第百六十三話 許すということ
ーーローゼとカイは、阿吽の呼吸でカナメへと迫っていた。それでも、一度は“みらいよち”で大きなダメージを負った二人だったが、カナメの動きを止めたローゼの影から躍り出たカイは……!?
★
――僕とローゼさん、そしてカナメは、一歩も譲れない戦いを繰り広げた。
“みらいよち”によって食らったダメージで、僕はもうその場から動けそうになかった。だけど、そうだ。ローゼさんのいうとおりだ。
カナメがどんな思いを背負っていようと、彼は悪いことをしたんだ。ダークライと一緒にナイトメアダークを作り上げた張本人なんだ。死者まででた。僕はあれのせいリンを失った。
そして、スバルを傷つけた。
膝がふるえる。ふるえた息を吐く。だけど、僕は立ち上がる。
カナメに、絶対負けられない。勝って、“命の宝玉”を取り戻して。ナイトメアダークからみんなを救って、ルアンと一緒に運命を全うする!
走れ……。走れ。走れ!
駆け出す。ローゼさんの肩を借りる。跳躍する。ありったけの思いを波導に込める。
「僕は……止める! みんなを救うんだァッ!」
届け! 届け! 僕の思いを強さにするんだッ!
「――“ソウルブレード”!」
★
「――“ソウルブレード”ッ!」
カナメは冷静に判断した。正直カイは、戦闘能力では自分やローゼに及ばないだろう。だが、この技は技量の問題ではない。彼の心の強さが威力に反映されていることを瞬時に理解したカナメは、これを食らえば確実に倒れることを確信する。
彼は凍った額の鎌に、悪と風の両方の力を込め、それを振った!
「――“黒月鎌”」
“つじぎり”と“かまいたち”連結技は、カナメの鎌を覆っていた氷をはじきとばしてカイへと迫る。黒い三日月のような衝撃波が、周りの空気すら巻き込んでカイの体の皮膚を鋭く斬り裂いて飛んでゆく。
「はぁああああッ!」
だが、カイは左手にまとっていた白い刃を放つ。一発目の“ソウルブレード”と“黒月鎌”がぶつかり合う。それと同時に激しい衝撃の余波が三人を襲った。
「ぐ……!」
「くぅッ!」
「うっ……!」
だが、カイは止まれなかった。カナメがひるんだチャンスを逃さなかった。
「おぉおおおおおッ!!」
ドッ――!
右手の“ソウルブレード”がカナメに食い込んだ瞬間、時が止まったかのような静寂が訪れた。
その場にいる誰もが荒い呼吸をしていた。だが誰も動かなかった。だが。
ドサッ。
技を放ったまま密着する二人の様子を見守っていたローゼは、彼らの中で一人だけ倒れるのを、その目でしかと確認した。倒れたのは――。
――カナメだった。
★
暗闇から誰かが名前を呼ぶ声がした。だんだんと声が鮮明になっていき、ようやく自分が気を失っていることに気づく。
スバルがうっすらと目を開けると、傷だらけのルテアと、ランドフォルムに戻って同じく傷だらけのミーナがこちらを見下ろしていた。
「よかった、目を覚ましました!」
「おい! スバル大丈夫かッ!」
「……ミーナさん、ルテア……」
「なにがあったッ!?」
ようやく、事態に頭が追いついてきた。スバルはゆっくりと起きあがって、ラピスとの戦闘で傷ついた箇所以外、自分がどこもダメージを負っていないことに気づく。
――私、ラピスに“ソオン”の力を使って……。そのあと、どうなったんだっけ?
「おいスバル! あのゼリー野郎はどうした!? 俺たちが来たときには、もういなかったんだ」
「それで、倒れているスバルさんだけを見つけて……そばに、これが……!」
ミーナさんは、握っていた両手を広げて、手の中のものをスバルに見せる。
「……オボンの、実……」
ミーナの手の中にあったもの。それは、黄色い皮をした大ぶりの木の実――食べればひとたび傷が癒えて元気が出るという希少な木の実であった。
――そっか、あなたはきっと……。
「私は、大丈夫。事情は後でゆっくり説明するよ」
スバルはそう言って、改めてルテアとミーナを見た。二人が今この場にいるということは……。
「ミケーネとポードンは……」
「おう、二人ともぶったおしてジバコイル保安官送りにしてやったぜ!」
ルテアは、胸を張って自信ありげに鼻を鳴らす。だがその隣のミーナは真剣な顔のまま一歩前に踏み出した。
「上に行ったシャナさんたちが心配です。私たちも先を急ぎましょう!」
「おう。スバル、まだ動けるか?」
「ええ、もちろん!」
三人はフロアをかけだした。ルテアたちが階段を見つけそのフロアから出たのは、カイとローゼがカナメを倒した瞬間とほぼ同じであった。
★
気がつくと、ドサリとカナメが僕の目の前で倒れた。
「……」
しばらく、なにが起こったのかわからなかった。
「勝っ、た……?」
それが、にわかに信じられなくてしばらく倒れたカナメを見つめていた。
だけど、彼はダメージで気を失って動きそうになかった。
「勝っ……た……」
やっと。
やっとその事実を認めた僕は、いきなり全身から力が抜けて前のめりに倒れ込んだ。
だめだ、しばらく動けそうにない。意識は保っていられるけど、ダメージと疲労で指を動かすのもつらい。
「カイ君!」
うしろからローゼさんの声が聞こえた。そしてこちらへ駆け寄る足音と共に彼が僕の視界に現れる。
「大丈夫ですか?」
「だ、だいじょうぶです……ローゼさんこそ、傷が……」
