お酒のチカラ
――カイをナイトメアダークから救って一日。とある場所で珍妙なことが起こっていることを、深い眠りの中にある彼はいざ知らず……。
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「あのダークライが、状況が状況とはいえすんなり引き下がった……?」
夜中、ローゼはギルドの廊下を徘徊していた。
徘徊――宛もなくうろうろと歩き回ること。辞書を引けば徘徊が非生産的なことのように聞こえるが、探偵の場合、徘徊というものは思考を巡らせる上で必要不可欠な行動なのだ。
リズミカルな歩行が脳を刺激し推理力に拍車をかけ、ついでに血行も良くなる。思考がクリアになればどんな状況に陥っても対応できる……というのがローゼの持論だ。
それはさておき、彼は夜中……つまりギルドの弟子たちが寝静まったこの時間帯に二階の廊下を徘徊している。正直いまの彼の行動は安眠妨害行為とも言えなくないのだが、意識を集中しきってしまって家に帰ることも忘れたローゼにはそんな配慮は存在しない。
そんな彼がいったいどんな案件で思考を巡らせていたというと他でもない、先程スバルから聞いたカイの夢の中での出来事についてである。
なんというか、スバル、そしてルアンの夢の中での大健闘は素晴らしい賞賛に値する。だがローゼには、ダークライの行動にどうしても腑に落ちない点がいくつもあるのだ。
例えば、自らのこのこと二人の前に姿を現したこと。例えば、標的を一人に絞れば本当は勝ち目があったのに、三人をいっぺんに相手にしたこと。例えば、夢から三人を取り逃がしたこと。
ダークライが好戦的で、強い相手との戦闘を何よりも喜びと感じているのはすでに知っている事実。彼が例えば、ルアンと戦いたく自ら悪夢のなかに現れたとしたら納得がいくが……。
普段自分の手を汚さず慎重に行動する彼にしては、今回はいつもより少し行動が荒いと言わざるを得ないのだ。
――何か、わたくしたちの知らない間に罠が張り巡らされているのでしょうか……。
とりあえず、近いうちにスバルとカイを捕まえて、頭の先から爪先までキースに精密検査をさせようと彼は心に決める。恐らく、事態をここまで過剰にとらえているのは自分だけであろうが、念には念を入れて悪いことはひとつもない。
それに、“イーブル”の行動パターンについて、彼はもう少しでなにか思い出せそうなのだ。このタイミングで慎重になるということは、その思い出せそうな記憶となにか関係があるのかもしれない。
「まぁとりあえず、彼が無事に目を覚ましたことは喜ばしいんですけ……」
ギルドの食堂に差し掛かったところで、ローゼは思わず語尾が止まり……。
「ど……?」
その中の様子に、目を大きく見開いた。
いつもなら照明の落とされているはずの食堂、その隅っこにだけ申し訳程度の光が落ちている。そして席にはポツンと、両耳がだらんと垂れたピカチュウが座り込んでいた。
「す、スバルさん? なにしていらっしゃるんですかあなた、こんな真夜中に……」
自分も他人のことを言えた立場ではない(むしろ愛嬌で全てが許されそうなスバルと違って、大の大人である彼の行動は完全に不審者だ)が、今はそんなことは関係ない。とりあえず何をしているのかを彼女に問い詰めなければならないとローゼは思った。
スバルの方はというと、いきなり声をかけられたことで弾かれたように顔を上げた。……が、頬の火照ったその顔は完全に緊張がほぐれて筋肉が完全に弛緩しきっているようだった。
「あ、ローゼさんこんな夜中に廊下を徘徊してるー。いーけないんだー」
完全に間延びした口調。焦点の定まらない目。彼女の珍妙すぎる様子にローゼは柄にもなく目をひきつらせる。そしてテーブルに目を移すと、そこにはビンとコップが一つずつ。
ローゼはぴんときた。そして同時にあきれ返った。
