へっぽこポケモン探検記




















小説トップ
第十章 “運命の塔”編
第百六十一話 真の強さ
 ――憎しみに燃えるエルザの攻撃により、シャナは念力で手足を砕かれ、とどめを正面から食らい倒れた。動かなくなった。虚ろな目が、エルザの叫びに答える事は無かった。





「シャナ……お前……」
 “運命の塔”――八十七階フロア。
 エルザは、冷たく、鼓動を失ったシャナを見下ろして、信じられないという声で小さくうめいた。
「本当に、死んだのか……ッ!?」
 シャナの死。それはエルザが長年追い求めてきた目標であり、夢にまで見たヴィジョンであり、何物にも代え難い強さへの糧であったはずだ。だが、実際にそれを目の当たりにして彼の心は充足すると思いきや、逆にただただ戸惑うばかりであった。
 長年の願いが叶ったはずなのに、彼は頭を抱えていた。
「俺は、これから……どうすれば……!」
 長らく倒す事を目標にしていた相手を殺してしまい、自分がこれからどうしていけばいいのかわからなくなった。次は、誰を目標にすればいい? 何のために強くなればいい?
 いったい、誰を憎めばいい……?
 彼を殺しても、得る物は何も無かった。“イーブル”に加担した今、探検家としての栄誉ももう戻らない。名声も戻らない。
 そしてもちろん自分が唯一愛した相手――リオナでさえも、手に入れることなど出来やしなかった。
 彼女がこの光景を見たら、どう思うだろう? シャナへ涙を流すだろうか? それとも、自分に激昂するだろうか? 
 ――殺してやる、と罵られるだろうか?
 自分がシャナに向けていた憎しみの矛先が、今度はリオナから自分へ向けられる事になるのだろうか?
「俺はいったい……何をやっていたんだ……?」
 エルザが呆然としながらそう呟いた――その時。





 トレジャータウンでは、丁度月が真上にさしかかった時刻であった。通りにポケモンたちの姿は無く静まり返っているが、ビクティニのギルドだけはカイたちの帰りを待つ者たちの明かりがちらほらと見えた。
 ギルドの弟子であるリオナも、その一人である。
 彼女はトレジャータウンを一望できるギルドの三階の展望スペースから、“運命の塔”の方角を見つめていた。いま、みんなはダンジョンのどこらへんにいるのだろう。そしてシャナは、無事だろうか? “イーブル”を、そしてエルザを、正しい道へと引き戻してくれるだろうか?
 ――“運命の塔”へ行ったら、もう、お前に触れる事は出来ないかもしれない。
 ギルドを発つ前、シャナが言った言葉だった。
 ――それでも、俺の女でいてくれるか?
 リオナは、そんな彼の言葉に決然とうなずいた。
 ――当たり前じゃない。だって、あなたは……。
 リオナは握っていた手の力を緩めて、中にある小さな宝石を見る。シャナがくれた、二人のお守りである。
 ――だって、信じてるもの。あなたは必ず帰ってくる、と。
「シャナ……」
 彼女は、再びその宝石を強く、強く握りしめた。
 ドクン……と、その宝石が、自らの意思を持って脈打ったような気がした。



 真っ暗闇の中にいた。
 声も聞こえず、なにも見えない。何の気配も肌触りも無い、虚無の空間にいるような気がした。自分がどうしてここにいるのかも、わからないような気がした。
 このまま、ずっとここで眠ってしまおうか。
 瞼は鉛のように重く、もう開く事も出来ない。もう、この空間の中では自分にやる事も無い。だから。眠ってしまおうか。彼はそう思った。
 ――……る。
 何か、声が聞こえた気がした。気のせいだろうか。こんな真っ暗闇の中で、まさか自分の求める声がするだろうか。自分を呼ぶ声がするのだろうか?
 だが、そんな彼の疑問に答えるかのように、微かに聞こえた声はだんだんと鮮明な物になっていく。
 ――信じてる。
 ――無事に帰ってくると。
 ――再びあなたに触れられることを。

 ――私は信じてる!

