第百五十五話 嵐の前のギルド 3
――僕は、自分の生まれた場所である“雲霞の里”に一人で向かった。スバルも一緒に行くと言ったのだけれど、ヤド仙人と一対一でしゃべりたかった。いつものように海の見渡せる丘には瞑想のために彼がぽつんと座っていて、僕の来訪を予想していたかのようにこちらを振り返った。
★
「ヤド仙人と話すのも、これがもう最後かもしれないね」
努めて穏やかに、明るく仙人に僕はそう告げたけど、仙人は黙って僕の前でお茶をつぐだけだった。しばらく無言でお茶を飲み、ほっと一息ついたところで「リンの所へは行ったかの?」と聞いてくる。
「……うん」
ヤド仙人に会う前に、僕はリンの眠っている墓へともちろん足を運んでいた。驚いたのは、墓の前に立つと自然と涙がこぼれてくることだった。踏ん切りがついたと思ったのに、まだ僕の涙は枯れていない。まだ、悲しさは無くならない。
「今じゃ僕にはたくさんの仲間がいるのに、不思議だね。リンの事を思うと今でも涙がでるよ」
「阿呆、当たり前じゃろう。誰かを失うのは、いくら経っても寂しいもんじゃ」
そしてヤド仙人は、寂しい目で僕を見る。
「全く、それでお主までいなくなったら誰がわしの話し相手をしてくれるんじゃ? 年寄りはわしじゃぞ! 不孝者め!」
ヤド仙人は僕の親では無いけれど、里での僕の成長一番間近で見ていた家族の一人だ。だから、そんな理不尽でどうしようもない非難も素直に受け入れられた。彼は偏屈だから素直にものを言えないだけで、僕がいなくなったら寂しいことをどうしても訴えたいんだろう。
神官という立場を考えれば、ルアンが宝玉を壊すのを止める事はどうしても出来ない。だけど、僕が彼の波導に耐えきれず死んでしまうかもしれないことまでは、いくら神官でも葛藤があるはずだ。
僕が、リンの死からしばらく経ってもこうして涙が出るように。
僕が死んだら、ヤド仙人やみんなはしばらく経っても涙を流すのだろうか。そして、スバルも――。
「カイ」
ヤド仙人こちらへ席を近づけて、僕の手を掴んだ。
「わしはのう、もしかしたら……もしかしたら、宝玉を壊してもお主がかろうじてルアンの波導に耐えられるのではと、淡い期待を抱かずにはおれん」
「仙人……」
「カイ……今からわしが言う事は、老いぼれのたわごとだと思って聞き流すのじゃ。――どうか、無事に、無事に帰ってくるんじゃぞ……!」」
僕は、手を握ってくるヤド仙人にうろたえた。彼がそう言ったからうろたえたんじゃない。僕の前で一度も見せた事が無い涙を、ほろりと流してそう言ったからからだ――。
ギルドに戻ったのは、もう夕日も沈んでだいぶ経った頃だった。聞けばもう“運命の塔”へ向かうメンバーは全員帰ってきていて、僕が一番最後だったらしい。自分の部屋へ戻ると、物音に気づいたスバルが顔を上げた。
「お帰り、カイ」
「……ただいま」
とても暖かい笑顔だった。僕はその場につったったままで、彼女はそんな僕に目線を合わせるために立ち上がり、僕の両手を握る。
握ってくれたその手も、笑顔と同じように暖かい。
「いよいよ、だね」
「……うん」
「ルアンと、一緒に。宝玉を壊して、“イーブル”を止めたら――」
彼女はいつもの彼女らしく、明るい声で言う。なんだか僕は、確かに自分へ向けられて放たれたその言葉を、他人から見たように遠くから聞いているように感じた。
「――カイ自身の新しい人生が始まるんだよ!」
「僕の、人生……」
これが、最後だ。
スバルの手のぬくもりを感じる事も。スバルの笑顔を見る事も。スバルの声を聞く事も。まぎれもなくこれが僕の最後なのは、拭いきれない真実なんだ。
スバルはこれが僕の最後なんだと、微塵にも思っていない。ヤド仙人のように、別れを惜しむ事すら彼女には出来ないんだ。
僕は、なんて残酷な事をしているんだろう。
「……!? ……カイ?」
と、スバルは黒いクリクリとした瞳を大きく見開いた。そして「どうしたの……?」と、腫れ物に触れるかのような口調で僕に言う。なぜなら――。
――僕の目から、とめどなく涙があふれてきたから――。
「えっ、カイ……大丈夫? どこか痛いの? 苦しいの?」
違う。違うんだ、スバル。
どうにか、何かを言葉にしようとする。でも、だめだ……。息が詰まって、なにも言葉にならない。なにも、言うべき言葉が見つからなかった……。
だから、僕は黙ってスバルを抱きしめた。
