第百三十九話 バトル! ――カイVSシャナ
――毎日、似たような夢を見る。
暗闇のなか恐怖に震えて涙しているスバルの横で、あの悪魔がいつまでも笑っている。僕は、そこに向かって全力で走っているに一向に距離が縮まらない。
二人に近づけない僕は、やめろ、と必死に懇願する。
そんな僕を嘲笑うかのように、あいつは銀の針を振り上げて――。
――カイッ!
そこでいつも目が覚める。ルアンの声であの夢の先が辛うじて強制終了されるんだ。それが、唯一僕をまともな精神に保ってくれているんだけど……。だけどあの夢は、日にちを追うごとにだんだんと鮮明になっていく。
あの先が一体どうなるのか……それを考えただけで、僕は……!
★
僕は、シャナさんの言うとおり確かにどうにかなってしまったらしい。だけど、いまさら僕の憎しみは止どめることができない。僕は、シャナさんのバトルを二つ返事で受けた。
シャナさんと僕は距離をとって向き合う。今の彼は、かつて僕が体力がないからと言ってバトルをさせなかったり、手加減しようという素振りは一切無い。自然体に構え、だが両手首の炎は警戒心を露にするかのように燃え盛っている。
シャナさんは本気でかかってくる。だが、僕は後に退くつもりはない。
「いつでもいいぞ」
彼は強者のみが見せる余裕の表情をしていた。その表情が、なんだかあいつの姿と重なって癪にさわる――。
「ッ!」
短く息を吐いた。地面を蹴る。スピード増強のため“電光石火”を使い、背後を取り死角から攻める。ズキッ、と体が悲鳴をあげた。今さらになってキースさんの忠告が脳内で再生される。だけど、かまわない。
「“はっけい”!」
背後からの奇襲が完全に成功した、と思ったら……。
スカッ。
相手はこちらを向くまでもなく少し体を捻っただけで、的確に僕の攻撃をよけた。そして初めて僕の方へ振り返る。
「どうした? 意気込んだわりにはその程度か」
「ッ、くそッ……!」
思わず悪態を舌の上で小さく転がした。やっぱりシャナさんは化け物だ。視線で僕を追わなくても、気配で正確な居場所をわかっている! それでいて、よけたあと僕にカウンターを食らわせることもできたのにそれをしなかった……!
落ち着け、落ち着くんだ。シャナさんは僕を挑発しているに決まってる。
どうやら相手から仕掛けてくることは無さそうだ。なので必ず後攻になる“ともえ投げ”は期待できそうにない。だったら……!
大きく息を吸う。そして、僕はとっさに“嫌な音”でシャナさんに牽制をかけた。
「!? ぐっ……!」
フィールド中に響く、とても音とは言いがたい音に顔をしかめたシャナさん。僕はその間に再び接近した。
気配を察知されてしまうのなら、集中力を削いでしまえばいい!
彼は一瞬だけだが音がした瞬間に目を閉じた。それだけでいい、再び目を開けたときに僕の姿はないはずだ。僕はいま暗闇のなかにいる。相手の位置はもう音で捕捉しいてる!
「わぁあッ!」
そして、勢いよく地面から飛び出した!
「“穴を掘る”ッ!」
炎タイプであるシャナさんには効果抜群の技だ。当たれば“嫌な音”の効果も相まって多少なりともダメージにはなる!
だが――。
「! いない!?」
攻撃をしかけに地上へ上がっても彼の姿がなかった。フィールドにいない、それってつまり……!?
どこからか熱を感じて弾かれたように上を向く。気づいたときには遅かった! 灼熱の炎を纏った足が僕の眼前にある。あれは――“ブレイズキック”だ!
「ぐあぁッ!?」
技は僕の腹に食い込んだ。そのまま地面に押し付けられる。
彼の足をどかそうと抵抗を試みるが、体重をかけられて抜け出そうにも抜け出せなかった。肺が圧迫される。息が苦しい……!
ど、どうして……! 地面から僕が出るタイミングを、こんなにもピンポイントに当てることができるんだ!?
