へっぽこポケモン探検記




















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第九章 “氷柱の森”編
第百三十八話 狂気



「……け……! ……けて……!」
 誰かの声が聞こえたような気がした。僕ははっとして飛び起き、あたりを見回す。真っ暗闇の中だった。これは……いつもの、夢の中だ。そうか、これは夢か。
 僕は終わりのない闇の中を走り出した。いったい、今のは誰の声だったんだ? よく聞き取れなかった。できれば、もう一度呼びかけてほしい。もしかしたら、大切な誰かの声かもしれないんだ。
「どこにいるのッ!? いたら返事をしてーッ!」
「……て……!」
「!」
 この声は……!
「スバル!? スバルーッ!!」
 スバルが、助けを求めている。ありったけの力でその名を呼んで辺りをくまなく見てみるが、闇の中にその姿は見当たらない。だが、声の方向だけを頼りに、全速力で走り続けた。
「助けて……!」
 だんだんと声が近くなる。
「助けてッ……!」
「スバルーッ! どこだぁあああッ!?」
「痛い……! 苦しいの……!」
「待ってて、今助けるからッ!」
 僕は、さらに闇の奥にまで足を踏み込んだ。さきほどまでは真っ暗闇の中と言っても、まだ自分の姿は目で確認することができた闇だった。だが、一歩一歩を声の方へ踏み込むごとに、自分の足が闇に消えて見えなくなり、突き出した片方の手も闇の中に消える。
 だけど……彼女はその先に……!
「スバルッ!!」
 名をもう一度叫んで、一歩を踏み込もうとした瞬間――。
 ――グイッ!
 何者かに、まだ闇で見えなくなっていない方の腕を、強く握る者がいた。
 誰だッ!?
 弾かれたようにその方を振り返る。僕の手を握っていたのは、凛とした赤い瞳、僕とそっくりないでたちだけど、体の大きさは二倍近くもあるポケモン――ルカリオ。
「ル、アン……!?」
 彼は僕の強く腕をつかんだまま体ごと自分の方へ引き寄せた。闇に消えていた僕の身体が、戻ってきた。
 そして、彼は僕に叫ぶ。

「気をしっかり持て、カイ!」





「はっ……!」
 目を覚ますと、見慣れない天井が視界いっぱいに広がった。ここは、どこだ? 僕、どうなったんだっけ……。
「お目覚めですか?」
 ふと横から声がかかった。ビクッとして声のした方を振り返ってみると、穏やかな表情のローゼさんが椅子に座って読書にいそしみながら、ちらりとこちらの方を向いていた。そう、か。ここは、ローゼさんの家……。
「僕、どうなったんですか?」
「ひっくり返りました。昨日ね」
 彼はそう言って、片手に持っていた手をぱたんと閉じる。背表紙に『英雄伝説』と書かれているそれを、彼は乱雑に机へ放った。ただでさえ散乱している資料の上に本が投げ込まれ、紙が数枚床に落ちた。なんだかその動作がキースさんがカルテを放る動作と似ていて苦笑しそうになった。専門的なことをしている人って、みんなこうなのかな。
「きっと疲れていたんでしょう、そのまま朝までぐっすり」
「す、すいません……!」
 なんだか申し訳なくなって、僕は小さな声で思わず口にしていた。すると、彼はあからさまに眉をひそめる。
「……スバルさんと言いあなたと言い、最近の子供はよく謝りますねぇ。流行りですか?」
 彼からそう言われて、僕はとっさに『ごめんなさい』と言いかけた口を慌てて閉ざした。
「朝ご飯ができています。食べますよね?」
 そういいつつも彼は僕の返答など待たずに部屋から出ようとした。僕は慌てて「あの」と彼に声をかける。ドアノブに手をかけたまま、ローゼさんが動作を停止した。
「昨日、ローゼさんが言ったこと……!」
 ――カイ君……あなた、死を覚悟していますね?
「どうして……!」
 僕が“命の宝玉”を破壊したら死んでしまうことは、ヤド仙人とキースさん以外誰も知らない。いくら優れた頭脳を持つローゼさんだって、何にも言っていないのにそんなことがわかるはずがない……!
「『どうして』ということは、『どうしてそのことを知っているのか』ということですね? ということは、やはり死を覚悟していることは、本当なのですか……」
「答えになってません!」
「……死は、死を引き寄せると言いますかねぇ」
 僕は、言葉を投げかけようと開けた口を閉じた。
 死は……死を?
「直感で、なんとなく。わかってしまったのですよカイ君」
 そこまで言って、彼はやっとドアノブから手を離し、僕を見た。
「ですが、あなたのその表情を見るとどうやら杞憂のようでした。このお話はもう終わりにしましょう」
 ローゼさんは、そういってドアを開けて出て行こうとした。だが、彼はまだ何か言い残したことがあるのか、また僕の方へ顔を向ける。
「カイ君……わたくしも、謝らなければなりません」
「……なぜ」
「キースさんに診てもらうように提案したのは、わたくしだったからです。申し訳ありません」
「……」
 ローゼさんはそう言い残し、扉を閉めた。その音が、やけに大きく響いたように感じた。

 僕は、ローゼさんの下宿を後にした。意外にも、超ポケ見知りのカンナ……ちゃんが、僕を見送ってくれた。木の幹に隠れながら小さく手を振ったのを見て、僕も手を振りかえした。その時、僕が一体どんな表情をしていたのか……笑っていたのか、怒っていたのか、辛そうにしていたのか、自分でもわからなかった。





