第百三十六話 呼び覚まされる記憶
第百三十六話
――ダークライの罠に嵌まってしまったスバルは、身動きもとれないまま彼のなすがままにされていた。そして、忘れていた忌まわしい記憶が蘇る。
☆
「……ッ!」
激痛に呼び覚まされ、目を開けた。
明かりの眩しさに目がチカチカと痛む。巨大な光が目の前で強い光を放っていると思っていた彼女だったが、ぼやけた視界がクリアになっていくと、それが実は小さな電球の集まりでできた照明だというのに気づく。
「ッ……ん……!」
引かない痛みに思わず呻いてしまうが、叫び声を遮断するためだろうか、口に布を強く噛まされている。
コツ、と床を踏む靴の音が聞こえてきた。複数だ。そちらを向こうと首を傾けようとするが、少し動くだけで電流が走ったかのような刺激が全身を貫いてそれも叶わなかった。
「――上からの伝達だ。案の定催促をしてきた。早く力を取り出せ、とのことだ」
手は組んだ状態で縛られている。足首のひんやりとした感触から、足は枷でベッドに繋がれているようだとわかった。
――思い出した……。ここは……!
「急かされてもな」
「科学者だろ」
「使い方次第では世界をも支配する強大な力だぞ。それを取り出そうと言うんだ。時間をかけて慎重にやらないと」
「“願いを叶える力”、か。そんなものが本当にあるとは……しかも、こんなガキがそれを持っている……」
「実験に戻る。邪魔だから出ていけ」
――ああ……これは、前に夢に出てきた……。
彼女を度々襲っていた悪夢。あのときは、ただ漠然と痛みを感じるだけの夢であったのに、今回は見知らぬ人物の会話までも、鮮明に聞こえてくる。
――い、や……っ! この先は……思い出したくない……!
「っ! うぅっ……! んッ……!」
必死に声をあげて抵抗する、しかし、次に待っていたのは左の肩から感じる、鋭い針の痛みだった。
「っ……!」
恐怖に強くまぶたを閉じた。なにかを流し込まれる感覚。何度も身に覚えがある。これは、注射針の痛みだ。
――やめ……て……! お願いッ……!
意識がもうろうとする。得体の知れない
効果の薬で、もう何回目眩と吐き気を覚えただろう。
そしていつも決まって、投薬の後に待っているのは……。
――ドクンッ!
「ッ! ッッ――!」
――痛い……! やめてッ……! 助け、てッ……!
鉛を上から落とされたような激痛。ビクッと激しく体がのけぞり、そのあと震えが止まらなくなった。
――やめてッ……! いやぁッ……! いやぁあああああああああッ!!
★
ダークライは、スバルの放つ心の中の悲鳴に耳を傾けていた。長く狂おしく悲痛なその叫びは、彼にとってはどんな素晴らしい音楽にも勝るものであった。
「そうか。この痛みの正体は“願い人”の力を手に入れるための、実験――」
ずっとスバルが無意識に封印してきた忌まわしい痛みの記憶。終わりを知らない絶望の記憶。それを呼び覚まし、夢を通して見つめたダークライは、素晴らしいものを見つけたとばかりに目を細める。そして、銀の針をスバルから離した。
「ッ――!」
彼女は目を覚ます。
光を失いきったその瞳から、涙が止めどなく溢れては流れ落ちていった。
「はぁッ、うっ、ッ……!」
酸素を求めて異常なほど早く短い呼吸が繰り返されて、全身が記憶の中の痛みに反応して震えていた。
スバルが精神を守るために忘れていた記憶を、ダークライが無理に呼び覚ましたその反動だった。
「ぁッ……い、や……ぁッ……!」
「くくっ、まだちょっと楽しませてよ」
必死にあえぎ、拒絶するスバルを尻目に、彼は再び銀の針で、今度は彼女の首もとをゆっくりと撫でた。
「や、めッ……ぁッ……!」
まだ針の先端を突き立てていない。だが、錯乱状態のスバルにはそれだけでもたまらなかった。痛みに耐えるための叫び声をあげたくても、ダークライに声を封じられてそれも叶わない。そんななか、自分の中の感情と精神が、音をたてて壊れていくのをうっすらと感じた。
そして、容赦なくダークライは、首に銀の針を突き立てた。今度は肩と違って、深く刺されたら命に関わる場所だ。
「ッ! ッ――!」
スバルはビクンと震えた。再び記憶を呼び覚まされ、体をのけぞらせる。ダークライの拘束すらも跳ね返すほどの強い反応だった。彼女の光を失った瞳はすでに、ラボの天井ではなく記憶の中の場所を映している。
「どうだい……君の心は、どこまでもつかなァ?」
「ぁ、ああ……ッ! いやあぁあああああああッ!!」
そして、耳をつんざく本物の彼女の悲鳴が、ラボ内に響き渡った。
★
「――いやあぁああああああああッ!!」
ビクッ!