 この声はまぎれも無く、この場にいるはずの無い最愛の声だった。もう開かないと思っていた彼の目が、うっすらと開く。
「リオナ……」
 ――ドクン。
 まだ、目は開く。
 まだ、鼓動はある。
 まだ、握りこぶしを作れる。
 まだ、戦える。
 まだ、光はある。
「そうだ……こんなところで……」
 どこからか、全身に力が沸き上がってきた。
「くたばって……たまるかッ」



「俺はいったい……何をやっていたんだ?」
 エルザが呆然としながらそう呟いた――その時。

 ――ドクン!

 太鼓を一つ叩くような、太く低い鼓動の音が聞こえた。そして……。
「! なに……!」
 動かなくなったはずのシャナの全身が、目も開けていられないほど輝き始めたのである。エルザは、いったい何が起こったのか事態を把握できなかった。ただ、空っぽになったエルザの思考でも、この光が何か強く神々しいものだというのは瞬時に感じ取り、彼は飛び退った。
「なんなんだ……!?」
 光は瞬く間にフロア全体に届くほどとなり、周囲の空気が激しくかき混ぜられる。光は七つの色のプリズムのような光を迸らせ、横たわっていたはずの体躯が起き上がる。
「いったい、何が起こっている……ッ!?」
 起き上がった光り輝くその体は、確かにシャナ――バシャーモほどの背丈であった。だが、そんな彼の体に変化が訪れる。光の放つ熱風のようなビリビリとする強い波導。エルザは全身でそれを感じとって、光に畏怖の念すら沸き上がった。
 ――オォオオオオオッ!
 天をも穿つ雄叫びが、空間全てを揺るがして。ひときわ大きい暴風の後、そこに立っていたのは――。
「――……シャナ……?」
 七色の、文様のようなものが、浮かび上がって瞬時に消えた。そして、確かに先ほどシャナがいた場所に、バシャーモのような、だがバシャーモとは違う何かがたたずんでいたのである。
 三本の爪は大きく盛り上がってさらに鋭くなり、後ろに下がっていた髪は逆立っている。胸の筋肉はさらに盛り上がって、腕の炎は長い緒となりたなびいている。
 エルザは、いきなり現れた未知の存在に構えを取った。だが、何が起こったのかわからないのは相手も同じらしい。彼は自分の変わり果てた姿に、両手を見て驚きを隠せない様子だった。
「この、姿は……これは、いったい……」
 ――大切な人の声が聞こえたかと思ったら、全身に力がわきあがっていた……。
「き、貴様は……何者だッ!?」
 エルザにそう誰何され、バシャーモ――メガバシャーモは咄嗟に構えを取った。
「どうやら俺は、死にかけたようだが……エルザ、お前を止めなきゃ死んでも死に切れないってことだろうな」
「シャナ……! やはり貴様なのか!?」
「そのようだ」
 メガバシャーモとなったシャナは、短く息を吐く。そして、踏み込んだ。
 ダンッ!!
「!!」
 エルザは瞠目した。たった一歩の踏み込みで、数歩分の距離があった自分の目の前にまでシャナが肉薄してきたのだ。
「“ブレイズキック”!」
 構える暇など無かった。高速で迫るドロップキックを、エルザは両手をクロスさせる事でどうにか防御しようと瞬時に判断した。だが――。
「ぐおおおおッ!」
 シャナの一撃の重みは、エルザの予想の範疇を遥かに上回るものであった。クロスさせた手は炎で瞬時に焼け付く痛みを覚え、だがそれに悲鳴を上げる間もなく彼はフロアの端まで蹴り飛ばされた!
「ぐ……ッ」
 だが、シャナも着地と同時にかかがみ込み、うめき声を上げた。“ブレイズキック”を放つために炎に包まれた右足を見てみる。今の攻撃で先ほど食らったダメージがぶり返してしまった。
