へっぽこポケモン探検記 - 第九章 “氷柱の森”編
第百四十四話 行け、カイ!
 ――氷柱の森の最上部はもうすぐそこだった。だが、その瞬間に最上部から聞こえた物凄い電撃の音に、弾かれたように全員が走ったんだけど……!



 ダンジョンの出口から光が差し込んでいた。僕は走る。全速力で走る。そして、もつれ込むように全員がダンジョンを抜け出すと……!?
 開けた視界に目の前の光景が飛び込んできた。目の前に僕らへ立ちはだかる四匹のポケモン、その後ろでは背を向けたアブソルがたたずんでいる。そしてこの空間で最も強く存在を主張する四本の氷の柱、そこから迸る激しい電撃。その中にいたのは――。
「――あああああああああああああッッ!!」

 ――スバルッ!!

 考える暇もなく勝手に足が動いていた。
 今。
 助けなければ。
 スバルが。
 ――死ぬ!
「うわぁああああああッ!」
 走れッ!!
「ッ! 総員、カイ援護に回れッッ!!」
 まるで僕の言葉で我に返ったかのように、シャナさんが瞬時に判断し叫ぶ。だけど僕は、そんな声を他人事のように聞いていた。
「ふん! あたくしたちがいることを忘れていまして!?」
 スタートダッシュを切った僕の眼前に、寒さに耐えながらも素早く体をくねらせ、ジャローダのミケーネが立ちはだかる。
「“リーフストー……”」
「おおおおおぉらぁッ!」
 僕の視界の斜め下から影が瞬時に飛び出した。そして、ミケーネで塞がっていたスバルへと向かう道が開ける。
「俺のこともわすれんじゃねぇええええッ!!」
「キィイイイイイッ!」
 ルテアさんだ!
 彼は横なぶりに“アイアンテール”をミケーネへとぶちこんでいた。電気技を使えない鬱憤に加えて彼はミケーネに対する怒りで瞳に炎を宿していた。そして、彼は僕を目で見て叫ぶ。
「いっけぇえええええッ! カイーッ!」
 僕は彼の言葉にブレーキをぶち壊す覚悟を決めた。

「ぐっへへへへ! 必死だねぇッ!」
「見苦しいだわさ!」
 今度視界に現れたのは、ダストダスのポードンとランクルスのラピスだ。一人より二人で止めた方が効率がいいと考えたらしい。……だけど! 僕はブレーキを踏むつもりはない! 何故ならば――。
「“エナジーボール”!」
「“ワイルドボルト”!」
 僕の背後、両側からミーナさんとヴォルタさんが躍り出る。彼らの技はそれぞれ交差し、“エナジーボール”はラピスへ、電気をまとったヴォルタさんはポードンへ突進した!
「邪魔は絶対にさせませんっ!」
「スバルさんを救助させてもらいますッ!」
 そして二人も、僕に思いを託すかのように振り返り、叫んだ。
「行ってください! カイさんッ!」
「止まるなカイ君ッ!」

 スバルのもとへまであと半分! そう思ったときに僕の背の数倍もの大きさの影が眼前に迫る。
 眠りの山郷で奇襲をかけたエルレイド――エルザだ!
「“サイコカッター”!」
 このまま彼に突っ込めば、僕は念力のこもった刃にまっぷたつにされる。だが、僕は止まらない。もう、止まれない!
「――止まるな! 走り続けろッ!」
 上から声が降ってきた。そして、僕の走りに先回りするように現れたシャナさんが、熱を帯びた拳を叩き込む!
「“炎のパンチ”ッ!」
「ッ! また貴様は邪魔を……!」
「道を……開けやがれぇッ!」
 シャナさんの怒りの拳がエルザの鋭い刃を押し返した。その隙に僕は二人の脇を通りすぎる。その瞬間だけ、彼の放つ熱に肌が焦げるような感覚を覚えた。
 そして彼も、僕を見てありったけの声をあげる。
「行けぇッ! カイッ!!」

 氷の柱まではもうすくだ。だがそのとき、背を向けていたアブソルが冷たい目でこちらを振り返る。――額の鎌を、光らせながら。
「邪魔を……するな」
 “かまいたち”の動作だった。だが、発動まで時間のかかる技を目の前の相手はすでに放つ気でいる。ま、まずい、やられ――。
「“氷刀”――“瞬き”」
 凛とした声。そして次の瞬間には、残像すら残す勢いでローゼさんが僕らの間に割り込んだ! 手に宿した氷の刀が、技を放とうとしたアブソルの刃ごと彼を強く押し返す。
「なにッ……!?」
 アブソルの首に下げている何かが大きく揺れる。なんの感情も持たない口調のアブソルが、大きくうろたえた声をあげる。
「……させませんよ」
 そして、氷点下を下るような声音でそう言ったローゼさんは、振り返らずに行きを吸い込み……。
「行きなさいッ! カイ君ッ!」

