第百六十四話 本当の敵
――“イーブル”のボス、カナメとの戦いは確かに僕らが勝ったはずだった。だけど、彼から“命の宝玉”を受け取ろうとした瞬間、僕は強い力で誰かに突き飛ばされた。そして、起き上がったときに目の前に広がった光景は……!
★
「がッ……!?」
「ぐぁあッ!」
「カナメ、ローゼ、さん……!」
いったい、この一瞬でなにが起こったって言うんだ!?
地面に落ちた陰が、長剣のようにいくつも尖って、ローゼさんとカナメの体を肩や、腹や、足を貫いていた。決して幻なんかではない。それは、彼らの体から出る鮮血でいやというほどわかった。
「ローゼさんッ!!」
やっと頭が状況に追いついた。僕は全力で走る!
角度からして、僕を突き飛ばしたのはおそらくローゼさんだ。彼はあの陰の存在をいち早く察知して僕をかばったって言うのか!? そして、同じくカナメを助けるために突き飛ばそうと伸ばした手は、同じように黒い剣に貫かれている。
僕が二人のところへついたと同時に、彼らを貫いていた剣は陰の中へと引っ込んだ。剣を抜かれたことで、二人はまた痛みによる短い叫びをあげてその場に倒れ込んだ。そしてその陰は消滅する。
“命の宝玉”は“サイコキネシス”の支えを失ってフロアを転がっていく。でも、あれにかまっていられない!
「ローゼさんッ!」
ほとんどつんのめる形で僕は倒れたローゼさんに駆け寄る! どうして、どうしてこんなことに!
「か、はッ……」
「ローゼさんッ、ローゼさんッ!!」
彼は右肩、わき腹、左の腕を貫かれている。そして右のこめかみはかろうじてかすった程度らしい。そのときに盛大にはじかれた見通しメガネは、レンズが粉々になって地面に落ちていた。
「しっかり……しっかりしてくださいッ!」
僕は、傷の中でも一番危なそうなわき腹の出血を押さえるために両手で傷口を必死に押した。どうしよう、こんなときどうすればいい!?
「か、カイ……く……ッ」
「しゃべらないでくださいッ!」
「わたくし、より……ッ、カナ、メ……」
僕は、同じように倒れているカナメの方をちらりと見た。
……思わず、目をそらしたくなった。
彼が貫かれたのは左前足、そして喉と鎖骨の間だ。特にそこからの出血が激しいのは、たぶん特別太い血管が裂かれてしまったからに違いない。もう体が少し震えているところを見ると……。
「――ククッ、彼はもう助からないなぁ……」
ゾクリ。倒れたカナメの前に現れたその姿に、僕の全身が悪寒に震えた。
その姿。その声。その口調。……忘れるはずも無い。思わず名を呟いた僕の声は、自分の声じゃないんじゃないかってくらいに、震えていた。
「ダークライ……ッ!」
★
「ダークライ……ッ!」
奇襲をかけた張本人であるダークライを、僕は睨んだ。やっぱり、僕のダークライへの怒りは押さえようとしても出来る物じゃなかった。いや、僕だけじゃない。前々からダークライを一番危険視していたローゼさんも、掠れた息を吐きながら奴へ睨みを利かせている。すると、ダークライは何が面白いのか、押し殺した笑いを漏らした。そして、倒れたカナメに言う。
「いやぁ、君にはなんとも面白いところをいくつも見させてもらったよ。滑稽だね、全く」
カナメは、ぐったりとした状態でその場から動く事は無い。だが、まだかろうじて意識だけは残っているようだった。彼はダークライを目だけで見上げてうめき声を漏らす。
「ぐッ……ダーク、ライッ……裏切った、な……ッ」
「ハハッ! 聞いたかい! 『裏切ったな』だって!?」
ダークライは興奮さめやらぬ、と言った様子で高らかに声を上げる。そして、倒れているカナメにぐいっと顔を近づけた。
「五年前、私は最初から騙すつもりで君に近づいたんだよ、うん?」
そして、カナメが首から下げているタグを、強くたぐり寄せた。
「時空ホールからこの世界に二人のニンゲンがやってくる。私はそれを知ってとてもいい事を考えたのさ。もし、ここで時空ホールに攻撃を加えたら、どうなるかってね?」
ダークライは、本来やってはならない禁忌――時空ホールへ干渉を加えた。すると、本来落ちる世界とは別の世界の穴があき、そこに吸い寄せられたのは一人だけ――スバルだった。スバルは、そうしてカナメが落ちた時間の五年後に僕らの世界へ落ちる事となった。そうダークライは言った。
「そして私は、スバルが落ちる瞬間に手放したタグを使って君に壮大な嘘をついたのさ……君の大切な人は、死んだ、とね」
「な、に……」
まさか、ダークライがカナメを唆したって言うのか! だとしたら……“イーブル”も、“ナイトメアダーク”も、その発端はすべてダークライにある……!