 たとえ“シャインズ”のメンバーが一人になろうとも、探検隊としての仕事は果たさないといけない。ギルドに戻って仕事なり、修行なりなんなりして気を紛らわすのが、今の僕には一番必要なんじゃないかって思えてきた。
 ――助けて……ッ!
 夢の中で聞いたスバルの叫びが、今になって脳内再生される。首を激しく振る。ルアンが言っていたじゃないか、気をしっかり持て、と。スバルはきっとまだ無事だ、大丈夫だ。
『ああ……もう限界だったかな、くははっ』
 足を止める。鮮明に数日前のあの時の記憶がフラッシュバックした。
 スバルは泣いていた。叫んでいた。震えていた。いったいあの時、ダークライは彼女へ何をしたというんだッ……!
『スバルが連れ去られてはらわた煮え返ってんのは……ッ、てめぇだけじゃねぇんだよッ……!!』
 わかってる。そんなことはわかってる。だけどやっぱり、冷静になんてなれない。怒りで頭がおかしくなってしまいそうだ。
『……だから、焦らなくていいんです。自分を責めなくてもいいんです。もう少しあなたは大人を頼りなさい』
 自分を、責めるなだって……!? スバルを、危険な目に合わせたのは僕だ! 僕のせいで、スバルは危険を顧みずに夢の中に入って行ったんだ! だから、あのラボに入らなきゃいけなくなったんだ! そして、あんなことになってしまったんだ……!
 スバルは何も悪くない。ましてや、ローゼさんも悪くない。彼に謝られる筋合いはない。
 悪いのは、本当に悪いのは……!
 ダークライが、憎い。だがなにより、自分自身が一番憎い……!


 僕は、ギルドのバトルフィールドへ行き、そこにいる探検隊に片っ端から勝負を吹っ掛けた。
 誰か、僕を負かして。そして、罵ってほしい。お前は、弱いんだと。無力だと。全部、お前が悪いんだと。
 バトルをしている間は、何も考える必要がなかった。ただ、技を繰り出して相手を負かす。それだけのことだ。気が紛れる。だけど、どうだろう……。一瞬にしか思えないバトルが終わって相手が地面に付しているところを見ると、まぎれた雑念がざわざわとまた舞い戻ってくる。
 憎い。
 もっと、もっと強い奴と戦いたい。憎しみからくる力を外へ発散させないと、僕の理性がどうにかなってしまいそうだからだ。
 だが、強い相手であればあるほど、今度はそいつが黒い陰のように見えてくる。不気味な光をたたえた瞳をこちらに向け、くつくつと笑う悪魔だ。あいつに見えるバトル相手を倒すと、一時的にだけ胸がすくような思いがした。だけど、負けた相手が参ったと声をかけてくると、そうか、こいつはダークライじゃなかったのかとまた怒りが増幅した。
 僕は……僕は狂ったのだろうか。もう、頭がおかしくなっているんじゃないだろうか。まともだったころの自分が、もう思い出せない。
 休みもろくに入れずに一日中戦い抜いた僕は、倒れるように眠り込んだ。こうでもしないと寝られなかった。眠れない夜に一人であの時のことを思い出すのはもうこりごりだった。
 その後数日間は、似たようなことをして過ごした。あんなに苦手だったバトルを、一日中狂ったようにしつづけた。
 いつだったか、途中ショウさんが僕の元へ来てバトルはもうするなと言われたような気がしたが、無視した。キースさんも来た気がする。彼は「いくら薬を処方してもそれでは体が持たないよ」と言った。知ったこっちゃない。
 憎い。あいつが、憎い……。いつかあいつに、僕らが受けたものと同じ痛みを味あわせるまでは――。





「……カイ」
 その日も僕は夕方まで戦っていた。もう僕と戦おうとする者もだいぶ少なくなって、バトルフィールド内は僕以外に人がいなかった。声のした方を振り返る。多分その時の僕はすごい顔をしていたと思う。自分でもよくわからない。体がやけに重くて、だけどふわふわしていた。
 声の主はシャナさんだった。彼は僕の様子を見て少なからず驚いているようだった。彼は一瞬だけ僕を憐れむような視線を投げかけ、そして外す。だけど、すぐに真剣な表情へと戻った。
「どうだ、この数日は。相手をいたぶれて楽しかったか?」
「……どういう意味ですか」
「お前、このまま今日みたいなことを続けるなら探検隊の資格を剥奪するそうだ」
「バトルすることの、何が悪いんですか」
「カイ、お前のしていることはバトルじゃない」
 僕は、探検隊の資格を剥奪するという言葉より、そちらの発言の方が癪に障った。
「僕のしていることが、バトルじゃないっていうんですか? 相手を、倒しているだけです」
「そこに相手への敬意はあるか?」
「……」
 シャナさんの今の態度は、いつものように穏やかな顔で僕に接する態度とまるで違った。射るような視線だった。
「カイ、いったい、バトル相手を誰と重ね合わせている?」
 シャナさんはそう言ったが、僕が答える前に腰に手を当てて「言うまでもないか」と僕に聞こえるようにぼやいた。
「……探検隊の資格を剥奪されたっていい。僕は、“イーブル”を壊滅させるまで続けます」
「お前のやっていることは探検隊への妨害行為だ。資格を剥奪してもやめなかったら、もちろん連盟からも追放するぞ。お前を作戦に加えることもまずなくなる。そうなったら“イーブル”をぶっ潰すこともできなくなるな」
「それなら、一人で行きます」
「……まったく、言うと思ったよ……」
 どうしてしまったんだ、カイ、と彼は嘆いた。少し前までは、優しかったじゃないか、と。他人のことを思いやれてたじゃないか、と。
「……わかった。こうしよう」
 シャナさんは何かをあきらめたかのように、また、何かを覚悟したかのように、両手首から炎を噴出する。
「俺とバトルしろ。勝ったら好き勝手やらせてやる。負けたら言うことを聞け。……単純だろう?」

ものかき ( 2015/04/12(日) 14:27 )