第百六十八話 闇の中
――ポケモンたちの魂を集めて力を強めたダークライは、“ダークルーム”という技で僕を悪夢の中へ閉じ込めた。ルアンの助けを得られない今、ダークライを倒せるのは僕しかいない。そう覚悟を込めて攻撃しようとした矢先、ここには決していないはずのポケモンが現れて……!?
★
「カンナ、ちゃん……!?」
考えている暇はなかった。“ソウルブレード”をカンナの顔数ミリ前で止めた。攻撃を止める事は攻撃を加える以上に大きな力と隙が生じる事をその瞬間知った。だけど僕の本能が、友達である彼は攻撃してはならないと脳へ告げていた。
だけど、僕が攻撃の手を止めた瞬間。
「ごめんッ……!」
「!」
カンナは僕の目の前に両手を突き出す。
「“ハイドロポンプ”!」
「ぐあぁああああッ!?」
恐ろしいほどの水圧が僕の腹を直撃した。叫ばずにはいられず、そして僕は吹き飛ばされた。一気に内蔵が押しつぶされるんじゃないかというほどの痛み、その後すぐに吐き気が襲ってくる……!
ドサッ!
「がッ……! がはッ……!」
自分でもわかるくらいに無様に漆黒の地面へと打ち付けられた僕は、そのまま胃液を吐くはめになる。苦しい……。痛い……。いきなり受けた“ハイドロポンプ”によるダメージは、手負いの僕にはでかすぎる。だけど、それ以上にダメージが多きいのは精神面だ。
どうして……! どうしてカンナがここにッ!?
ローゼさんの住む下宿のルームメイト。ニョロトノという種族である彼は、連盟のメンバーはおろか探検隊ですらない。バトルなんてした事はないし、もともとポケモン恐怖症だ。どうして、この“ダークルーム”の中に!? どうしてダークライをかばうように僕の前に現れた!? 一歩間違えたら、僕の技で傷つけてしまうところだったというのに……!
「クククッ……」
と、そんなとりとめの無い思考がぐるぐると僕の頭の中を高速で駆け回る中、不気味な笑い声は唐突に僕の耳へ届いた。最初は肩を揺らす程度だった笑いは、最後には高笑いへと変化していく。
「アハハハハッ! ハハッ! いいねェ、その顔ッ! ただひたすらに“どうして?”という良い表情をしているよォ、カイ!」
……やはり。やはりこれはダークライの策だったのかッ!
「いったい僕に……ッ、僕に何をしたッ……!?」
だめだ……さきほどカンナから食らったの技のダメージが大きい。僕はどうにかして肺から声を絞り出す。だけど、“カンナ”に何をした、とは聞かず“僕”に何をした、と聞くくらいの機転はまだ働いている。
「またッ、僕に幻を見せるつもりか……ッ!?」
僕は以前、ダークライの術中にはまり、リンの幻を見せられた事がある。あれは、恐ろしいほど精巧な夢であった。だが、所詮幻だった。心の弱かったあの頃の僕は、死んだはずのリンが夢の中で会えると本気で思っていた。
だけど、今は違う。
論理的に考えろ、どうやったらこの場にカンナ本人が来れるんだ? ――そんなことは出来るはずが無い!
「僕の心をもてあそんでいるつもりかッ! 僕は、もう幻には騙されないぞ!」
ダークライは壊れた人形のように首を傾げる。そして、その汚い手が、怯えて目の縁に涙を溜めているカンナ――の幻の肩に触れた。カンナは「ひっ」と声の裏がった叫びを上げる。精巧すぎる幻だとしても、その肩にダークライの手が触れていると思うと、僕の怒りのマグマは煮えたぎるばかりだ。
「ははッ、何を勘違いしているのかな? カイィ」
気持ち悪いほどねっとりとした口調で彼は言った。
「ここにいる君の友達は、まぎれも無く本物なのさァ。ククッ、君の目の前に見えるカンナは、“ナイトメアダーク”で集めた魂の一つなのだよォ!」
「……なにッ」
「カイぃ……たすけ、たすけてっ……!」
そんな……そんなばかな!?
