第百五十九話 ひとりじゃない
――四本柱の一人であるポードンを、ミーナは素早さと心の強さを持ってして撃破した。一方、ラピスと対峙しているスバルは……。
★
スバルは肩で息をしていた。一方、傷一つ負っていないラピスは、種族からは想像もつかない早さでピカチュウの背後に回り込み、“サイコキネシス”で作った高密度のエネルギーの塊を放つ。
「くっ……! “電光石火”!」
「いつまでそれで逃げきれるだわさ?」
今の戦況がどちらに有利かは一目瞭然だろう。すでにラピスは隙をついて“トリックルーム”を発動させている。そのせいで絶望的に素早さの遅いランクルスは、“高速移動”に匹敵する素早さを手に入れた。それに対してスバルは元々すばしっこい。素早さを逆転させる技を食らえばその強みが仇となる。
彼女はいかなる場合でも先制可能な“電光石火”でどうにかラピスの高火力の技から逃れてはいるものの、いつパワーポイントがきれるかわからない。
「“十万ボルト”!」
「“気合い玉”!」
スバルが苦し紛れに放った電撃は、ラピスの“気合い玉”を前にあっけなく消滅する。だがもちろん彼の技がそんなくらいで無くなるわけがなく、“気合い玉”はものすごい早さでスバルへと迫った!
「で、“電光石火”!」
慌てて横へと倒れ込むスバル、しかし、“十万ボルト”を撃つ動作のせいで一瞬だけ反応が遅れたせいか、“気合い玉”が逃げ遅れた彼女の体にかすった!
「きゃぁああああッ!」
かすっただけ、それだけなのに、まるで弾丸を食らったかのような思い衝撃がスバルを遅う。そのまま彼女は倒れ込んだ。立とうとしても、技のかすった場所に激痛が走って体勢を立て直すことができない。
「ふわああああ……“トリックルーム”の対策がない時点であんたの負けは確定だわさ! なのに正面から僕に勝負を挑むなんて、あんた馬鹿だわさ?」
「ぐうッ……!」
ラピスはスバルの眼前に立ち、あくび混じりの冷たい目で彼女を見下ろす。
「それとも、いざとなればまた“願い人”の力に頼るつもりだっただわさ?」
「な……ん」
スバルの顔が驚愕の色に染まる。どうして、ラピスが自分の能力について知っている?
スバルの表情から彼女の疑問を感じ取ったのかラピスは律儀にその答えを言い放つ。
「“イーブル”の幹部の間じゃ敵の情報を交換しているのは当たり前だわさ。……ふん、大きすぎる力を持っていても良いことなんか一つもないのに、みんなそれにすがって身を滅ぼすんだわさ」
「ぐっ……そんなことッ……!」
スバルは四肢に力を込める。痛い、痛い、逃げたい、怖い……そんな気持ちがぐるぐると頭を回るが、彼女はそれを押し込めてどうにか立ちあがった。
「わかってるに決まってるわよッ!」
はぁ、はぁ……と荒い呼吸をする。額から血が出ていることに気づいた。どうやらさっきの技がかすった時に、皮膚が薄く裂けてしまったようだ。
だが、スバルは笑う。ピンチの時こそ不敵に笑え――これはルテアが教えてくれたことだ。
「私は“あなたごとき”に、“願い人”の力を使うほど落ちぶれてはいないわ」
「……なんだわさ?」
ラピスがやけに不快そうに表情をゆがめて首を傾げる。挑発したはずなのになおも立ち上がってくるからか。それとも、スバルの言葉に引っかかったのか。
ラピスのそんな表情を見て、スバルは再びルテアの言葉を頭の中で反芻する。
――不敵に、冷静に。相手を挑発して隙を作れ! 虚勢もハッタリもいくらでも使え。
「ふん、そんなことより! その言いぶりからして……もしかしてあなた、大きすぎる力のせいで仲間外れにされたクチ?」
「!」
明らかに、ラピスの顔色が変わった。一瞬垣間見せたその表情は、紛れもなく何かに対する憎悪のそれだ。
膝が笑ってる。ラピスの技の射程距離内で相手を怒らせた。だが、スバルは気づかれないようにゆっくりと一歩一歩遠ざかりながらさらに続ける。
「あら、図星?」
スバルは必死に自分を鼓舞する。
――怖い、怖い。でも、逃げない。逃げたくない。今まで逃げることはさんざんしてきた! カイにたくさん甘えた! カイばっかりがバトルで傷ついた! 今度は、私の番!
