へっぽこポケモン探検記




















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間章9
僕の覚悟 前編
 ――チャオ! ボクの名前はフレデリック。大陸を回りながら旅するカメールさ! 波に乗ってこの土地に降り立ってから数週間、カワイイ女の子を探して来たはいいものの……。なんなんだいここは! みんな虚ろな目をしていると思えば、無言でボクに攻撃を仕掛けてくる輩までいるじゃないか! レイディの急襲はボクにとっては願ってもないことだけど、いきなり甲羅へ爪を立ててくる無粋なヤロウたちとは仲良くなりたくなんかないね! ……まぁともあれ、地図によればもうすぐでトレジャータウンという大きな街に着くから、そこでゆっくりボクの運命の人を探すとしよう! ……ん!? あ、あの雑木林の前に見えるポケモンは……!!
 濡れたような麗しき黒い瞳! 可憐に踊るハート形の尻尾! 愛くるしい赤い頬! そして何より女性にしてそのすばらしくたくましい電撃……!
 ドーン! ズキューン!! ストライィイイイイイイクッ!!!
 そう、ボクはそのとき、心臓と甲羅に受けた大きな大きな衝撃に、思わず手を胸に当ててしまったんだ! 彼女こそ……そう、彼女こそ……!

 ――ボクの運命の人だッ!!!





「カイ! まえッ! 前前前ッ!」
 ハッ!
 危険勧告の叫びが脳天に直撃した。だがそれに気づいたときにはもう、眼前に手刀がせまっていて――。
「“かわらわり”!」
「どわっ!」
 防御する暇もなく、僕はシャナさんの重い一撃を受けていた。ぐっ……! 腹全体に衝撃がくる。胃がひっくりかえる。僕は地面に倒れる……。
 なんだか戦う気力が失せてしまって、僕はそのままフィールド上に大の字に寝転がった。視界いっぱいに天井が広がる。だけどなんだか、その天井もぐるぐると回っているなぁ……。
 ひょこっ。と、回転する視界の端からシャナさんが現れた。
 そしておもむろにざらざらとした肌ざわりの手を僕に見せる。
「俺の指は何本ある?」
「……」
「……」
「……三本です」
「ああ。まぁひとまず安心だ」
 シャナさんは硬い表情で言った。僕は彼の手を取ってどうにか立ち上がり、救急箱を肩から下げてあわてて走ろうとするショウさんを、大丈夫ですと言いながら手で制した。そうか、さっき僕に注意を促してくれたのはショウさんの声だったのか……。
 僕がシャナさんの顔を仰ぎ見ると、彼の表情は指導者然とした厳しいものだった。スバルが師匠と仰いでいるはずのシャナさんだが、いまじゃすっかり僕の師匠になってしまっている。今まで僕はシャナさんの弟子じゃないと周りに言っていたのに、まさかこんなことになっているなんて。皮肉だなぁ。
「カイお前、いま他のことを考えていただろう。バトル中に集中力を途切らせるとはらしくないんじゃないのか」
「……」
 ショウさんの「自分がせっかく叫んだのに避けないんだからカイは全く……」という悪態を背中に受けながら、僕はシャナさんの言葉に肩をすくめた。おかしな話だけど、幾多のバトルを経験している彼には、僕が他のことを考えていたことなどお見通しだったようだ。
「まあ、ここ最近はいろいろあったし、思い悩むことも多々あるだろうが……これだけは覚えておけ」
 シャナさんは厳しい表情を崩さない。バトルをしていないときの彼とは背筋の伸び具合が大違いだ。
「たとえお前の周りで何が起ころうとも、どれだけ精神をかき乱されようと、バトルが始まれば目の前の相手を倒すこと以外は考えるな。よそ見をした瞬間が隙になる――こんな俺が言うのもなんだが」
 最後の一言がなければかっこいいのに。
「はい、すいません……」
 僕がそういうと、シャナさんはそのときになって初めて表情をほころばせた。
「まあ……俺と初めてバトルしたときよりも格段に戦闘力はあがっている、見違えるほどにだ。誇っていい」
 僕はシャナさんに、かるく頭を二度たたかれた。そして、今日の稽古はもう終わりにしようといって彼はフィールドの横にあるベンチに腰掛ける。

 ――カイっ……! あなたは、私のそばにっ……! そばに……!

