へっぽこポケモン探検記




















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第十章 “運命の塔”編
第百六十話 憎しみの深淵
 ――ミケーネ、ポードンに続き僕らの前に現れたのは、四本柱の一人――ランクルスのラピス! そして彼に受けて立ったのはスバル。決して拭えぬ不安のあった僕だけど、彼女は決して弱くはない。だから僕は、彼女の側で戦うよりも今は上へ向かっていくしかなかった。






 僕、シャナさん、ローゼさんの三人になった僕らは、さらに上へと続くフロア前の階段で、異様な気配に包まれた。全員が全員、この空気の正体に気づいて身構える。
 これは、殺気。
 いままでの四本柱も、もちろん僕らに容赦せず攻撃する覚悟はあっただろう。しかし、この空気はそれとはまた格が違かった。一瞬でも気を緩めれば、ウォーグルに狩られる獲物のように僕らの命は瞬時に狩り取られる……そんな殺気が漂っていた。
「……油断は禁物、ですねぇ」
 次のフロアへの入り口が見えてきた。それと同時に、冷たい声音でローゼさんが僕らへ注意勧告をする。そして僕らは三人同時に、殺気漂うフロアへと足を踏み入れた――。

 ――案の定、そこには僕の予想していたポケモンがゆらりと立っていた。ピクリとシャナさんの指が動く。そして、青い双眸を細めて鋭い目つきを相手へと向けた。
「エルザ……」
 そう、僕らを待ち受けていたのはまぎれも無く、四本柱の最後の一人――エルレイドのエルザだ。
 敵は僕らを見ても何も言葉を発さなかった。そして視線は、ローゼさんでも僕でもなく、シャナさん一点を射抜いている。まるで彼以外は眼中に無い、そんな様子だった。
 だが、そのたたずまいに一瞬の隙はなく、僕らがどこから攻撃しても即座に反撃される姿勢と距離を保っていた。
「……行け」
 凛とした声で、シャナさんは僕らを見ずにたった一言、それだけ言い放った。
 だけど僕らには、それだけで十分だった。
 ローゼさんと僕とで、次のフロアへ続く階段を探すために彼らから遠ざかる。もちろん、“イーブル”のメンバーでありながら、“満月のオーブ”よりもシャナさんとの決着を何よりも望んでいるエルザは、僕たちを追ってくることなどするはずが無かった。
 シャナさんとエルザから離れた今更になって僕は、爆発しそうなエルザの殺気に身震いしていた。あんなものを正面から全身で感じ取って、果たして僕はすくみ上がらずに動けただろうか?