「っ……カイ……ッ?」
突然の事でびくりと体を硬直させたスバルにかまわず、僕は彼女の背に回した腕にさらなる力を込めて、強く、強く体を抱きしめた。
僕は、まだ確かにここにいる。
やっぱりまだここにいる。
まだ彼女に触れていられる。
彼女のぬくもりを感じられる。
「あはは、カイ……痛い、痛いってば」
彼女は、どこまで僕の心を察してくれたのか、笑って静かに抗議したけどあからさまな拒絶はしなかった。
「“イーブル”も強いし、宝玉を壊さないと行けないし……怖い、よね」
違う、僕が本当に恐れているのは……。
「私も、ちょっと怖い。だからこうしてると、私も不安がまぎれるよ……痛いけど」
「ごめん……ごめん、スバル……ッ、あと……あと、ちょっとだけ……」
スバルにとって他愛も無いこの会話。“これから起こる決戦をカイは恐れている”と解釈し受け入れた抱擁。
その全てを、なにもかもが終わったときにはもう出来ない。触れる事も、こうやって抱きしめられることも。
それを、僕だけが知っている。
僕の明かす事の無い秘密が、鋭い刃となってどうしようもなく彼女を傷つける。
この先、ずっと――。
★
僕らが、一人一人どんなことを考えていても、どんな気持ちで夜を過ごそうと、太陽は当たり前のように昇る。否が応にも朝は来る。
そして僕らは、日が完全に上ったのと同時に、ギルドの入り口へと集まった。“氷柱の森”へ向かうときと同じようにまだトレジャータウンに活気が訪れる前に出発してしまおうという算段だ。シャナさん、ルテアさん、ミーナさん、ローゼさん、スバル、そして僕が全員そろったところで、見送りのメンバーのうちの一人――ウィントさんが僕らの前へ出る。
「みんな……気をつけて行ってきてね」
僕らは全員、思い思いに彼の言葉へうなずいた。それを見届けた門番のルペールさん(今日のこの瞬間に緊張して昨日からまんじりとも出来なかったそうだ)が、“念力”を使って重い門扉を開いた。
「カーイモーン!」
そして、“イーブル”討伐・ナイトメアダーク消滅に向けて、僕らは一歩を踏み出したのである。
「……いくぞ!」
「おうよ!」
「頑張りましょう!」
「右に同じです、はい」
大人たちが先行したのを見届けて、僕はスバルへと手を伸ばす。
「――いこう」
「……うんッ」
スバルは僕の手を強く握って、二人一緒に駆け出した。
目指すは“運命の塔”――その最上階だ!
★
「……親方様」
“イーブル”討伐隊がギルドを背にした直後、彼らを見守っていたウィントへラゴンが声をかけた。
「ラゴン、どうしたのー?」
「彼らで……本当に大丈夫なのでしょうか?」
現実的思考であるのを自覚しているギルド副親方は、このメンバーでの“イーブル”討伐に一抹の不安があった。彼らはもちろん粒ぞろいの精鋭たちだ。だがその中に、著しい成長を遂げたとはいえまだ少年少女であるカイとスバルを入れることにあまり賛成できなかったのである。最終的に決定を下すのは親方であり、彼の決めた事は絶対であるからおおっぴらには反対できなかった。だが、カイとスバルでなくても、連盟には救助隊“フォース”もいる。ギルドの長であるウィントが離れられないのはどうしようもないが、協力を要請すれば“海岸の洞窟”近くのプクリンのギルドなら喜んで応援を寄越したであろう。それに探検隊なら、“チャームズ”とか“レイダース”とかも……。
「親方様、なぜ彼らを選んだので――もぎゅっ?」
「うーん……わからないかなぁ」
ラゴンが控えめにそう尋ねると、ウィントは天使のような白く小さい羽をパタパタと動かし、“物わかりの悪い”ラゴンの三つの口へ紺色グミを続けざまに押し込んだ。
「ギルドの親方でインビクタ家である僕が、勝利を見込んだ子たちなんだよ?」
「……」
ラゴンはしばらくグミを咀嚼した。そして、全てのグミを飲み込んだ後「……失礼しました」と頭を垂れる。
他の誰でもなく、ウィント=インビクタが選んだ人材……。ラゴン、いや、そのほかのメンバーにとって、それ以上説得力のある選び方は無い。
「あなたがいったい何者だったのか、今の今まで忘れていました」
「しっつれいしちゃうなぁー! もう! そんなラゴンにグミちゃんあげるー!」
「い、いやもう結構です!」
ラゴンはいつの間にか両手に黒いグミ持った親方をどうにか振り切ろうと逃げ出した。
――やっぱり、本当に大丈夫なのだろうか……。