第百四十二話 “氷柱の森”へ
――ついにスバルを助け出すめどがたった。早速準備をしようと思ったら、ローゼさんに呼び止められて……?
★
僕を呼び止めたローゼさん顔には、有無を言わせぬ気迫が備わっていた。僕はなされるがまま、誰もいなくなったギルド展望台の席に座る。
「は、話って……なんですか?」
「……二つほど、あなたに言っておかなければなりません」
ローゼさんは、さっき会議中に握りつぶしてしまって、今も握ったまま手の中にある紙の束を見た。そして、手の力を抜く。
「カイ君、あなたは救助隊連盟本部でスバルさんがダークライに何をされたのか……それを知っておくべきなのではとわたくしは思いました」
「……」
僕はそれを聞いて、一気にあのときのことがフラッシュバックする。
――いやぁああああああッ!
僕の耳のなかに、スバルの叫び声がまだ強くこびりついていて……。それ聞き付けてキースさんのラボに入ったときの、震えながら、泣きながら、光を失った瞳で怯えていたスバルの顔も、僕はまだ鮮明に覚えている。ダークライが、彼女があんなふうになるまで何をしたのか――。
「――知りたくありません」
ローゼさんの目が鋭くなる。だけど、僕は膝の上においた両手の拳に力を込めた。
「あいつのことを聞けば聞くほど、僕のなかで憎しみが強くなります。もう僕はこれ以上憎しみに振り回されたくない。……でも、僕は知っておかなきゃいけない。スバルのことを……パートナーのことを」
「……あなたなら、そう言うと思いましたよ」
てっきり、知りたくないと言った僕の発言に怒っているかと思ったけど、違ったようだ。ローゼさんはフッと顔の筋肉を弛緩させてそう言った。だけど、すぐに真剣な顔つきに戻る。
「キースさんが録ってくれた声を聞く限り……ダークライは、スバルさんの記憶の一番つらい部分を呼び覚まして、彼女の心を傷つけていたと思われます」
記憶の、一番つらい部分……?
「前にあなたには話しましたね? スバルさんが人間であった頃、“願い人”の能力を狙う輩がいたという話を」
「は、はい……」
そう、だ。ローゼさんも確か、人間だった頃スバルを“ソオン”から解放させようとして、その力を悪用しようという組織に殺されてしまったんだ……。
「彼女もまた、その輩に捕まってつらい思いをしたことでしょう。……それこそ、記憶を封印してしまうほどに」
「ダークライは、そのスバルの心の傷を……弄んだんですか」
ローゼさんは無言でうなずいた。僕は、何て言えばいいのかわからなかった。
――私、記憶喪失なの。
いつでも明るくて、はつらつで、僕のことを気にかけてくれるスバルの……心の傷を――開けてはならない記憶の扉を無理矢理こじ開けて、土足でそこへ入り込んだんだ。
……許せない。
今もきっと、スバルはとても苦しんでいるはずだ。早く、助けにいきたい……!
「そして、もうひとつ」
ローゼさんの声にふと我に返った。そうだ、まだ彼の話は続いているんだった。
「これは、あなただから申し上げるのですが……」
ふと、彼の顔に陰が射した。元から目の下のクマがひどかったが、きっとローゼさんの顔が暗いのはそのせいではないだろう。
「わたくしは恐らく……ボスの正体を知っています」
「『恐らく』……?」
いつも理路整然としていて推理に隙のない探偵のローゼさんが、こんな曖昧な言葉を使うなんて……。
いや、重要なのはそこじゃない。ローゼさんが“イーブル”のボスの正体を知っている、だって……?
「ど、どういうことですか……?」
「いくら推理力に自信があるとはいえ、正体もわからない“イーブル”のボスの目的が“死者をよみがえらせること”、だなんて……わたくしがそんなこと、なんの証拠もなしに分かるはずがありません」
彼はゆるゆると首を横に振りながらそう力なく言った。でも、それでも……。ローゼさんが“イーブル”のボスのことを知っている!? それなら、どうしてそれをさっきみんなに言わなかったんだろう?