「そしたらどうだい! 君はすっかり私の言葉に騙されて、“イーブル”などという寄せ集めを作って、“命の宝玉”を作って自分の願いを叶えるなんてけなげな事を始めるじゃないか! だから、私は思ったんだよ……。どうせ、騙されて自分の願いを叶えるのなら、好きなようにさせておいて最後は私が願いを叶える力を横取りしようとね。私は……ククッ! 必死に対価を集めている君を見ていてどれだけ楽しかったかッ!」
「き、さまッ……か、はッ……」
カナメは、今にも出血多量で倒れてしまうのではないかというほどの傷ながら、ダークライへの底なしの怒りに鼓舞されて立ち上がろうとした。しかし。
「おっと、それ以上喋ったら死ぬのが早くなるよ、クハハッ! “悪の波動”!」
「ぐあぁああッ」
「くははッ」
カナメは、ダークライの攻撃を受けてフロアの端に吹き飛ばされた。そして、嗤う。
……何が楽しい。
「あははッ! 馬鹿だ! 私を信じていただなんて滑稽だよ!」
……何が楽しいんだ。
「それにしても、君が私に騙された事に気づいて叫び喚いている様子を見た時が一番面白かったよ! はははッ――」
「――何が楽しいんだッ!!」
僕は、ダークライの笑いをかき消すためにありったけの音量で叫んだ。そして、ダークライは僕に言葉を遮られて沈黙した。そして、こちらをゆっくりと向く。
こいつに、これ以上しゃべらせてたまるか。これ以上、好き勝手させてたまるか!
「まだいたんだね、くだばりぞこないのガキが。さっきの陰からの攻撃……本当は君とカナメを狙ってやったのに、目敏い探偵にまた邪魔されたよ……」
「……仲間まで……仲間であるカナメまで巻き添えにして攻撃したって言うのか!?」
「言っただろう? 最初から私はこいつを騙していたのさ。自分の願いを叶えなくなった時点で、君らに負けた時点でもう面白くないから用済みさ」
「用済み……!」
ギリッと思わず僕は歯を噛み合わせた。カナメは、ダークライの“ナイトメアダーク”を利用していた。だけど、だけど! 彼はダークライを“イーブル”のメンバーだと思っていた。仲間である事を信じて疑っていなかったんだ! それを、その気持ちを踏みにじっているなんて……!
「私は、“命の宝玉”と願いを叶えるだけの対価――“ナイトメアダーク”で集めたポケモンたちの魂さえ集まれば良かったのさ」
「黙れッ!」
「そしてここでおめおめと死んでいくのさ! 私を疑いもしないで今まで騙されていた奴にふさわしい末路――」
「氷刀――“枝垂れ柳”」
瞬間、僕の真横で氷の鞭がしなった。そしてそれは僕を通り越してダークライへと高速で迫る。
「!」
ダークライは、思わぬ奇襲を避ける事で対応したが、完全に回避が出来ず、肩の先に、浅い真一文字の傷が浮かび上がった。奴は沈黙する。
この攻撃は……!
「……ぜぇ……ぐッ、これ以上、しゃべらせません、よ……」
もちろんローゼさんだった。彼は立ち上がるのはおろか、意識を保っているのもやっとの重傷を負っているはずだ。なのに、肺に穴があいたんじゃないかというほどの息づかいで、それでも足を震わせながら立ち上がり、獣のような目でダークライへ眼光を光らせている。
「ろ、ローゼさん! 無茶な!」
「無茶、でも……こいつはここで、息の根を止めます……ッ!」
「……やってくれるね、死に損ないが」
二人の声は、僕には恐ろしくてたまらなかった。二人とも、本気でお互いを殺すつもりだ。殊ローゼさんに至っては、ここで自分が死んでもダークライを止めるつもりでいる。
「どれだけいきがってももう虫の息じゃないか。私を本気で止められるとでも?」
「わたくしは、言い、ました……ッ、刺し違えても、と」
「ハエが。今黙らせてあげるよ」
だめだ、だめだ……! ローゼさん!
二人は構える。バトルが始まってしまっては、僕の戦闘力で二人を止めるすべは無い!
