僕の覚悟 中編
――チャオ! ボクの名前はフレデリック。大陸を回りながら旅をするカメールさ! ボクはついさっき、運命の人を見つけたというのにいきなり背後から固い物で殴られてしまったんだ。しばらく目を回していたせいで、せっかく見つけたボクのすうぃーとなハニーちゃんがいなくなっちゃったじゃないか! ふん、きっとボクの魅力に恐れをなした男の仕業に違いない。無駄だよ、ボクはきっと彼女を見つけ出して必ずプロポーズを成功させるのさ!
とりあえず、ビクティニのギルドとやらに行ってみよう! なんだか、あの建物からハニーの気配を感じるんだ……!
――やっぱりこれは、彼女がボクの運命の人だから感じるシンパシーだ!
★
ギルド地下一階のバトルフィールドからゆらりと出て行ったカイを追って、爆炎槍雷の二人は未だに我に返らないスバルを伴って一階へ上がっていた。だがなんとも間の悪い事に、彼らの一階への到達は、“運命の人とのシンパシー”を感じ取ったフレデリックが入り口から入ってきたのと同時であった。
「ああ! あれはまぎれも無くすうぃーとなボクのハニーちゃぁああん! やっぱりここにいたんだね!」
「げぇっ!」
フレデリックの登場に最初に気づいたルテアが、キャタピーがいきなり落ちてきた時のような叫び声を上げた。その声に、シャナと辺りの探検隊たちもびくりとその方を振り返る。
「お、お、おいてめぇ! 今すぐここから立ち去った方がいいと思うぜ!」
「ああ、ご心配なく。彼女をボクにあげたくない気持ちはわかりますが、ボクはきっとこの方を幸せに出来ますから」
「そういう意味じゃねぇ! 今のあいつに見つかったらそれこそてめぇの身が危険だと――」
「――君がフレデリックかい」
「ひぃいいいいいい!?」
出た、と言わんばかりにルテアは全身の毛を逆立てて情けなく叫んだ。そう、彼の横――つまりフレデリックの正面に、カイがにこやかな笑顔で立ちはだかっていた。
「チャオ! いかにもボクがフレデリックだよ。レントラー君の上に乗っている可憐な女性を妻にもらいたく……ああ、そんなところにいないで、おりてきたらどうだい、すうぃーとなハニーちゃん」
フレデリックがルテアの背にいるスバルに伸ばしかけた手を、カイががしっと掴んだ。そしてひねる。
「いだ、いだだだだだだ」
「彼女はスバルだ。“すうぃーとなハニーちゃん”じゃない。断じて」
「おう、おうおうぅうう。可憐な彼女はスバルちゃんという名前だったのかい。ますます素晴らしいね! いだだだ。そういう君は、名乗りもしないでボクの手を折らんばかりにひねるのかい?」
「ボクはカイ。リオルのカイだ」
そう言って、カイはやっとカメールのむっちりとした手を離してやった。そうとう強くひねってしまったらしいが、それを冷やそうと口で息を吹きかけるだけで済むフレデリックもフレデリックだ。……と、事の顛末を黙って見ているシャナは思った。
「へぇ。で、君はハニー……スバルにとってどういう存在なのかな、カイ」
「……僕は探検隊“シャインズ”のリーダーだ。君が僕のチームの隊員にこういった迷惑行為をするというのなら、リーダーである僕が対処すべきだと思ってね、フレデリック」
純粋に興味からの質問をしたフレデリックに対し、カイは友好的な笑みを浮かべながらもとげのある口調で返した。
「迷惑行為だなんて! 僕は、彼女に求婚をしたまで、さ」
「初めて会って、名前も知らない相手に無礼にもキスをする事が迷惑じゃないと?」
「キス? ……ああ、あれね。あれはボクの地元じゃ挨拶みたいなものさ」
「あい、さつ……?」
ビキッ、とカイの血管が浮き立った。この数日バトルで鍛えた強靭な精神力のおかげか友好的笑みはまだ消えていないので、その様子に気づけるのはそばにいたルテアとシャナくらいだろう。もちろんフレデリックはその変化を気づけないに違いない。
「る、ルテア……?」
「お、おうスバル……気がついたか?」
――出来ればもう少し呆けてくれた方がよかったな……! いま一番ヤバいタイミングだぜ……!
「そんなに気にする事があるのかい? だって、君はチームのリーダーであってスバルちゃんの恋人というわけでもない」
フレデリックは陽気に、鼻歌でも歌うように言う。その言葉にはさすがのカイも反論は出来なかった。実際フレデリックが正しい。
「ボクは人妻や恋人には手を出さない主義なわけだけど、伴侶も恋人もいない相手――スバルちゃんに結婚を申し込んだ。あとは彼女の返事次第さ」
「ぐっ……」
「そしてボクは、彼女を幸せにできると誓う」
「幸せ……」
一気に形勢逆転。フレデリックは余裕な表情。そしてカイは、一瞬だけ自分の置かれた状況を思い出してしまい悔しげな表情だ。
――僕は……君に“ずっとそばにいる”と嘘をついている……。
そして二人は自然と、ある人物の方に視線を向けた。それはもちろん、スバルだ。
「どうだいすうぃーとハニ……」
カイがものすごい睨みをきかせた。
「……スバルちゃん、ボクの申し出を受けるかい?」
「……」
彼女は、自分がいま渦中にいることを察して、ルテアの背から降りた。その顔には重い迷いと葛藤でこわばった表情になっている。
「おいおいスバル、言葉も行動もかるっそうなそいつの言葉なんざ真に受けなくても――」
「――ルテア」
彼の発した言葉は、なにやら真剣そうなシャナの制止によって阻まれた。「んだよ……」といいつつ、彼はそれ以上は何も言わず口をつぐむ。
「私は……」
スバルの声は、震えていた。
――ごめん、カイ。私、君に何もかも背負わせすぎたのかも……。
前に……。前に、進まなくては……!