「大方予想はできますが一応聞いて差し上げます。あなたはこんな真夜中に食堂で何をしていらっしゃったんですか」
しかも大仕事の後でお疲れでしょうに……というつぶやきはスバルに聞こえたかどうか定かではない。
「うふふー、あのねー、えっとねー……ちょっと眠れなくて、体が冷たかったからー、ショウさんのところに行ったのー。そしたらー同じ部屋のシェフさんがーこれ飲めーって!」
スバルはテーブルに置かれたビンを持ってローゼに突き出した。中身がタプンと鳴る。ローゼは目を細めてラベルを読むとため息以外の何物も出てこなかったのだが、そういえばスバルは足型文字が読めなかったということを思い出した。
ローゼはスバルの手からビンをひったくる。そして、「あーん!」と言いながら伸ばすスバルの手が届かない位置にまでビンを高くかざした。
隙を突かれ、持っていた物を奪われて手持無沙汰になってしまったスバルは心底残念そうな表情になる。だがローゼは無視を決め込んで一言。
「あなた、これが何かご存知ですか」
スバルはそう聞かれて、伸ばしていた手を口元に持っていき首をちょこんと傾げた。そして、頬を緩めて一言。
「……じゅーす?」
「酒です」
ローゼが即座に切り捨てる。
「またの名をアルコール。ちなみに度数は……」
再び彼はラベルを覗く。
「懐かしい言葉でいうところの焼酎ぐらいですかね。わかりますか?」
「わかんなーい」
「でしょうねぇ」
一体全体、このギルドの料理長はどうしてスバルにこんなものを手渡したのか……ローゼは非常識甚だしいシェフの行動をとっちめたかった。
――いくら体が冷えると言われたとはいえ……。彼女べろんべろんじゃないですか。
「ねぇねぇローゼさーん一緒に飲もうよぉ。おいしいよーふふふ」
スバルはローゼの空いている方の手をぶんぶんと振り回した。
ローゼは心底あきれ返った様子でそんな彼女をじとりとした目で見降ろしていたが、ふと涼しい顔に戻ってビンの飲み口に口をつける。
「あ」
スバルがその行動の真意に気付いた瞬間には時すでに遅し。彼は“懐かしい言葉でいうところの焼酎”級の酒のすべてを一気に飲み干していた。一息で半分ほど残っていた液体を体内に流し込み終えると、ローゼは息を吐き出してビンを強くテーブルに叩きつけた。
「これで魔法の液体は消え去りました。帰りますよスバルさん。というか帰りなさい。ホーム!」
「ひどいどいぃー! 私だって飲みたかったぁッ!」
「これは大人の嗜好品です」
「んもう! 怒った! 怒ったんだからっ! 私帰らないよーだっ!」
「あのねぇ、スバルさん……」
電気袋の周りが赤く染まった頬、トロンとした瞳の彼女は腕を組んでそっぽを向いた。どうやら席に座ったままてこでも動きそうになさそうだった。
ローゼは頭を抱えてため息をついた。このめまいはきっと酒を一気に飲み干した故の症状ではない。
彼はスバルへの説得を早々にあきらめた。長椅子スバルの横に座る。彼女がその気だというのなら、あちらの酔いが回って意識が切れるのを待ったほうが手っ取り早いというものだ。
それに彼には、自分の方の酔いが先に回って、スバルより先に意識を手放すということには絶対にならない自信があった。
「あなたまた、なぜ眠れないとか体が冷えるとか……」
カイを助けるためにずっと眠り込んでいたので前者の言い分は十分すぎるぐらいに分かったのだが、後者の発言には謎があった。ギルド周辺は年中温暖な気候だ。
「わかんなーい。すごく寒かったんだもーん。震えるくらーい!」
「はぁ、いったいどうしたというのです……」
「私使っちゃった。ごめんなさい、てへっ」
「おっしゃっていることに脈略がありませんよ」
「“願い人”のチカラ」
「……は?」
その単語を聞いた瞬間にローゼの目が三割増しで鋭くなった。
「ちょっと、スバルさんこっち向きなさい」
「うふふふふー」
「明後日の方向を見ない!」
ローゼは鋭く叫んだ。そしてスバルを覗きこむ。