「そうよね、“英雄祭”で私たちと戦ったとき、あなたは家族という単語に敏感に反応していた!」
「うるさいだわさッ!! それ以上、何も言うなだわさッ! “サイコキネシス”ッ!!」
技を放つラピスの脳裏に、一瞬ここではない景色が映る。
――遠目から見ても粉々になったとわかる岩肌。恐怖でくしゃくしゃになった兄弟たちの顔。そして両親が自分に何かを言い放った時の、幼いながらに感じた胸の痛み――。
「――“アイアンテール”ッ!」
「!」
すぐ近くで敵の声がして、ラピスはハッと我に返った! だが、そのときにはすでにスバルの鋼鉄のしっぽが眼前に迫っていた!
「どわああああっ!?」
彼は脳天から衝撃をもろに食らった。文字通り彼のブレーンを守っているのはゼリー状の体のみ。脳天に食らうダメージはすなわち致命傷と同じなのだ。
「よそ見とはなめられたものね!」
スバルは未だに抜けきらないダメージと戦いながら、そう軽口を叩いた。
今はなった“アイアンテール”も、この軽口も、そして“十万ボルト”も……全てルテア直伝である。いままでシャナを師匠と呼んでいたのに、バトルではルテアの戦法が役立っているとは皮肉なものだ。無事にギルドへ戻れたらルテアも師匠と呼んであげようかな、と場違いな決意を胸にする。
「“シャドーボール”!」
と、“アイアンテール”を食らい倒れていたラピスが立ち上がって、くろい塊をいくつも放ってきた。
だがスバルは、冷静にもう一度“電光石火”を発動させる。まだ少しだけこの技を出す力は残っている。その間に何とかしなければ。
“シャドーボール”の間を縫うようにラピスに迫りつつ、頬の電気袋に電気をためる。
「ゆ、許さないだわさ……! 弱いくせに! “ソオン”に頼ってるくせに……! 僕にたてつくんだわさ!」
「私はもう、“ソオン”には頼らない! “十万ボルト”!」
「――“サイコキネシス”!!」
ビタァッ!
スバルのはなった渾身の電撃は、果たして、ラピスのところへ到達する事無くその場に制止した。そして――。
「――ああああああッ!」
叫び声を上げたのは、スバルだった。迂闊だったとスバルが思ったときにはもう遅かった。つま先から頭の芯にまで締め上げるような激痛が走る。
ラピスは今の今まで、“サイコキネシス”を念力の塊として打ち出す事が多かった。だが、エスパータイプの技の力の真骨頂はこういう使い方ではない。見えない力で相手の動きを封じ込めることが本当の使い方だ。それをラピスが出来ないはずが無い。
「あッ……ああッ……!」
「……最初からこうしていれば、良かっただわさッ!」
ラピスは、“サイコキネシス”の拘束に悲鳴を上げるスバルを自分の方に引き寄せて、さらにその力を強める。さらにスバルは強く叫んだ。
「きゃぁあああああッ!」
「『“ソオン”にはもう頼らない』? 笑わせて、くれるだわさっ! “ソオン”が無ければ――一人だと何も……何も出来ない、ピカチュウのくせにッ!」
ラピスは自分では気づいていなかった。彼は今、肩で息をしている。初めてのバトルではその力でスバルを圧倒していたラピスが、ダメージで途切れ途切れに叫んでいるのである。
「そんなやつが、僕に……、僕に……!」
――仲間はずれにされたクチ?――
「僕は……ッ! 強いんだわさッ! 一人でも生きていけるんだわさ! 仲間も、家族もッ! 誰もいらないんだわさッ!」
――だめだ……動けない……意識が、持たない……!
“サイコキネシス”に絡めとられたスバルは、激痛の中でどうにかこの状況から脱しようと考えを巡らせるが、痛みを感じる体は正直で、思考よりも痛みに対する悲鳴が心身を支配していた。心が壊れる、あの痛みを想起させて心が拒絶反応を起こしていた。
「ああッ……いやぁあッ……!」
――痛い、痛い……! この痛みは……! 違う、人間だったころに感じた痛みとは違うの……!