 シャナとエルザ、お互いに視線を離さずしばらく沈黙した状態が続いていた。何も言わずともわかっている。今ここで二人が対峙したという事は、バトルが終わったときにはどちらかが生き残り、どちらかが死する事を意味する。もちろん、シャナが本当にエルザの息を根を止めるかはわからないが、もしそこまでしなかったにしろ、それこを殺すつもりで本気でかからないと勝てない相手だ。こちらがためらっていればやられる。エルザはシャナを生かそうなどという考えは微塵も無いからだ。
 シャナは腕から炎を噴射させ、構えを取る。同じくエルザも、二振りの刀を構えるような姿勢で臨戦態勢をととのえる。
「俺は、この時を待ち望んでいた。貴様を倒し、積年の屈辱を晴らすこの瞬間を」
 エルザは、低く、うめくように言った。おそらくこれが宿敵との最後の会話となるだろう。一方、はなから喋るつもりは無かったシャナはそれを聞いても黙っていたが、しばらく経つと拳を固めつつこう言い放った。
「奇遇だな、俺もお前に物申したいことは山ほどある。だが――」
 シャナを中心とした空気が揺らいだ。陽炎が起こっている。
「――お前に言葉は最早無意味だ。後は、拳で語る!」
 その瞬間、二人にしか聞こえないゴングが鳴り響く。
 短く息を吐いた二人は同時に地面を蹴った。だが接近しても技は発動しない。拳を突き出す。腕の筋肉がしなる。蹴る。かがむ。避ける。フロアは二人の息づかいと拳が空を切る音のみとなった。
 技を発動しないのでタイプ相性は無視され、戦いの後には本当に強い方のみが立っている。純粋に己の身体能力のみで相手を倒す格闘戦。かつて二人の師匠は、この古き対戦方法を“組手”と名付けていた。
 エルザの腕についた刀が唸りをあげながらシャナのこめかみの部分へと迫る。彼の腕のリーチは技を発動しなければ物を切るまでの鋭利さにはならないものの、打撃を与えるには十分な固さがある。当たったらひとたまりも無い。シャナは迫り来る木刀のような腕を、瞬きせずにわずかに首を傾けることでどうにか回避した。常人であれば、迫り来る痛みに備えて目をつぶってしまうだろう。だが、このバトルは目先の恐怖に怯えて目を閉じてしまえばその瞬間負けとなる。
 エルザが足払いをかける。シャナは跳んでそれを回避し、反動を利用して体をひねらせ、右足で飛び回し蹴りをエルザの頭に食らわす。だが、エルザはそれが当たる寸前に左手で右足を払い落として防御した。だがシャナはそれすらも次の攻撃の予備動作へと昇華させた。はじかれた右足を軸にして逆方向に一回転、今度は左足の回し蹴りでエルザに食い掛かる。
 昔のエルザなら、ここで反応が一歩遅れて今の攻撃をこめかみに食らっていただろう。だが、今のエルザはその攻撃にも瞬時に対応した。シャナの左足を両手で掴み、彼のバランスを崩させる。
「!」
 エルザの予想外の対応にシャナは目を丸くした。右足は地についている。だが、もう片方の足を掴まれては身動きが取れない。ここで攻撃されてたら身を守るすべは無い。危機感を覚えたシャナはコンマ一秒以下の判断でもう一方の右足を使って彼の頭をホールド。
 そして彼は両手を地につけて、両足でエルザの頭を固定したまま倒立前転の要領で容赦なくエルザの頭を地面に叩き付ける!
「!」
 これには逆にエルザの目が丸くなった。彼は頭から投げ出されると同時に、受け身のためとっさに背中を丸めて受け身を取った。だが、背中が地面に激突して衝撃が彼を襲う。
 そして二人は、お互いに身を引いた。再び数メートル離れた状態で構えを取る。だが、どちらとも先に攻撃を仕掛けずにじりじりと緊張状態となった。
「……強くなったな、エルザ」
 と、シャナは上がった息を整えつつ、思わずそう口に出していた。本当は、会話などという生温いことはエルザを倒すまで封印しておこうかと思ったのだが、今彼と組手をしてみて、その強さが五年前とは段違いだという事を改めて思い知らされた。さきほどの二回連続で蹴りも、五年前なら確実にこれで彼を落とせていたはずだ。だが、目の前の彼は瞬時にこの攻撃に対応してみせた。
 エルザは、技だけではなく体も確実に強くなっている。敵ながらあっぱれだ。
「……強くなった、だと」
 だが、敵である自分へ賞賛を送るシャナの行動に、エルザの目つきはさらに憎悪をはらんだものになった。
「お前への憎しみが、俺をここまで強くしたんだッ!」
 強くなった。
 そう。確実に自分は五年前よりも強くなっていた。なのにエルザは、シャナの予想だにしない動きで一本を取られたのである。背中から地面に叩き付けられたのである。
 ――なぜだ。なぜなんだ! この五年間の修行で確実に俺は強くなった。なのになぜこいつに勝てない!
 エルザは、構えた両腕に念力を込めた。腕についた刃はたちまち鋭い凶器と化す。
 ――タイプ相性なら俺が奴に負けるはずが無い!
 シャナを相手に始めから技を出し惜しみする気は毛頭なかった。本気でかからねば彼には勝てない。
 そしてエルザは、シャナに勝たねば意味が無い。
 憎い。
 憎い!
 俺は、お前が、憎い!
「苦しみながら、死ね!」