「……お前が地面から俺の位置を察知できるように、俺も地面の振動でお前の位置は把握できるんだよ」
「は、あく……って……!」
表情で僕の疑問を察知したシャナさんは、そう答えた。
だけど、簡単に言ってくれる! 誰もが今のように地面にもぐる僕の位置を把握できたら、“穴を掘る”の技の意味がなくなるじゃないかッ!
「長年培ってきた俺の勘を舐めるな」
「ぐッ、ああッ!」
シャナさんは技を解除したにも関わらず、僕を押し付ける足にさらなる力を込めた。だめだ、意識が……!
「どうした、もう終わりか? さっきまでの威勢はどこへ行きやがった」
静かにシャナさんが言うけど、そんなのを聞いている余裕が僕にはない……。ただ、僕を地面に押し付ける彼の足が痛くて苦しい。
「ぐッ……う、あッ……!」
「俺なんかを倒せないんじゃ、ダークライを倒すなんざ到底無理なことだな」
「!」
ギランッ、と、自分でも目に変な光が宿ったのを感じた。シャナさんをにらむ。いや、僕がにらんだのは……。
「わぁああああッ!」
どこからか押さえきれない力がわいてくる。僕はシャナさんの足を両手でつかんだ。そしてありったけの力で押し退ける。
「うおっ!?」
完全に油断していたのか、僕の目の変な光に一瞬怯んだのか、どちらにせよ関係ない。重要なのは彼はバランスを崩したということだ。
――憎い、憎い、憎い!
僕はあいつが憎い! あんな悪魔は、この世にはいちゃいけない……いちゃいけないんだッ!
「僕は、あいつを倒すッ……! 倒すんだッ!」
「カイ……!」
それを誰にも邪魔させない……!
「うわぁああああッ!」
両手に力を込めた。沸き上がる感情をそのままのせて、赤黒い刃を形成する。それを僕は、目の前の相手に向かって斬りつけようと、足を踏み込む。
――僕の波導はもう、どす黒い感情で汚れきっている。そんなことは、わかっているんだ。
「“ソウルブレード”ォッ!!」
★
バランスを崩していたシャナさんが体勢を建て直したとき、僕はもう彼の目の前にまで肉薄していた。
だが、彼は避ける素振りを見せなかった。それどころか、構えもなにも取らない。ただ正面から僕を見据えて立っているだけだ。
とても、悲しそうな顔だ。僕を哀れむ顔だ。
――どうして……!
「どうしてそんな顔をするんだぁあッ!」
ドッ!
彼の懐めがけて打ち込んだはずの片方の刃は、すんでのところで当たらなかった。なぜか。それは――。
――シャナさんが僕の腕を、刃ごと掴んでいたからだ……!
ポタポタ、と握った彼の手から血が流れてフィールドへ落ちる。
「あ……ッ、そんな……」
――怖い……。
なぜか、それを見て初めて、僕はそう思った。変な感情に支配されて全身が震えた。残していたもう片方の腕の刃は、振りかざすことができなかった。
どうして……どうしてだ……? バトルに怪我なんて付きものじゃないか……! どうして、僕はこんなに恐れているんだ……!?
「は、離してッ……! 離してくださいッ!」
もうまともに彼の顔を見れなかった。いくら、僕の刃が波導からできていたとしても、握り続けていれば出血がひどくなる。 目をそらしたかった。これ以上見たくなかった。
先程まで、僕の目にはシャナさんがダークライと重なって見えた。だけど、傷ついたのは――。
だけど、僕の腕を強く握るシャナさんの手は、引き抜こうとどれだけ力をいれてもびくともしなかった。
早く、技を解除しないと……! そう思うのに、黒く染まった刃はシャナさんの握った手のひらに食い込んだままだ……!