「あの能力を……ソオンの力を、使ったとあなたはおっしゃるんですか」
彼のただならぬ剣幕に、酔いが回っているスバルもさすがに首根っこを引っ込めた。
「だって……だってぇ、カイを助けたかったんだもーん」
「あなたアレがどれだけ危険か――」
「でも変なこと願ってないもーん! 電気の威力の底上げしただけだもーん!」
「はぁ……」
なるほど、とローゼは納得する。やけに体が冷えるという訴えはきっとソオンへの願いの対価だったのだ。だがたしかにスバルの言うとおり、彼女は妙なことは願っていない。代償が実害の無いものにとどまっているのがその証拠だ。まさか、ソオンの力をうまくコントロールしているのか。ローゼはそう推理しながらも彼女の無茶な判断には冷や汗ものである。
「あのねぇ、スバルさん……」
「カイが戻ってきたからいいのー。うふふふー」
酔っているスバルに対してこれ以上追求をするのは無理な相談だった。ローゼはひとまず心を落ち着かせ、スバルをどうやって部屋に帰そうか、その方法を考えながら彼女の相手をすることにした。彼はテーブルに肘をつけて頬杖をする。
「カイ君のことがよほど大切なんですねぇ」
「好きだよー! 大好き―!」
「ほう。それはラブですかライクですか」
なんだかんだ言って彼も、スバルのこの状況を大いに楽しんでいるようである。
「んー?」
スバルは考え込んで一言。
「なにそれ、おいしいの?」
「……すいません。聞いたわたくしが馬鹿でした。ごめんなさい」
「えー、へんなのー。ローゼさんへんなのー!」
スバルがローゼの腕のヒレをひっぱった。
「どうしてこんなことになってしまったんですかねぇ。あなた人間だったころは、もっと、こう……」
「んー?」
「おしとやかさを残していたというか、おとなしかったというか、ねぇ。今のあなたの活発さには正直驚かされますよ」
――もしや、今のスバルさんが本来の彼女の性格なのでしょうか……?
「うー? 全然思い出せないよー」
「いいです、無理に思い出さなくても」
「でも、なんか……うっすらと、感じるものはあるんですよー?」
「ほーぉ」
酔った勢いでものを言っているのだろう、とローゼはスバルの言葉を軽く受け流した。
「カイの優しさを感じるとね、時々昔も、似たようなことがあったようなーって……」
ふと、彼女の声が低く小さくなった。ローゼがちらりと横目でスバルを見ていると、彼女はうつむいている。
「誰かが、ずっと……私を、守ってくれた、ような……」
「ああ、それはきっと……」
ローゼは言葉を発しようとした瞬間。彼の脳内で何かがパチンはじけるような、カチリと何かがはまるような、そんな感覚がした。
ずっと意識の底で思い出そうとしていたこと。浮かび上がる単語。そしてスバルの言葉。
――“転生”……
“戦略の既視感”…… “ソオン”……
“イーブル”……
“人間凶器”…… “誰かが、ずっと”……。――
「……いや、まさか。そんなことがありえるのですか……?」
そして彼の脳内に浮かび上がった一つの仮説。だが、その仮説は今までに当たったどんな案件のどんな推理よりも突拍子がなく、また証拠は何一つもなかった。
――いや、まだ、決めつけるのは早計ですか……。
ローゼは首を横に振った。いくら鉄の胃袋と肝臓あるとはいえ、いきなり普段飲まない酒を体内に流し込んだせいで、きっと思考がトリップしてしまっているのだ。彼はそう結論付けてふとスバルの方を向いた。
「……ぐー」
「おや」
スバルは、この世の幸福をすべて抱え込んだようなほころんだ表情で、椅子の上で器用に熟睡していた。
「やれやれ、やっとですか……」
ローゼは立ち上がった。そしてスバルを起こさないように彼女を抱え上げる。
「まったく、勘弁してくださいよ」
彼女とともに食堂の出口へと向かったローゼは、部屋の照明を消す。
ギルドの部屋の最後の明かりが消え去り、トレジャータウンが夜の闇に包まれた。