第百三十四話 身の振り方
――身体検査のために訪れた救助隊連盟本部、そこで僕たちを迎えてくれたのはルテアさんの妹のリティアさん、そしてその旦那さんのヴォルタさんだった。自己紹介を済ませた僕たちはさっそく本部の中に足を踏み入れるのだった。
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本来なら一般人立ち入り禁止である救助隊のみが入れるエリアに、僕らは関係者として招き入れられた。一気ににぎやかになったメンバーは先へ歩きながらもその歩調はゆっくりで、もっぱら談笑に花を咲かせている。ここへは僕とスバルがキースさんに診てもらうために立ち寄っただけなのだが、まぁ、ここ最近はこんな和気あいあいとした雰囲気もすくなかったから僕は大歓迎だ。診断がたとえ後まわしになっても、今はこの雰囲気を長く楽しんでおきたいと思えてくる。
前から順番にリティアさんとスバル、ルテアさんとヴォルタさん、キースさんとショウさん、そして最後尾に僕とシャナさん。きれいに二列に並びながら彼らはかなり熱心に話し込んでいる。唯一僕とシャナさんだけは前列のその様子を眺めながら歩いていたのだが、ふとシャナさんが一言。
「いやしかし、リティアもいい旦那を捕まえてきたな」
その言葉に、僕はふと疑問に思うことが一つあった。
「ほんとに、非の打ちどころのない素晴らしい旦那さんだよ。それでいて玉の輿……さすがはリティア」
「あ、あの、気になったんですけど……よくリティアさんの結婚をルテアさんが許してくれましたね」
「ああ、それな」
シャナさんは失笑した。そして、それはもう大変だったよ、とその当時を懐かしむように二の句を継ぐ。
「ルテアはリティアへの溺愛っぷりは相当だからな。彼女が家にヴォルタをつれてきたときは、それはもうやばかった」
「その場にシャナさんもいたんですか」
「一応、俺は義父さん――ロディアさんにあそこの家族の一員として迎え入れられてたからな」
「ああ……」
そうか、たしかシャナさんは天涯孤独になった後ロディアさん……ルテアさんのお父さんとその家族が保護者だったんだっけ。まぁそれはさておき、ヴォルタさんがルテアさんの家に、か……。その修羅場ぶりは想像に難くないなぁ。たぶんリティアさんだけは、ルテアさんがどれだけ家の中で荒れ狂おうとも、ヴォルタさんがどれだけおびえようとも、涼しい顔をしていたんだろう。
「そ、そこからいったいどうやって……?」
「ま、そこはほら……」
シャナさんは普段あまり見せないいたずらっ子のような笑みをたたえて僕を見下ろす。そして、三本の指を一つだけ伸ばして、口元に置いた。
「これ、な」
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「さて諸君、私の神聖なるラボの前についたわけだが」
建物の階段をだいぶ上ったところ、その廊下を歩いていくと現れたのは手術室のような白い扉だった。その扉には『診療室兼第一研究室 責任者:キース=ライトニング』となっている。彼はぼそりと「なぜ場所の名前の順序が“第一研究室”が先ではないんだ」とぼやいているのを僕は聞き逃さなかった。
「カイ君とスバル君を診ている間、君たちはどうするんだい」
「シャナ兄さん、私とデートしましょ!」
リティアさんが間髪入れずにシャナさんへすり寄った。誘われた彼は「ん? ああ」と言って意外にあっけなく了承する。旦那さんが目の前にいるというのにいいのだろうか。それとも僕が子供だからそう思うだけなのかな。
一方ルテアさんはヴォルタさんの方をギンッと睨む。
「男同士、いろいろ語ることもあるよな?」
「は、はい……」
当然ヴォルタさんにルテアさんへの拒否権など存在しない。彼は完全に委縮しきった様子で言われるがままにうなずいていた。どうやら、ルテアさんの中ではすでに、キースさんを監視するという役目を忘れきっている様子である。すると、ショウさんがおもむろに手を上げた。キースさんがそちらを見る。