「おおおおおおッ!」
 邪魔する者は誰もいない。走りながら僕は両手の指を組んで腕に力を込める!
 ――スバルを、助けるッ! 必ず……必ずッ!!
 組んだ両手から、白い刃が現れた。僕の誇れる唯一の技、“ソウルブレード”。……だけど、まだだ!
 ――助ける……助けるんだッ!
 現れた刃は肥大して、僕の背ほどの大きさになった。だがまだそれでは足りない! あの太い柱をぶち壊すには……! もっと、もっと、もっと力を込めろッ!
 ――必ず、助けるッ!
 誰かが僕の肩に手を置いた気がした。力を込めること以外に全ての思考が遮断された脳内へ、声が響く。
『私の波導を……受け取ってくれ!』
 瞬間、全身に力がみなぎった。僕の刃はついに氷の柱ですらも両断する眩しい白銀の剣と化していた。
『行け――カイ!』
「はぁあああああッ!」
 足のバネを使い大きく跳躍! 柱の真上まで言った瞬間、重力に従って体が落ちていくのを利用して――。

「“ソウルブレード”ォオオッ!!」

 氷の柱の一つへ、巨大な剣を降り下ろした!



 ドォオオオオン!
 巨大な氷の柱が粉砕される音に、場にい全員――いつもは感情すら見せないボスまでもが顔を歪ませて――が動きを止めそちらを見る。
 スバルに浴びせかけていた電撃はすでに消滅していた。後は崩れ落ちた氷柱のひとつが巻き起こした雪の砂塵が舞い上がって彼らの視界を奪う。だが、視界が晴れたそこには――。
「……うぅ……っ! スバルッ……! やっと、やっと君を……ッ!」
 ――カイが涙をボロボロと流しながら、目を閉じ意識を手放しているスバルを抱きかかえていた。
 一瞬の沈黙。そして。
「……お、のれ……!」
 アブソルの刃を押さえつけているローゼは、そこから発せられた声へ弾かれたように姿勢をただした。
「私の邪魔をするなァアアアッ!」
 アブソルは気違いのように叫んで、力任せに刃でローゼをじりじりと後退させる。だがローゼも歯をギリギリと噛み締める。彼の叫びに、脳内から、全身へ、怒りが沸き上がった。
「――黙りなさいッ! この、大馬鹿者がッッ!!」
「!?」
 腕に宿した氷刀から冷気が伝染した。アブソルの刃を少しずつ凍らせていく。
「あなたは……あなたはッ! いったい自分がどれだけ愚かなことをしたのかわかっているのですかッ!」
「!」
 正義感から来る怒りの沸騰とは何かが違うその怒声と気迫に、一瞬アブソルはたじろいだ。ローゼは、興奮から激しく肩で息をして、ありったけの力をこめて叫ぶ。

「あなたは……ッ! 最も大切な人間をこの世から消し去ろうとしていたのですよッ! ――カナメ君ッッ!!」

「なッ……に……!?」
 アブソルはこの世のものでないものを見たかのように、目を見開いて瞳を揺らした。
 ――どうして、俺の名前をッ……!?
 だが、その瞬間にローゼの氷刀に鎌を弾かれ地面に強く打ち付けられる。
 同時に、シャナが叫ぶ。
「――総員、脱出ッ!!」
 彼の号令に連盟側全員が即座に反応をした。瞬時に探検隊・救助隊バッジをかざした彼らは、黄金の光に包まれてワープを始める。そしてシャナがバッジをかざすことで、怒りに震えたローゼもまた脱出光に包まれた。
 倒れた姿勢から、呆然としてその場へ立ち上がったアブソル。彼は瞬間、光に包まれた眼鏡のフローゼルが記憶の中の誰かと重なった。