『――カイッ、カイ!』
僕の頭が、予想だにしない展開にぐるぐる回って混乱しているとき、脳内に直接語りかける声があった。
この声は、ルアン!?
『いますぐバッジを使ってフローゼルを脱出させろ! あの傷で戦っては彼は死ぬ!』
そうだッ、バッジ!!
「氷刀――」
「“悪の波動”」
ローゼさんが氷の刃を手にまとわせたと同時に、ダークライが黒い衝撃を放つ! だめだ、ローゼさんが攻撃するより“悪の波動”ほうが速い!
「間に合えッ!」
ローゼさんにバッジをかざした。光が彼を包み込む。
「なッ……!」
ローゼさん……ここで、ダークライに対抗できるのはローゼさんしかいないかもしれない。あなたをここで脱出させるのは馬鹿な事かもしれない。
でも……僕は。僕は!
ローゼさんに生きてほしいんだ!
驚く彼の顔が見えた。それと同時にローゼさんの姿がバッジの力で消える。その直後、“悪の波動”は標的を失って空振りに終わった。
ローゼさんは、ギルド付近へ強制送還された。
「ふーん、君の力ではなす術の無いこの状況で探偵を逃がしたか……」
ローゼさんを探検隊のバッジで強制送還した今、この場にいるのはフロアの真ん中にいる僕と、ダークライ。そして少し離れた場所で満身創痍で倒れているカナメのみとなった。“命の宝玉”はフロアを転がって、何かのポケモンをかたどった石像の前で止まっている。
ダークライは余裕そうな表情を崩さない。くッ……。悔しいけど、奴の言う通りだ。この場でダークライと互角に渡り合えたとしたらローゼさんだった。
「まぁ、でも……“ナイトメアダーク”の力を得ている私が相手では、いくらあの探偵であろうと到底叶わないがね、ククッ」
そう、だけど、もう後には引けない。今頼れるのは自分だけだ。ルアンの力を借りれば勝てるかもしれないけど、彼の力は宝玉を壊すために温存しておかなければならない。
「お前は……僕が、止める」
「ふん、今にも倒れそうなガキがよく言うよ」
カナメ戦の余波でまだダメージは抜けきっていなかった。膝はガクガクとするし、息も整っていない。
なにより正直、怖い。波導の読めない今の僕でも、NDで力の増大したダークライの持つ大きなエネルギーを前にして本能的に震えが止まらなかった。
「私にも叶える願いがあるのさ。だからこそこうしてカナメを泳がせてきたんだ。君なんてすぐに捻り潰してゆっくりと“命の宝玉”の力を使いたいところだけど……」
ニタリ、とダークライがいやらしい笑いを浮かべた。これは……まずい。何かとんでもない事を考えている時の顔だ……!
「いいよ、君が私を止めるというのなら、ちょっと遊んでやってもいい」
そう言って、奴は黒い影を腕に纏わせた。戦闘態勢だ。僕もすぐに毎日の修行と同じように構えを取る。拳が、震える。
どうか、今だけ……! 震えよ、いまだけどうにか止まって……!
『――カイ!』
ルアン……!
『私の力を使うんだ』
で、でも……そんなことしたら宝玉を壊す波導が足りなくなる……!
『ダークライと戦って君が死にでもしてしまったら、全てが終わりになる! 生きて……この戦いに生きて勝てばならないのだ』
そっと、震える僕の拳にルアンの手が添えられた、気がした。
『カイ、君は一人じゃない。一人で戦っているのではない。私も、共に戦おう』
……そうだ。僕は、まだ一人じゃないんだ。ダークライを自分一人だけで戦うと考えると、震えがとまらない。けど、側にはルアンがいる。
二人なら、どんな相手にも勝てる。
僕は、体の力を抜いた。体の動きの主導権をルアンへとゆだねる。
『あくまで私が助けられるのは、技と動きの型だけだ。状況の判断は君にかかっている』
「……ふーん、震えが止まったね」
ダークライは、人形のようにぎこちなく首を傾げた。
「なるほど、英雄様のおでましか。クククッ、でも今の私に果たして二人掛かりでどれだけ対抗できるかな?」
ゾクッ。
奴がそう言った瞬間、ダークライの全身から強い力が溢れ出たのを全身でビリビリと感じ取った。これが、ナイトメアダークの力……。ポケモンの魂の上に出来上がった、膨大で凶悪な力だ……!
空色の目がスッと細められる。
「まぁ、一瞬で殺されないように……せいぜい食らいつくことだね」