へっぽこポケモン探検記




















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第九章 “氷柱の森”編
第百三十七話 それぞれの夜
 ――スバルが、連れ去られた。僕がそばにいながら、ダークライを止められなかった。無力だった。それを思い知ると、憎しみの矛先はダークライではなく、自然と自分へ向くのだった。





「……」
「……」
 なにもしゃべる気になれなくて、僕はただ黙って治療を受けていた。座れと言われたので倒れていた黒く丸い椅子の上に座って、呆然と遠くを見ていた。手当てをしているシャナさんも無言だった。ただ黙々と、なれた手つきでつまみを持ち、液体の染みた綿を僕の頬へ軽く叩いていた。彼もまた、呆然としていた。
「……終わったぞ」
 シャナさんはそう言って立ち上がる。一応お礼は言ったが、喉から発せられたのはとても声とは言えないものだった。それが聞こえたのか聞こえなかったのか定かじゃないけど、シャナさんは無言だった。
 ちょうどそれと同時に、バァンとラボの扉が開かれる。そこからケンタロスのように飛び込んできたのは、包帯だらけのデンリュウ――キースさんだった。
「あああああッ! 私の神聖なるラボがぁああああッ!?」
 部屋の惨状を見た瞬間、頬を両手で挟みながら聞くにも耐えない叫びを上げる。僕がダークライに迫ったとき、あいつは“サイコキネシス”で僕を医療道具の中に派手に放ったから、ラボの散乱具合はひどいなんてものじゃなかった。
「なぁああああにやってんだよキース! 骨折れてんのに勝手に飛び出すやつがあるかぁあああ!?」
 キースさんの手当てをしていたらしいショウさんも続けて入ってきた。キースさんはガックリと膝をつく。
「骨なんか……骨なんかどうでもいい……! 私の愛する実験道具を……! 私の神聖なるラボをぶち壊された方が痛い……!」
 そう嘆いた彼は、ギンッとシャナさんをにらんで詰め寄る。
「シャナ君……! “イーブル”に殴り込むときは一緒に被害請求書も突きつけてくれたまえよッ……!」
「……元気そうで何よりだなキース……。“イーブル”に弁償させるかはともかく、とりあえず後でリオナに言って、ビクティニのギルドの予算から弁償する……」
「おーい……、無事かー、てめぇら……」
 と、ルテアさんも遅れてラボへと入ってきた。多分、この反応を見るに彼もここで何があったのか聞いているんだろう。それでいてあんなに落ち着いて(落ち込んで?)いられるのは、彼のなかで踏ん切りがついているのだろうか……。
「な、なんなのこのどんよりとした空気……」
 あとから来たリティアさんが、この状況を知っているのか、知らないのか、そう言って僕らをぐるりと見回し、叫んだ。
「げ、元気ないぞ男子諸君! これ見たらスバルちゃんが呆れちゃうわよー!?」
『……』
「あ、アレ……」





 僕らは、あの後すぐ救助隊連盟本部からビクティニのギルドへと戻ることとなった。リティアさんとヴォルタさんは、沈みに沈みきった僕らの空気をよほど心配したのか、こちらに付いて来てくれた。僕らはそのままラゴンさんにこの件を報告、スバルが“イーブル”に連れ去られてしまったという事実は、一夜の間にギルドと連盟関係者すべてに知られることとなった。
 スバルは探検隊“シャインズ”のメンバーだ。当然僕と目が合えば励ましや心配の声をかけてくれる。だが、そのたびに僕の中で自分へ向けた黒い感情が渦巻くこととなった。ふがいない。どうしてあの時何もできなかったんだろう、と。
 独りの夜は、淋しかった。いつも隣にいてくれるはずのスバルがいない。しかも、彼女が無事なのかどうかも分からないし、無事だったとしてもいつまで無事でいられるかもわからない。いったい、どうして“イーブル”はスバルを? 彼女へ、ひどいことをしているんじゃないだろうか……。そう考えると夜も眠れなかった。
 あのときの、あの瞬間。ダークライとスバルのただならぬ様子を思い出すと、憎しみではらわたが煮えたぎった。
「……ぐっ……!」
 僕は寝返りをうって、うつぶせになる。拳に力が入った。
「なんなんだ……!」
 いったいなんなんだ、この感情は……。
 結局、僕はその日まんじりともできなかった。


「……カイ君」
 次の日の昼。誰かに呼ばれたような気がして、振り返った。挙動の一つ一つに力が入らないのが自分でもよくわかった。気力がわかない。睡眠が足りないんだろうけど、眠気がしない。症状が相反している。自分でもよくわからない。
 振り返った先には、フローゼルのローゼさんがいた。僕の顔を見て、彼にしては珍しく同情と悲哀のこもった視線をこちらに向けてきた。
「クマがひどいですね」
「……それを言いに来たんですか?」
「心配しているんですよ」
「やめてください」
 そういうのは、もう十分だよ。しつこいぐらいにみんなから心配されたよ。
 愛想なんかどうでもよかった。丁寧な言葉で大丈夫なように振る舞っても意味がない。シャナさんは冷静になれと言うが、スバルを助けに行きたいのにその方法も、希望もないままでは冷静にもなれないし奮い立つ気にもなれない。
 ローゼさんはしばらくの間、あごに手を当てて僕を見下ろしていた。すると何を思ったのか鋭い口調で僕にこう言う。
「あなた、今日の夜はわたくしの家に来なさい」
「……は?」