 背筋に悪寒を感じた。
 目の前にいるエルザから視線を離すまいとしていたシャナが、本能でそう感じたときにはもう遅かった。振り返る前に、背後に立っているエルザが念力のこもった刃を振り下ろす!
 ――いつの間に!?
「“サイコカッター”!」
「――“かわらわり”ッ」
 シャナが一拍だけ遅れた。技を出し遅れた。そして彼は――。
「ぐあぁあああッ!」
 ――技の選択を間違えた。
 “かわらわり”でとっさに“サイコカッター”から身を守ろうとしたシャナの右腕が、エスパーの力で骨の芯までダメージを負った。一瞬にして皮膚が裂け、骨がくだける。血が吹き出る。彼の右腕はぼろぼろになった。
 たったいま、いったい何が起こったのか。エルザは残像を残し、シャナの本能が追いつけないほど素早く“テレポート”で彼の背後に回ったのである。
 “眠りの山郷”での騒動の後、二回にわたりシャナと対峙したときにエルザが行った戦法と全く同じである。だが、彼はこの短期間で、化け物じみた本能を持つシャナですら追いつけないほど、“テレポート”の技の練度を上げたのである。
 だが、それでもシャナは食らいついてきた。
 “サイコカッター”に対してとっさに技で対抗する対応の速さは賞賛に値するだろう。だが、シャナはエスパータイプに弱い格闘タイプの“かわらわり”をとっさに選択してしまった。
 もちろん、エルザの“サイコカッター”の威力が格段にあがっていることも、シャナがここまでのダメージを負った要因である。
 脳天まで来る痛みに、シャナは気絶しかけた。だが、どうにか精神力でそれを押さえ込んで、エルザから距離を取ることを優先する。エルザはそのまま一気に畳み掛ける事が出来たが、彼はそうしなかった。
 エルザは、確かに宣言した。
 シャナを、苦しめながら殺す、と――。
「まずは、右手か」
「ぐッ……!」
 エルザの技は情け容赦なかった。向かってくる敵を本気でぼろぼろにする覚悟があるようだった。だが、シャナにはわからない。
「なぜだ……!」
 ずっと疑問に思っていた。
「なぜ、俺をそこまで憎む!? エルザッ!!」
 シャナは、叫んでのたうちまわってもおかしくないほどの痛みを押さえ込み、どうにかしてエルザにそう叫んだ。エルザは言っていた。憎しみがここまで自分を強くした、と。だが、彼は一体自分の何に憎んでいるというのか。
「俺は、お前に恨まれるような事をした覚えは無いッ!」
「黙れぇッ!」
 エルザはシャナへ走る。“リーフブレード”などという生易しい技では満足できそうになかった。彼はもう一度“サイコカッター”を腕に乗せた。
 だが、同じ手に乗るほどシャナも馬鹿ではない。彼が走ってくる方向に“火炎放射”で牽制にかかる。だが……。
「おぉおおおおおおおッ!」
 エルザは炎の中に突っ込んだ。そして、片方の刃で迫る炎を押し返し、もう一方の刃でシャナを襲う。
「“炎のパンチ”!」
 まさか、エルザが“火炎放射”に突っ込もうとは! もちろん多少のダメージは避けられないだろうが、それでも今はシャナを倒す事を――いや、苦しめる事を何よりも最優先にしている。
 エルザの振り下ろす“サイコカッター”に、今度はタイプ一致の“炎のパンチ”で対抗する。彼の刃を紙一重で避け、拳をエルザの頬にぶち込む。
「おおッ!」
「ぐぅうッ!」
 だが。
 エルザは顔面に食らったパンチで吹き飛ばされる直前、一度は空振りした刃をもう一度ふるった。シャナの右腕が使い物にならない以上、左手でパンチを食らわせている彼に刃を防ぐすべは無い。焼け付く痛みで本来なら吹き飛ばされるだけの運命だっただろうエルザは、だがただ吹き飛ばされる事は無く、彼の左腕に刃を振り下ろしたのである。
「くらえぇええ!」
 ザンッ!
「がぁああッ!」
 再びシャナは痛みに叫んだ。炎をまとい、エルザの頬を確実に捉えていた彼の左腕は、右腕同様念力の刃で骨の芯まで砕かれた。“かわらわり”ではなく、炎で腕を守られていたために右手ほどのダメージは無いが、でも拳はもう握れない。もう両腕は使い物にならなかった。
 ――どうだッ!
 エルザは脳天にまで来るパンチのダメージをどうにか耐え抜いた。吹っ飛ばされて地面に倒れるが、すぐに立ち上がってシャナを見る。憎しみの炎に萌えた目で見る。目の前の憎きシャナは、両腕をつぶされて、血を流し、痛みからもうろうとした状態で立っていた。
 だが、そこに目の光はまだあった。
「はぁ……ぐッ……しつ、もんに……ッ、質問に答えろッ! エルザァッ!」
 ギリィッ、とエルザは激しく歯を噛み合わせた。頭に血が上る。
 絶望が足りない。まだ立ち上がってくる。まだ自分に説教を垂れようとしている。
「両腕つぶされて虫の息なのに喋ってんじゃねぇッ! くたばりぞこないがァッ!」