「わたくしは丈夫にできていますからねぇ」
そうはいっても、ローゼさんも相当ダメージを食らったはずだ。その証拠に息はまだ少し荒いし、体のいたるところに怪我がある。彼もまた痛みをこらえることに慣れているのかもしれない。
「……ぐッ」
僕らがお互いの傷の具合を確かめているところに、目の前で倒れていたカナメがうめきと共に目を覚ましたようだった。まさか、まだ動けたのか。僕は立ち上がりたくてとっさに体の力を入れてみたけど、まずい、やっぱりまだ起きあがれそうにない。
「……」
ローゼさんも、僕をかばうように立って目を覚ましたカナメのことを厳しい目で見つめていた。だが、彼がゆっくりとその場に立ち上がる様子を見て肩の力を抜いた。
「カイ君、心配いりません」
「え?」
そしてローゼさんは、一歩踏み出てカナメの前に立つ。
「カナメ君」
「……俺の、負けだ」
その場に力無くたった彼は、とても小さな、だが芯のこもった声で僕らにそう告げた。
「ヤイバ――いや、今はローゼか。貴様の言う通りだ」
カナメは弱々しく頭を垂れる。
「今までに何かを自分の意志で成し遂げたことの無かった俺が、初めて自分の意志で“イーブル”を作った。だが、俺の願いは全く見当違いで……はじめからそんな組織は必要なかったのかもしれない」
僕も、ローゼさんも。ただ黙って彼の言葉に耳を傾けていた。
「だが、それでも。もう“イーブル”が必要なくなったとしても。間違ったことをしていても。最後まで何かを成し遂げたかったのだ、最後まで、“イーブル”のボスを全うしたかった」
「わたくしたちが止めなかったら、あなたはいったいどうしていたのですか?」
「貴様たちなら、俺が全力で挑んでも止めるだろうと思っていた」
「そんな甘い考えを持っていたのですか?」
ローゼさんは厳かに言う。
「自分の意志で何かを成し遂げようとしたこころがけは殊勝ですが、それで済ますには、あなたはたくさんの人を傷つけすぎました。……大馬鹿者ですね」
最後の言葉の語気に、ローゼさんは何か含みを持たせながら僕を見た。そして、一歩身を引く。
「……」
僕はローゼさんがどいた先に出てカナメの前に立つ。
こいつは、“イーブル”のボスは。
リンを死に追いやって、ルアンを暴走させて、ギルドや町を襲って。
「僕は、許さない」
スバルの心を踏みにじって。
全部が全部、こいつの独りよがりな願いのためなんかに……。
「僕はお前を、絶対に許さない」
カナメは、僕の主張を甘んじて受け入れるように動かなかった。黙って目を伏せた。
拳に力を入れた。その腕をあげた。そして、僕は――。
ドガッ!
カナメの顔を、今までの思いを全部込めてありったけの力で殴ってやった。
ズザッ、とカナメが顔から地面に体を倒す。だが痛そうな顔はせずに、これからさらに来るであろう拳を受ける覚悟をした。
僕は。
僕は……。
――僕はもう、誰かを傷つけたくなんか無いよ……。
僕は、シャナさんとギルドでバトルした時の気持ちを思い出した。憎んで、憎んだ。“イーブル”は全部許せなかった。だけど、憎み続けるのはとてもつらい事で。
そう。もう、すべて過ぎたことだ。
これ以上なにを憎む必要がある? 全部、全部終わったんだ。僕らが止めたんだ。
カナメは、負けた。そして、“イーブル”のボスとして自分が間違っていたことを認めたんだ。
もうこれ以上、誰もきっと傷つくことはない。
「僕は君を許せないけど……今の一発で、おあいこだ」
信じられない、という顔つきで。カナメは倒れていた姿勢から立ち上がる。たぶん、自分がリンチに近いことを受けるんだろうと想像していたのかもしれない。それが僕の拳一発で終わったのが信じられないらしい。
「許すのか、俺を」
「許すなんて、一言も言ってない。僕の前から消えてくれるだけで……それだけで、十分だ」
僕らの横に立つローゼさんが、フッと表情を崩してやれやれという風に笑う。そして、急に真剣な顔つきになった後、僕と再び入れ替わる形でカナメの前にでる。
「“イーブル”と連盟として話をしましょう。あなたは負けました。“命の宝玉”を、こちらに渡していただけますか?」
「……ああ」
カナメは“サイコキネシス”を発動して、僕らでは到底届きそうも無いフロアの端にあった七色に光る宝玉をたぐり寄せた。そして、彼の顔の高さで滞空させる。
「これは返す。そうしたら、俺も――」
「――ええ、あなたは保安官に引き渡します」
ローゼさんがわかっている、という風に言葉を引き継ぐ。どうやら、カナメはジバコイル保安官の元へ行って然るべき罰を受けるようだ。僕は、一歩前に出てカナメが浮かせている宝玉を手に取ろうとする。
そう、これで僕とルアンはやっと――。
「――カイ君ッ!!」
え――?
ドン、といきなり肩に強い衝撃がきた。突き飛ばされる。地面に倒れる。
なんだ? 何が起こったんだ?
すぐに起き上がった。あの声は? 僕を押したのは? バクバクとする胸騒ぎとともにカナメとローゼさんの方を見てみる、と同時に。
ザシュッ、と音がした。
呆然と、僕はその瞬間を見た。一瞬のことだった。
彼ら二人の間に、いつの間にかぽっかりとできた澱のような陰から――。
――黒々とした鋭利な刃が、二人の体を貫いていた。