「スバルッ!?」
ラボの外にある木のベンチに座っていたカイは、鼓膜を震わせるただならぬ悲鳴を聞いて弾かれたように立ち上がった。なにかを考える間もなくコンマ数秒もしないうちにダッシュし、扉を強く押し開ける。
そこには――。
「ああ……もう限界だったかな、くははっ」
愉快に笑いを上げるダークライと、涙を流したスバルが手術台の上で震えている姿があった……。
刹那、全身に血がめぐる。毛がざわざわと逆立つ。心のどこかから溢れだした憎しみが、カイの理性を吹っ飛ばした。
「きッ……さまぁあああああッ!」
爆発的ダッシュでダークライへと突っ込んだ。手には刃――“ソウルブレード”が生成されている。だがその刃の色は、純白ではなくどす黒く染まりきった刃であった。
だがしかし、ダークライはそれを一瞥するだけ。たったそれだけだった。瞬間、カイの体がダークライの数センチ先で止まる。
“サイコキネシス”だった。カイが技の正体に気づいたときには、すでにブンッ、と体が強く投げ出され、キースの医療道具へ派手に突っ込んだ。激しい激突音、そして全身に伝わる激痛。
だが、カイはその痛みに呻く間もなく立ち上がる。彼を支配する一つの感情は、痛覚をも麻痺させていた。
カイが体勢を立て直し再びダークライを睨むと、彼はスバルを片手で抱えあげて窓へ向かおうとしているところだった。スバルは目を閉じているものの、苦しげに小さく声をあげている。カイは彼女が悪夢に呻いているように見えた。
ダークライは、適当にあしらったカイが再び立ち上がるのを冷たい目で見下ろしていた。
「まったく、元気だね、君も」
「黙れッ……!! スバルにいったいッ……何をしたんだぁッ!?」
「今回、君に用はないんだ」
「うわぁあああッ!」
前が完全に見えていないカイは、闇雲にダークライへ突っ走る。ダークライはそんな彼へ、先程とまったく同じ技で、今度は地面にカイを叩きつける。先程よりも、強く。
「があッ!」
「そこで寝てるといいよ。そして、君の大切なパートナーが目の前で連れ去られるのを、なにもできずに見ているだけの無力な自分を嘆くといいさ」
「ぐッ……!」
苦しげに呻くカイの前を通りすぎ、ダークライは窓へと手をかける。スバルをつれている状態では陰と同化できないので、浮遊して連れ去るつもりらしかった。だが、彼はふと手を止めて振り返る。
「あ、そうそう。スバルを連れ去ったらね、まだしばらくは無事だけど――」
そして彼は、くくっ、と肩を揺らす。
「――早く助けないと、死ぬよ?」
そう言い残し、彼は押さえきれぬ高笑いと共に窓から飛び去っていった。地面に倒れたカイの握りしめた拳から、血がうっすらと滲んだ。
★
しばらくは、呆然とするしかなかった。異常な事態を察知したシャナさんたちがラボの扉を蹴破って来るまでの間、僕には記憶という記憶が残ってなかった。そして、次に意識が定かになったのは、シャナさんに抱えられて必死に名を呼ばれてからだった。
「カイ、カイッ! しっかりしろ!」
「……あぁ……!」
「キースもボロボロな状態で廊下に力尽きてたし、スバルもどこへ!? 何があった!? ……いや、それよりもまず手当てか!」
シャナさんがラボ内にある救急箱の方へ走る。いや、僕の傷は打撲程度だ。手当てなんか、してる暇はない!
「僕のことは……いいですッ! それよりスバルが、スバルが……ッ!」
スバルの名がシャナさんの脳内に到達した瞬間、彼の形相が一瞬にして変わった。
「ダークライにッ……!」
「! まさか……ッ」
行かなきゃ……助けに……!
医療道具に強くぶつけた箇所が鈍く痛む。だけど、早くしないと……!
――早く助けないと、死ぬよ?
ギリィッ……。
ダークライの言葉が鮮明に再生されて、思わず歯に力がこもる。血が上って頭がくらくらした。
憎い。あいつが、憎い。
里を襲って、リンを殺して、今度はスバルを……! これ以上、僕から何を奪おうと言うんだ……! あいつの手が、あの汚い手が、彼女に少しでも触れていると思うと、あいつを殺してやりたくて仕方がなかった。
「カイ……カイ、落ち着け」
シャナさんが僕の行く手を阻んで肩を強くつかむ。
「何が起こったのか、わかった。だが、どこへいくつもりだ?」
「わかったんなら、どうして落ち着けなんて言えるんですッ!」
そうだ、落ち着いてなんていられるか。あいつは、なぶり殺してやらないと気が収まらない。僕や、リンや、スバルの受けた苦痛を、あいつにも味合わせてやらないと気がすまないんだ……!
「どいてくださいッ!」
「だめだ」
「どけぇッ!」
僕が怒りに任せて叫んだその瞬間、焼き焦げそうな熱を間近に感じたかと思うと――?
――ドゴオッ!
炎に包まれた拳が眼前をかすめ、地面をえぐり窪みを作った。
「……黙りやがれ……ッ!」
僕は、動けなかった。
シャナさんが、今までに見せたこともない、どんな者も竦み上がらせるような形相で、“炎のパンチ”を僕の目の前に降り下ろしていたからだ。
熱がジリジリと肌を焦がす。部屋の温度も、急上昇したように感じられた。
「スバルが連れ去られてはらわた煮え返ってんのは……ッ、てめぇだけじゃねぇんだよッ……!!」