「キース、ここ以外にラボはある?」
「ここを『“第一”研究室』と銘打っているからもちろんあるさ。まぁ、そこらは私の管轄ではないからまったく興味はないがね」
「じゃあ先にそっちを回る」
「全員決まったようだね」
キースさんがうれしいそうに手をポンッと打った。僕にはその表情がどうにも恐ろしいものに見えてならない。ふとスバルを見てみるが、彼女は別に怖くもなんともないのかいつもと変わらぬ表情だった。
「子供二人は検査し終えたら、いつもの休憩所へ連れて行こう。そこで落ち合うといい」
「妙なまねすんなよ」
「うるさい単細胞」
「んだと、てめぇ――」
「じゃあキース、後は任せた」
シャナさんが、キースさんに飛びかかろうとするルテアさんの尻尾をすかさず握って歩き出す。ずるずると引きずられながら「てめっ、だから尻尾はつかむなっつうの!」という叫びがだんだんと遠くなっていった。
「さてさて、私も真面目に検査をするとしよう」
キースさんはスイッチの入った声でそう言いながら両手を揉んでラボの入口へと向かう。そしてドアに手をかけるとこちらを振り返った。
「先に英雄殿から済ませてしまおうか」
正直、僕はあの扉の向こうでいったいどんな恐ろしいことをされるのかと身構えていた。だって、キースさんとその周辺のと会話の間に不穏な単語がいくつも飛び交うから、怖がるなという方が無理な相談だよ。
だけど実際のところ、痛いことをされるとか、なんだか妙な道具の実験台になるということは一切なくて肩透かしを食らった感じだ。(ただしキースさんがやれという検査が妙なことばかりだったのは確かだけど。あれはなにを知るための検査だったのかなぁ。)そしてやっとのこさ検査終了の声がかかった時に、僕はほっと胸をなでおろした。
僕はキースさんに黒く丸い椅子に座って待っているように言われた。しばらくしてカルテを持って戻ってきたキースさんは、自身専用の高そうな立派な椅子にドスンと座って、机の脚を蹴り椅子ごとごろごろー、と僕の正面へスライドしてきた。なんなんだろう、あの椅子。
「さてさてカイ君、お疲れ様だったね。一応君と英雄殿……えっと、ルアン君だっけ? のカルテは別にしておいたけど、よかったかな?」
「はい。その方がうれしいです」
「ま、別にしたと言ってもルアン君のカルテの方はまっさらに近いけどね」
キースさんは薄っぺらい紙をつまんで僕の方にピロピロと揺らして見せた。確かにそのカルテには、名前の欄にルアンと書かれている以外には『魂の構造、わけわかめ』という医者特有のきれいな走り書きしかなかった。……このヒト、よくわからないや。
「まぁ、本題に入ろう」
キースさんはカルテを脇の机へ放り、椅子にふんぞり返って両手を組んだ。
「NDに陥っていたとはいえ、そちらの方の怪我やら後遺症やらは何一つ見当たらなかったよ。それよりも私が今からはなしたいのは君の体と、魂と。そしてルアン君の魂との相関関係の話さ。わかるね?」
「……はい」
そう、避けられない問題だ。僕に体力がないこと、そして波導が読めないことはルアンの魂が関係している。そして、僕の体が彼にむしばまれることで、だんだんとおかしくなってきている。“眠りの山郷”では血を吐いた。英雄際では息をも止まった。僕の体が、だんだん二つの魂を抱えることに耐えられなくなってきているんだ。そしていま、ルアンと僕が“表”に現れる時間は、だんだんとルアンの方が長くなってきている。
「君の身体は……すごいよ、驚きだ。二つの魂を抱えていられるなんてとても丈夫だね。シャナ君とはまた別の面白さがあるよ」
「は、はぁ……」
「もしもルアン君の魂を抱えていなかったら、君はとんでもない化け物に成長していたと思う。もちろん、いい意味でね。さすがに波導の強さまでは計ることはできなかったけど」
とんでもない化け物、か……。どちらにしても、僕がこれからそうなることはまずない。ルアンの魂が消えるときは……そのときは――。