スバルの水面下の感情を知る由もないラピスは、彼女から意識を奪おうと“サイコキネシス”の力をさらに放出する。 激痛で意識が飛びかけるなか、スバルの耳はラピスの言葉を拾った。
「家族もいない、その上一人じゃ何も出来ない無力なお前なんかとは、違うんだわさッ!」
――私は……ひとり?
「ひ……ひとり、じゃ……ッ」
――一人じゃ、何も出来ない……?
スバルは激痛で意識を手放しかけた……。
――僕を信じて、スバル。
その時。
激痛の最中に、スバルの脳裏に蘇った声。それを聞いた瞬間、彼女の目に光が宿った。
――君は、優しすぎる。
――スバル……お前を失いたくない。
――お前も、前を向く時が来たんじゃねぇのか?
――イッショニ、アノコヲ、スクオウヨ。
まるで、走馬灯のように。自分に向けられた様々なポケモンの言葉が輪唱のごとく脳内を駆け巡る。そして最後に。
――笑って、スバル。
大切な、大切な人の言葉が、ぬくもりが、スバルにもう一度だけ意識を取り戻させる力をくれた。
「そう、だ……ッ、わ、たしは――」
――今このときも、独りじゃない!
“サイコキネシス”の中で、激痛からもがき苦しんで上げていた悲鳴も、聞こえなくなった。ラピスは、しぶとい相手がやっと静かになったと技の力を緩めようとした、その時。
「――“十万ボルト”ッ!」
「なにぃっ――どわぁああああああッ!」
今度はラピスが全身を駆け巡るしびれるような痛みに叫び声を上げる番であった。もちろん、技を放った主はわかる。だが、ラピスはどうしても信じられない。
「ど、どどどうしてぇえええええええッ!」
長く長い、電撃の一撃であった。ラピスが驚愕でそう叫んだ後も、“十万ボルト”が途切れる事は無かった。
「どわぁああああああああぁッ!!」
そして、永遠にも思われたその電撃が止み、体のいたるところが焦げた満身創痍の状態で、どうにか前方へ視線を向けると――。
「……ッ、はぁ……はぁ……!」
――今にもくたばりそうな、だが、それでも確かに自分の前に立っているスバルの姿が、そこにはあった。
★
「な、なんで……なんで、ここまで攻撃しても立っているだわさ……!」
全身がしびれて、ラピスは立ち上がれなかった。どうやら先ほどの“十万ボルト”の追加効果で麻痺をもらったらしい。これで“トリックルーム”を使った戦法も通じなくなってしまった。どうやら、ひっくり返ったこの状況のみならず、時の運まで自分を見放してしまったらしい。スバルとしてはここまで来てやっと手に入れた有利な状況だった。
もとより、ラピスが“トリックルーム”を発動する前に、自身の特性である“静電気”を利用して相手を麻痺させようという作戦だったのだが、師匠たちのようにバトルはそううまく行かないものだ。
「なぜ立っているかって? ……あなたは私に言ったよね。私は一人じゃ何も出来ない無力な存在だ、と」
「だから何だわさ……!」
「私は、ひとりじゃない。家族同然の仲間がいるから」
「なっ……」
「いま、体はここで一人でも、無力じゃない。ひとりぼっちなんかじゃない」
彼女のその言葉に、ラピスは心の底から憤りを覚えた。怒りに震えて言葉が出ないのだ。
なんて軽い言葉だ。なんて世間知らずな言葉だ。なんておめでたい言葉なんだ!
「なッ、何を言い出すかと思えば! 何かの主人公にでもなったつもりだわさ!? そんなもの、あるわけないだわさ! そんなもの、ガキの語る幻想なんだわさッ! 家族!? ハッ! あんた、ギルドの奴らが本当に自分の家族になれる――家族同然に愛情をそそいでくれると、本当に思っているだわさッ!?」
そう叫ぶラピスが、本当に自分の言葉をわかわからない顔をしていたので、スバルは目を細めて彼を見た。視線を寄越されたラピスは、スバルのその表情が深い憐憫からくるものだと知ってさらに頭に血が上る。
「なんで……! なんでそんな目で見るんだわさッ!? やめるだわさ! やめるだわさッ! “シャドーボールッ!”」
「“十万ボルト”」
“トリックルーム”の効果など、とっくの昔に切れている。ラピスが放った強大すぎる力を持った“シャドーボール”も、動きが黙視できるほどの素早さでしか迫ってこない。そして、冷静になってスバルが電撃を何発か放つとすぐに相殺された。
一歩一歩、確実にラピスの方へ近づく。
「く、くく来るなだわさ!!」
だが、いくら闇雲に技を放ったところで、彼女の歩調が止まる事は無かった。そしてスバルが一歩を踏みしめるたびに、どうやっても倒れない相手を目の前にしたラピスの顔に恐怖が浮かぶ。
――ああ、似ていいるなぁ。
スバルは、そう感じた。そっくりなのだ。
少し前の自分と。
「な、なんでだわさ……! 僕は、僕は! 家族にすら優しくされることなんてなかったんだわさ……! 僕の技の力が強すぎるからって……! 僕のことを追い出したんだわさ……ッ! 化け物を見るような目でみんな僕を見たんだわさ……!」
あくびを噛み締めて無防備なふりをしていても。
ふざけた語尾でおどけてみせても。
誰も、振り返らなかった。
誰もが、自分を怖がった。
――そうだ、僕は。僕は……!