カンナは切実な声で僕に助けを求めている。このカンナが、“ナイトメアダーク”で吸い取られた彼本人の魂だって!? そんなこと――。
「――嘘だっ!」
信じられない。また僕はダークライの策略にはまろうとしている。目の前のカンナは幻だ……幻なんだ!
「カイぃ……ッ、助けてっ! 僕、下宿でローゼの帰りを待っていたら急に黒いモヤモヤしたものがやってきて……気がついたらここにいたんだよぉっ!」
幻の戯れ言だッ! 確かに“ナイトメアダーク”は、“眠りの山郷”でクーガンやバソンで彼らの魂を奪った! だけど、僕がトレジャータウンを発つ前、カンナは元気だったじゃないかッ!
僕は幻を打ち砕くために走る。“はっけい”の構えを取る。カンナの幻を、消す……!
「ほぉら、やってきたよォ! カンナ、君の魂はいま私が握っているんだ……クククッ、カイを攻撃しないと君の命の灯火はどうなるかな……!?」
「う、うううぅッ!」
ぼろぼろと涙を流すカンナ、ダークライに逆らえず僕に攻撃しようと両手を突き出すカンナ。僕の突進に怯えるカンナ……!
「う、くッ……!」
幻だ、幻だッ、幻だッ!
「ああああああッ!」
「“ハイドロ――”」
「“はっけい”ッ!」
カンナが技を撃つよりも速く、僕はカンナの懐に入り込んで拳をぶつけた。大きく吹き飛ばされるカンナ。息が、あがる。走ったせいだけじゃない。ダメージのせいだけじゃない。僕はカンナを……!
「そんな……ッ、カ、イ……ッ!」
カンナが動かなくなる。僕の技一発で、気を失った……? いやちがう、あれはカンナの幻なんだ……ッ! ダークライが、僕を絶望させるために作ったマガイモノだ……!
ダークライがゆらりと動く。そして、気を失ったにしては呼吸の気配も感じられないカンナへ手を伸ばす……。
「あーあ、やっちゃったね。魂だけとなった存在は、技一つで簡単に命すらも壊れてしまうというのに……」
「だま、れ……ッ」
まさか、僕はカンナを……。
「ククッ、どうだい? 仲間を殺した気分は」
「黙れ……ッ!」
違う、違う。あれは幻なんだ、本物のカンナじゃない……本物じゃ……!
「まだこれが幻だと信じているのかね? クハハハハ――」
「だまれぇえええッ!!」
僕の体は、連続する戦闘でぼろぼろなのに。気づけば叫んでいる。足が動いている。
違う、違う、違う! 僕は殺してなんかいないッ! 僕はヒトゴロシなんかじゃ、ない……ッ! ダークライを、倒すために……!
「くははははッ! もう、“ナイトメアダーク”は大陸中を覆い尽くしているッ! だれが魂を抜き取られても可笑しくないんだよォ! 君はいつまその事実に目をそらしていられるかな!?」
僕がダークライを追うのに、奴はひらりと漆黒の闇の中を悠々と浮遊している。
「さぁ! 次は誰の魂をだそうかなァ!?」
「うわぁあああッ!」
めちゃくちゃに拳を振るった。そんなものがダークライに当たるはずが無い。だけど。
黙れ、黙れッ! 黙れぇッ!
「“電光せっ……”」
「“かわらわり”ッ!」
「がぁああッ!?」
ダークライに突進しようとした。しかし、その横から手刀が僕の脇腹を襲う! だれ、だッ……!? 僕はよろけながら技を食らった方を向くと……。
そこには、サングラスをかけたワルビアルが……!
「サスケ、さん……ッ!」
「よぉ、わるいなぁ、坊主……」
探検隊“ヤンキーズ”のリーダー。かつて僕らは彼のチームとバトルをした事がある。その後もたびたび交流を続けてきた、僕の兄のような存在……。
「わりぃな、俺が不甲斐ないばっかりに、NDなんかに屈して今ここにいやがる……」
――違う。そうじゃない。ダークライが、僕の記憶を読んでサスケさんの言いそうな台詞を言わせているだけ……ッ!