「わ、技が解けない……!」
息が吸えない。足と、手と、視界がガクガクと震える。
シャナさんは手の怪我と出血に構うつもりが無いようだった。視線をそらしていてもわかる。
「はぁ、はぁッ……!」
「カイ、こっちを見ろ」
「い、いやだッ……!」
「俺を見ろッ!」
ビクッ。
有無を言わせぬシャナさんの叫びに肩が震える。もういやだ……。恐る恐る彼の方を向くと、青空のような双眸がこちらを射抜いていた。
「俺の目を見て答えろ。もしダークライとスバルが同じ場にいたとして、ダークライへ突っ走るか? スバルを助けるか? どっちだ!」
「も、もちろんっ……スバ――」
「いまのお前が俺にそう誓えるのか!? 目をそらさずに言えるかッ!?」
「うぅッ……!」
「……断言する。いまのお前は間違いなく、助けなければならないスバルそっちのけでダークライへ走っていくぞ」
シャナさんは、いくぶんか和らいだ口調でそう続けた。だが、腕をつかんだ手は離さない。
「カイ……今のお前は、エルザにそっくりだ」
エルザ……。“眠りの山郷”で僕らを背後からの襲ったエルレイド……。
「知ってるだろ、エルザを。俺の仲間だった」
喉がからからで声がでなくて、僕は慌ててガクガクとうなずく。
「あいつも俺を恨んでいた。俺だけを憎んでいた。俺だけが傷つくはずだった。だがな、カイ!」
技を発動したままの腕を離さないから、彼の血で僕の片腕のほとんどが染められている。
「あいつはろくでもない誘拐犯と手を組んだ。ビクティニのギルドに泥を塗り、たくさんの小さな命を犠牲にした。だがそれでもあきたらず“イーブル”に荷担し、お前や、スバルや、たくさんのポケモンを傷つけているんだ! 俺が憎いばっかりに!」
ありったけの音量でシャナさんは叫んでいた。フィールド中に彼の声がこだました。
「憎むって言うのはな、カイ! そういうことなんだよッ! たった一人を傷つけるために研いで振りかざした刃が、大切な人をも傷つけるんだッ!」
「ううっ、うぅ……!」
涙が、止まらなくなった。僕は一体、何をしていたんだ。どうなっていたんだろう。
「なぁ、カイ……。俺は、お前にエルザのようにはなってほしくないんだよ……」
目をつぶって必死にうなずいた。涙がもっとあふれて飛んだ。
わかってる。シャナさんの言いたいことは、僕もわかってる……!
「僕はっ……!」
頭ではわかってる。こんなことは、しちゃいけないって。周りが見えなくなるほどダークライを憎んでも、何もいいことはないって。でも……!
空の頂で、アリシアさんがボロボロになったのを見て、初めて誰かが死ぬかもしれないという恐怖を味わった。雲霞の里では、目の前で大切な家族が死んだ。リンは殺されたも同然だった。そして救助隊連盟本部で、恐怖に震えているスバルを連れ去って――。
沸き上がる感情を押さえきれない。コントロールができない。自分でも気づかぬうちに、憎しみが全身を支配してしまっていて……!
「うううっ……! 僕はッ……どうすればいいんですかぁッ……!」
声を出すとさらに涙が溢れる。憎いという気持ちより今は途方もない戸惑いが強かった。だからなのか、さっきまでどうやっても解けなかった“ソウルブレード”が、維持できなくなってやっと消えていった。技の消えた腕で目を擦っても、涙は止まってくれそうにない。
技が解けたことで、シャナさんは血だらけの手をやっと離した。そして、もう片方の腕で僕を強く包み込んで引き寄せた。
「すまなかった、カイ。あのときも、今も……俺たち大人が側にいながら、何もしてあげられなかった。お前の辛さに気づいていながら、今まで構ってあげられなかったんだ……」
そうだ、ずっと。ずっと一人で。一人で何とかしようと、考えてた。だけど一人じゃ何もできない無力な自分を、誰かを憎むことで見て見ぬふりしていた。
「つらかったな……。今は、どうすればいいかなんて考えなくていい。何も考えずに泣いていいんだよ、カイ……」
そうだ、僕はつらかった……。頼りかたを知らなくて、自分の力だけで解決しようと空回りして……そうして知ってしまった自分の無力さで、誰かを傷つけてしまうことがつらかったんだ……!
僕は、もう誰かを傷つけたくなんかないよ……!