 自分でもよくわからないまま、夕日が沈むころに僕はギルドを出た。少し前にウィントさんへ外泊する許可をもらいに行ったけど、僕が何かを言う前に「ローゼから聞いてるよ」と言いながら僕の口にグミを押し込んだ。味がよくわからなかった。
 ローゼさんが住み込んでいる下宿の前にたどり着くと、庭にはいつものように箒を手に持って鼻歌を歌っているニョロトノがいた。僕の姿を見て、さっと木の幹の後ろに隠れる。
「ろ、ろろろろローゼ! か、カイ君、カイ君がぁ!」
 正直このやり取りはもう慣れた。
 ほどなくしてローゼさんが下宿の扉を開けて出てきた。何かを言うわけでもなく、見通しメガネを押し上げて無言で僕を中へ招き入れるしぐさをした。
「どうして、僕を呼んだんですか?」
「今は、あなたを一人にしない方がいいと思ったまでです」
 背後から問いかけた僕に、彼は背中を向けたままそう即答した。
 僕はローゼさんの部屋の書斎に招き入れられて、そのまま倦怠感に任せて椅子に座る。ローゼさんは僕の前まで椅子を引きずっていき、そして座る。
「今カンナちゃんが飲み物を持ってくるそうです」
「……はぁ」
「詳しく聞かせなさい」
 ローゼさんは、普段の間延びした口調とはかけ離れた鋭さで、僕に拒絶を許さぬ命令を下した。
 僕は思わずため息が出た。正直、嫌だった。思い出したくなかった。また思い出せばあの感情に支配されてしまう。まだ子供の僕にだって、あの感情が見にくい感情だってことくらい、わかっているんだ。
 知っている限りのすべてを話し終えた時には、僕はとても疲れていた。泣きたかった。するとローゼさんは、ぴったり過ぎるタイミングで僕に小奇麗な布を差し出した。
「泣きたければ泣いていいのですよ。そのあとに、いろいろとお話することがあります」


「スバルさんが“イーブル”に連れ去られたという知らせを聞いてから今まで、彼女はどこへ連れ去られたのか、なぜ連れ去ったのか、ずっと推理していました」
 僕の涙が収まって、布が涙でぐしゃぐしゃになったころ。ローゼさんはおもむろに口を開き前置きもなく本題に入った。
「しかし、手詰まりです。むしろ、彼らの行動にますます謎は深まるばかり……あなたの話を聞けば何か手がかりがつかめるのかと思いましたが、まぁ、そう簡単にはいきませんねぇ」
「ぐすっ……どうしましょう……」
「“イーブル”の拠点を探し当てるにしても、候補が多すぎて絞り込めません。……と、まぁ、あなたにおっしゃいたいのはそういうことではなく」
 ローゼさんは机の上にあるモモンジュースを口に含んだ。
「わたくしたちが必ず、スバルさんを助けます。だから、焦らなくていいんです。自分を責めなくてもいいんです。もう少しあなたは大人を頼りなさい」
「……」
「あなたに今必要なのは体調を万全に整えることです。居場所を特定できたときに元気でなければ意味がありませんよ」
「……はい……」
 そうだ、よね……。僕だけ焦ってもスバルの居場所がわかるわけじゃない。いま、僕の知る中では一番の探偵であるローゼさん、そしてギルドのみんなが必死になって探してくれてるんだ。
「あ……ありがとうございます」
「素直でよろしい。で、ここからが本題なのですが」
「……え?」
 僕がお礼を言って、ホッとしたのもつかの間。彼は眼鏡を押し上げて真剣なまなざしで僕を見た。まるで、僕の心の奥までを見透かすような目だ。
「カイ君……あなた、死を覚悟しているんですね?」
そう言われた瞬間、僕は目の前が真っ暗になった。





 薄暗い部屋の中で、スバルは寝床の上に横たわっていた。
 目を閉じて規則的な寝息をたてているものの、終始眉をひそめて時々か細いうめき声を漏らしていた。
 そんな部屋の中へ、音も立てずに入ってきたポケモンがいた。一匹はマントを羽織っているがフードをとり顔をあらわにしているアブソル、そして、陰から出てきたダークライだ。
「……これが、“ダークホール”の応用か?」
「その通り。“ダークホール”は本来、相手を眠りに落とすだけの技だ。私たちの特性である“ナイトメア”があって初めて真価を発揮するわざなんだよ。くくっ、だがね」
 ダークライは上機嫌だった。スバルへ仕掛けた罠が理想的な形で成功した興奮が、まだ冷めていないらしい。
「この術はかけるのは難しいが、一度成功すれば私が解かない限りずっと体を拘束され、催眠も悪夢も自由自在というわけだよ。これこそ、“ナイトメアダーク”で集まった力があってこそなせる業さ」
「……」
「君の望み通り、ちゃんと連れてきたよ……満足かい?」
「ああ。もういい。下がれ」
「くくっ、ゆっくり詫びるがいいさ。君の願いは、そいつの犠牲の上で成り立つんだから、ね……」
 ダークライは、くぐもった低い笑いを響かせながら、再び陰と同化して音もなくその場から姿を消した。
「……」
 アブソルは、冷ややかにスバルを見下ろす。
「ッ……! うぅっ……」
 スバルの指がピクリと震えた。冷や汗がひどい。
「いったい、どんな悪夢にうなされている……?」
 抑揚なくそうつぶやくアブソルの顔は、無表情ながらほんの少し悲しみをたたえていた。
「……どうして、名が一緒なんだ……」
 アブソルは、前足で首から下げたタグを握りしめた。
「あの時、あの場所で……もし会えていたなら……」
 ――たとえ同じ存在でなくとも、気が紛れたかもしれない。名前が同じというだけで、かりそめの安堵に浸れたかもしれない。だが――。
「……もう後戻りなど、できない」

ものかき ( 2015/04/08(水) 12:05 )