「ククッ、さぁ、君もカイに攻撃するといい。でないと、君の魂を――」
「――ふん、てめぇに屈するくらいなら、俺はカイに倒されてやらぁッ!」
……えっ? 僕は、サスケさんのはなった言葉がにわかに信じられなかった。
幻が……ダークライに反抗した?
サスケさんは、こちらを向いてサスケさんは、サングラス越しに寂しげに笑った。ど、どういうことだ? これもダークライの策略なのか!?
「よぉ、坊主。気にすんな。ダークライを倒すためなら、俺の魂くらいいくらでもくれてやるよ……」
サスケさんは、どんと仁王立ちをして、先ほどのカンナのように攻撃を加える事をしなかった。まさか、まさか!? 目の前にいるサスケさんは、本物だというのか……!?
「なにしてやがる坊主! はやくやれぇッ! ダークライに魂消される前に、俺はお前に倒されてぇッ!」
本物、なのか……だとしたら、本当に、さっきのカンナは――助けてと叫んだのに、僕が攻撃をして魂を消してしまったカンナは……本物……。
「で……できない……ッ」
――僕は、カンナを殺してしまった……!?
「ああん!?」
「できません……、出来ませんッ!」
僕は走った。サスケさんの方に走った。だけど、僕が向かっているのはサスケさんを盾にするように後ろに控えているダークライだ。
涙が出た。あふれて止まらなかった。僕は、殺してしまった。魂となって、少しの攻撃で消えてしまうような無防備なカンナを、攻撃してしまった……!
「ダークライ……ッ!」
奴は不気味に笑っていた。ただ、余裕綽々とその場に立っていた。
「ダークライ、ダークライッ、ダークライッ!」
僕は、手から白い刃を生成して、サスケさんを飛び越えて奴に迫った。泣きながら、怒りながら、憎き名を叫びながら。
「わぁあああッ!」
“ソウルブレード”をダークライに振りかぶる。サスケさんを傷つけずにダークライを倒す! カンナを僕にけしかけた奴を、僕は許さない……!
「ククッ、愚かだねェ――」
――ザンッ!
何かを斬った歯ごたえがあった。ダークライが避けられないような間合いで刃を振り下ろしたんだ。
だから、だから。
僕はダークライを斬ったと思っていた。
だけど。
どうして……!
「どう、して……!」
どうして斬られたのは……サスケさん、なんだ……!?
「ありがとよ、坊主……」
サスケさんは、そう呟き、仰向けに倒れ込んだ。サングラスが落ちた。その目は見開かれたまま動かなくなっていた。
そん、な。そんな、そんな!
「ククッ、ここは夢の中だよ……。君より先に“身代わり”を使う事など、造作も無いのさァ……。夢で私に叶うと思ったのかい? ん?」
「あ、ああぁ……」
僕は、手のひらを見た。また、僕は、仲間を……。
「わぁあああああッ!」
「そうだ、その表情だよ、絶望の顔だよ……! それが見たかったんだよ、カイィッ!」
ダークライは狂ったように手を広げて叫んだ。そして僕に顔を近づけてそう言った。
たお、さなきゃ……。
ダークライは、悪い事をしたんだ……。そうだ……。倒さなきゃ……。
「今度はだれにするかい? 誰を殺してみるかい!? ははッ!」
どうにか、目の前にいるダークライに、つかみかかろうとするけど、奴は僕がそうする前にするりと抜けていった。
そして……。
「す、すまん……、カイ……ッ! わしとしたことが、ナイトメアダークなんぞに魂を吸い取られて……」
「ヤド、せんに、ん……」
いやだ……僕は、誰も傷つけたくない……ヤド仙人は、家族なんだ……家族なんだ……!?