「確かに、あなたも、私も。家族はいない。いえ、私の両親は早くに亡くなっていただけで、あなたは家族がいるにもかかわらず追い出されたというのだから、厳密には違うのでしょうけれど……でも、一人だったというのは同じ」
そして、スバルはラピスの目と鼻の先で立ち止まった。足は引きずるようにしないと歩けない。額から流れる血で片目が開けられない。だがスバルは力を振り絞って立った。
ラピスは、自分と同じなのだと思った。
「でも、私は愛を受けていた」
初めてこの世界にきた時、助けてくれたシャナ。乱暴な口調だけどいつもスバルの事を思ってくれていたルテア。暖かく迎えてくれたギルドのみんな。
そして何があろうともスバルの事を信じ、支え、さまざまな感情をくれた、カイ。
「私は、シャナさんに愛されていた。ルテアに愛されていた。カイに、愛されていた……ギルドのみんなに、愛されていた。そしていまなら、“ソオン”にすら愛されていると思えてしまう」
そして、真っすぐにラピスへ視線を合わせる。
「……あなたは、愛を知らないのね」
だから、スバルが立ち上がれるのが信じられないのだ。体のどこに意識を保てるだけの力があるのか、彼には不思議でならなかったのだ。愛を知らないから。
「“イーブル”は、あなたに愛情をくれた?」
スバルは静かに問う。もはや、目の前のランクルスに攻撃しようという気力は感じられなかった。
「……ぼ、ボスは……この力を見ても僕を遠ざけなかっただわさ! 僕の力を使う場所をくれただわさ!」
「カナメは、彼は子供の頃から感情を捨てるように教育された。だから、愛情を注ぐなんてそんな器用なことできるはずがない」
誰よりもカナメの事を知るスバルの口から、そう言い放たれた。ばっさりと切り捨てられた。だからこそ――彼女だからこそ、その言葉でラピスの脳内に衝撃が走った。
「彼があなたの技の威力に驚かなかったのは、彼もあなたと同じか、それ以上の力を持っていたから。そして“イーブル”にあなたを引き込んだのは、仲間意識でも何でもない。目的を達成する上で、あなたの力にしか興味が無かったからよ」
そして、私に対して向けていたカナメの感情も……愛ではない。
依存だ。
「そんな……! ううぅ……うぅううううッ!」
彼の目から、涙がぼたぼたとこぼれ落ちた。
「あなたは、本物の家族から見捨てられた。だから私が、家族でもないポケモンから家族同然の愛を受けられたことなんて信じられなかったんだね」
スバルは、ラピスの大きな手のひらに触れた。そして、手をぎゅっと握った。
――“ソオン”、聞いてる?
『……ネガイヲ、カナエルノカイ?』
――ええ。
大きく、スバルは息を吸った。この願いを叶える上で、どんな対価が待ち受けているのかわからない。それこそ本当に、重傷を負うか、感情のどれかが欠落するか……その代償を考えると身震いする。
だが、ラピスを見た。
彼は泣いている。涙を流している。憎いはずの敵の前で、感じた事の無い愛が本当に存在する事を知り、それを渇望しているのだ。
スバルは、覚悟を決めた。くしゃくしゃに歪んだラピスの顔を見て、笑う。
かつて、カイがスバルにそうしたように。
こんどはスバルが、ラピスへと。
「君も、きっと。ひとりなんかじゃないよ」
そして、願う。
【彼の渇いた心に、めいいっぱいの愛を】