「知っている……というより“この人物ではないか”という心当たりがあるだけで、会ってみるまでは何の確証もありません。……ですが、似ているのですよ」
「似ている?」
「生前……わたくしが人間だったころのわたくしの知り合いに、とても戦略をたてるのがうまい方がいましてね。その方の立てた戦略と“イーブル”が立てる戦略が……そう、とても酷似しています」
まるで自分に言い聞かせるみたいに、ローゼさんは目をつぶった。つまりそれって、“イーブル”のボスはスバルやローゼさんみたいに、ニンゲンだったってこと? そんなにニンゲンって頻繁にポケモンになったりするの?
「えっと……それって、いったい誰なんですか……?」
彼は少し考えるしぐさをした。もしかしたら、この間にローゼさんの心の中ではものすごい葛藤が起こっているのかもしれない。しかし、それもほんの数秒の間だけで、すぐに彼は申し訳なさそうな顔になった。
「いえ、すいません……それは、まだ言えないんです」
「えぇ? なんでですか?」
再び沈黙。そして……。
「もし、“イーブル”のボスがわたくしの思い描いている方だとしたら……その人物は、とんでもなく罪深い間違いを犯したことになります。……その場合あなたにお話しするより先に、まず本人にそれをとっちめなければならないからです」
★
ローゼさんとの会話の数十分後、スバル救出作戦の役割が言い渡された。
直接“氷柱の森”へ行くのは、シャナさん、ルテアさん、ミーナさん。
そしてさらに、寝不足だから行くなとラゴンさんやウィントさんに反対されたものの行くと言ってきかなかったローゼさん。あたりまえか。彼は“イーブル”のボスが自分の知り合いなのか否かを確認するという使命があるのだから。
そして驚いたことに、救助隊のライボルト――ヴォルタさんも、今回限りではあるが救出部隊のメンバーに入った。シャナさんの強い推薦があったらしい。彼の戦闘力は未知数だけどシャナさんが推薦するんだ、とても心強い。
僕は、ラゴンさんたちに無理を言って救出メンバーに入れてもらった。僕は僕で、自分自身の手でスバルを救いたいという思いがある。こればっかりはどうにも譲れなかった。
ウィントやラゴンさん、アリシアさん、“フォース”のメンバーはギルドに待機となった。もし僕らが発った後に“イーブル”が来てしまったら、追い払う戦力が必要だからだ。今ギルドには完成間近の“満月のオーブ”がある。奪われたりでもしたら大変だ。
医療班はギルドで待機しているものの、僕らがバッジで戻ってきたときにすぐに対応できるように準備してくれるみたいだ。
そして、会議から一夜明けた早朝、僕らは“吹雪の島”へと出発する――!
★
――寒い……。
寒さに震えて、スバルの意識がほんの少し覚醒した。鉛のような瞼を、残り少ない力でうっすらと開けてみる。視界が真っ白だった。しかし、よく目を凝らしてみてみるとそれは雪景色のようだった。
――ゆ、き……? どうして雪なんか降っているんだろう……?