「くはっ、こんどはさっきのワルビアルみたいに攻撃を拒まれては困るねェ! ――“サイコキネシス”!」
「ぐ、ぐぅ!?」
ヤド仙人がうめき声を上げながら、見えない動きに操られて僕に両手を突き出してきた。ダークライは無理矢理攻撃させるつもりだ……いやだ、僕は、戦いたくない……!
「ぐぅうううッ!」
ヤド仙人の手から、“水の波動”が僕めがけて放たれた。僕はどうにかよける。足が悲鳴を上げている。もう、戦いたくない……。
僕はヤド仙人を避けてダークライへとは知ろうとしているのに、“サイコキネシス”で体の自由を奪われたヤド仙人が、どこまでもどこまでも僕の前に立ちはだかる。その度に技を打ち込まれる。全てを避けきるほどの体力は今の僕に残っていない……。
「ぐ、うわぁああッ!!」
「カイッ! わしに攻撃せいッ! このままでは、お主が死んでしまうッ!」
「僕は、仙人を……」
地面にうつぶせに突っ伏したまま、片肘だけで顔を上げる。目の前がかすんだ。
「仙人を、失いたくない……」
「たわけぇ! ダークライを倒さねば、さらに失う物が増えるのじゃぞッ! わしの命一つくらい……!」
どうして……どうして、そんな事が言えるの……どうして、死にたくないって叫ばないの……?
「カイィ! わしに攻撃せいぃッ! わしを倒してダークライを倒すのじゃぁッ! わしはお主を攻撃したくないのじゃぁっ!」
攻撃したくないのは……僕も同じなのに……ッ!
ヤド仙人はダークライに操られたまま、僕を確実に倒そうと技を放ってくる。僕は、立ち上がった。いや、膝で立っている状態だ。もう、立ち上がれない。
涙が……とまらない……。
震える手で、“はっけい”を構える。
僕は……僕は、死にたくない。
「“はっけい”……ッ」
僕は、ヤド仙人に手のひらを強く押し出した。本来ならエスパータイプで“はっけい”はあまり効果のない技のはずなのに……。ヤド仙人は数センチ足を浮かせて大きくのけぞって、そして、倒れた。
倒れる瞬間、“それでいい”……そういう表情をしていた。
「ヤド、仙人……っ」
罵ってくれたら、人殺しと罵倒してくれたら、どれだけ楽だったか。なのに、みんな僕がダークライを――安全圏で僕らの事を眺めているだけのダークライを、僕なら倒してくれると。喜んでその魂をなげうっている……。
どうして、どうして……。
「ククククッ……」
ダークライが、肩をゆらす。
悪魔が、笑っている。
倒さなきゃ……僕は、ダークライを倒さなきゃ……そう思って今まで戦ってきた。
カナメを裏切って、“ナイトメアダーク”でポケモンたちの魂をもてあそんで、スバルや仲間を傷つけて……そんなダークライが許せなくて……。
倒さなきゃ……? どうして、僕が?
僕は、三人の大切な魂を消した。ダークライの幻だと思っていたそれは、まぎれもなくみんなの魂――命そのものだった。それを、僕は一気に三人も消してしまった。
悪者のダークライを、倒す。でも、それ以上に三人も殺めてしまった。僕は……ダークライよりももっと、悪い奴じゃないか……。
僕は、ダークライを倒すよりも――ダークライに倒される方が、いいんじゃないのか?
僕はここで、消えるべきなんじゃないんだろうか?
「……」
膝をついたまま、動けなかった。ダークライが、僕の目の前にまで迫っているのに、僕は動けなかった。
目の前に見えているのは、ダークライじゃない……絶望だ。
僕には……悪を倒す資格なんて……ない。ダークライと同じように、命を消してしまったのだから。
僕は、ここで、死ぬべきなんだ……。もう、これ以上……誰の命も、消したくない……。
「どうしたんだい、だまりこくって……クククッ、もう、心が壊れてしまったのかな? カイ……?」
涙が、こぼれた。泣く事さえ、僕には許されない事なのに。
枯れ谷力が入らない。どうしても、希望が持てない。僕は、こんなにも非力で……それでいて……。
「……し、て……」
「うん?」
「僕を……殺して……」