 確かにシャナは、この不思議と沸き上がる力のおかげで体の組織が変化し、エルザの攻撃で潰されてしまった両手両足も細胞分裂によって奇跡的回復を遂げた。だが、彼は完全に生まれ変わった訳ではない。
 あくまで、生身のバシャーモである事は変わりはないという事か、とシャナはいたむ右足をかばいながら総結論づけた。
「くそ……クソッ! なんなんだ! なんだんだよッ、一体!」
 一方、蹴り飛ばされて背中を壁に強か打ち付けたエルザは、めまぐるしく変わる状況に脳が追いつけそうになかった。いや、というよりも、もっと別のところで彼はこの状況を認めたくなかった。
 ――なぜ……! なぜ、こいつは倒しても倒してもまた俺の前に立ちはだかる……!? 殺したと思ったらまた強くなって立ち上がってきただと!? どうして倒れない!?
 さきほど、シャナを殺してしまって、自分はとんでもなく取り返しのつかない事をしてしまったのかと絶望しかけた。なのに、目の前に立つバシャーモは自分に後悔すら与えてくれないというのか。
「くそぉッ!」
 エルザは叫んだ。そして、その場から姿を消す。“テレポート”を使ったのだとシャナは気づいた。そして一つまばたきをしている間にエルザは眼前に迫っていた。
「“サイコカッター”ッ!」
「“炎のパンチ”!」
「がぁッ!?」
 だが、シャナはエルザが“サイコカッター”を打ち出すよりも速く、その拳を真っすぐ弾丸のように突き出してエルザの懐を狙う。エルザが黙視できないほど素早くシャナの懐に入り込んだというのに。普通なら避けきれないほど近く刃を打ち込もうとしたというのに。シャナが“サイコカッター”よりも後手に放った“炎のパンチ”が、先にエルザへヒットしたのだ。
 先ほどの“ブレイズキック”を放った時よりも、さらに素早さがあがっている!
「て、“テレポート”!」
 エルザは、もう今のシャナに恐怖に似た感情しか持ち合わせていなかった。彼は再び瞬間異動でシャナから距離を取ろうとする。そして彼から十数メートルも離れた空中を座標として、エルザが現れた――眼前に、シャナがいた。
「なにぃッ!?」
 今のシャナは、時間を追うごとに素早さが“加速”していく。そして、エルザが“テレポート”で次に現れる位置も空気の微細な揺れでわかってしまう。なので、エルザが“テレポート”を使う速度に匹敵する速度で彼を追いつめる事など雑作も無いのだ。
 だが、そんなことは今の混乱したエルザにはとうていそんな状況を理解できるはずも無い。彼は、シャナもまるで“テレポート”を使えるようになったのかと錯覚した事だろう。
「もう逃がさないぞ、エルザ」
 シャナはそう言うと、エルザがもう“テレポート”を使えぬように両手でがっちりとエルザの腕を掴んだ。そして彼はそのまま落下の重力を利用してエルザを背中から叩き付ける!
 ドンッ、と地面に体を押し付けられたまま、エルザは両腕をシャナに押さえつけられた身動きが取れなくなった。彼は、もはや自分が目の前の敵をどうやっても倒せない事を悟る。そうなってしまうと、もう彼の心は憎しみなどよりも、途方も無い戸惑いに埋め尽くされた。
「なぜだッ! なぜ……! 俺はお前に……! お前に勝てないんだァッ!」
 一度は勝ち、そして一度は完全に息の根を止めたのかと思った。だが、このバシャーモはそうするたびにいつだって、さらに強い力を持ってしてエルザへ立ちはだかるのだ。
「……」
 シャナは、黙ったままそう叫ぶかつての仲間の姿を見た。だが、彼はエルザを腕を掴んでいた腕を片方離し、そのまま拳を作って――。

