第百三十二話 夢から覚めて
――スバルとルアン、二人の素晴らしい健闘でカイをダークライのナイトメアダークから救い出すことができた。そして、悪夢から解放されたカイは……。
☆
また夢を見た。
ひどく幼い頃の夢だ。まだ僕らが“雲霞の里”にすんでいた頃の……僕がまだ、言葉を覚えたてでめいいっぱいリンに甘えていた頃の記憶だった。
「カイ、あなたがいつか大人になったら……きっと、私よりも大切な人がたくさん出来るはずよ」
「うー? なぁに?」
「そうなったら、きっとあなたの世界はここだけじゃなくなる……“雲霞の里”は狭すぎる。世界は、もっとずっとあなたのために広がっているわ」
リンはそう言って、僕の頭を尻尾で撫でた。僕はきゃっきゃっと笑いながら、その尻尾へ手を伸ばす。
「だから、その時が来たら私よりも、たくさんの仲間を、大切にしなさい。その時が来たら……」
「しっぽ、しっぽー! リンのしっぽー!」
「ふふ……ちょっとあなたにこの話は早かったかしらね……」
いや……早くなんかない。思い出すのが、遅すぎたくらいだ。
君は誰よりも僕のことを第一に考えてくれていた。その言葉があったから、僕はあの夢の中の幻の姿に、最後は騙されなかったんだ。
リン……。君の言った通りになった。僕にはとても大事な仲間が出来ていた。僕にはとても広い世界が広がっていた。
君にすがっていたちっぽけな僕は……もうおしまいにするよ。
ありがとう、リン。
君と過ごした日々は忘れない。そして広い世界で、たくさんの仲間に君のことを話すよ。
そしたら、君はみんなの心の中で、ずっと笑っていてくれるかい?
★
ぼんやりと目を開けた。しばらくは白いもやがかかったように視界がはっきりとしなかったけど、数回まばたきをしているうちにギルドの天井が鮮明に見えてきた。
夢から覚めたのか……。
僕は部屋の中を見回してみる。窓の方を見上げて外の様子を探ってみる。もう少しで夜が明けようとしていた。僕の横、本来ならスバルが寝るはずのベッドは空になっていた。彼女はいつも朝には弱いはずなのに先に起きたのだろうか。
まだ少し疲労感が残っているがそろそろ起きることにしよう。腕をぐっと上へ伸ばしてみる。あ、これは節々がボキボキと鳴ってしまうやつだ……。
「……カイ……?」
「!」
び、びっくりした! 入口から声がかかって、僕は伸ばしていた腕を慌てて降ろした。改めて入口を見てみると、そこにはもうすでに目の縁から涙をいっぱいに溜めているピカチュウの姿があった。
その様子に、僕も思わずもらい泣きしそうになった。
夢の中へ、僕を助けに来てくれた。夢にとらわれる前に、彼女にひどいことを言ったのに。夢の中は、どれだけ危険かもわからないのに。
仲直りがしたいと言って、助けに来てくれた。
「スバル……!」
僕は立ち上がってスバルに駆け寄る。スバルも同じように僕へ向かって来て、僕らは手を取り合った。
「ごめん、ごめんスバル……! あんなこと言って……!」
彼女は嗚咽とともに首を横に振る。
「私もっ、ごめん……っ! ぐすっ、カイが無事でっ……ほんとによかった……っ!」
僕らは、しばらく馬鹿みたいにその場で随分と泣きじゃくった。もう、なんでだろう、涙がどうしてもとまらなかったんだ。
今まで無意識だけど感じていた。“イーブル”に里を追われたあの時から、仲間との素晴らしい出会いがあったのと同時に、とても、とてもつらかった。そして、リンの死とスバルとのケンカで、それが最高潮に達してしまった。
だけど、それでもそのつらさを分かち合う人がいてくれた。最初から一人で抱え込む必要なんてなかった。そんな当たり前なことに気付いたいま、この瞬間、僕の胸の中にたまっていたつらさが融解したみたいだった。
心がとても温かくて、涙が止まらなかった。
僕はその後、ギルドのみんなにも温かく迎えられた。
シャナさんやミーナさん、アリシアさんとトニア君……彼らはみんな僕がダークライのナイトメアダークにかかってしまったのを咎めたりはしないで、ただ無事に帰ってきてくれたことをすごく喜んでくれた。