 エルザは再び“テレポート”で迫った。彼には、まだ苦しみが足りないらしい。“リーフブレード”を刃に乗せ、彼に連続攻撃をかけた。
「なぜ、貴様を憎むかだとッ!?」
 彼の背後に立ち、背中に斬撃を食らわせる。痛みにうめく間を与えず、すぐに“テレポート”をする。
「言ったはずだッ! 貴様はッ! 俺からッ! 全てを奪ったとッ!」
 今度は斜め前だ。
「どれだけ努力しようと、いつも賞賛をもらうのは貴様かルテアだッ! 貴様は俺から名声を奪ったッ!」
 彼は右足に“サイコカッター”を打ち込む。「がぁッ!」と叫んでシャナは膝をついた。今度は左足をつぶした。
「同じ師のもとで修行したのに、俺は貴様にいつも負けていた! いつも陰だッ! それがどれだけの屈辱だったか……ッ!」 
 シャナは“火炎放射”で追撃するが、その前に“テレポート”で回避する。
「貴様は俺から栄誉を奪った!」
 今度につぶすのは右足! それをどうやらシャナは予想していたようで、現れる地点で既に彼は技の準備をしていた。だが、それもエルザは予想済みだ。両手が使えない今、出せる技は遠距離用の技のみ。
「“オーバーヒート”ッ!」
「“サイコキネシス”!」
 見えない念力の膜は、熱風を最大威力となる前に包み込んだ。そしてそれを圧縮し、つぶす。
「な、に……!」
 “オーバーヒート”よりも大きな念力に、シャナは驚きを隠せないでいた。まさか、エルザの技の力がここまで大きくなった事を信じられないらしい。純粋な貴様は知らないだろう、とエルザは彼をあざ笑う。
 ――憎しみ、執念というのが、どれだけ大きな力をもたらすのかを!
「右足も、潰すッ!」
 ザンッ!
 片膝でかろうじて立っていたシャナは、その右足までも“サイコカッター”で骨を砕かれ、立ち上がる事が出来なくなった。
「ぐッ……がッ……!」
「そしてお前は……! 俺から、リオナと言う女を奪った……ッ!」
 エルザはここにきても容赦がなかった。バランスを崩したシャナの体をめがけて、念力の刃を袈裟斬りに振り下ろしたのだ。
「“サイコカッター”ッ!」
「がぁッ……!」
 袈裟斬りなった切り口から、血が吹き出る。そして、シャナはまともに目の焦点をあわせられず、うつぶせにドサリと倒れ込んだ。倒れた地面からも、血だまりを作っていく。
「……はぁっ、はぁ……」
 気づけば、エルザは肩で息をしていた。そして、両手両足を潰されて、目の前に倒れ込むシャナを見下ろしている自分がいる事に気づいた。
 今度は、本当に。
 本気で挑んできたシャナを相手に、勝った……?
「は、はは……」
 あの、憎い相手を? いつか殺してやると夢見てきた相手を?
「はははは……」
 エルザは、シャナを見下ろす。彼は白目を剥いて、少しも動く気配がなかった。血を流す腕の、指一本ですらぴくりと動く気配もなかった。
 死んだ? 死んだのか……?
「あはははッ……あははッ!!」
 エルザは額に手をつけた。そして、小さく笑っていた彼の声がどんどん大きくなる。ついには、哄笑となる。
「はーはははッ! あははッ! 見ろ! 無様な奴だッ! 俺に憎まれながら死んでいったッ! 死んでいった! 俺は勝った! 勝ったんだッ!」
 シャナに勝ったと知られれば、皆は自分を恐れるようになる。あのシャナを倒したエルザ、と名を知られるようになる。皆が畏怖の目で自分を見るようになる。シャナ以上の力を手にした事になり、さらに高みへと進む事となる。
「俺は、満足だッ!」
 シャナを倒し、今までに得る物が出来なかった充足感を得る事が出来る。
「俺は! 奪ったぞッ!」
 名声も、強さの地位も、その栄誉も。
「俺は、お前から奪ってやったんだ! 全てを奪え返してやったッ!」
 ――全てを?
「奪い……」
 エルザは、死んだように動かないシャナの横にへたりこんだまま。手を額に当てたまま、しばらく黙り込んでいた。
 シャナを倒したら、シャナを超えたら。
 何か得られる物がある。満足感に満たされる。
 なのに、なんだ?
「……なんなんだ? この感覚は……?」
 なにか、心に風が吹き抜けるようであった。満足感で満たされるはずの心に残っているのは、一種の虚無感であった。
「おい、シャナ……」
 彼はずいぶんと冷たくなった彼の体を揺さぶる。
「おい、なんなんだよ……なんだんだよ、この感覚は……」
 だが、かつての仲間から、憎き敵からの答えは無かった。
「教えてくれよ……なぁ!」
 ――おい、本当に……! 本当に死んじまったのか?
「シャナ! おい! 教えてくれッ! シャナッ!」
 ――俺が……殺したのか?
「シャナッ!!」
 ――俺は、とんでもないことをしたのか? なぁ……! シャナ! 俺は何をしちまったんだ?
「シャナッ!! 起きろぉおおッ」
 ――教えてくれよッ!

「シャナァあああああッッ!!」

ものかき ( 2015/07/02(木) 20:21 )