジラーチの力を、永遠に欲しい”ってね」
 ジラーチは、太古の昔にその人間の願いを叶えた。だが私欲に満ちたその願いは、ソオンが寿命で死しても彼を縛る事となった。
「死んでも、それこそ“永遠”に願いを叶え続けなくちゃならなくなったぼくは、体が朽ちても願いを叶える力だけが残った。だから、ぼくは他の人間やポケモンたちを宿主とするしかなかったんだ」
 不安定になったソオンの人格は、憑いた人間の心に大きく影響された。人間と言うのは私利私欲に満ちた歪んだ願いを持つ者が多く、ソオンの心は歪んでいき、その度に願いには多くの対価を必要とした。
 ソオンは、そっとスバルの額を撫でる。
「でもね、スバル。君はピカチュウになって、いっぱい仲間が出来たおかげで……この力を誰かを助けるために使ってくれた。小さな眠りのポケモンにも、君の大切なパートナーにも、敵にだって……。だから僕も、本来の心を取り戻せたんだ」
「だから、あのとき……」
 スバルは、自分の流した涙の理由が、やっとわかった気がした。
 ソオン。いつも自分に語りかけてくるチカラ。スバルの願いを叶える強大なチカラ。代わりに大切なものを奪っていく忌まわしいチカラ。
 そして、カイやその他のポケモンを助けてくれたチカラ。
 ソオンを身に宿したせいで、スバルは人間だった頃にいくつものつらい体験を強いられた。能力を悪用しようと大勢の大人に追い回され、時に死ぬ手前まで傷つく事もあった。ソオンをめぐって近づいてきた人間関係で、裏切りは一度や二度ではなかった。流浪探偵ローゼには、能力が危険である事を自分の無きところでカイに警告したこともある。この力は、人の命すら奪う力だと。
 ソオンが消えてくれたら、どれだけ幸せなのだろうと何度も、何度も思っていた。だが――。

 ――イッショニ、アノコヲ、スクオウヨ――

 ある時を境に、ソオンは誰かを救うときに声をかけてくるようになった。カイが悪夢にとらわれた時。ラピスが愛を知らないとわかったとき。
 ――そうか、そういうことだったんだね……。
 なにより、ソオンは彼女に悪い大人たちを連れてきたのと同時に、かけがえの無い仲間も連れてきてくれたのだ。
 カナメは、自分が組織に追われる最中に出会った。ヤイバは、ソオンの力を消す方法を見つけるためにカナメと共に転がり込んだ先で出会った。ソオンを追う組織から逃げるために渡った時空ホールの先で、シャナと出会い、ルテアと出会い、ギルドのみんな、そして、カイに出会えた。
 あんなにも忌まわしかった存在は、同時にスバルの中で、かけがえの無い存在となっていたのだ。
「僕は、君が願いの対価としてぼくを差し出してくれたおかげで、やっと眠る事が出来る。ありがとう、スバル」
 涙が止まらなくて、スバルはジラーチを優しく抱きしめた。
「人間だった頃は、あなたのことが忌まわしい存在でしかなかった。でも、違うんだね……! あなたは捕われていただけだったんだね……。私は、あなたのおかげでたくさんの大切な人に出会えたよ……ッ!」
 そして、スバルは涙を拭いてソオンを見る。
「わたしこそ、ありがとう……!」
 スバルの言葉を最後に、ジラーチはそのまま上へ上へと浮遊を始めた。そして、再び先ほどのような白い光に包まれると、優しい光の粒子になって、消えた。
 アルセウスは、厳かに言う。
『そなたの対価、確かに受け取った。いまこそ、そなたの願いを叶えよう――』





 その時、大陸中の空に、柔らかな光が降り注いだ。ギルドのあるトレジャータウンに。雲霞の里でリンの墓の前にいるヤド仙人の前にも。“空のいただき”の麓、シェイミの里にも。ダンジョン“出会いの森”にも。ムンナとムシャーナのいる“眠りの山郷”にも。プクリンのギルドにも。“氷柱の森”にも。
 そして、ナイトメアダークで黒い霧に覆われていた、“運命の塔”にも。
 だが、再びスバルがシャナたちの元へ戻ってきた時。

 そこにカイの姿は、無かった。

ものかき ( 2015/08/01(土) 08:17 )