意外な反応をしたのはルテアさんだった。彼が僕の前に現れたとき、正直またいつかの“鉄拳制裁”を食らうのではないかと若干身構えていた。しかし、僕が考えていた予想とは真逆に、ルテアさんは僕を見た瞬間「心配掛けやがってッ……うおおおおおッ!」と叫んで僕の頭をぐりぐりと強く撫でた。その目に若干涙がたまっているのを僕は見てしまって、本当に、ギルドのみんなにはすごく迷惑をかけてしまったんだと改めて実感した。
まぁ、キースさんは相変わらず、自身が今までに見た症例に新たな一ページを刻みこめたと変なところで喜んでいたし、ローゼさんもまるでこうなることは予想済みだと言いたげな顔で「お帰りなさい」と一言添えるだけで、この二人は普段の様子とあまり変わらなかった。
ちなみに、ウィントさんは僕に涙と鼻水でぐしょぐしょになった顔を僕に押し付けてきた。ラゴンさんも立場上色々と思うところはあったみたいだけど、僕が同じギルドの探検隊にけがをさせてしまったことはおとがめなしということになった。僕はあのガメノデスとカチコールにとんでもないことをしてしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。たとえギルドがこの件をおとがめなしにしても、僕のやったことが白紙に戻るわけじゃない。
数日たって落ち着いたころに、僕はスバルに仲裁をしてもらい改めてガメノデスとカチコール――メデスさんとコーリンさんに謝りに行った。
メデスさんは苦々しい顔をしながら僕の謝罪を聞いていた。だが、僕が謝り終えるとそっぽを向きつつ、ボソッと「俺も、悪かったよ」と言ってくれた。コーリンさんは終始平身低頭でしきりに謝りかえしてきたので、どちらかというと正直僕はそちらの方の対応に困った。そして最後に僕らは握手をした。出会い方は最悪極まりなかったけど、もしかしたらこれを機に彼らとはいい友好関係を築けそうだと、僕は握手をしながらちょっと思った。
★
「き、緊張するなぁ……」
そして、さらに数日後の今日。僕は今、ギルドの大広間の端っこにいた。
え? どうしてそんなところにいるのかって? そして、どうして緊張しているのかって? これは、話すとすごく長くなるんだけど……。
実はスバルが僕の知らない間に、僕の家族――リンの話をする場を設けてくれるようにギルドへ頼み込んでいたんだ。僕も聞いたときはびっくりして口をあんぐりとあけてしまった。だが意外にも、ギルドはスバルの提案をすんなりオーケーしてくれた。
だが、僕はギルドがその場を設けてくれても、実はちょっとためらっていた。はたして僕がリンの話をして、みんなに需要があるのかと思ってしまったからだ。だけど……。
みんながリンのことを知ってくれて、彼女が僕の記憶の中だけでなくみんなの記憶の中で生き続けてくれたら、どんなに素晴らしいだろう。
こんなに、うれしいことはない。
よし。覚悟を決めて僕は壇上に上がる。驚いたことに、大広間には僕の予想以上の人数が集まってきていた。僕が知らない顔もちらほらと見える。大広間に後ろ側には背の高いシャナさんと、その頭の上で手を振るスバルの姿がよく見えた。(シャナさんがとても迷惑そうな顔をしている。)
「……えっと、今日はみなさん来てくださってありがとうございます」
壇上で僕が言葉を発すると、みんなの注目が一斉に集まった。
「今日は、僕の家族のお話をしようと思います」
僕も、近いうち……命の宝玉を壊すことになれば、この世からいなくなってしまうだろう。だけど、夢の中でスバルの言った言葉は、確かに僕の考えを変えた。
――例え現実の世界に彼女がいなくても、あなたと過ごした日々がちゃんとある。ちゃんとあなたの中で生きてる! そして私たちに教えてくれれば、みんなの中で生き続けるの!――。
そう、リンと同じように、たとえ世界から僕がいなくなったとしても……。その間に過ごした時間が、僕の姿が……スバルや、ギルドのみんなや、トレジャータウンの人々の心の中に残っているとしたら。
僕はその中で、きっと生き続けるに違いない。
だから、僕はもう怖がらない。
自分の運命に、目を背けたりしない。
壇上で話をしているとき、ふと僕は遠くを見てみた。
聴衆の後ろ側で、リンが見守ってくれているような、そんな気がした。