「あたりまえだろッッ!!!」

 ――その拳で、エルザの顔を思いっきり殴った。
 ドガッ!
 ありったけの叫び声と、ありったけの痛み。エルザは二つを同時に食らって、言葉を紡ぐ事が出来なくなった。シャナは、彼を殴ってもまだ怒りが収まらないのか、全身を震わせて肩で息をした。
「てめぇ……これだけやっても、まだわかんねぇのか……ッ!」
 探検隊“フレイン”にいた頃、シャナをおびき寄せ陥れるために、トレジャータウンの子供たちを誘拐した。その後、“イーブル”に加担した彼はスバルやカイに大きな怪我を負わせ、シャナを瀕死の重傷まで追い込み、ウィントの最後通牒を蹴ってギルドに泥を塗り、挙げ句に“英雄祭”ではトレジャータウンを襲撃した。そして今日、シャナを本気で殺そうとした。
「てめぇは俺が憎いと言ったな……ッ、俺が憎いがためにこんな事をやったと言いたいんだろうがなッ! 俺はてめぇから何も奪った覚えはねえッ! 逆恨みなんだよッ!」
 あまりの怒りに吐く息すらも震えていた。長い間溜め込んできた、自分に降り掛かった理不尽に対する怒りが、エルザに爆発していた。
「俺はてめぇから地位を奪ったか!? 栄誉を奪ったか!? 名声を奪ったか!? 全部、てめぇが捨てたんじゃねぇかッ! てめぇが自分で自分の力を見限って俺を逆恨みしやがっただけなんだよッ」
「ぐッ……」
「俺がてめぇからリオナを奪ったのかッ!? あいつが自分の意志で男に選んだのが俺だったんだッ! それすらも許せねぇっていうんなら、てめぇは自分が好きだったリオナですら内心見下してやがるんだろッ!」
 エルザは、シャナにそう言われた瞬間、さらに燃え上がった憎しみが沈下された。歪んでいた顔が、一瞬にして血の気の無い表情となった。
 シャナは、叫んだ後もしばらく浅い呼吸を繰り返していた。だが、少しだけ心が落ち着いたのか、もう一発殴ってやろうかと構えていた拳を下ろし、腕を掴んでいたもう片方の手も離した。
「なぁ……エルザ、なんでお前が俺に勝てないかわかるか?」
 エルザは、ただ呆然とシャナを見上げている。
「お前が振るう力は、お前が手に入れた強さは――全部が全部、己の恨みを晴らすだけの、自分のためだけの悲しい強さだからだ。俺に勝とうとするだけのちっぽけな強さだからだよ……」
 エルザを見下ろすシャナの目は、深い哀れみのこもった目であった。澄み渡る大空のような双眸は、なんの光も反射していないようにエルザには思えた。自分の姿が映らないのだ。瞳越しに、自分の姿が見えないのだ。
「俺なんかよりも、もっと強いポケモンはいっぱいいる。それに気づけていれば――俺だけ見ていないで、もっともっと上を見ていれば、自分がもっと高みへ行けると気づけたはずだ。そして、その強さをもってして様々の事が出来たはずだ。困っているポケモンをもっと助けられたはずだ。未知のダンジョンを切り開けたはずだ。大切な誰かを、見つけて、守る事も出来たはずだ」
 つう、と。
 エルザの目から涙がこぼれた。ちっぽけな自分が。何も残せなかった自分が。過ちを重ねすぎた自分が。
 とても、とても哀れに思えた。
 今更になって、涙が出てきた。
「俺は……俺は……ッ」
 いったい、何をしていたのだろう? ――否、なにもしていなかったのだ。
「これから……どうすれば……ッ」
「やりなおせばいい」
 シャナは、きっぱりと断言した。その言葉に、絶望のどん底にまで落とされた気分でいたエルザは、まるで小さな光を見つけたかのようにシャナを見た。
「罪を、償って……その上でもう一度、やり直せばいい」
「俺は……やり直せるのか? そうすることが、許されるのか……ッ?」
 エルザの問いに、シャナは目をつぶった。すると、再び彼の全身が光に包まれる。先ほどよりも穏やかな光だ。そして、その光が解かれた時、彼の姿はいつものバシャーモの姿へと戻っていた。両手、両足は完全に完治しておらず所々がまだ痛々しく傷口を広げていた。これが自分の付けた傷だと改めて認識して、エルザは、もう自分にはやり直せるチャンスも無いのでは、と思った。
 だが、シャナはエルザに穏やかな笑顔を向けた。まるで、何もかもを許してくれるような。昔、仲間三人で仲良く探検活動をしていた時に戻ったかのような。

「……やり直そう、共に」

ものかき ( 2015/07/06(月) 00:13 )