 僕はさっきふと、あの会議の日のスバルの鳴き顔を、あのときに交わした会話を……僕のついた嘘を思い出した。
 あれからもう数週間。僕らはなんだかぎくしゃくしてしまって、ろくに会話をしていない。
 僕は……あのときとっさにあんな嘘をついてよかったのだろうか……。
 そう思いながらベンチの方を向くと、シャナさんはバトル中だった先ほどと同じか、もしかするとそれ以上の厳しい表情で宙を見ていた。
 厳しいと同時に、どこか寂しげな表情だった。





「――“十万ボルト”」
 トレジャータウンのすぐそばのはずれの雑木林に立っている一本の木は、耳をつんざく雷鳴とともに一瞬にして幹が黒こげになった。近くに行って標的となったあわれなそれをよく見てみると、木肌は雷の威力で深くえぐられていて、その破片は地面に散乱している。
 それを間近で眺めていた赤い双眸のレントラー――ルテアは、口角をつり上げて振り返り、数メートル後ろにいる雷撃の主を見る。
「なかなか威力が上がったじゃねぇか、スバル」
 一般的な探検・救助隊であれば“槍雷”と異名のつくルテアの誉め言葉に、全身をふるわせて喜ぶはずである。しかしスバルは、複雑な表情で彼を見ていた。
「ルテア、どうしていきなり私の技を見たいだなんて……」
「いいじゃねえか。どうせお前の“ししょー”とやらはカイに取られてんだろ? 電気タイプ同士仲良く稽古でもしようじゃねえか。それに、一匹でいるより気がまぎれるだろ」
「……」
 ルテアの言葉に――殊に、最後の一言に、彼女は反論はおろか相づちを打つこともできなかった。
 カイは、自分の相棒は、出会った当初より身も心も著しい変化を遂げていた。だがなにより、ここ最近で彼が変わったのは強さを求めるその意欲だ。
 スバルが心と記憶を取り戻して以来、彼は同じ格闘タイプであるという理由で自分の師であるシャナによくバトルの教えを請うようになった。たぶん、“イーブル”と互角に戦えるだけの力が欲しいのだろう。彼がバトルフィールドでバトルする様子を少しだけ見たことがある。あれは意欲的と言うより貪欲という方がふさわしいようにスバルには見えた。……もう、戦う理由もないと言うのに。
 しかもカイ自身は、自分たちのいざこざとは何も関係がない。これはスバルとカナメとローゼ――“ニンゲン”たちがこの世界に持ち込んだ醜い争いだったのだ。
 それなのに、何も関係がなくなったカイがなぜあそこまで躍起になるのか。
「おいスバル?」
 長い間黙りこくっているピカチュウにしびれを切らしたらしいルテアは、いつの間にか彼女の目の前にまで迫ってそのつむじを見下ろしていた。
「だんまりとはらしくねぇな」
「……ルテア」
「あん?」
「カイは、どうしてあそこまで……」
「……あー」
 後の言葉を続けなくとも、ルテアにはスバルが何を悩み、何を聞きたいのかを理解した。彼は低くうなりながらスバルを見下ろしていた頭を上げ、あさっての方向を向く。
「あいつは……前を向き始めたんだよ」
「前?」
「大切なもののために、悩むことを選び戦うことを選んだ。あいつなりに、前を向くことを選んだ」
「“大切なもの”って……」
「おい、まさか俺にそこまで言わせるつもりじゃねぇよな? スバル」
 ルテアは、普段ならスバルに見せないような鋭い視線を彼女へ向けた。だが、萎縮してしまったスバルへすぐにいつも通り破顔一笑する。
「お前も、もう前へ向く時が来たんじゃねぇのか?」
「え?」
「俺が言いたいのは――」