しかし、スバルのそんな素朴な疑問もすぐにしぼんで最後には消え去った。周りの景色がなんであろうと、この体がいったいどこへ運ばれていようと、自分がこれからも今までのように苦しむことは目に見えていたからだ。
視界が規則的に上下に揺れる。誰かが自分を背負って運んでいるようだ。こんなに凍えそうな寒さの中でも、自分を担いでいる者の肌の触れた部分にぬくもりと息遣いを感じる。
――暖かい……。でも、この人も……私を苦しませている……。
「……起きたか」
ふと、スバルの耳が声をとらえた。すぐ近い。きっと、自分を背負っている者の声だろうとぼんやり思った。
どうせ、逃げられやしない。ダークライの術で体の自由がきかないのだ。いや、それ以前にスバルはもうぼろぼろだ。抵抗する気力などありはしない。
過去のつらい記憶を追体験させられて、ただただ、ココロが痛くて苦しかった。うっすらと涙が出てきた。そんな自分におどろいた。まだ、涙が出るほどの感情を残していたとは。
目の縁にたまった涙は、数十秒ですぐに凍りついた。その間にも、いまだに自分の身体はどこかへ持ち運ばれているようである。
――ここじゃないどこかだったら、どこでもいい……。いっそ天国でもいい。痛い……苦しい……。
「……すまない」
ふと、再び声が聞こえた。
――どう、して……。
どうして、この人は謝っているのだろう。痛い思いをさせておいて、どうして今更謝るのだろう。
「私はお前の魂を消す。……命を奪う。自分勝手な都合と、知っていながら」
――そうだよ……自分勝手だよ……。なのに、どうして……そんなに悲しい声をしているの……?
「だから……。すまない。すまない……」
悲しい謝罪の言葉を最後に、スバルの意識は再び悪夢に引きずられていった。痛く、苦しく、いっそ死なせてほしいと思ってしまうほど、つらい悪夢の底へ。
――誰か、助けて……。
意識がなくなるその直前、叶わないと知りながらスバルが最後に願いを込めて思い描いたのは、かけがえのないパートナーの姿だった。
――助けてっ……カイ……!
★
スバルの声がした気がして、ハッと顔を上げた。
しかしあたりを見回してみても、朝日で白んできた空にから、僕に向かって冷たい風が吹き抜けていくだけだった。
……気のせい、か。当たり前だよね……。
「どうかしたか?」
「……いえ、なんでもないです」
ルテアさんがそう聞いてきたので僕はそう答えた。その後辺りは再び沈黙に包まれる。
まだ起きているポケモンなどほとんどおらず静まり返ったトレジャータウン。しかし今日のギルドだけは違った。“吹雪の島”へ向かう僕ら六人は、すでに完全武装で入口の前に立っている。トレジャーバッグに道具もいっぱい入れた。この作戦は、絶対に失敗しちゃいけないんだ。
「全員そろったな」
救出メンバーのリーダーを担うシャナさんが、全員を見回して声を上げる。僕らは全員シャナさんを見た。
「ローゼさん、“氷柱の森”についた後の作戦の方はどうする?」
今度は全員の視線が厳しい顔のローゼさんに注がれた。彼は全く考えるそぶりも見せずに即答する。
「今回の目的はスバルさんの救出、これが最優先です。敵はおそらく作戦中に邪魔が入らないように全勢力をもって――それこそ、四本柱全員をけしかけてわたくしたちを迎え撃つでしょう」
ローゼさんの言葉に、ルテアさんの鼻息が荒くなった。ヴォルタさんがビクッと肩を震わせる。
「しかし、みなさん。彼らとは必要以上に戦わないでください。スバルさんを救出したら探検隊・救助隊バッジで即脱出。これだけは必ず守るようにしてください」
ローゼさんの言葉に、ルテアさんの鼻息が落胆のため息に変わった。ヴォルタさんが安堵の息を吐き出す。
「ローゼさんとミーナさんはバッジを持っていないな。俺とルテアがそれぞれ二人を脱出させる」
「了解です」
ミーナさんが、早朝特有の寒さで震えながらも答えた。ミーナさんは草タイプだけど、“吹雪の島”では大丈夫だろうか……。
「“氷柱の森”へは、相手も特別な目的のために向かうのだから、容赦も情けもなく全力でこちらを排除しにかかるだろう。今回の救出作戦はかなり危険だ。……それでも、みんな――」
シャナさんは、ぐっと拳を固めた。全員が、次の言葉を待つ。
「――必ずここにいる六人、そしてスバル……全員で、無事にギルドへ帰るんだ。それ以外の結果は、俺が断じて許さない。いいな!?」
シャナさんの決意のこもった鋭い声に、全員が深く、そして力強くうなずいた。