「貴様――ヤイバなのかッ……!?」

 その声が耳に届いたらしいフローゼルが、刹那、自分のように驚愕で目を見開く表情を最後に、“イーブル”以外の全てのポケモンが姿を消した。



 全員が“氷柱の森”からギルドの目の前にワープした。だが、凍てつく孤島を脱してもカイは緊張が解けず、周りの声などまるで聞こえそうになかった。
 腕のなかにいるスバルの、今にも消えそうな鼓動を感じ取っていた。彼女は、確かに助かった。自らの手で救いだした。だが、その鼓動が逆に彼の罪悪感を一層引き立たせる。
「ごめん……! ごめんスバルッ……!」
 もう誰にも奪われたくない。もう危険な場所へは行かせたくない。
 いつのまにか芽生えていた彼女への大切な思いが、氷柱の森での光景と相まってカイの興奮と緊張を高ぶらせる。
 医療班が二人の前に立ち、そして慌てた様子でスバルの容態を見ようと手を伸ばす。が、カイはかたくなにそれを拒んだ。だが、その時。
 グイッ、と後ろから手が伸びてカイをスバルから引き剥がす者がいた。固い皮膚に三本の指、シャナの手だった。彼は震えながら小さく叫んで、ギルドの中へ連れていかれるスバルに手を伸ばしているカイへ強く言い聞かせる。
「終わった。カイ、もう終わったぞ」
 その声がきっかけだろうか。無音だったカイの耳に、周囲のざわめきが一気に入り込んできた。彼はシャナを見る。
「終わっ、た……?」
「ああ、終わった。スバルは無事だ。……生きてる」
 強ばっていた全身から、力が抜けた。そして、思い出したように疲れがドッと押し寄せてくる。目を開けていられず、カイの思考はゆっくりと沈んで、途切れた。

「お、おい……! カイは大丈夫なのか!?」
 カイの異変に気づいたルテアがシャナの方へ詰め寄った。彼はしばらく腕の中のリオルの容態を鋭い目で見ていたが、特に異常がないのを見るとゆっくりと親友へうなずく。
「気を失っているだけのようだ。緊張が解けたんだろう……」
「なんだ……。次から次へと心配かけやがって……」
 ここに来て初めて、二人も安堵のため息と共にその場にへたりこんだ。
「「……はぁ」」


 一方、ギルドの親方であるウィントは、緩い表情と共に、浮遊しながらローゼの方へ近づく。
「ローゼぇ、だいじょーぶだったぁ?」
 しかし、名を呼ばれたフローゼルは、口を半開きにしながらその場で呆然と立ち尽くしている。まるで友人の声も全く耳に入っていないようだった。
「……ローゼ?」
 いつもとは明らかに違う流浪探偵の様子に、ウィントの間延びした口調もどこかへ消え去る。そして正面へと回り込んだ。今の彼は、魂をどこかへ置いてきてしまったような放心ぶりだ。
「何かあった? 大丈夫?」
「……わ……」
 ゆっくりとローゼの口が言葉を紡ぐ。
「……わたくしの名前って……」
 彼が唯一忘れていた、人間だった頃の自らの名。それを“イーブル”のボス――やはり人間だった頃の知り合いであった彼の口から発せられたことによって、それを思い出した。だが、思い出したのは自らの名だけではなかった。それをきっかけとして芋づる式に、ぼんやりとおぼろげであったある一つの記憶も、鮮明に浮かび上がってくる。

 自室に訪ねてくる一人の人物。それを招き入れる人間の姿をした自分。いくらかの会話の後、訪問者に背を向けていた一瞬の隙を突かれた彼が、次に振り返ったときにはもう……。
 ドスッ、と。音もなく黒光りする拳銃から放たれた鉛玉を心臓に受けていた。ひっくり返る意識。一瞬のうちに黒い闇に覆われた視界。そして死に際に聞いた最後の声。
『――さようなら、ヤイバ』

「……う、ぐっ……!」
「ろ、ローゼ! ローゼ!?」
 ウィントの目の前で、ローゼが苦しそうに呻きながら、片手で口元を押さえて膝を付き、うずくまる。堤防が崩れたかのように一気に押し寄せる胸の痛みと死への恐怖。思い出すには激しすぎるその感覚に、彼の体がついていけなかった。胃がひっくり返るのを必死に押さえるが、彼はなす術もなくその場に嘔吐する。
「ぐッ……! ああッ……!」
 自分でも驚くほど鼓動が早くなり、酸欠で視界に靄がかかる。
 ウィントは彼を見て何がおこったのかをとっさに理解した。だがそれ以上に、友人のかつてない容態の変化に戸惑うしかない。涙が溢れ出して、すぐさまその場にいるポケモンたちに大声で訴える。
「だ、誰かっ! ローゼが変! お医者さん連れてきてっ!!」
 ローゼは全身に力が入らず、力なく地面に倒れた。そしてめまいで反転する世界の中、ウィントの必死な叫びと、自分の周りに集まってくる探検隊の足音を遠のいていく意識の中で聞いていた。
 それを最後に、彼は、死の直前に味わった痛覚の想起に耐えきれず、その場で意識を手放した――。

ものかき ( 2015/05/04(月) 11:22 )