「僕の体は、その……“イーブル”を倒すまでには持ちますか」
僕の心情を知ってか知らずか、キースさんは普段と変わらぬ顔で「ふむ」とうなる。
「どうだろう。うーん。ひどい怪我をしたり、体が壊れるほどの激しい運動をしない限りは大丈夫だと思うけど。でも命知らずな探検隊にそんなこと言っても仕方ないからさ。正直、いつまでもつのかな、と私も前々から思っていたし。言おうとも思っていた」
「そ、そうですよね……」
「まぁ、ただ」
キースさんはそこまで言って、やっと背もたれから背を離し前かがみになった。組んだ両手に顎を乗せ、僕の顔を見る。
「体への負担から来る痛みや不調、それを和らげる薬なら作ってあげられるよ。君の顔を見ると、どちらかというとそっちの方が都合がいいって感じじゃないかな?」
「……」
「やっぱり、わかっているんだね」
ここにきて、キースさんがとても真剣な顔つきになった。先ほどまでは検査という名の実験をおおいに楽しみながらやっているという表情だっただけに、彼にそんな表情ができたのかと僕は驚いた。
「聞いた話じゃ、ルアン君は“命の宝玉”を破壊するときに、持ちうる全ての波導を放出しなきゃならないんだってね」
「はい」
「君の身体は、到底それに耐えられない」
「……はい」
「カイ君。君はそのときに自分も死んでしまうことを、すでに知っていたのかい」
「……知っていました。とある人から、聞いていて」
「そうだったのか」
キースさんはふぅー、と長く息を吐いた。そして椅子に体を預け脱力する。
「いやぁ、いつになっても誰かに余命宣告をするのは慣れないよ。ああ、今回は助かった」
そして、体を預けた背もたれから、頭だけを上げる。
「いや、ね。医者という立場上余命宣告をするのは多いのだけれど。ほとんどが取り乱したり、なんとかならないのかと詰め寄られたりするものでね。気が滅入っちゃうんだこっちも」
そうか……いくらルテアさんがマッドドクターと揶揄していても、彼にも心がある。やっぱり医者として、誰かが死にそうなら救いたいと思っているんだ……。
「キースさんも、誰かが死んでしまうのは見たくないんですか?」
「ううん」
やっぱりそうですよね。キースさんも血の通ったポケモンなんだからきっと……ん?
「……え」
今のは……幻聴、ではないよね。
「私は誰が死のうが問題ないよ。検死に協力してくれればさらに研究がはかどるしね。ただ、素晴らしく貴重な実験た……患者を失ってしまうのはとても惜しい」
「は、はぁ……」
「まぁ、それはさておき」
「い、いや、さておきと言われても」
「君はもう覚悟を決めているようだ。その表情を見て安心したよ。……あとは、君が周囲にどういう身の振り方をするか、だ」
「身の振り方?」
僕が聞き返すと、キースさんはうん、と強くうなずく。
「誰しも私のようなメンタルを持っていないからね。君が死した時、悲しむ者もいるだろう。いやいや、もちろん私も悲しむがね! まぁ、それはさておき。君はこれから、周囲に自分が死ぬということを告げるのか、それとも隠しておくのかな、と思って」
「……」
自分が死ぬことを、周囲に言うかどうか……考えたこともなかった。いや、考えたこともなかったんじゃない。考えることを避けていたんだ。
“命の宝玉”を壊せば自分が死ぬ。その覚悟はもう夢の中で折り合いがついたはずだった。きっと、全力で生きていれば誰かの記憶の中でずっと生き続けるのだろう、と。
そう、だけど。僕の死を悲しんでくれる人へ。いつ、言うべきか。それとも、言わないべきか。タイミングが、わからない。どちらの判断がいいのか、僕にはわかりかねる。
「……まだ、わかりません」
だから僕は、キースさんにそういうしかなかった。
「……わかったよ。私は君の死に関してはまだ誰にも言わないから、じっくり考えるといい」
そう言って、キースさんは立ち上がった。
「さて、君の診断は終了だ。スバル君を呼んできてくれないかな?」