「――すうぃーとなハニーちゅあああんッ! 君を見たその刹那! 僕の甲羅がバクバクドキドキしてしまうよ!」

「……」
「……」
『……』
 ルテアの言葉を遮るように放たれた、少し甲高めの声。そしていきなり二人を本当に遮って、甲羅ポケモンのカメールが現れた。これにはスバルや、言葉を邪魔されたルテアのみならず、トレジャータウンのはずれを行き交っていた少数の住民たちも顔に縦線が何本か入った表情で通り過ぎていく。俗にいう“ドン引き”というやつである。
「ああ! ついに見つけた! ボクの愛しのハニーちゃん……」
 カメールはそんな彼らの表情など始めから存在しないかのように振る舞い、あろうことかスバルの前に片膝を付け、その片手を取ったのである。
「あ、あの……」
「その濡れたような麗しき黒い瞳! 可憐に踊るハート形の尻尾! 愛くるしい赤い頬! そして何より女性にしてそのすばらしくたくましい電撃!」
「……あのカメは外来種か?」
 カメールの歯の浮くような台詞の後に、遠目からそれを冷静に分析かつ適当な突っ込みを入れたのは、元来藍色である額から青筋を浮き立たせたルテアであった。いやむしろ、比較的穏やかなポケモンたちの多いこのトレジャータウンで、あんな言葉の後に絶句せず突っ込みを入れられる柔軟さは彼しか持ち合わせてはいないだろう。
 だが、そんなルテアすらも目玉をひんむくようなことをカメールは続けた。
「ボクは貴方のような可憐で強い女性を妻にしたいと各地を旅しておりました! ボクの名はフレデリック! ――ぜひ、貴方をボクの妻に!」
 そして彼は、あろうことか先ほど取ったスバルの手の甲に口づけをしたのである!
「ひゃっ……!」
「はぁあああああああああああああああッ!?」



 その後のルテアの行動は言うまでもない。
 彼は脳天直下で鉄“尾”制裁をフレデリックに食らわし(彼はもちろん短い絶叫とともにおとなしくなった)、初めての事で完全に顔から湯気を上げて思考停止しているスバルを強引に背中に乗せた。そして土煙と怒声をお供にしながら真っすぐに親友の元へ突撃したのである。ただその親友は、いま話を最も聞かせたくない相手と一緒にいた。
 だが、怒りで血管の一つや二つ切れてもおかしくない今のルテアは、冷静になどなれなかった。
「シャァアアアアアナァアアアアアアアッ!!」
「る、ルテアさん……!? ……と」
 スバル、と言いかけてカイはとっさに彼女から顔をそらした。
「おいおいなんだ! どうした、スバルを背中に乗せて。……はは。というか大丈夫かスバル、顔が真っ赤だぞ?」
 カイはいくらか前の経験を思い出し、怒った時のルテアの尻尾を警戒したのか、我関せずという風にフィールドのベンチに腰掛けて置いていたオレンの実に手を伸ばす。一方シャナは、暴れたケンタロスのようなルテアの尻尾を掴んで牽制しながら、このおかしな状況に失笑した。
「完全に思考停止状態じゃないか。まるで誰かから求婚でもされた後みたいにぼーっとし――」
「――だぁあああああああああああッ! それだぁああああああッ!」
 ビクゥウッ! シャナはルテアのかつて無い状況に一歩後ずさりした。
「よく聞けスバルの保護者ッ!! いきなり俺らの前に現れやがったフレデなんとかっていうカメールがッ、いきなり何の断りも無くスバルに“妻にください”とか抜かしやがってッ! それで、す、スバルの、手の甲にッ、き、き……きッ……!」
 もはやスバルよりもルテアの方が顔が沸騰していた。長い経験上空気を読むスキルが高く賢しいシャナは、何となく話が見えたのでルテアの言えない“フレデなんとか”とやらの破廉恥な行為を代弁した。
「キスか?」
 トサッ。
 何かが落ちる音とともに、シャナとルテアの間に何かが転がってきた。それがオレンの実だと認識してから、二人は示し合わせたかのようにそれを落とした主の方へ視線を同時に滑らせる。

「――誰、ですか、それ」

「え」
 そのとき、カイの表情を初めて目の当たりにした二人は、もう怒ったり失笑したりしていられる状況では無くなった。
「誰って言いましたっけ、ルテアさん」
「は、はい……」
「僕に、教えてくれませんか?」
「か、カメールのフレデリックとか言ってた……かなぁ……!?」
「……へぇ……」
 カイは別段怒った表情も、驚いた表情もしていなかった。だが、そのバックのオーラは、百戦錬磨をくぐり抜けたマスターランクの探検隊・救助隊ですらも、言葉を迂闊に発せないほどに黒く燃え上がっている。
 ――か、カイの背後にグランブルの幻影が見える……!
「カメールの……フレデリック……」
「か、カイ……! お前何か妙な事考えているんじゃないだろうな」
「シャナさん、僕は至って平和的に物事を解決しようとしていますよ? でもまずは、とりあえず――」
 カイは二人の足下に落ちたオレンの実をゆっくりとした動作で拾い上げた。そして。
 ぐしゃり。
「――スバルへの愚行を謝ってもらわないと」

ものかき ( 2015/06/02(火) 10:14 )