「私は、強い人が私を幸せにしてくれると信じています。だから――バトル、してください」
★
「おい、聞いたか! この時間から地下でバトルやるらしいぜ!」
「ええ!?」
「なんでも、女をめぐったガチンコバトルらしい! これは見にいかねぇ手はねぇぜ!」
「え? でも確か、そういう類いのトラブルで地下のバトルフィールドを使うのは禁止じゃなかったっけ? ギルドが責任取れないじゃん」
「それがよ、一方が勝ったら女つれて大陸を出て自分の地元で結婚式上げるらしい! 探検隊が一人ギルドから抜けるか抜けないかの騒ぎだ! ギルドも暗黙で了解しているらしい!」
「ええぇ!」
こういった下世話な噂というのは広まるのは早いもので、地下一階のバトルフィールドにはバトルの取り付けから少ししか経っていないにも関わらず様々な種族のポケモンたちで入り乱れていた。その様子に困惑したのはルテア、カイ、もちろんスバルもである。
今回はいわゆる“賭けの賞金”扱いであるスバルは、特別に審査員の少し横に切り株の椅子を持ち込んで(半ば強制的に)そこに座らされた。祭り好きのギルドの面々の計らいらしい。だが、こんな大事になって早くもスバルの心は、自分の失言への後悔と逃げ出したい気持ちとでいっぱいだった。
ベンチには審判として(これまた半ば強制的に)抜擢されたシャナと、珍しくおろおろとしたルテアがいる。観客席はバトル前なのにヴォルテージがマックスだ。どうやら祭り好きはギルドに限った話では無いらしい。
「おいおいおい、これ大丈夫なのかよ! カイが負けるなんてこれっぽっちも考えちゃいねぇけどさ! でも……万が一あの外来種ヤロウが勝っちまったら……!」
「“イーブル”に関する全ての事が終わり次第あいつはここから出て行くだろうな。バトルで取り決めた賭けの結果は、そう簡単に変えられない。それに――」
シャナはこの状況でも少しだけ苦笑していた。
「――我を忘れたポケモンの蔓延るこの大陸を、一匹で渡り歩く身体能力。カイが手をひねってもびくともしない余裕さ。あのフレデリックとか言う奴、かなりの手練かもしれない」
「そんなこと悠長に行ってる場合かよぉおおお! てめぇ! なんであそこであいつらを止めなかった!?」
「止める要素なんて無かっただろ。はは、若いっていいよなぁ」
「そういう事じゃねぇよ! こういっちゃあなんだがこの際はっきり言ってやる! ……カイ以外にスバルを幸せにできる奴なんているかよ!?」
「――いない。もちろん、俺はそうであると願っている。……だが……」
「ああん!?」
ルテアは鼻息を荒くしながら、シャナの次の言葉を待った。だが彼は、深刻な顔つきであごに手を当てたまま暫く黙していた。この表情にはルテアも不安にならざる得ない。親友のこんな表情は滅多に見ないからだ。
「……カイとの稽古を通して、ひとつ気づいた事がある」
「ああん?」
「……」
「なんだよもったいぶんな!」
――あの、カイの目。日を追うごとに体がぼろぼろになっていくのに、強くなる事をやめない、あの覚悟。
「……あいつは、もしかして――」
ワァアアアアアアアッ……と、辺りが一層激しく盛り上がり、シャナの声は掻き消えた。二人が顔を上げると、両サイドにカイとフレデリックが位置づいたところであった。シャナは気持ちを切り替えて立ち上がり、審判席へと向かった。審判として、そしてビクティニギルド卒のマスターランク探検隊として、威厳を持ってその右手を振り上げた。
「これは、ギルド隊員の今後の活動を左右する厳粛なるバトルである! よってひとつ、いかなる場合にも不正行為と見なされるような行為は許されず、行った者は末代まで糾弾されるものとする! ふたつ、雌雄が決した後それに賭けた結果は覆らないものとする! みっつ、このバトルにおいてついた外傷・精神的負傷・その他後遺症等について、ギルドはなんら責任をもたないものとする! ――両者はこれに同意し従うことを誓ってバトルを行うべし!」
「はい!」
「オーケイ」
――ニンゲンの住む世界からこちらに来て、記憶を取り戻し、かつての仲間と戦う。スバル、お前はこの期間で俺が初めて会った時よりもずっと大人になった。だから、俺の願う幸せが今のお前幸せと同じかはわからない。それに俺は、カイが誰にも話さずにいる覚悟の理由をここ数日のバトルを通して知ってしまった。だからなおさら、カイと一緒にいない方が、お前にとっても幸せかもしれない。だが……。
「それでは――」
――いや、だからこそ、カイの真の覚悟の強さを……見届けてくれ!
「――バトル、開始ッ!」